92 小牧山城、攻防戦始まる。
河田長親は坂本城から京に向かっていた。
朝廷から京の治安維持部隊の派遣の要請があった。
織田軍が京から撤退したため、目にみえて治安が悪くなり始めており、特に貴族達から「身の危険を感じる」との悲鳴のような声を無視できなかった。
裏を返せば織田軍がそれだけ厳しく治安を維持してきたということでもあった。
三郎としても京の人々から「織田の方が良かった。」とは言われるわけには行かない。
そのため、上杉軍の中でも硬軟織り交ぜて対応できる河田長親をその任にあてた。
河田は1万の兵を率いて京へ急いでいた。
途中、瀬田川沿いを南下中に部隊に緊張が走った。対岸は織田の勢力圏である。数千の織田の部隊が対岸にあって戦闘態勢を採っていた。
こちらも戦闘態勢を取らざるを得なかった。
お互い動かず、そのまま夜になった。
村井貞勝は、上杉軍が上洛してくるとの報告を受けてはいたが、信長の命令を実行するため、近衛家を訪ねていた。
近衛の屋敷もご多分に漏れず何度も戦火に焼かれたはずであるが、その度に再建され相変わらず瀟洒な佇まいを誇っていた。
その庭を眺められるよう襖を開けた対面の間では、近衛前久が向かい合った村井貞勝に、
「早う、京から落ちなければ御身が危ないのではないか?」と問い掛けていた。
何処となく武将と言うより商家の主人と言った風の貞勝はニッコリと顔を上げ、
「私の生命より大切なことをお願いにあがりました。」
前久は厳しい顔で首を捻りながら、
「生命より大切なこと?」
膝を進め、前久が目を離せない距離に近づくと、
「織田と上杉が戦うと各地で甚大な被害が出ましょう。この京もただでは済みますまい。」
怯む前久に畳み掛けるように、
「織田は、戦いを望みません。上杉も朝廷の命なら云うことを聞くのではないでしょうか?」
先久は懸命に目を逸らすと、
「でもな、織田と上杉どちらが主導権を取るのじゃ?それをはっきりせねば今回は戦を避けることが出来ても次はそうはいくまい?」
予想された問いかけに、
「両者で話しましょう。前右府様は譲っても良いとのお考えです。」
と安土城から持ち出した名物『初花肩衝』を差し出した。
横目でそれを確かめた前久は、
「この土産は関白(一条内基)殿にお渡ししよう。朝廷にも手土産は用意してあるのか?」
貞勝は顔を下向けてふっと笑うと、
「関白様にはこちらを」と名物『付藻茄子』を差し出した。
「朝廷には金1千枚ご用意しております。」
かなり切羽詰まっておるようだな、もっと言えばもっと出すかな?と思いつつ、まっ、ここはこれで手打ちとしようか。
「流石に織田殿よな、豪儀じゃな。早速関白と話して見ようかの。」
「お願い致します。」と平伏する貞勝に、
「ところで、お主。何処へ帰るつもりじゃ。間もなく上杉軍が京に入って来るようじゃ。良ければ離れを貸そうか?」
ホッとした表情を表に出して、「暫くの間お願い致します。」
その頃、勝頼は岐阜城から南へ5里程の小牧山城を囲んでいた。
小牧山城は廃城になっていたが岐阜城陥落後急遽再建されていた。急づくりで仮設の処も各所にあったが、要地であることには変わりなかった。
佐々成政を守将に兵3千を配していた。
「和尚、勝てるのか?」
信長と共に美濃に渡った和尚は自ら望んで小牧山城へ入った。
この時信長から名を貰い、山口十六郎長続と名乗っていたのだが、ザンバラ髪で帯刀もせず、小袖姿であったため、皆からそのまま和尚と呼ばれていた。
「ここでいなしておけば自然とこちらが有利になります。」
和尚は武田の補給路の長さに着目し、岩村城と犬山城の間を断ち切るよう進言した。
元々武田の補給線は細く、現状でも不足していると見ていた。その弱点を突こうという策戦である。
犬山城の付近は未だ親織田の気持が領民にも強く情報を得やすかった。武田の小荷駄を襲い続ければ戦どころではなくなるはずだと踏んだ。
「佐々殿は1隊を率いて武田の小荷駄を襲って頂きたい。ここは私が守りましょう。」
後詰めが清須からくると連絡があった。それで十分守れると踏んだ。
1万5千で小牧山城を囲んだ武田軍は、一気に攻略すべく総攻撃をかけた。
竹で作った盾を前に出し鉄砲隊を城に接近させた。その後ろに槍隊そして騎馬隊が続いていた。日ノ本一を誇る騎馬隊であるが城攻めの時は馬を降り徒歩で参加する。
小牧山城では仮設の櫓を組み上から打ち下ろすように狭間鉄砲を配備した。6匁玉、10匁玉で長砲身の鉄砲で2百間の距離を狙い撃ち出来る。次々と部隊の指揮を執る騎乗の士を狙い撃ちし武田軍に損害を与えていた。