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87 三郎、坂本城に入る。

 甘露寺経元と勧修寺晴豊が朽木陣屋に至ったとの連絡が大溝城の三郎の許に届いたのは、明智光秀、織田信澄(津田)と会談をした翌日の午の刻であった。

 上杉軍は既に坂本城に向けて進発しており、三郎も城門を出たところであった。

 三郎は、軍を止めることはせず、使番に、

「ご使者様には申し訳無いが、坂本城でお待ち致します。」と伝えよと言い渡して、馬を止めなかった。

 明智軍、織田信澄軍を加え4万に膨れ上がった上杉軍は湖を左手に見ながら南下した。

 坂本城は明智光秀が精魂傾けて建てた水城である。

 叡山焼き討ちの後、叡山延暦寺の門前町であったこの地に封ぜられると信長の指示により建てられた。石工集団穴太衆の故郷でもあるこの地に建てられた城は石垣をふんだんに使い、大天守小天守を備えた絢爛な城であった。

 明智光秀にはこの地を支配するとともに京の都の治安をも保つ役目が与えられていた。


 三郎が坂本城に入るとそこには羽柴秀吉が自分の立場を少しでも有利にしようと待ち構えていた。

 秀吉は長浜城を弟秀長に山本山城を黒田官兵衛に預け、自らは小早を仕立てて坂本城へやって来た。

 秀吉は、光秀に仲介を頼み三郎との面会にこぎつけた。

 大広間に招かれ襖の前で平伏をすると襖が開かれた。

「面を上げられよ。」

 頭を上げると、三郎が1間ほどの距離で中腰で見つめていた。目が外せず、三郎の言葉を待った。

「織田中将(信忠)家中の羽柴筑前殿じゃな。中将殿の使者は蒲生殿と聞いておったが?」

 その眼力に圧倒され、咄嗟に言葉が出なかった。

「で、中将殿はなんとおっしゃっておられる?」

 秀吉は助けを求めようと大広間の内に明智光秀を探したが、そこには三郎の他には小姓らしき2人が居るばかりであった。

 そして悟ったように再び平伏すると、

「中将様には無断で羽柴秀吉1人の判断で参りました。」

 頭の上から信長とは違う冷たい声で、

「織田を見限って羽柴は我らに降伏するということかの?」

 さらに深く頭を下げ、

「微力ながら上杉様の覇業のお手伝いをできればと思い参りました。」

 三郎は後ろを向き上座に向かって歩きながら、

「なんだ、降伏しに来たのでは無いのか、ならば初心を貫き中将殿の力になった方が良いのではないか?後世忠臣と呼ばれようほどに。」

 平伏する秀吉に浴びせるように、

「前の右府様も現れたと言うではないか。織田家の忠臣の方がよいのではないか?儂はこれより蒲生殿と会わねばならん。」

 とにべもなく追い返されようとした。

「上杉様、何卒、何卒お願いでございます。この秀吉必ずや役に立ちます。お願いでございますから旗下にお加え下さい。」

「であるならば、直ちに山本山城、長浜城を開き上杉軍を迎えるのが筋であろうな。2日待つ!以上である!下がれ!」


 次に現れたのは蒲生左兵衛大夫賢秀であった。彼は近江日野城の城主で長らく六角氏を支え後に織田家に主を変えた。

 この時、40歳を越え老練な武将であった。

 三郎の前に出ると平伏をし、

「織田中将様の使者として参りました。」

 面を上げよ。

「中将殿の使者と申したな、前右府様の使者の間違いではないのか?」

 目線は三郎の手前において、

「織田家の当主は中将様です。前右府様が生きておられると言う噂もございますが、万が一に生きておられても既に代替わり致しております。」

 左様か、

「で、何用かな?」

「中将様は、戦を望んでおられません。」

 おぅ、

「儂も望んでおらん!安土城を戦わず退去されるなら追わぬことを約束しよう。」

「そうではなく、このままの状態をお望みです。」

 三郎は首をひねりながら、

「このままの状態?わが方には7万からの軍勢がある。このまま安土を圧迫し続けよ、ということかな?安土には5千ほど兵が居るらしいが明日には何人になっているかな?」

 危機を感じた兵達の脱走が増えているのを悟られていた。

 賢秀は冷や汗を流しながら言葉もなく平伏した。

「使者殿の一存で決められぬなら一度戻られてはどうか?その折、中将殿に伝えてほしい、中将殿ならば何時でも受け入れるとな。」


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