41 手取川・その後2
秀吉は戦線の離脱を赦されたが、流石に信長に笑顔は無かった。
「筑前守、権六(柴田勝家)が死んだようじゃ。」
と言うと江越国境を固めねばならん。いつ上杉軍が湧いて出るか分からんからな。日向守(明智光秀)に敦賀を抑えさせておる。お前は天筒山城と北国街道を抑えよ。
「直ちに。」
まずいなぁ、まさか柴田が戦死するとは。上様から見れば儂は戦犯の第一じゃ。この首いつまで繋がっているか?
秀吉は江越国境の手筒山城まで進軍し、手筒山城に兵を籠めた。
嫌な場所よな、思い出しただけでも身震いする、あの時の敵が浅井・朝倉で良かった。万が一上杉であれば、生命は無かったであろう。
かつての金ヶ崎の退き口の時のことを思い出していた。
今回はその上杉じゃ、どうしたもんか?
弟の小一郎が、
「兄者、前線からの報告によると上杉軍はおらんようだ。一向一揆ばかりだと。」
どういうことだ?
「謙信は占領した越前を一向一揆に与えたということか。」
いずれにしても
「雪解けまでは動くまい、小一郎(羽柴秀長)ここを頼む。儂は北国街道の手当てをしてくる。」
越前は謙信が直接乗り込んで平定している最中である。
主に北ノ庄近辺までは上杉軍が、それより南は一向一揆が平定することになっている。
「御実城様は近江国境までは行かれないようですが、手筒山城を織田軍が抑えたままでよろしいのですか?」
さあな、
「よろしいか、よろしくないかと聞かれればよろしくはない。」
だが、
「越前は一向一揆の国になった。助けること出来ても上杉軍が先走ってという訳にはいかん。」
いづれは一向一揆も飲み込んで上杉領にせねばいかんがな。
「次にやって来る織田軍は、5万いや8万でもおかしくありませんよ。信長自身が来るかもしれません。何処で防衛するつもりですか?」
ここ、加賀の地図を指し
「大聖寺城と大聖寺川の線よ。」
先の戦で得た捕虜を動員して大聖寺城と周辺の城塞群を整備させると話した。
「捕虜は何人得たのですか?」
「3千ちょっとというところだ。」
5百は佐渡に送る。残りの半数は尾山御坊へ向かわせるところだ。その後、越後に送る。
それなら、
「手取川と松任城にもう一つ防衛線を造りましょう。尾山御坊の整備1年待って下さい。」
「任せる。」
「儂は間もなく越後に一度戻ろうと思うておる。隼介はどうする?」
「この冬は、加賀におりましょう。準備をせねば来年が迎えられません。」
そうか、
「良いのか?お船を放っておいて。それともこちらに呼ぶか?」
「我が家の事です。放っておいて下さい。」
怖いのう。
「それはそうと、はつが府中に来ているそうじゃな。なぜ、言わんのじゃ。」
「別に隠していた訳ではありません。機会が無かっただけです。」
「城下の坂井屋に居ると聞いた。ということは義父上(宗哲)の手配か?」
ちと、ややこしゅうございます。
「帰ったら忍んで行ってみよう。」
「それがよろしいかと。ただし、昔のはつ様と思っていらっしゃると戸惑いますよ。」
ほう、それも楽しみだな。
隼介は鉄砲隊の増強、弾薬の備蓄を頼んだ。
「それも坂井屋で良いな。楽しみではある。」
・・はつ様に会ってびっくりするがいい。
隼介は、尾山御坊に向かうはずだった捕虜を手取川にまわし、工事を始めた。
右岸に塹壕線を築き、河中に逆茂木を植える。さらに対岸には落とし穴の地雷原を造るといった内容である。
塹壕は掘るのではなく、土嚢を積み上げ後々堤防になる様に造る。塹壕の1百間毎に櫓を組み、相互に補完させる計画である。
その後、隼介は雪の降り始めた加賀で、大聖寺城と松任城を行き来しながら過ごした。
俺は戦下手だからな、準備ぐらいしか役に立たないか・・
織田軍の捕虜達のうち重傷の者はその場で止めを刺された。また一部の者が船に乗せられ去って行った。噂によると佐渡ヶ島で銀を死ぬまで掘らされるという事だった。
その場に残った者達は手取川に土嚢で堤を造らされた。上杉軍の看守は厳しかったが飯は十分に与えられた、。帰りたいと思わぬでも無かったが、脱走した者達は直ぐに首だけになって晒された。
「お前達、帰りたかろうが未だに織田から返還要求の使者も来ない、要は見棄てられたということだ。諦めて年季を務めれば帰れるからな。」
年季は出来の良いもので3年、普通5年らしい、飯も十分食えるし、これも良いか。と思うものも多くいた。