第十三話 借りた本を返す
「待て! お前は俺のためにここで死ななきゃならないんだよ!」
「見当違いな怒りをぶつけるのはやめてくれ! 俺は全くモテないんだ!」
「は? ふざけるな! あのツインテは俺が狙ってたんだ! モテないとかふざけたことを抜かすな! うああああ!」
「ああ、もうマジで意味がわからない!」
叫びながら走り回る二人を周囲が黙って見ているはずもなかった。交番から警官自ら彼らに近寄ってきて、凶器を持った男をその場で取り押さえた。
「離せ! こいつがいなければ俺は! 俺の自尊心は! うあああああああ自尊心! 自尊心んんん!」
押さえられてもなお、彼は叫び続けた。その様子をスマホに収めた人が居たのだろう。後に彼の様子はネット上で拡散され、たちまち「自尊心絶叫ニキ」として有名になったのはまた別のお話。
クリスもまた事情聴取を受けるため、署へと同行することになった。
彼はその日、午後七時頃まで警察に付き合わされ、ようやく署を出た頃には、辺りはすっかり真っ暗だった。
「はあ…………芹川、まだ無事かな。俺は正直疲れたよ。きっとそっちも疲れてんだろう」
空腹に悩まされながらも、なんとか図書館の最寄り駅に戻ってきた。駅にも夜が訪れている。仕事帰りの大人達で飲食店は繁盛していそうだ。
彼は歩いていた。もう走る元気すらない。しかし、図書館の建物の中に灯りが見えたとき、彼の心に再び希望の灯が宿され、最後の力を振り絞って走り出した。
この時間に開いているはずのない入口の自動ドアに近づくと独りでにそのドアは開いた。
急いで中に入ると、ほとんど電気が消されているのに、カウンターとその近くのコーナーだけは明かりがついている。
「俺だ、クリスだ! 本を返しに戻ってきた! 誰か居ないのか! 彼を人質にした俺は、ここにいる!」
大声で叫ぶが応える声はない。恐る恐るカウンターへ近づくと、暴君出尾が伏せて眠っていた。友人芹川がどこにいるかと辺りを見回すと、カウンターから少し離れたテーブルでこちらも伏せて眠っている。
あまりにも長く待たせてしまったのだろう。
彼が本を取り出そうと、リュックをテーブルに置き、中を探っていると、後ろから声をかけられた。
「図書館内ではお静かに」
「すみません!」
振り返ると、筋骨隆々の男が立っていた。図書館では滅多に見ないタイプだなどと思っていたが、その優し気な表情からは確かに本を愛する一人の人間であることが見て取れた。後ろから眼鏡をかけた女性司書も出てくる。彼女は暴君に毛布をかけてやっていた。
「あの…………この本、半年も返し忘れてしまい、すみませんでした」
深々と頭を下げ、男性司書に本を手渡そうとした。しかし、彼はその本を受け取らずに言った。
「この本は彼女に直接渡してください。彼女とあなたたちの約束でしょう?」
「はい、確かにそうでした」
すやすやと眠る暴君に近づき、彼女を起こそうと手を伸ばす。だが、その手は眼鏡の司書の手によってそっと止められた。
「あなたたち、明日も時間はあるかしら」
「ええ、一応。授業は午後からなので。友達はわからないですけど」
「一日くらい遅刻したり、休んだりしても大丈夫ね」
「まあ…………そうですね」
眼鏡の司書はクリスに一つの提案をした。その提案を受け、彼は頷く。本をテーブルに置くと、再び図書館を出た。歩いて駅の方へ戻ると、コンビニがある。そこで彼は夕食になりそうなものを適度に購入し、来た道を戻って図書館内へと入って行った。
「この部屋を使ってください」
筋骨隆々の司書に通されたのは、図書館で働く人たちの控室だった。彼はクリスにタオルも手渡した。ありがたく受け取り、頭を拭いたり、服を簡単に拭いたりした。コンビニで買った夕食を開封し、割り箸で唐揚げを掴んだ。
空腹時に食べる物は何であっても基本的に美味い。クリスは夕食をすぐさま平らげると控室を出た。外には司書の彼が立っている。クリスが部屋を出ると施錠し、またどこかへ歩いて行った。
「夜の図書館ってなんだか不思議な感覚だ」
友人が眠っているテーブルに戻ってきたクリスは呟いた。返却予定の本を手に取って開く。実は、彼がこの本を借りたのには特に理由は無かった。ただ、その場のノリで一冊借りることにしただけ。普段芹川以上に本を読まない彼は、借りたことをすっかり忘れていたのもそうだが、そもそも借りたのに読んでいなかった。
そのことを正直に暴君に伝えたのなら、またキレられてしまうだろう。しかし、彼女に手渡すまで、まだ時間はある。彼は半年前に借りた本を今更ではあるが読んでみることにした。
「ハードカバーの本はやっぱ少し重いな」
内容に触れる以前に、本そのものの物質的特徴を感じる。日常的に本を読む人からは次第に薄れていく感覚を彼は味わっていた。
ゆっくりとだが着実に読み進める。ページを捲る手は次第に早くなっていく。
彼は物語に引き込まれる感覚に浸っていた。