2 西堂丸
藤助は親父殿のもとへ、村長からの伝言を持って走った。
シュンスケも行こうとしたが、僧が「お前は一緒に来い。」
「お前の足ではもう一人に追い付くまい。」
躊躇したが図星だ。すでに藤助の姿はなく、追いかけても追い付けそうにない。仕方なくその場に佇んでいると
「名は何という。」
「シュンスケ」
「チュンチュン雀のチュンスケか?」
「違う!」
「チューチュー鼠のチュースケであったか。」
「違う!シュンスケと言うておろう。」こいつは巫山戯ているのか、それとも馬鹿か、と思った。
「そうかシュンスケであったか。で、シュンスケとはどのような字を書くのか?」
「知らん。」
「知らんか、それは困ったの。和尚に決めてもらうか。」
「歳は?」
「14」
「儂は15じゃ。西堂丸という。」
「年上を敬えよ。」
訳のわからないことを言うとさっさと歩きだした。
仕方なく後ろをついて行った。
歩くたびに徐々に遅れていく、遅れてなるものかと早足で追いつく。再び遅れるといった具合でなかなかついて行けない。
けもの道を半刻も歩くと村が見えてきた。
・・こんなに近かったのか・・
ふぅっ、と思わずため息が出た。
村に着くとあちこちに合力にきた衆が屯している。
村長の屋敷の門を潜ると、そこには甲冑姿の北条兵がところ狭しと佇んでいた。思わず構えてしまったが、西堂丸は平然と進んで行く。北条の組頭らしき武士が西堂丸に向かって頭を下げ、「御大将が広間でお待ちです。」と案内を始めた。
西堂丸はこっちに向かい「庭に回れ。」と言うと玄関で足を洗い、広間に上がった。
広間には高齢の僧侶が上座に座わり、その前で村長が畏まっていた。西堂丸を見ると「お帰りなさいまし。」と隅に避けた。
西堂丸は僧侶に向かい「ただいま戻りました。」
「間に合ったか?」
「おそらく。」
「おそらく?確認しておらんのか。この横着者が。」
西堂丸は庭のシュンスケの方を見ると
「途中でこの者らに出会いましたので、もう一人の当てになる方に伝言をたくしました。」
僧侶は鋭い目で庭で畏まるシュンスケをみると
「その方、三郎助の手のものか?」
親父殿を呼び捨てにされて「むっ」としたが、
「三郎助が一子、シュンスケと申す。」
村長が、あわてて
「これ、この方は幻庵宗哲様じゃ、言葉使いに気をつけぬか。」
シュンスケは頭を下げながら
幻庵宗哲様と言えば、宗瑞様のお子、当代様の大伯父様ではないか。だとしたら西堂丸とは何者なんだ?
「よいよい、無用の儀礼は必要ない。」
「そうか、その方がシュンスケか、三郎助はまだ襲撃はしておらんのだな?」
「はい、親父殿は合図がないのを訝しいと、あちらこちらに物見を出しました。その最後が自分たちです。」
「なら大丈夫じゃな。三郎助なら気がついたじゃろ。」
宗哲は村長に向かい、「芦原村の衆が来次第、儂が裁定する。」一呼吸置き「よいな。」と念を押した。
宗哲和尚と西堂丸は白湯を呑みながら談笑している。チラチラと庭の隅に座っている自分を見ている気がする。
昼前、親父殿達が帰ってきた。
親父殿は、宗哲和尚を見ると庭を縁側まで走り平伏した。
「三郎助、よく戻った。」
「はっ、宗哲様自らおいでいただけるとは恐縮でございます。」
「駿東への出陣の準備中に、ここの闘争のことを聞いたでな。あわてて止めに来たんじゃ。今はそんなことをしている場合ではないぞ。」
「駿東でございますか?また、武田でございますか?」
「昨年は中途で引き揚げてくれたが、今回は腰が入っているようじゃ。」
「これから韮山城に向かう。軍勢が韮山城に集まっているはずじゃ。三郎助の村には召集はなかったか?」
「はっ、今回は来ておりません。」
「そうか、戦続きだったから少しはゆっくりせよ。ということじゃな。」
笑顔で宗哲は、
「ここにおるのがシュンスケじゃな。いい目をしておる、それに素直そうじゃ。」
「しかし、まだまだ非力で・・」
「どうじゃ三郎助、西堂丸の側に人が必要じゃ。シュンスケをくれぬか?」
「ありがたきお言葉、シュンスケでようございますか?」
宗哲はシュンスケに向かって
「シュンスケ、西堂丸の側に信用できるものが必要なのじゃ。頼めるか?」
よく理解できず「へっ?」間の抜けた返事をしてしまった。
「はははっ、いきなりで戸惑ったじゃろ、明日ここを立つまでに心を決めよ。」
親父殿と屋敷を出て神社の境内に向かった。藤助がやってきて村のみんなが集まっている場所を伝えてくれた。
「みんな、御苦労だった。宗哲様が来ておられる。この戦の裁定をしてくださるそうだ。もう我らは必要ない。武一、みなを連れて村へ帰れ。今から発てば夜半には着く。」
「三郎助様はどうするんじゃ。」
「儂とシュンスケは明日、宗哲様を見送ってから引き上げる。」
「台所に寄って食い物を貰っていけ。」
そういうと親父殿は社殿に向かって歩き出した。
「親父殿、西堂丸とは何者か?」
「儂もよくは知らんが、当代様の御弟君のはずじゃ。」
「そのような方が護衛も連れずに歩き回っているのか?」
「相当な悪童で、先代様が宗哲様に託したと聞いた。」
そうか、人を食ったやつだったなと思い出しながら、何故か頬がゆるんだ。
「で、先ほどの話は断っていいのか?」
「ほう、シュンスケは嫌か?侍として生きて行くのなら一緒に行った方が良い。それに勉学をしたいのなら、尚の事ついて行ったほうが良いな。」
「それでは断る道がないということか。」
「まあ、そういうことになるかな。」
「母様に挨拶もせずに行かねばいかんのか?」
「儂から云うておく。泣かれるかの?」
シュンスケは目を赤くしながら「わかった。」と答えた。
三郎助夫婦に拾われてからは、豊かではないが温かい生活を2人がくれた。言葉が微妙に異なり、意思の疎通が難しい時もあった。体力がなく村の子ども達について行けず、山に置き去りにされたこともあった。文字も知っているのか知らないのか中途半端で寺の和尚から耳学問で色々なことを覚えた。数々の出来事が走馬灯のように浮かび、なかなか寝つけなかった。もう一度、母様の声が聞きたい、目をつぶっているのに涙が流れた。しかし、疲れには敵わなかったようで、いつしか眠ってしまった。気がつけば鳥が鳴いていた。