90 秀吉軍、動揺する。
越後の鐘馗様、斉藤朝信が山本山城に入城して来た。
秀吉軍は武装解除され、三の曲輪に集められた。
追手門には黒田官兵衛が迎えに出ていた。
「黒田殿、山本山城の引き渡し殊勝である。しかし、小谷城跡を再興し籠もっている兵はどういうことか?」
官兵衛も困った顔をして、
「将は堀久太郎(秀政)と申しまして織田からの与力でございます。説得しておりますが言うことを聞きません。」
朝信は手を挙げ周りに合図を送ると、兵が黒田官兵衛を囲んだ。
「黒田殿、お主が我等を謀ったとは思わぬが、結果として約束は守られておらん。責任は取ってもらうことになる。」
と黒田官兵衛の拘束を命じた。
官兵衛の周辺には弟利高、母里太兵衛、栗山善助等が官兵衛を守るように囲んでいたが、
「辞めよ、斉藤殿に従おう。」と言うと腰の刀を上杉方に渡して従った。
小一郎秀長は、困惑していた。
小谷城の堀久太郎秀政、横山城の蜂須賀小六正勝等が上杉軍への降伏を拒否していた。
兄秀吉が坂本城へ向かった後、上杉軍への降伏を旗下へ通達したが一枚岩とは行かなかった。特に最も古くからの盟友である蜂須賀小六が兄を裏切ることは想定できなかった。
そして、その蜂須賀小六が今、目の前に座っていた。
「小一郎殿、上様を襲ったのが秀吉であったこと、お主は承知しておったのか?」
??
「何を言っているのですか?兄が上様を敬愛していることは皆承知でございましょう、上様を襲ったのは上杉軍です。」
小六は下を向くと拳を床に叩きつけて、
「前野が吐きました、秀吉と明智光秀の共謀で、前野が実行したと。」
小一郎は目を見開き、「そんなはずは・・」
「この度の上杉への鞍替え、少しおかしいと思っておったのだ。上様が見つかっても秀吉の気持ちは変わらなかった。今までの秀吉では考えられん。」
小一郎はひたすら戸惑った。兄が上様を裏切った?それも殺そうとした?何故?
「お主も聞いておらんかったようだな。おそらく官兵衛の入れ知恵であろうか?どちらにしてもこのままでは羽柴は武士の風上にもおけぬ。所詮百姓の根性が抜けぬ家よ!と誰からも信用されない家に成り下がるぞ!」
小一郎は一歩二歩と後ずさりするような感覚を覚えた。
「小一郎殿!羽柴の家を2つに割れ!我等はお主について行く、武士としてと言うより人としての矜持を守らねばならんのじゃないか?」
・・
暫く2人とも無言で向かい合ったままであった。
小一郎はあまりの衝撃に言葉が出ず、小六は秀吉との絆を自ら断ち切ることにまた言葉が続かなかった。やがて、
「いきなりで驚いただろう?しかし、このまま上杉に鞍替えしても良い将来は無いように思えるぞ。羽柴の家を救えるのはお主だけだ。少し考えてくれ。」そう言うと小六は横山城に帰って行った。
どういうことだ、頭の中で最近の秀吉の態度や言動が思い出され、確かに兄は空元気を出していたが、かなり参っていた、原因は明らかに上様にあったのだろう。
しかし、大恩ある上様を殺そうとするほどのものであったのか?それとも前から上杉と繋がっていて・・
考えれば考えるほど分からなくなる。
兄者、儂はどうすればいいんじゃ・・
長浜城の大手門前に斉藤朝信の嫡男景信が率いる上杉軍3千が到着し展開した。
既に引き渡しの時刻が過ぎていたが、大手門は閉じたままである。
上杉軍の使者が大手門前で、
「開門!開門!約束の時刻は既に過ぎてござる、早々に開門致せ!」と叫ぶ。
大手門から、
「これより退去致す!道を開けられよ!」
大手門が開き、藤堂高虎を先頭に城兵5千に城内に住む女子供が守られながら出てきた。
南へ真っ直ぐに進む隊列を上杉軍が避けるように横に避けた。
隊列が通り過ぎるのに相当に時間が掛かったが、堂々と退去していく軍に圧倒されるように上杉軍は動かなかった。
秀長に率いられた一群は止まることなく佐和山城を目指した。
兄秀吉が上杉軍に約束した降伏ではなく、織田軍に残る意思を表明した退去と言う形を採った。
これにより、上杉軍の湖東方面軍は琵琶湖沿いに長浜城まで進出したが東の山側は織田軍が確保したままであったし、佐和山城へ逃走した秀長の兵5千に小谷城、横山城の兵5千も織田軍に残された。
さらに、近江美濃の国境も織田が抑えたままで岐阜城近辺に展開している武田・直江軍との連絡も出来ないままであった。