96 戦線、動く
夜営の本陣は村外れの寺に置かれていた。
当然、親織田の寺である。対応は冷たかったが拒絶はされなかった。
三郎は寺の住職と村の長を呼ぶと乱暴狼藉をしないこと、今年の年貢を免除することを約束し書面に認めた。
ほっとした村人たちはやっと上杉軍に協力してくれるようになった。
本堂を本陣に主だったものが集まっていた。湯漬けが出され皆で食しながら、いつもの車座の会議が始まっていた。
輪には加わったが何処となく落ち着かない明智光秀に、
「日向守は、始めてだな。上杉では、このようにして誰もが遠慮なく喋れるようにしておる。お主もその知見を皆に披露せよ。」
「はっ、微才ではございますができる限り。」と謙遜する光秀に、
「硬い!硬いのう。」と横からちゃちゃが入り、その場が笑いに包まれた。
「隼介、安土はただでは済まんと思うていたがこれ程とは思わなかったな。丹波衆には気の毒をした。」
三郎の声は先程迄の本陣での様子と異なり冷静であった。
「丹波衆にも注意はしたのですが私もここまでは想像していませんでした。」
信長のやる事考える事はやはり常人では計り知れないと思った。
手許に物見からの報告があり、死者・行方不明8百、負傷2千余りとあった。
さらに、安土城、街は尽く灰燼に帰す、とも。
「残兵と明智左馬助殿の部隊で事後処理をやって頂きます。一番に負傷者を近隣の村に収容させ手当を施させます。安土は・・火災が完全に収まってからですね。」
横から、「まだ、時折爆発があるようだからな。」と呟く声が聞こえる。
「物見によると火勢は衰えておらず、街中に入れるのは2、3日後ではないかと言います。」
「ところで我等はどうする?このまま観音寺城へ進んで、そこで安土のようになっては叶わんぞ!」
「それに観音寺城に行っても信長は最早居りますまい。八風街道を伊勢に向かっておりましょう。」
「そうよな」という声がいくつか聞こえた。
「では、近江を平定するか?」
「ではまず、佐和山城を落とし、横山城を囲んで美濃への回廊を確保するのが宜しいかと」
「儂は坂本城に戻る。勅使を待たせすぎるのも宜しくなかろう。後は右京亮殿お任せする。」
尾張小牧山城では、和尚こと山口十六郎が、櫓から攻囲する武田軍を観ながらニヤリと笑っっていた。
武田軍が攻囲を解き始めていた。追手門前に殿を残し既に勝頼の本陣は北に向かって動き始めていた。
「山口殿、打って出るなら今ですぞ!」
声のする方に顔を向けると、
「無用です。この戦我らの勝ちです。それでよろしいでしょう。」
武田軍は十六郎が狙った通り補給がままならなくなったようだ。
佐々成政が岩村城と犬山城の間の補給線を破壊し続けた。武田軍の小荷駄隊は信濃から岩村城経由で来る。その小荷駄隊を襲い運んでいた補給物質を尽く奪うか焼き払うかした。
武田軍とて手をこまねいていた訳ではなく、護衛を増やすなど手を打ってはいたが、それにも限度があった。
ある時、囮の小荷駄隊に主力部隊から5千もの護衛を付けて佐々を誘った事があった。
この時佐々成政はこの部隊を襲わず犬山城を攻撃した。
武田は大いに慌てた。
結局、補給の滞った武田軍は小牧山城の攻囲を解いて犬山城まで下がった。
さらに勝頼は犬山城の守備を山県昌満、岩村城を駒井昌直に預け、岐阜城は引き続き真田昌幸に託して疲弊した武田軍を率いて甲斐へ帰国の途に着いた。
遠江で徳川が二俣城を囲み切羽詰まった救援要請が来ていた。
尻に火が着いた勝頼は美濃に長居出来なくなっていた。
小牧山城で十六郎は「勝ったな。」と独り言ていた。
あの時の・・と思い出し、
いや、これからだ。と思い直してもいた。
戻ってきた佐々成政に後を任せ、清須城へ向った。
中将信忠とこれからを相談するつもりであった。