21 利根川渡し
越後山脈は関東と越後を隔て、冬には越後に雪を、関東には空っ風をもたらす。
越後に降るその雪は越後山脈では人を飲み込む高さにもなり、両地域を雪の壁で隔てる。
雪の季節が終わり、春の日差しが雪の壁を溶かすこの時期は、雪融け水で関東の大河利根川に増水をもたらす。
永禄13年4月10日、北条氏邦は上野国で利根川の川辺に陣を張った。向こう岸にも一隊があって同じように陣を張っている。
同盟国上杉の武将の陣である。
一報によると上杉輝虎家中で重きを成している山吉豊守であるらしい。
向こう岸から舟が数艘こちらに向かってくる。
今回成った相越同盟の人質として越後に行く北条三郎を受け取るために。
そもそも、この同盟に氏邦は反対であった。
今まで、多くの部下を死なせながら闘って来た相手である。
田畑を荒らされ、略奪、凌辱果ては人身売買まで、とても許せるものではなかった。
父相模守に越後と同盟すると言われても、ハイそうですか、とは言えなかった。それならまだ武田の方がましではないか。
武田が駿河の今川を襲い、駿府を奪った。北条と今川はただの隣国とは違う、これを救うための窮余の策であると思っている。
その事以上に、人質が国増丸(氏政次男)から三郎に代わったことが納得できなかった。
この同盟の取り決めとして、関東管領は上杉輝虎となった。そしてその後継ぎとして国増丸を養子にということではなかったのか?
一度取り決めたことを反古にするなどあってはよいことではない。
身代わりにされた三郎のことも少しは考えよ。と怒りが沸き上がってくる。
上杉も上杉よ、この身代わりよく承知したな、何を考えている?
5日前、1000余の兵で小田原を発った。
小田原城の追手門を過ぎた辺りで、宗哲様を見た気がした。大伯父は傍らに崩れ落ちそうな姫を抱き抱えこちらを見つめていらした。
そういえば出陣式には欠席され嫡男の氏信が出ていた。
そうか、三郎の妻でもある姫から目を離せなかったんだろう。無理やり別れさせてまで三郎を行かせる兄(氏政)の気持ちが分からなかった。ただ単に子供可愛さだったのか?
この5日間、三郎は達観したように前を向いて明るくしている。そんな三郎と何となく話しづらく距離を置いたままここまで来た。
途中、武田の襲撃を警戒していたが、その気配もなくここまできた。
あとは迎えの舟に乗せ川を渡るのを見守るだけである。
傍らで待機している三郎一行が、徐ろに前に出て、自分にお世話になりました、と挨拶をしている。
決して見捨てることはせぬ、わが弟よ。と言いたかった。
声が出ぬ間に、三郎は迎えの舟に向かっていく。
舟が岸を離れ遠ざかっていくに連れ、一歩、二歩と自然と足が出た。
三郎・・
舟は雪融け水で増水した川を横切り向こう岸に着いた。
こちらからでも三郎達が舟を降りるののが見てとれた。
三郎達が山吉の陣に入って行く。
山吉の陣から、無事到着の合図があった。
山吉の陣払いは整然と行われた、殿の数人を残して、沼田の方に去って行った。沼田では上杉輝虎が待っていると聞いている。
部下が、そろそろ、と尋ねてきた。
諾と返事を返して、陣に戻った。
帰路、目の前には、広大な関東平野が広がる。地平線が見えるほどである。
管領として戻ってこいよ。
関東平野を縦断して流れる利根川で関東は東西に2分される。戦で川を味方に付けるかどうかで勝敗は変わる。
川を渡った三郎には上杉でどのような運命が待ち受けているだろうか?