72 隼介、越後に帰る
三郎の指示で越前を斉藤朝信に引き渡すと、加賀金沢城に隼介は引き揚げた。
金沢城では、書類の山が待っていた。
仕事部屋で決裁し手紙の返事を書き、訴状に目を遠しと溜まった書類仕事と格闘していた。
誰か代わってくれんか・・どうにかならんもんか・・何か考えんとなぁ・・
日が暮れ、小姓が燭台を持って来た。
「夕餉はいかがしましょうか?」
そうか、もうそんな時間か?
「ここで食べよう、賄い方には苦労をかけると言っておいてくれ。」
越前をどうすれば領民が幸せと思えるだろうか?本願寺は造ってやる必要はあるな、ただし兵なし、防御施設なしで。・・等々が頭の中を駆け巡っていた。
「殿、御館から書簡が届いております。」
三郎様からか、何事であろうか?
燭台の明かりの許、書簡を開く。
ふぅ、帰るか・・
「明後日、越後へ発つ。準備をしてくれ。」
側仕えの小姓が、
「兵は何れ程連れて行かれますか?」
「供回りだけでよい。」
久しぶりに家族に会えると思うと自然と行軍の速度が速くなる。
船は間もなく2人目の子の産み月である。嫡男の伊勢松も大きくなったであろう。
越中から越後に入るとまさに帰心矢の如しの言葉の通り、気持ちだけが先に進み、馬がそれを追いかけているような感じであった。
越後府中、春日山城を見上げながら通り過ぎ府中の街中にある我が家の門を「帰った!」と声を出しながら潜った。
馬から降りると玄関に船と伊勢松の姿が見える。
伊勢松は今年10歳になった。剣と弓の稽古に勤しんでいるらしい、ただ、座学は嫌がっているらしいが。
「お帰りなさいませ。」
産み月が近づいて大きなお腹を抱えながら相変わらず若々しい声で船が出迎えた。
この声が聞きたかった。
「今、帰った。」
家族の団欒、あちらでは当たり前の事がこちらでは当たり前ではない・・
どのくらいゆっくりと出来るだろう?
「父上、剣も弓も上達しました。見て下さい!」
弓に剣か・・この様な子供に人殺しの訓練をさせねばいけない、何と言う不幸か?
庭に設えた的に向かい伊勢松が懸命に弓を引いた。
3本目を外し口惜しさに唇を噛みながら4本目を番えた時、船が、やって来て
「旦那様、御館から呼び出しでございます。お帰りになりましたらお話が御座います。」
こわっ、何かしでかしたかなぁ・・
「伊勢松、よく引けるようになった、次に見る時には10本連続で的中させてみよ。」
そう言うと立ち上がった。
成長したな、頑張れ!父もこの様な世を早く終わらせるよう頑張るからな。
「来たか、隼介!」
御館の三郎の居間に通され、部屋の前で訪いを入れようとすると中から声がかかった。
「入れ!」
脇息にもたれていた三郎は、脇息を前に出し両肘をついた。
隼介は三郎の前に座ると丁寧に頭を下げ
「加賀より戻りました。」
お互いが姿を認めると安心し、声を聞くと落ち着く間柄である。
「屋敷でゆっくりしてた処だったのだろう?すまんな、呼び出して。」
「何か、火急の用でございますか?」
笑いながら三郎は、
「いや、大したことはない、お前と船の間を邪魔してやろうと思ったのよ。」
はぁ~。
「帰ります!」
「まあ、そう言わずにゆっくりして行け!」
そう言うと白湯を飲みながら横を向いた。
はは〜これは。
「で、奥方様ですか?はつ様ですか?」
頭を掻きながら、
「両方じゃ。」
「何をやらかしたんですか?」
いやぁ、
「実は、これじゃ。」と小指を立てた。
呆れるな!ちゃんと側室に貰ってからすればよいものを。
「もしかして家中の者の御新造(妻)ということは無いですよね。」
「そこまでは阿呆ではない。」
良かった。この人の下半身は爆弾だなぁ。
「ご自分で処理されて下さい。」
すがるような目をこちらに向け、
「それができれば苦労はない。実は相手は、はつの侍女の楓じゃ。」
溜息が出た、はつ様の侍女で草の者ではないか?少しは考えんのか、この阿呆は!
「はぁ〜、それではつ様が怒り、それを聞いて奥方様も、ですか?」
またまた、頭を掻きながら、
「間もなく産まれるんじゃ。」
何処までも阿呆じゃ。
「それを今まで放っておいたんですか?」
船の話とはこれか!
「分かりました、それだけでしょうか?」
「それだけではないが、それが片付かんとなぁ。」
溜息が出る・・
先ず、楓に会うのが先決か?
「楓の居所はご存じないのでしょ?」
三郎が頷くのを見て、御館を後にした。