84 揖斐川の戦い
滝川一益は急いでいた。
上様が生きておられた・・
「急げ!岐阜城には上様が居られる。敵に打たせる訳にはいかん!急げ!急げ!」
遅れるものは振り落としながら急いで来た。
間もなく揖斐川という時に岐阜城の方角から巨大な火柱が視えた。
「岐阜城ではないか!落ちたのか!」
顔色を変えた一益は、叫んでいた。
「急げ!!上様を討たせるな!」
養子の雄利が、
「殿、落ち着いて下され!」と叫びながら馬を寄せてきた。
「川の前で隊列を整えましょう!」と一益の馬を抑えた。
「雄利!放せ!上様をお救い申すのだ!」
「お救いするために落ち着いて下され!殿が落ち着かねば救えるものも救えませぬぞ!」
うぅぅむ。一益は大きく深呼吸をして、
「一旦、小休止する。物見を出し揖斐川の渡河地点を見てまいれ!」
とその場で馬を降り、出された床几に腰を降ろした。
どうっと疲れが出た、緊張して走り続けてきた疲れが出てきたのだろう。もういい歳なのだ。目を閉じてそのまま少しの間微睡んだ。
目を開けた時には、周りに幔幕が張られ本陣の体裁になっていた。
遅れていた諸隊が到着の連絡を次々に寄越していた。一益の前で雄利が対応していた。
いかん、いかん。儂がちゃんとせねば示しがつかん。
疲れた身体に鞭打って立ち上がった。
物見が帰ってきて、「上杉軍が対岸で待ち受けております。」と報告してきた。
危なかった・・あのまま進んでいたら一敗地にまみれていただろう・・
深呼吸をして心を鎮めると、
「雄利、後続の軍はどうなっておる?」
側で立ったままの雄利は
「わが軍勢はほぼ集まりました。もう半日待てば丹羽様の軍も姿を見せるかと思われます。」
「それまでに揖斐川を渡り岐阜城に近づきたいのだ。何か方策はないか?」
雄利はしばらく考え、
「このまま、敵中を突破するか、大きく迂回するかでございましょうか?」
こやつの考えうることはこの程度か?聞いただけ無駄であった。
「致し方ない。ここで丹羽殿、佐久間殿を待つ。岐阜城へ物見を出せ。」
揖斐川対岸にいた真田昌幸は、
「せっかく身構えたのに停まりやがった。」と残念そうに呟き、
「なら、こっちから誘うか?」
と呟くと使番を走らせた。
やがて、昌幸は部隊を一斉に撤退させ始めた。
「上杉軍、撤退!」
使番が叫びながら本陣に飛び込んできた。
一益は、
「わかった!皆に指示あるまで動くなと伝えよ!」
しかし、事態は予想外の方向へ動いていた。
「殿、釣り込まれるように川を渡りつつあるものがおります!」
一益は本陣の幔幕を飛び出し、川を見た。与力の部隊が独断専行して揖斐川を渡りつつあった。
「すぐに戻せ!」と声を張り上げた。
向こう岸に上ろうとした瞬間であった。
敵の塹壕から銃口が現れたかと思うと一斉に火を噴いた。
それも半端な数ではない、5百いや1千はあるのではないか。
次々に川に落ちて行く武者を指を咥えて見ている他無かった。
「殿、助けに行かぬのですか?」
ギロッとその声の主を睨み、
「死にに行くようなものだ。」
1千や2千では焼け石に水じゃ。後続を待ってからじゃ。
すぐに渡河を諦めボロボロになった抜け駆けの部隊が引き返し始めた。
一益は川端まで軍を進め敗残の部隊を収容した。
揖斐川を挟んだ睨み合いの均衡が崩れつつあった。
滝川一益軍の抜け駆け部隊を叩いて意気上る上杉軍であったが、滝川軍に丹羽軍、佐久間軍が合流し一斉に川を渡る態勢になると兵力差が歴然だけにどう対処したものか対応に苦慮し・・ない、なんといっても守将は真田昌幸である。
さっさと陣地の放棄を決めると上流で作業を続ける源三郎信幸と連絡をとった。
その日の午後、突然上杉軍が旗を巻き撤退を始めた。
それを見て滝川一益は、
またか・・どうせ罠よな。
丹羽長秀は、使番を配下の武将に走らせ
「用心じゃ、暫し様子をみる。」
佐久間盛信は、
「敵が引くぞ!川を渡る好機じゃ、行くぞ!遅れるな!」
主将のいない混成軍は三者三様の対応となった。
昌幸は織田軍の一部隊が川に入るのを確認すると狼煙を上げた。と同時に殿に対して発砲を命じた。やや遠鉄砲である。
織田軍の勢いを削ぐのが目的である。
敵が川の中場に達した時、上流から木材が大量に流れて来た、鉄砲の対処に懸命であった佐久間軍は横腹にこの流木の攻撃を受けた。流木に当たり流されるものが多く出たが約半数の5千程は何とか対岸にたどり着いた。
対岸に着くと上杉軍は遠くに逃げ去っており陣には伏兵も居らずもぬけの殻で、皆ほっとひと息ついた。
佐久間信盛は上杉軍の行方を探るため物見を出しその場で部隊を整え始めた。
暫くの間、警戒した上杉軍の攻撃もなく安心した兵たちは濡れ鼠になった身体を温めるため、あちこちで火を起こし始めていた。
そこに上流側から六文銭の旗を掲げて騎馬隊が襲いかかった。
本陣も破られ、佐久間信盛も危うい状況であったというが、本人はこの時のことを決して話そうとはしない。
六文銭の軍を率いたのは昌幸の嫡男源三郎信幸であった。
信幸は北から南へ揖斐川沿いに佐久間軍を蹂躙すると戦果も確認せずに東へ去っていった。
昌幸の高笑いが聞こえてくるような戦いであった。