幕間2 藤助
三郎助の親父殿から隼介を頼むと言われた時は、やはりオレが付いていてやらねば、あの弱虫は何にも出来ねぇから仕様がないな。と軽く引き受けた。
藤助は両親が死んでから村の寺で育てられた。
中ノ村では、孤児を寺で育てていた。藤助はどうしても侍になりたくて毎日、三郎助の家に通い闘い方を習っていた。
そこに隼介が拾われてきた。隼介は寺ではなく三郎助の家で育てられた。
羨ましいとも思ったが、自分を兄のように慕う隼介が可愛かった。
毎日、隼介と一緒だった。
初めは隼介の喋る言葉が訛りが酷く理解するのが大変だった。
頭のいい隼介は直ぐに訛りが取れ、普通に話せるようになった。三郎助の親父殿は、その訛りが尋常ではないと感じていたようだったが、藤助にはどうでも良かった。
ひ弱い隼介がいじめられるのを助けるのは何時も藤助だった。
その隼介が侍として北条家に出仕すると聞いて、嬉しいやら悔しいやら複雑な気持ちでいた。
そんな時、三郎助の親父殿から隼介を手伝ってやってくれと頼まれた。
小田原から越後まで隼介の側にいた。念願だった騎乗も許され一端の侍にしてもらった。
でも、何か違うんだ。
自分の役目は別に有るんじゃないか?
小田原では家宰のようなこともやったし、隼介の護衛も務めた、でもどれも自分の役目だとは思えなかった。
毎日、鬱々としながら剣の訓練を繰り返していた。
そんなある日、隼介がやってきて、
「藤兄、物見専門の部隊を創りたい。どう思う?」
物見か、物見。これだ!
「賛成だ!オレにやらせてくれ!」
つい声が大きくなっていた。
「やってくれるのか?」
まかせろ。オレがお前の目になってやる。
その後、規模や人選を行い訓練に入った。
物見部隊に選ばたものは、概ね不満のようだった。
戦での華々しい活躍の場を奪われ裏方になるということだった。誰も望まなかった。
隼介が発足式で、
「物見は部隊の目である。諸君が戦の趨勢を決めるのだ。」
それでも、不人気の部隊は最初僅か18名から始まった。全員が武士と農民の掛け持ち層出身であった。
藤助はその方がやりやすかったし生き生きとして訓練を行なった。
手槍、半弓といった持ち運びしやすい武器を持って偵察任務をこなし、必ず帰ってくることを目指した。
偵察は簡単では無かった。敵の規模、鉄砲の数から何処へどのくらいの速さで向かっているかな等、観察者の知性、感性が必要とされた。それに応えられる者は僅かであった。
藤助はその資質をよく見抜き、よく鍛えていった。
隼介の考えている物見は8方向2段である。18人では如何にも少なかった。
隼介は手取川の戦いの後、直江軍を前に、
「今回の戦い、物見衆の働き見事であった。褒美を遣わす。しかし最後の敵鉄砲隊を見逃したこと誠に残念。後1百名程物見衆は必要だ。物見衆が戦の勝ち負けを決めると言っても過言ではない。」
その後、三郎は物見衆を直江家から独立させ、人員も各家から出させて定員を満たさせた。
三郎直属となった物見衆を率いる藤助は三郎からの指示で宇佐美家を継ぎ宇佐美定行と名乗る事になった。
領地も貰い、一城の主となった。
藤助は南の空に向かって、
親父殿(三郎助)何ということだろう?オレが一城の主になるなどあって良いことだろうか?身体が震えるようだ。
この後、戦場で藤助は常に三郎の側にあり、上杉軍の目として働き続けた。
隼介と藤助は上杉軍の出世頭として名を残し、上杉家では、能力次第で出世できると多士済々の者どもが集まる元ともなった。