97 上杉軍、近江を平均す
佐和山城では、丹羽家の留守居役溝口秀勝と羽柴秀長が本丸広間で向かい合っっていた。
丹羽勢は本丸、2の丸に在り、客分の羽柴勢は3の丸及び周辺に砦を造って守っている。
1刻程前に爆発音とともにあがった炎と煙は今でも視えていた。
「溝口殿、安土城でございますな。」
安土の方を見つめながら、
「上様はご無事なのでしょうか?」
上様のことですから・・少しの沈黙の後、
「上様も心配でございますが、我等も後詰めを失いました。降伏の時期を見極めねばなりません。」
降伏か・・兵糧もあと僅か、後詰めなくしては長くは持たぬな。
「先ず、美濃にいる我が殿(丹羽長秀)と連絡を取る必要があります。」
「この重囲の中、どうやって?」
佐和山城の周りはアリの這い出る隙間さえ無いように思える。
明日にでも総攻撃が始まるのではないか、兵達は安土城の落城の様を噂して、「この城も上杉軍の新兵器であの様に爆破される、一人も生き残れない。」と意気消沈し
反乱の気配さえ出始めていた。
「上杉軍は攻囲したまま動きませんが、我が兵の士気が持ちそうにありません。早いほうが降伏の価値があるというものです。」
溝口は暫く黙したままであったが、やがて、
「わかった、降ろう。儂とそなたの生命で何とかなるかな?」
「わかりませんが話せない相手ではありません。私が行って来ます。」
羽柴秀長は屈辱の降伏交渉役を自ら引き受けた。
居所にしている3の丸に引き揚げると早速虎口に白旗を揚げさせた。
佐和山城攻囲軍は斉藤景信が指揮を取っていた。
3の丸から白旗を掲げた使者が単騎で出てきた。
ほう、単騎か!
と敵ながら感心した。
本陣に現れたのは羽柴秀長である。
「羽柴小一郎秀長と申す。城明け渡しの御相談に参りました。」
話は直ぐにまとまった。領民兵は解散させ解放。武将も上杉軍に降るものは受け入れ、その他の者は「何処へでも好きなところへ行って良い。」ということになった。
大将の溝口秀勝と羽柴秀長はそれぞれ、小谷城、横山城への降伏勧告の使者に立つという条件で助命された。
三郎は、右京亮景信に隼介を付けて観音寺城の抑えを含めて近江を任すと明智光秀を連れて坂本城へと戻って行った。
隼介は美濃への回廊の確保のため関が原周辺の玉城へ山吉景長を松尾山城へ柿崎晴家を向かわせた。
これで美濃への道が繋がった、美濃大垣城を手に入れれば岐阜城へ繋がる。
松尾山城に入った晴家に大垣城方面の偵察から攻略を任せた。
溝口秀勝が堀秀政を羽柴秀長が蜂須賀正勝を連れて佐和山城へ戻ってきた。
広間に入ると上座に向かって2人が座った。その後ろに溝口秀勝、羽柴秀長が控えていた。
周りには床几を据え上杉軍の諸将が左右に並んでいる。
上座には景信が座り、家臣筆頭の位置には隼介が陣取っていた。
「御屋形様は溝口殿、羽柴殿は敵ながら立派な態度であったとおっしゃっておられた。そして蜂須賀殿に堀殿の採った行動をとても嘉されておられる。上司の反乱の決断に対して自らの意思で行動された。是非我が家中に欲しいと仰っておられる。如何かな?」
蜂須賀正勝の心は決まっていた。秀長を説得して秀吉に背かせたのは自分である。秀長と共に進むと。
堀秀政は複雑であった。特に織田家にそれほどの恩は感じていない。今回、踏ん張った事でこれまでの恩は返せたと思っている。何より、敵中に孤立した自分に何の援助も指示もなかった。見捨てられたと言っても過言ではないと考えていた。
「申し上げてよろしいでしょうか?」
堀秀政はその端正な面持ちで上座を見据えていた。
「どうぞ。」家臣筆頭の席から隼介が発した。
「私は上杉内府様を主と仰げばどのような扱いに成りますか?」
上座の右京亮景信は隼介に目配せし、隼介が、
「堀殿にはこの佐和山城をお任せすることになります。この周辺で10万石と聞いております。」
観音寺城から八風街道そして関が原も睨まねばならない重要拠点である。
「その様に評価して頂けるとは身が引き締まる思いでございます。よろしくお願いいたします。」
これで、後に名人とも呼ばれる堀秀政の上杉三郎への随身が決まった。
羽柴秀長が、
「我が兄はどうしておりましょう?」
長浜城脱出以来ずっと気に掛かっていた。元々兄を裏切る気などなくこの度も出来れば兄と共に在りたいと考えていた。
「筑前守(秀吉)殿は坂本城に居られる。内府様が坂本城に向かわれたので面会しているやもしれぬ。」
「私は兄と共に在りたいと考えています。今回、私が採った行動も兄の評判を落とさぬためです。兄が上杉様に従うのなら私もそういたします。」
それを聞いて、「すまんことをしたな、お主を苦しめるつもりは無かった、赦してくれ。」と涙をためて蜂須賀は心を決していた、
「私は小一郎様に従います。」
景信はその様子を見ながら、良い兄弟良い主従よ。と思い、
「では、坂本城に使いを出し筑前守殿の処遇を聞くといたそう。それで溝口殿はいかがいたす?」
溝口秀勝は心に決めた通り、
「もし、許されるなら我が主の許に帰りとうございます。」
生命をとられる覚悟での発言であった。
「さようか。残念じゃが致し方ない。馬など必要なものは用意しよう。明日にでも発たれるとよい。」
あっさりと赦されたことに呆気にとられたが、何とか、
「お許しいただきありがとうございます。」と答えた。