100 信長、独白
信長が一語一語を確かめるように静かに話し始めた。
「儂のやり方がこの様な事態を招いたのは間違いない様じゃ。
あと少しで天下を手に入れれたものを、と思うと口惜しくもある。儂が天下を取れば戦のない世が来て百姓は米作りに商人は商売に専念出来る、そういう世が目の前であった。」
「それがどうじゃ。何故身内から裏切者が出る?何故じゃ!何故じゃ!何故じゃ!儂は和尚の彫った下手くそな愛染明王に問い続けた。しかし仏は何も答えてはくれなんだ。結局、答えの出ぬまま帰ってきた。」
「中将殿はどう思うかの?思うことを言うてはくれんか?」
思うところでございますか?困ったなぁという露骨な表情が見て取れて、
「無理を言うたかの?続けても良いか?」と言うとこれまで見せたことのない穏やかさで話出した。
「儂は力のあるものを登用し、そして働きに見合った褒美を与えた。だが、多くを与えたものから裏切り者が次々と出た。今思うと奴らは儂や織田家、儂が語る天下の事などどうでも良かったのかもしれん。儂を裏切り、己の栄達だけを求めていたのかも知れん。その証拠に織田家の譜代の者は誰も裏切ってはおらん。まあ、信勝がおるがあれは問題が別じゃ。」
「浅井長政の裏切りには魂消た。義弟としてあれほど可愛がったのに裏切りおった。まあ、儂を殺す千載一遇の時であったからな、どうも儂は一度信用すると無条件に信用してしまうらしい。唯一思い当たるのはこれなのじゃ。内に向いても常に警戒して置く必要があったのだろう。」
「松永久秀、荒木村重そして明智に羽柴。皆、期待し成果をもたらした者共だ。何故、裏切られたのか、今持って分からぬ。が、処罰を恐れたもの、千載一遇の機会と思わせたのかも知れん。」
「結局、儂との繋がりは賞と罰のみであったのかも知れん。かというて役に立たん譜代を大事な役目には就けなかったのじゃ。一体、どうすればよかったのかの?今しばらく考えることにいたそう。」
信長は白湯を口に運び、信忠に笑みを向けると、
「中将殿、儂と同じやり方をしていては同じ目に会おう。先程のように皆の意見を聞くのも一つの手かもしれん。これから織田家の舵取りは中将殿に任せよう。儂は相談にはのるが表には出ぬことにする。中将殿のやり方でやってみることじゃ。和尚(山口十六郎)を置いていくので側で使ってやってくれ。頭は切れるからの。」
部屋の端に居た和尚が平伏し、「よろしくお願い致します。」と応えた。
「さて、上杉のことじゃ。一つ気になる事がある。」
先ほどまでと違い、厳しい信長に戻ると、
「内府と大和守の関係じゃ。元々一心同体であった二人じゃが、最近はほとんど別行動じゃ。安土のとき久方ぶりに同陣したようじゃが密偵の話によると余り親密なようでは無かったとか?この辺りに隙が有るかもしれぬな。」
それと、
「もう一つ、真田じゃ。上杉と武田の両属の様な立場にある。これも一つの弱点かもしれんな。後は和尚の話を聞くとよい。」
と言うとおもむろに立ち上がり部屋を出ていった。
その背中はあの大きな信長の背中ではなく、父の背中であった。
「あれが、あの厳しかった父上か?牙を抜かれたのか?悟りを開かれたのか?」つぶやいた声に十六郎が反応した。
「休息が必要なのでございましょうな?その内気付かれましょう。上に立つものも使われるものも人には休息が必要でございます。それに少しの心遣いがあればと。」
「父上にはそれが足りなかったと?」
「さようでございます。人を賞罰だけで動かすには限界がございます。譜代は我が身に代えても主人を守ろうといたします。この違いを頭に入れて置くべきでございましょう。中将様ならば出来ると思います。」
「出来る、出来ないではなくやらねばならんな。」