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1. アルーシア王国のお飾り王子妃

 第二王子に嫁ぎ、王宮に入ってからの三年間。

 それは孤独と忍耐、そして静かな絶望を重ねるばかりの日々だった。思い返しても腹が立つ。


「メロウ侯爵家から嫁いできたセレステ妃殿下は、ただのお飾り王子妃だ」


 臣下たちにまでそう揶揄されるようになったのは、丸二年が経つ頃。それまでは私に冷たいのは、夫のヒューゴ第二王子だけだった。

 豪奢な結婚式を終えたその夜、ヒューゴ殿下は私に言った。


「僕が君を愛することは決してない。僕にそれを期待するのは止めてくれ」

「……え……?」


 真ん中からきっちりと分けられたサラサラの金髪を翻し、彼は夫婦の寝室から出て行ったのだ。

 残された私は、ただ立ち尽くした。

 全く意味が分からなかった。十年以上もの婚約期間、私たちは良好な関係を築いてきたはずだったのに。

 たしかにここ半年ほど、ヒューゴ殿下の態度は妙に素っ気なかった。けれどそれは、いよいよ王子妃を迎えるのだという責任感や、今のところ女児しか生まれていない王家の中で、世継ぎとなる男児を自分たちが設けねばという重圧があるからなのかと。ナーバスになっているのだろうと思っていた。

 それなのに──。

 結婚式の夜以来、ヒューゴ殿下は夫婦の寝室の隣にあるご自分の私室で夜を過ごし、私とは一度も閨を共にすることがなかった。私たちの身の回りの世話をする者たちはそのことに気付いていたはずだが、誰もが見て見ぬふりをした。

 この約十年間、さんざん私に愛を囁いてきたはずの彼の変貌ぶりに困り果てはしたけれど、それでも私が王家に嫁いだ身であることに変わりはない。世継ぎ候補となる子を設けるのは、どうやらまだ先のことになりそうだが、それ以外の自分の仕事はしっかりと果たさねば。そう思った。

「国政は男の領分です。王子妃は王国の顔として、ただ美しく微笑み、座していればよろしいのですよ」

 幼い頃からそう教育されてきたし、王子妃となってからも、大臣や教育係たちからは常にそのように言われていた。政に深く関わることを許されない私の主な仕事は、条約の調印式や祝賀の晩餐会などで各国の使節らを迎えること。笑顔を絶やさず、礼儀正しく振る舞い、アルーシア王家の威光を示す。それが王子妃としての私に求められる役割だった。

 けれど、空いた時間には大陸各国の語学や文化、風習、マナーの勉強を続けた。それらの知識が大きく役立つ機会は私には回ってこなかったけれど、地道な努力はいつか実を結ぶもの。ここは大陸随一の大国。いずれこのアルーシア王国に何らかの危機が訪れた時には、私の知識が役に立つかもしれないのだ。そう思い、日々ひたむきに努力を重ねた。


 そうしているうちに、およそ三年もの月日が経ってしまった。


 突如豹変し冷たくなったヒューゴ殿下に対し、私は嫁いで以来、何度も話し合いの場を持とうと歩み寄った。けれど、彼は決して受け入れてはくれなかった。

 そんな中、先日私はついに、彼の豹変の理由を知ってしまったのだ。


 公務の合間に、過去の慈善活動関連の記録を確認しようと、私は王宮内の図書室に向かっていた。

 ここの図書室は王族や高官が利用するための、機密性の高い施設だ。けれど一部の閲覧エリアは、高位貴族らの利用も許可されていた。

 そのことはもちろん知っていたけれど、人気のない図書室で義妹のリリエッタの後ろ姿をちらりと見た瞬間、驚いて足が止まった。


(……珍しいわね。あの子が王宮の図書室に来るなんて……)


 ヒューゴ殿下と結婚する半年ほど前、父であるメロウ侯爵が再婚した。私が幼い頃に、母は病気で他界してしまった。それ以来ずっと一人でいた父の再婚を、私は祝福した。後妻のベアトリス夫人は、スコット子爵という方の元妻。父と同様に、彼女もその夫を病で亡くしており、二人は再婚同士だ。ベアトリス夫人はいつも私に素っ気ない態度をとる冷たい人だけれど、その連れ子のリリエッタはとても愛らしくて、可愛かった。

 雪のように真っ白な肌。薄いハニーブラウンの艶やかな巻き毛は、両耳の上でツインハーフアップに結われ、空色の瞳はいつも潤んでいた。唇は赤く色づき、まるでおとぎ話のお姫様のようだ。

 全体的に色素の薄い彼女の姿は儚げで、庇護欲をそそる。そして年齢は違えど、ベアトリス夫人とリリエッタのその美しい容姿は、驚くほどそっくりだった。

 濃い紫色の艶を帯びた黒髪に、アメジストのような深紫色の瞳の私とは、まるで正反対の二人だった。

 リリエッタは私より三つ年下の十八歳。けれどその歳にしてはやけに言動が幼い。さらにとても可愛らしく私に甘えてくるものだから、屋敷で一緒に暮らすようになってからはずっと優しくしてあげてきた。


(侍女の姿が見えないようだけれど……まさか、一人で来たわけじゃないわよね? 奥にいるのかしら)


 本棚の間を縫うようにリリエッタの後を追うと、奥まった場所から彼女特有の甘く高い声が聞こえてきた。


「ふふ……。やっとお会いできたわね。嬉しいな」


(……? どなたかと待ち合わせだったのかしら)


 本棚の陰になっていて、まだ彼女の姿は見えない。

 誰と一緒にいるのか確認してから、声をかけるか考えようかな。

 そう逡巡していると、聞き慣れた男性の声がした。


「ああ。すまないね、リリエッタ。ここ最近はなかなか連絡ができなくて……。僕も早く君に会いたかった。毎日君のことばかり想っていたよ」


(……え……)


 聞き慣れた声でも、そのトーンは私の問いかけに返事をする時とは、まるで違う。

 けれど紛れもなく、それは私の夫、ヒューゴ第二王子殿下の声だった。






 

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