50 天正7年、御館にて
天正7年(1579)になった。
春浅い3月のこの日、御館に
主だった家臣が集まっていた。
一門衆では、
上杉右京亮景信(栖吉長尾家・栖吉城・越ノ十郎)
山本寺伊予守定長(山本寺上杉家・不動山城60)
上条播磨守政繁(上条上杉家・上条城36)
など。
家中では、
直江大和守長綱(与板城・24)
垪和佐渡守信之(佐渡雑太城・24)
河田豊前守長親(越中松倉城36)
斉藤下野守朝信(赤田城・越後の鍾馗・52)
新発田尾張守長敦(新発田城・揚北衆41)
五十公野因幡守治長(新発田重家・新潟城32)
竹俣三河守慶綱(揚北衆55)
柿崎和泉守晴家(柿崎城24)
山吉丹波守景長(木場城14)
神余隼人佑親綱(三条城52)
などである。
大広間では皆が車座になり話していた。この態勢だと上下関係なく発言が出来るので、最近は車座会議が流行りだ。
「甲斐からの使者が来たと聞いた。明日の総登城と関係があるのか?大和守何か知らんのか?」
隼介がすかさず、
「三郎様は、織田が反乱に手を妬いているうちに甲斐、相模と連携して攻勢に出るべきと仰っておられました。」
「越後国内もあらかた収まったからな、いい時かもしれん。」
御館様は、どう考えておられるのか?大和守殿は、どのような戦になるとお考えか?
「そうですね、恐らく駿河、遠江国境の高天神城の救援に武田は向かうでしょうからその辺りにて、徳川・織田と戦をするつもりだと思います。」
大戦さになるかな?
「双方共に総力戦かと。」
遠いな、
「我が上杉軍は遠征には慣れております。」
遠征軍は、
「1万5千~2万といったところでしょうか?越後、越中の兵が中心になろうかと。」
で、敵はどのくらいになるかな?
「徳川1万、織田3万~5万といったところでしょうか?」
「織田の兵力を削るのは大和守の仕事よな?何か考えておるのだろう?」
「ご内密に願いますが、毛利と連絡を取っております。
我らと同時に三木城の包囲軍を攻撃する事となっております。
その数は3万と聞いております。」
武田、毛利、に我が上杉が織田に攻めかかります。北条も本願寺も同調してもらえます。
上手くすると織田は崩壊しましょう。
そう話したところで、若党が、
御館様のお出でです。と声をあげた。
三郎は、
「皆、そのまま。」と自ら車座の中に入った。
「武田からの使者が来た。明日、皆にも紹介するが真田昌幸というものだ。」
信州上田の真田ですか?
「そうだ。その真田が言うには、徳川が高天神城を駿河の武田から孤立させるため周辺に砦を築いている。」と言う。
武田は、
「救援のための兵を興すとのことだ。」
上杉と北条に手伝いを頼みたい。
どうする?
「今、大和守から聞きました。」
なんだ、大和守がしゃべったのか。おしゃべりめ。
まあ、よい。皆の意見を聞かせてくれ。
「高天神城へ行くより、三河に攻め込んだ方がよろしいのでは?あるいは一気に美濃に出る手もございますな。」
「徳川の本拠、浜松を襲うという手もある。」
「越、甲、相の兵を併せて正面から堂々と戦うべきだ。」
「今回は手伝い戦、武田主導ですな。」
うむ、
「武田は三河を岡崎を襲って欲しいそうだ。」
高天神城は、武田2万、北条1万で何とかなるだろう。上杉は岡崎で織田を引き付ける。
出陣は、半月後とする。
ところで隼介、武田の使者は喜兵衛だぞ、会わんで良いのか?
会うとろくなことになりません。絶対に会いたくありません。源次郎でもお連れ下さい。
そうか、
「喜兵衛は会いたがっておったがな。」
ほう、
「大和守でも苦手が居りますか?では、拙者がお相手致しましょうか?」
越後の鍾馗が相手をすれば、奴も喜ぶであろう。で、隼介も行くであろう?
・・分かりました、参ります。
解散後、越後の鍾馗様が寄ってきて、「あの様な秘中の秘の様な話をしても良かったのか?」
おそらく、いや、間違いなく
「織田に伝わりましょう。織田が三木城の防衛を手厚くしてくれれば儲けものです。」
ハハハッ、悪い奴じゃのう。
渡り廊下の向こうから、
「隼介、斉藤も来てくれ。」と三郎に呼ばれた。
三郎の居間に入ると、
又太郎と河田長親が既に座っていた。
「隼介、久野屋敷は何と言っている。」
徳川の様子についてですが、
長篠の戦いの前までは、織田に従いながら、武田と天秤にかけておりました。
武田へは岡崎城を通して連絡をとっておりました。
長篠の戦いで織田が勝った後、暫くは連絡もしておらぬ様にありましたが、また最近連絡しておるようにございます。
久野屋敷が掴めるほどでございますから、
否応なしに織田にバレたのでしょう。
織田は徳川を呼びつけ尋問しましたが、
「岡崎の三郎信康が勝手にやったこと」と徳川の使者は答えたようにございます。
それを聞いた岡崎衆は動揺しております。徳川家を選ぶか三郎信康を選ぶか、二者択一を迫られております。
おそらく家康公も忸怩たる思いがございましょう。何とか嫡男を救うことが出来ないか思案中といったところかと。
久野屋敷としては家康公と連絡を取るようでございます。