導入
はじまりは いつのはじまり よあけまで ゆるやかに めぐらせ 思考思考
よみける いつわりがたり たゆまぬ おもいでも はじけるまえには そう ぼくの ものとなった
さよならは だれのさよなら いくさまで しとやかに はべらせ 無常無常
わたらす せんじょうのうた かじかむ にくしみの ほうふくのあとには そう だれにも のこらない
松:待つ、誰かが遊んでくれるのを。
http://matu@darekaga@asonnde/kurerunowo.xxxxxxxxxxxxxxx
その、サイトは沈むようなdeep buluのなかに在る。掲示板方式のホームページに一行書かれたその文字は、ズット誰かを、他人を待ち続けているような、雰囲気が駄々寄っている。この一行の言葉は、サイトを訪れた人間に、このページの主を連想させる。女性にもみえ、男性にも見える。少女のようであるながら、少年の心情のようでもある。
ぼくは、このサイト主に、ぼくじしんを見た。ぼくは deep buluの画面に隠れるような黒い字で僕自身へ書き込む。
章:友達はできそうですか・・・
章という名前は物語好きの祖父がつけた。僕が生まれた1993年は親が名前に凝る傾向が見え始めたころだったので祖父の言い出した、章という割と平凡な名前に母は「もっと個性的なほうが、学校とか通いだしたときに覚えてもらいやすくて良いでしょう。」と言った。婿養子の父はなにも言わず、大事な娘の反対に、祖父はそのときはそれ以上は何も言わなかった。その一週間、祖父は急に脳梗塞で倒れてしまった。医者は「もう目が覚めないかもしれません」といったが、二日後祖父は目を覚ます。そのとき枕元にいたのは、父と幼い僕だった。祖父は父に耳を貸せというしぐさをして、何かをささやいた。僕はそのとき祖父が何を言ったか覚えていない。それから、三日間祖父は目覚めず、その次の日の朝、祖父は天に向かった。そしてその日の夜、真っ白な病室で僕の名前は章に決まった。母は笑泣き、父は静かに黙っていたのを、僕はなんとなく覚えている。
僕は生まれて間もないそのときのことを、なぜか覚えていて、祖父の年代の人が、どうしようもなく好きだった。近所のおじいさん。商店街の花屋のおばあさん。あと、大豪邸に住まう、老夫婦。みんなぼくが子供であるというだけで、すぐ友達になってくれた。そして3歳になったとき僕は老人ホームに通い始めた、母に「章も幼稚園行きたい?」と聞かれとき、僕は、「うん」といえなかった。それは僕が近所の友達たちと遊べるのは昼間だけだったからで、大豪邸に住まう夫婦は僕が遊びに行かないと、ご飯を食べることをしないからだった。僕が、それを精一杯説明すると、母は、それなら仕方ないと、オーケーしてくれた。しかし、共働きの両親がいない間、家に小さい子供を一人にするのはさすがに不味かったらしく、父が働いていた、老人ホームに一緒についていくことになった。朝から昼間で、ホームの友達と過ごし、父の昼休憩のときに大豪邸の老夫婦のもとへ連れて行ってもらって、そこで昼ごはんを食べ、その後は老夫婦と一緒に商店街や近所の友達に会いに行った。