15. 手厚い待遇
謁見が終わる頃、トリスタン王弟殿下が私に居住を移すようおっしゃった。王宮からほど近い場所にあるお屋敷を準備してくださっているそうだ。そのお屋敷は、王弟殿下ご自身が所有しているものだという。
「で、殿下のお屋敷、でございますか……? 官舎ではなく……?」
驚いて問うと、殿下は「ああ」とあっさり肯定する。
「君からの手紙に目を通した日に、屋敷をすぐに整えるよう手配しておいた。最近では俺は滅多に使うことのなかった屋敷だ。遠慮せず滞在してくれていい。外務局までは馬車で十数分もあれば着く」
「ですが……っ、文官の多くは王宮内の専用官舎に居住しているのですよね? 私だけそのような好待遇では……」
ただでさえ私個人のために動いていただくのに、さらにそんな良い住まいまで用意してもらうなんて。さすがに申し訳なくて恐縮してしまう。
動揺する私とは対照的に、殿下は淡々とした口調で答える。
「いくら今は平民の立場にあるとはいえ、元々の君の身分を鑑みれば、相応の待遇だろう。君の今後の我が国に対する献身を考え、俺なりに礼を尽くしているだけだ」
「殿下……」
「気にしなくていい。ただでさえ来たばかりの不慣れな土地だ。何かと不便もあるだろう。君の助けになれるような者たちも、屋敷に常駐させている。遠慮なく頼れ。全ては君の仕事に期待してのことだ」
「……ありがとうございます、殿下。では、お言葉に甘えさせていただきます」
こんなにも私の処遇に心を砕いていただいていたのかと恐縮し、ありがたく思いながら、私は殿下に心からの感謝を伝えた。そして一度宿屋へ戻り、わずかな荷物をまとめお屋敷へと運び入れたのだった。
殿下のお屋敷に居住を移した翌日の午後。早速王宮に出仕した私は、呼び出しに応じ殿下のもとへと向かった。彼は現れた私を、外務局へと連れて行く。
緊張しながら重厚な扉をくぐれば、整然と並ぶ机と書類の山、そして地図や書物を手にした文官たちの姿が視界に飛び込んできた。
ひそやかな会話や筆音、紙の擦れる音の中、突如姿を現した王弟殿下に一人また一人と気付きはじめる。そして皆が一斉に立ち上がり、礼をした。
(……女性が多いわ……)
室内を見渡した瞬間、まずそう思った。アルーシア王国では男性しか働いていないはずのこのような部署に、女性の姿が多く見られた。おそらく三分の一は占めているだろう。
殿下は迷いなく奥の執務机へと私を導いた。
「ラザフォード嬢、知っていると思うが、彼が外務局長のリューデ卿だ。リューデ卿、こちらはセレステ・ラザフォード嬢。今日からこの外務局で文官として務めてもらう。よろしく頼むよ」
目の前に立つ、銀縁の丸眼鏡をかけた人の良さそうな壮年の局長は、私の顔を一瞥し、そして目を見開いた。
「セ……、セレステ王子妃殿下……でございますよね? アルーシア王国の……。ラザフォード、とは……?」
驚くのも無理はない。彼とはこれまで何度か公の場で顔を合わせたことがあるのだから。ゆっくりと会話を交わしたことはないけれど、顔は覚えてくれているようだ。
その元王子妃が、なぜだかこの国で文官になる。王弟殿下が直々に連れてきて、そう紹介したのだ。戸惑うなという方が無理だろう。
トリスタン王弟殿下は私の背中にそっと手を当て、まるで私を庇うように付け加える。
「彼女はもうアルーシアの王子妃ではない。様々な事情があり、今こうしてここにいる。彼女の後見はこの俺だ。昨日謁見し、ラザフォード嬢とは綿密な機密保持誓約を交わした。それなりの覚悟を持ってくれている」
「……承知いたしました」
何とも言えない微妙な表情のリューデ外務局長に、殿下が念を押す。
「余計な忖度は不要だ。繰り返すが、ラザフォード嬢はもうアルーシア王家とは無関係の人間。そしてかの国の貴族の身分も捨てている。今はただの有能な平民だ。そのように思い、接してくれればいい」
「……はい。殿下がそのようにおっしゃるのでしたら、我々はご判断に従うのみですので。……これからよろしく頼みます、ラザフォードさん」
「ありがとうございます、リューデ局長。精一杯務めてまいります。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。改めまして、ニコラス・リューデ伯爵です」
リューデ外務局長が表情を和らげそう挨拶を返してくれた後、殿下はさらに外交補佐官長や他の文官たちにも、私を紹介してくださった。
場の空気はいまだ固く、戸惑いがひしひしと伝わってくる。皆私たちの会話を聞いて、「接しづらいのが入ってきたな」と鬱陶しく思っているのかもしれない。
(当然のことよね。つい先日まで他国の王族に嫁いでいた貴族令嬢を、一般の者として扱い共に働けと王弟殿下に言われれば、私だって戸惑うわ。こうなった以上は早く皆さんに受け入れてもらえるように精一杯努めていかなくちゃ……!)
一人一人の紹介を聞き一生懸命名前を覚えながら、私はそう決意したのだった。