35 転回
元亀4年2月、西上軍を率いて三河にあった武田信玄が遠行(死去)した。野田城を落とした西上軍は、その後信濃へと北上し、やがて甲斐へと帰還した。
謙信がそれを知ったのは4月魚津城の河田長親からの情報によってである。
河田長親という人は謙信が上洛の帰路、近江で拾ってきた稚児であるが、この人、知勇兼備で謙信の家臣の中でも出色である。この頃30を少し超え老成しつつあった。
この情報も各方面の情報を取捨選択し、自分の頭の中で整理することにより、この事実にたどり着いたようで驚くべき能力の持ち主である。
しかし、謙信は確信がなかったのか直ぐに動くことはなかった。
信玄が死去した影響を最も受けたのが足利義昭であったかも知れない。
この年に入ると反信長の旗幟を鮮明にし、各地の大名に打倒信長を呼びかけ続けた。義昭にとり信玄の西上は希望であった。信玄に合わせて各地の大名が蜂起するという絵を描いていた。
7月義昭は自ら反信長の兵を槇島城で挙げたが、信長の一撃にあっさりと降伏した。
義昭は殺されることは無かったが京都を追放された。この事は実質的な足利幕府の崩壊を意味した。
謙信と三郎は相変わらず差し向かいで飲んでいた。
謙信はチビチビと呑みながら肴は梅干しと決まっていた。
「予想通り大樹(義昭)と信長は上手く行かなかったな。」
三郎は手酌でぐいっと盃を干す、肴は必要ない。
「信長は事もあろうに義昭公を追放したとか。自ら将軍になるつもりでしょうか?」
「かもしれん。しかし、大樹は何故儂を頼らぬ。この謙信が全身全霊をかけて幕府を立直そうほどに。この日の本に幕府は足利幕府のみということを皆に分からせなばならんぞ。」
・・謙信公は本当にそう思っているんだろうな。
「さよう、幕府を再興せねばなりませんな。」
・・言ってみただけだが、
「三郎、関東管領は幕府の重職である。その方が先頭に立って再興するのだ。」
・・仕方がない、やるか。そのうちに方針転換すればよいだろう。
その夜も更けていくまで二人の宴会は続いた。
翌月、謙信は家中、国人衆に総登城を令した。
春日山城大広間に集まった面々の前に、法体姿になった謙信が現れた。
息を呑む皆を前に謙信は戦場で鍛えられた声で
「皆のもの、よく聞け。」
「儂は、今日法体となった。これより現世のことは知らず、毘沙門天の化身となって正義を行う。毘沙門天の心に反するものは全て排除する。そして現世に戦の無い世を造る。」
そのために
「顕景を我が養子とし、府中長尾家の後嗣といたす。」
おぉ、と上田衆からどよめきが挙がった。これまでも謙信は、顕景の母であり、謙信の姉である仙桃院から、顕景を謙信の後嗣とするように再三言われてきていた。そのたびに言葉を濁してきていたのだが、ついに決断した。
顕景ここへ来い。と右側に呼んだ。
「顕景の名を景勝と改めて、弾正少弼の官も譲る。」
「長尾弾正少弼景勝、越後守護代として家を守れ。」
はっ、
「ご、ご期待に添えるよう・・」
景虎ここへ来い。と左側に呼んだ。
「関東管領上杉景虎、幕府重臣として上洛し幕府を再興せよ。」
皆のもの。
「我が軍は景虎を支え上洛を目指す。まず、越中、加賀、能登を分国とする戦いにこれより出陣する。幕府仇敵の織田信長は8万とも10万とも云われる兵力を持つという。これを討つ事が出来るのは我が上杉軍のみぞ。この戦いで領国を拡げ織田に対抗できる兵力を持つことが肝要である。」
良いか、
「儂の望みは、足利の幕府を再興し、この世に秩序を取り戻すことである。そのためには、閻魔大王とも闘おう。」
「よいか皆、励め!」
この後の兵力配置により、隼介は柿崎晴家と共に越中軍に配置された。主将は松倉城主河田長親である。
隼介は直江軍主力を率いて富山城に向うことになった。