31 雌伏
元亀2年12月、武田信玄と北条氏政は同盟を結び、関東の上杉領へ攻撃を開始した。
謙信は、沼田からの援軍の要請を受け顕景(景勝)を連れて越山した。
謙信の北条氏政に対する怒りは収まらず、年を越した元亀3年正月、三者は利根川を挟んで対峙した。しかし謙信にとって北条に裏切られた代償は大きく、この戦での関東の諸将からの援軍は薄かった。当然、戦いに利なく城を1つ失なうことになった。
三郎は、春日山城にあって留守居を勤めている。
周りの者が、何となく遠巻きに自分を見ている。
助けてほしいとやってくるものが少なくなった。
華が「静かになりましたね。道満丸と3人で静かに過ごせますね。」と笑って言った。
「全くだ。」と三郎もつられて笑った。
そもそも主力部隊が越山している家の留守居は軍を維持するための資金を欲しているはずであった。
すべての家にこの戦で褒美が出るとは限らない。
何処かで資金は調達しなければならないはずであった。
幾人かがニノ曲輪を訪れるが、銀の融通を言い出すのは躊躇われるようで、挨拶だけで帰っていく。
三郎の代わりに華が、
「帰りに府中の坂井屋を訪ねなさい。きっと美しい折り紙を融通してくれますよ。」
三郎は段蔵を使い、城下の商家坂井屋を通して、資金を融通することにした。
隼介は雪が舞う中、農地の地味を上げるため走り回っていた。
冬場に田に鋤き込む干鰯の手当てなども教えながら、自ら漁村に行ったり田に入ったりと郡方と動いていた。
越相破談で、隼介から距離を取るものも多く出た。隼介が直江家に残ったことで、上杉家中では、直江家は景虎派というレッテルが貼られていた。
景綱や船が辛い思いをしながら自分を護ってくれていると思うと胸が詰まる。2人に、直江家に必ずこの恩は返すと心に誓った。
この所、田畝改善の要請が減ったことにより教授するに丁度いい面積が残った。教える郡方の数も減り、一人一人に目が行き届いて丁度良くなったのも事実である。
この冬は、自領から山吉領の三条を中心に回っていた。国衆でも新発田長敦(重家の兄)などが、頭を低くして教えを請いに来た。
山吉領も新発田領も信濃川河口に近く干潟が多く、良田は少なかった。
「私でよろしいでしょうか?新発田殿がお困りになりませんか?」
なんの
「他人の目など気になりませんよ。直江殿の行いを見れば敵か味方かなど一目瞭然ではありませんか?我らは同じ上杉家中です。」
農民も漁民も良い目を見ることができる隼介のやり方は領民には大人気だった。
それを隣で見ている領民からの突き上げがあったかもしれない。
資金は大丈夫ですか?
「三郎様にお願いに上がります。」
もし、
「三郎様の元へ行きにくい時は府中城下の坂井屋をお尋ね下さい。力になると思います。」
隼介か久々に府中の屋敷に帰ると、船が嬉しそうに迎えてくれた。
珍しい小春日和に船と二人、縁側で白湯を飲んでいると、小者が、
「奥様、奥様!またこのようなものが!」
と紙を持って走ってきた。
小者は、隼介を認めると、あっ、と持っていた紙を後ろに隠した。
「ここへ持っておいで。」
船の声に救われたように紙を渡すと去っていった。
「旦那様の思っているものです。」
隼介は紙に書かれた文字を読んだ。
北条の狗をいつまで飼っておくのだ。
この家も同じ狢か?
読み終わると紙を均し、紙飛行機を折った。
飛ばすとすぐに落ちた。
「書かれた内容と同じ出来であったな。」
と言い、
「苦労をかける。儂は船が出ていけと言わぬ限り、ここに、船の側におるよ。」
船は身体を隼介の肩に預けた。
屋敷には、2通の書簡が届いていた。
1通は佐渡の垪和又太郎からで、
相川で見つけた金山の周囲でも金が見つかりそうだ、鉱夫が足りないので送ってほしい。
・・また、団蔵の世話になるか、それとも・・
食料の増産も必要なので一度、佐渡に来てほしいとのこと。
・・佐渡は石高は1万石ちょっとであったな、国中平野を上手く農地化できれば10倍は収穫できそうだ。
もう一通は小田原の宗哲様からであった。
今回の越相破談の事は申し訳ない、幾日にも渡り説得したが叶わなかった。
信玄の掌の上で踊らされている事が分からぬのだ、とも書かれていた。
せめて、人質となっていた柿崎晴家を無事に返還させることだけは認めさせた。とあった。
・・ありがとうございます。お陰で三郎様の命も無事です。
最後にいつでも帰ってこい、とあった。