32 越中侵攻
元亀3年も6月になった。
隼介は稲の種蒔きから田植えの指導で相変わらず走り回っていた。
久しぶりに府中の屋敷に帰ると、船が臨月のお腹をさすりながら、
「お帰りなさいませ。お疲れではございませんか?」
船こそ、
「歩き回って大丈夫なのか?」
「少し動いたほうが、お産が楽になると言われました。」
そうか、
「それはそうと書簡が届いております。」
書簡を手渡すといつものように横に座った。
宗哲様からだな、
読み終わると、
「ちょっと厄介なことになった。船にも助けてもらうことになりそうだ。」
どうされました?
私が三郎様について越後へ来た時、三郎様には、許嫁というかほとんど奥様のような方がいらした。はつ様とおっしゃる。
この方が、この度の越相破談に怒られて、家を飛び出したらしい。
こちらに行くかも知れないとあった。
「まぁ、心に思う方を追ってですか、素敵な話ですね。ほんとに来られると良いですのに。」
そう、単純でもないぞ、
「こちらに来ていきなり三郎様に会えるとも思えない。会えても華様との関係もある。」
そうですね、
「可能性が高いのは自分を訪ねてくることだな。その場合、我が家でお世話することになる。」
構いませんよ。
「私がお相手しますから。お会いできるのが楽しみです。」
相変わらず頼もしい船である。
今夜は十六夜である。三郎と謙信は御実城の謙信の居間でいつものように酒を酌み交わしている。
謙信の後ろには毘沙門天の仏像が置かれ、見る角度により、その2人は重なって見えた。
謙信は酒豪のように言われるが、酒好きの下戸に近くチビチビと飲んだ。
一方、三郎は酒には強く一升酒も平気である。この日も手酌で飲んでいた。
三郎よ、謙信の呼びかけに
「どうされました?」
「何時も儂の酒に付き合って退屈ではないか?」
「退屈ならわざわざ二ノ曲輪から来ません。義父上の話が面白いから来ております。」
そうか、実はの、
最近、越中が騒がしい。と越中の話になった。
信玄坊主が一向衆やら何やらに手を回し、儂を振り回そうとしている。儂に信濃から目を逸らさせ、その間に遠江を狙っておるのだろう、儂に背後を襲われるのが怖いからな。
そもそも越中は我が祖父長尾能景が戦死して以来の因縁の地でもある。
椎名、神保そして一向一揆と戦い続けてきた。
儂は越中を分国(領国)にしようと思うておる。越中だけではない、加賀も能登も、その先の越前も分国にするつもりじゃ。
儂は幕府を再興せねばと近頃、切実に思うようになった。
そのためには大軍を率いて上洛する必要がある。
今は織田信長が大樹公(15代将軍義昭)の側にあるが、うまく行ってないようじゃ。そのうち2人は破談するじゃろう。
信長の考える世の中には幕府はおらんように思う。
儂は、大樹公を助け、幕府が権威を持つ世に戻したい。
これからは、関東より、上洛の為の戦いをすると決めた。
その方、どう思う?
賛成でございます。
家中の者共も賛成すると思います。
皆、先陣を申し出ることでしょう。
そうか、賛成か、
その方から皆に伝えてくれるか?
畏まりました。
・・皆喜ぶであろう。これまで領土を拡げる戦いをやってこなかった、謙信公はそれで良かったが配下はたまらなかった。戦に勝っても勝っても領土は増えない、論功行賞でも領地が増えることはなかった。
これで皆も家が成り立つと勇み立つであろう。
元亀3年6月、越中に駐屯していた河田長親等が一向一揆に敗れ火宮城を退去し新庄城まで下がった。
謙信は8月になると越中への出陣を陣触れした。
そして春日山城に集まった家中、国人衆に向かって三郎が宣言した。
「上杉家は3度目の上洛を目指す!そのため道筋にある国々をすべて分国とする!この出陣はその1歩である!皆励め!!」
おぉ~!
勢い凄まじき上杉軍が越中に向かって進発した。海東青の旗印は先陣にあって鉄砲隊を増強した直江勢を率いていた。
三郎は中軍にあって龍の馬印と共に進んだ。
謙信はそのやや後ろを毘沙門天の旗印と共に進んだ。
上杉の越中での最前線、新庄城は一揆勢に攻め立てられていた。上杉軍は新庄城の郊外に一揆勢を威圧するように布陣した。
兵力的にも上杉軍のほうが優勢になると一揆勢は動揺しているようだった。
隼介は訓練した物見の部隊を複数放った。
物見から、報告があったのはその日の夕方であった。
「一揆勢に動きあり、富山城方面の一揆勢と合流するため移動する模様。」
続いて
「おそらく今夜から移動するのではないか。」
と情報が入ってきた。
夜半、先陣の柿崎、直江勢が動いた。
鉄砲の射程内に敵陣が入ると
「火蓋を切れ」「狙え」そして「放て!」の号令に鉄砲が一斉に放たれた。
ダダーン!鉄砲の発射音に敵陣に動揺が走った。そのまま先陣は突撃を開始した。
一揆勢からも反撃があったが、既に撤退準備をしているところに突撃を受けた。殿部隊があっと言う間に突破され、右往左往と各自勝手に逃げ始めた。もはや統一した行動がとれる状態ではなかった。
逃げる一揆勢を上杉軍が全軍で追う展開になった。夜明け前に一揆勢の主力に尻垂坂付近で追いつくとこれを粉砕した。
白々と夜が明けると上杉軍が通った後には一揆勢の屍か累々と連なっていた。まるで上杉軍が通った道を示しているように見えた。
何よりもこの勝利で、一揆勢が遺棄した鉄砲300程も回収し、弾薬等も多く回収できた事はこの後の戦いに影響を及ぼすと思われた。
上杉軍は富山城の近くまで進出した。
上杉軍には上田衆が、さらに飛騨からも援軍が合流した。
富山城の一揆勢は、城外で次々に膨れ上がる上杉軍を見て城を捨てた。