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嘘つきは恋をした

作者: 虹彩霊音



昔、嘘つきな龍がいました。


龍は嘘しか吐きませんでした。言葉の責任を取りたくなかったからです。


「それは綺麗なウソだね」と誰かが笑ったとき


「それはひどいウソだ」と誰かが怒ったとき


龍はただ、はにかんで曖昧に笑って、何一つ信じようとはしませんでした。


「本当のことを言えば、壊れる気がするから」


それが、龍の本音―――たった一つの、本当の言葉でした。



龍はとある女の子に会いました。見た目も、性格も、子供でした。名前を尋ねると、彼女は笑ってこう言いました。


「幻、って呼ばれてるの」


最初は軽くあしらっていました。こんな小さな存在が、自分の生き方を変えられるわけがないと。でも、いつからか――


女の子と一緒にいるうちに、なんだか気分が悪くなってきました。胸がざわざわして、心臓が脈を打つたび、喉が詰まりました。


――口が、上手く動かないのです。嘘しか吐かないはずのこの口が。


「それ、本当のこと言いかけたんじゃない?」


幻は首をかしげながら、龍の顔を覗き込むように言いました。


「どうする? 嘘吐きのくせに、ホントのこと言っちゃいそうになってるよ」


彼女の指先が、龍の頬に触れました。冷たいのに、妙にやさしい。心まで溶かされるような、指先でした。


龍は息を呑みました。


――これ以上、彼女のそばにいたら、自分は壊れてしまう。


でも、それでも、離れたくないと、思ってしまいました。




それから、どれだけの時間が経ったでしょうか。


龍は、ある日、自分の身体の中に埋まっていた一粒の宝石を取り出しました。大切なものを切り離すように、少しだけ痛みを伴って。それを丁寧に磨き、指輪に加工しました。


言葉にすると、嘘になってしまう。

ならば、行動で示そう。


ただの一度も、本音を語れたことのないこの口で。一度きりでいい、本当の言葉を。


幻は、指輪を受け取ると、満面の笑顔で左手の薬指にはめました。


「……綺麗。すっごく、嬉しい」


その笑顔が、眩しくて、息をするのを忘れそうになりました。なのに、彼女は無邪気に続けました。


「ねぇ、貴方の名前、教えて?」


言葉の刃が、胸の奥を抉りました。


名前。それは、龍にとって唯一“嘘”ではいられる可能性のある言葉。でも、その一言すら、これまで誰にも告げたことはなかった。


けれど――彼女の瞳が、待っている。信じるために。愛するために。名を、欲しがっている。


「……俺の名前は、エルドラド」


小さな声でした。けれど、確かに震えていました。その瞬間、嘘で塗り固めた世界が、一瞬だけ透き通って見えました。


幻は小さく目を見開いて、それからにこりと笑いました。


「うん、エルドラド。いい名前だね」


そして、彼女はそっと龍――エルドラドの胸に額を当てて、ささやきました。


「だいすき、エルドラド」


もう、逃げられませんでした。




ある日、幻は言いました。


「ずっと一緒に居ようね」


彼女は、何の気なしに、まるであいさつのようにその言葉を口にしました。


けれど、エルドラドの心臓は、その瞬間、どくんと重く鳴りました。


“ずっと”。


その言葉は、あまりにも優しくて、あまりにも怖い。


彼女の言う「ずっと」は、何年? 何十年? せいぜい百年? でも、自分にとっての「ずっと」は――この先の、永遠を意味してしまう。


本当なら、即答できたはずだった。「もちろんだ」と、いつものように、軽く笑って返せばよかった。


でも、言葉が出なかった。


口を開けばまた、嘘になる気がして――いや、本音すら、彼女を裏切ってしまいそうで。


「……どうしたの?」


不思議そうに首をかしげる幻の目が、まっすぐこちらを見ていました。


その無垢な視線に、エルドラドは困り果ててしまいました。言えない。何も、言えない。


変に答えれば、変に責任を取る羽目になる。

軽く誓えば、軽んじたと後で後悔する。

重く誓えば、彼女の未来を縛ることになる。


――ああ、どうしてこの子は、こんなにも残酷に、優しいのだろう。


「……ああ。ずっと、な」


なんとか絞り出したのは、曖昧な笑みと、うすっぺらな相槌でした。


幻は嬉しそうに笑って、エルドラドの腕に自分の手を絡ませました。エルドラドは、黙ってそれを受け入れるしかありませんでした。


“また、嘘をついてしまった”


心の奥で、誰にも届かない後悔が小さく鳴りました。




それからまた、何年かが経ちました。


幻は変わらず笑っていて、エルドラドは少しずつ、けれど確実に、衰えていきました。


最初はただの疲れかと思いました。少しだけ眠る時間が増えて、少しだけ食が細くなって、少しだけ笑うのが減っていっただけだと思いました。


けれど、ある日突然――それは、幻の目の前で起きたのです。


エルドラドは、何の前触れもなく、崩れるようにその場に倒れました。


焦って呼びかけた幻の声にも、彼はすぐには反応しませんでした。


幻の家族は静かに言いました。


――“寿命”だと。


彼の時間は、もう限界だったのだと。


幻は理解できませんでした。エルドラドは龍で、人間よりもずっと長く生きる存在なのですから。


「どうして……? だって……エルドラドは、エルドラドは……」


問いかける幻に、姉は静かに言いました。


「龍でも、いつかは死ぬんだよ」


「……そんなの、聞いてない」


幻は、唇を噛みました。


エルドラドは、何も言わなかった。ずっと、隠していた。


“ずっと一緒に居ようね”と言ったあの日。彼は、すでにその言葉を否定する未来を見ていたのです。


幻は、ふと、指輪に目を落としました。エルドラドが、自分の身体から削って作った、たった一つの証。


「なんで……なんで言ってくれなかったの……」


膝をついて、彼の横顔を覗き込みました。


その時、ようやく彼が目を開きました。


細く、弱く、けれどちゃんと幻を見つめていました。


「……だって、言ったら……泣くだろ……?」


「言わなくても泣いてるよ……!」


幻の声が、震えました。


ぽろぽろと、涙が指輪に落ちました。


エルドラドはそれを見て、少しだけ笑いました。


「ごめんな……」


「嘘つき……」


幻が言いました。


「ずっと一緒って言ったのに……嘘つき……なんで、なんでみんなすぐに居なくなるの……」


しばらくして、ぽつぽつと雫が垂れるような音がしました。


顔を上げると、エルドラドが泣いていました。


彼が泣いているところを見るのは初めてのことでした。


「なんで……嘘つきになっちまったんだろう……いつから、嘘をつくようになったんだろう……お前のことが好きだってことは、嘘じゃないはずなのに、どうしてこんなことすらも、自信を持って言えないんだろう……ごめんなさい、嘘つきでごめんなさい……こんな最低な奴でごめんなさい……せっかく好いてくれているのに、何も返せないクズでごめんなさい……好きになって、ごめんなさい……」


ずっとずっと、エルドラドは自分を卑下しながら、幻に謝り続けました。


こんなにも胸が苦しくなったのは初めてのことでした。こんなにも自分に後悔したのは初めてのことでした。


嘘をつきすぎて、もはや自分でもわからないのです。自分の放った言葉が本当なのか嘘なのか。本当のつもりで放ったのに、無意識に嘘となってしまっているのではないか。


「……好きって言えないなら、良いこと教えてあげようか」


幻はエルドラドの頬に触れて、彼の瞳を見ながら言いました。


「好きって言うのが怖いなら……」


そうして、彼に口付けをしました。


「ちゅーすれば良いんだよ。ちゅーした分だけ、好きってことで良いよ」


そうして幻はキスをし続けました。


一回、二回、三回……


何回も、何回でも。大好きと、伝えるように。


「……んむ」


何回目のキスかもわからなくなった時、エルドラドが唇を重ね返してきました。


「……好き……っ……好き、好きっ……」


溺れるほどのキスでした。執着、後悔、愛情……全てがごった煮になったキスでした。


ただひたすらに、お互いを求めてキスを続けているうちに、二人は泣き疲れて流れるように眠ってしまいました。




次の日、幻は目を覚ましました。目の前にはエルドラドが横になっていました。


昨日の続き、とでも言うようにまた頬を掴んでキスをしようとしました。


でも、彼の頬はとても冷たかったのです。ただでさえ冷たい自分の手でもわかるくらいに。


身体に触れてみました。まるで氷のようでした。


耳を当ててみました。心臓の音は聞こえません。


彼にそっと口付けをしました。彼がキスをし返すことはありませんでした。


それでも、幻はキスをし続けました。


「………起きて、お願い……いや……ずっと一緒が良い……貴方がいなくなったら、また独りになっちゃうの……好きだから、貴方のこと、大好きだから……ねぇ、いじわるしないでよ……」


もちろんいじわるしているわけではありません。


「嘘つきぃ……」


怒っているわけではありません。


悲しくて、寂しくて、苦しくて


どうしようもないほど、エルドラドのことが大好きだったのですから。




「その指輪いつもつけてるね、外さないの?」


「外さないっていうか……外したくないの」

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