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59 長親、敦賀に上陸す

 「信長、安土を出陣」「織田軍、岐阜を発つ」と次々に加賀大聖寺城の河田豊前守長親の許に情報が入ってくる。

「織田軍、尾張清州城に入る。」との情報が入った時、

「よし、出陣する!」と大聖寺川河口の塩屋の湊から佐渡水軍の船に乗り込んだ。水軍で運ぶ河田隊は3千。

 その少し前、陸上を斉藤下野守朝信が越前との国境を越え越前府中城にはいった。その数1万7千。

 河田勢と斉藤勢は示し合わせて金ヶ崎城、天筒山城に襲いかかった。

 越前の一向衆とは事前交渉で、軍の通過と兵站の確保の約束が成されていた。一向衆内では本願寺と信長の和約破りでは無いのか?と言う者もいたが、元々本願寺と信長との和約に越前一向衆のことは『越前を侵さず』とあるだけで蚊帳の外に置かれていた。越前一向衆は戦い続けるという選択肢もあった。

 本願寺に従っては見たものの何の恩恵もなかった。そのことを福井御坊(北ノ庄)の一向衆指導部は不満に思い怒っていた。

 我等越前一向衆は織田との戦はしない、ただこれまでの友誼に免じて越後衆が領内を通るのを見守るだけ。と後に公言した。


 上杉軍の攻撃は若狭を守る佐久間信盛にとっては奇襲以外の何物でも無かった。敦賀は国としては越前になるが今は若狭と共に佐久間信盛が守っていた。佐久間信盛は本願寺との講和後、一向衆に詳しかろう、ということで大坂から移ってきたばかりであった。信盛はこの異動を長らく大坂本願寺を攻囲し続けた褒美と受け取っていた。疲れを癒せとの上様の気遣いと感じていた。

 将がその調子であるから新たな城に入ったばかりで何の準備も出来ていなかった兵達は安心し弛緩していた。

 そこに突然、陸から海からの攻撃を受け、驚いて我先に逃げるのが精一杯という有り様であった。天筒山城、金ヶ崎城ともに一瞬の攻防で陥落した。

 敦賀に入った河田長親は、町名主の一軒に本陣を定め、街や湊の代表を呼び集めた。

 取引の状況や人口、収穫量などの差し出しを受け取りこれまでの権利を保証する代わりに上杉家の支配を受け入れるよう求めた。

「心配は要らない。上杉家はこれまで通り皆の権利を保証する。」

 町衆の代表は、両手を付き頭を深々と下げながら、

「ありがとうございます、我等も上杉様のため誠心誠意尽くします。」

 まっ、話半分に聞いておこうか?

 そして、若狭国吉城の粟屋氏に宛て、これより若狭に討ち入る、と道案内を求める書簡を出した。

 同時に敦賀に入った斉藤朝信は、休むまもなく近江との境の城にあたる疋壇城を攻略に向かったが城はもぬけの殻であった。城に入った朝信は物見を大溝城(琵琶湖西岸)、長浜城(琵琶湖東岸)方面に放ち報告を待った。近江の織田軍の状況次第で次の目標を決めようとしていた。


 数日して、山吉城の粟屋勝久自ら敦賀にやってきた。粟屋氏だけでなく、逸見正経、熊谷直澄ら若狭衆が挙って参陣の意思を示した。

 粟屋勝久を先導にして河田長親は若狭の主城、後瀬山城へ向かった。

 後瀬山城は小浜湊の背後にあって、山塊全体を城塞化した山城である。若狭守護の武田氏が居城としていたが、織田信長が進出して以降は丹羽長秀が入っていた。丹羽長秀が手取川で重傷を負い、回復にほど遠いことから、本願寺との和約を機に佐久間信盛が入っていた。

 信盛を始め佐久間軍は河田軍が若狭衆で膨れ上がるのを確認すると逃げ出すように近江大溝城に向かって退去した。


 大溝城は湖北の清水谷城に代わり湖畔に築かれた城である。織田信長は琵琶湖周りを湖南の安土城を中心に時計回りに坂本城、大溝城そして長浜城で囲み琵琶湖を織田家の内湖にしようとしていた。津田信澄はその最後となる大溝城の築城を任されていた。

 織田信長という人も不思議な人で自分に幾度も反乱を興し、最期は肘された信勝を父に持つ津田信澄を可愛がり重用していた、信澄もそれによく応えた。

 大溝城はほぼ完成し、城下の町割りも為され最後の仕上げにかかっていた。そこに佐久間軍が敗軍となってなだれ込んできた。

 津田信澄は、慌てること無く佐久間軍将兵の宿や兵糧の手配をした。

 佐久間軍の幹部を大広間に招き、

「右衛門尉殿、退き佐久間と云われるほどの方がいかが致した?」

 佐久間信盛は取り繕って、

「突然に越前から上杉軍に一向衆が一斉に攻めて参った。5万は下らぬ数であった。」

 信澄は真剣に聞く振りで、

「それは大変でございました、しばし傷を癒されよ。」

 そんなはずは無かろう?越前一向衆が動いたとは聞いておらん。しかし、防備を厚くする必要はある。

「すぐに、山崎に居る羽柴殿に救援を頼みましょう。」

 それと、直ぐに物見を若狭街道へ出そう。

 そう思うと津田信澄の動きは速かった。


 大溝城からの緊急連絡が各地に走った。

 山崎に居た羽柴秀吉はその場を弟の小一郎秀長に預けると直ぐに兵の1/3にあたる5千を小浜と京都を繋ぐ鯖街道の南端である京都北縁に配置し、もう5千を自ら率いて長浜に返した。

 ところが、瀬田に達した時、長浜城からの伝令が走り込んできた。

「昨日、上杉軍が長浜城を急襲、残念ながら落城いたしました。奥方様始め多くの者が人質として捕らえられております。」

 なにぃ!

「かかが人質になったと言うか!」

 城などどうでもええ、おねが人質になっては何にも出来ん。

 秀吉は呆けたように空を見つめた。







 

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