表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/29

13. 王弟殿下との謁見

 使者に促され、王家の紋章の入った馬車に乗り込みながら、私は心底驚いていた。まさか直接お迎えが来るなんて。

 王宮へと向かう私の心臓は、今にも破裂しそうなほど大きく脈打っていた。王子妃の身分も実家である侯爵家の後ろ盾もないただの庶民として、イルガルド王宮に赴いているのだ。それも、王弟殿下に助けを乞うために。我ながらなんと大胆で無謀な行動だろうか。


(まともなドレスも持ってきておいて本当によかったわ……)


 簡素なワンピース数枚の他に、一応見栄えのいいデイドレスも一枚入れておいたのだ。それでも王宮を訪問するには、あまりにも質素ではあるけれど。

 身に着けてきた母の形見のアクセサリーたちが、心強いお守りのように思えた。


 王宮の謁見室へと通され、そこでしばらく待たされる。指先が冷たい。果たして王弟殿下はどんな表情で現れるのか。扉の両脇に控える衛兵たちは、地味な出で立ちの私を見て、一体何者だと不思議に思っているに違いない。王子妃でいた三年の間、この国を訪れたのはほんの数回だけ。王族や一部の重鎮以外の人は、誰も私の顔など分からないだろう。

 静まり返った空間で二十分ほど待った頃、ついにトリスタン王弟殿下が姿を現した。


「すまない、ラザフォード嬢。待たせてしまったな」


 青みがかった銀髪をなびかせ、舞い込んできた春風のように颯爽と現れた殿下は、私の向かいのソファーにすぐに腰を下ろした。

 立ち上がり挨拶をしようとした、その時。


「皆外せ」


 殿下は凛とした声でそう後方に命じた。一緒に入室してきた従者たちがすぐさま退室し、私たちの前に紅茶を置いたメイドもそそくさと出て行く。

 謁見室には私と殿下、そして扉のところにいる衛兵二人だけが残った。


「……突然の来訪をお許しくださいませ。謁見を許可していただき、ありがとうございます」

「かまわない。座ってくれ、ラザフォード嬢」


 ためらいもなく私のことを「ラザフォード嬢」と呼びながら、トリスタン王弟殿下は余裕のある笑みを見せる。

 私が静かに腰かけると、殿下は前触れもなく切り出した。


「手紙は読ませてもらった。窮地に俺の言葉を思い出してくれて嬉しいよ。せっかくこうして訪ねてきてくれたのだ、早速だが、率直に頼もう。あなたには、このイルガルド王宮で文官として働いてもらいたい」

「……は……、文官、でございますか?」


 あまりにも予想外の言葉に、思わず聞き返してしまう。

 あわよくば何か良き仕事を紹介してもらえるのではと期待して、ここまで来たのは間違いない。けれど私が予想していたそれらは、たとえば貴族の子女相手の教職や侍女、マナー講師、あるいは王都の宝飾店での顧客対応など。まさかこの王宮で、私を雇うおつもりでいたとは……。アルーシアには女性の文官などはいない。

 こちらの反応をうかがうように見つめてくる王弟殿下に、私は衛兵たちの耳を意識しながら慎重に言葉を返す。

 

「ですが私はかの場所へ嫁ぎ、結局は離縁し追われた身です。私をこの王宮に置くことを快く思わない方々は、大勢いるはずですわ」


 大国アルーシアの元王子妃が、そこを離れてこのイルガルドの王宮で働くなど……。

 殿下はゆっくりと足を組みながら口角を上げた。仕草の一つ一つに、そこはかとない色気が漂っている。


「たしかにそうだな。当たりのきつい連中もいるだろう。だが君をこのまま埋もれさせてしまうのはあまりにも惜しいだろう? 長年培ってきたその知識と知恵を我が国のために振るってくれるのならば、強力な支柱となるはずだ」

「……殿下……」

「君は幼少の頃から死に物狂いで勉強してきただろう。そして示されたつまらぬ未来を捨て、ここまで来てくれた。その覚悟を、今後はこの王国のために尽くしてくれないか」

「……っ」


 戸惑いつつも、胸の奥に静かな情熱の火が灯るのを感じた。……そうだ。私にはもう戻る場所はない。他に行くところもない。そしてここでなら、これまで以上に自分の力を活かせるかもしれない。

 義母たちの言いなりになり私を見捨てた父に使い潰される未来は捨てた。

 文官として働くことができるのならば、子どもの頃からの苦労も、アルーシア王宮で過ごした屈辱の日々と努力も、きっと無駄にはならない。……うん。

 自分にそう言い聞かせると、さっきまでの逡巡が薄れていく。私は殿下の目を見つめて頷いた。


「……承知いたしました、トリスタン王弟殿下。そのように私を買っていただき、ありがとうございます。尽力いたします」


 声が震えそうになるのを堪えそう答えると、殿下は静かに頷いた。


「よろしく頼むよ、ラザフォード嬢。心配はいらない。君の後ろ盾はこの俺だ。何か困ったことがあれば、いつでも俺に言ってくれ」

「は、はい。心強いお言葉をありがとうございます、殿下」

「ちなみに、国王陛下には俺からすでに話をしてある。事情も上手く説明した。この後正式に許可をいただけば、当面は静観してくれるだろう」


(なんと……根回しが早い……)


 私は再び彼にお礼を伝えた。

 こうして私はトリスタン王弟殿下の口利きにより、このイルガルド王宮の外務局で、外交補佐官として勤めることが決まったのだった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ