結婚したくないと思ったオタク伯爵が磨いたら光ってガチ恋するんですが!?
ミアは憂鬱だった
突然、婚約が決まったと親から聞かされ、まだ婚約者の顔も見てないのにあれよあれよと事が進んだからだ。
伯爵家と子爵家の間での婚約---。なんでも、向こうからのご指名らしい。
「ヒューゴ・ナイルブルー」伯爵。ヒューゴは、魔道具(魔法で動く機械)に大変精通していらして、人一倍熱心らしい。多忙だから、ほとんど社交場に顔をださない。だからミアも見たことがなかった。
キリっとした勝気な眉毛が特徴的な、美しい桃色の髪を靡かせた令嬢。それが私――ミア・カーター子爵令嬢17歳。
「だって私の未来の旦那様だもの。政略結婚だろうが、少しでも私が納得できる相手じゃないと嫌よ。」
ナイルブルー伯爵について、噂好きで顔が広い令嬢に聞いたら「ちょっぴりシャイなミステリアスな殿方」なんて言っていた。私の9個年上らしいのだけれど、伯爵なんて権力がある地位にいながら、今まで婚姻がまとまってないとなると、何か問題があるのでは?と、邪推してしまう。
これは女の感なんだけど、ヒューゴ様は魔道具にしか興味がないオタクな可能性があるわ。しっかりこの目で確かめないと!
ミアは爽やかで頼り甲斐がある、社交界でも人気なアンソニー子爵(19歳)を狙っていた。夜会に足しげく参加し さりげなく距離を縮め淑女らしくアピールして必死に努力をしてきた。その甲斐もあり、アンソニー子爵も非常に結婚に前向きで、もう少しで話がまとまりそうだった、そんな最中の今回の婚姻話…。
「両親もあんなに喜んでいたのに…」
考えれば考えるほど憂鬱である。
渦中の「婚約相手」が珍しく参列する夜会があると聞いて、何とか招待状を手に入れ、遠方まで気合を入れて出向いたのだった。
(無理を言って参加した夜会、親しい相手が少なく緊張するわ。遠くからでもいい一目見たら帰りましょう。)
夜会の主催に挨拶した後、給仕にこっそり声を掛ける。
「あの…ナイルブルー伯爵様はどちらに?」
「ナイルブルー伯爵様なら…」
あちらにと促してくれた視線の先には、とても輝かしく美しい殿方が――――…!
(はわーーーー心配何てしなくてよかったわ!アンソニー子爵様よりずぅぅっと素敵~!!)
…だったらどんなに良かったことか!
実態は少し癖のある青い髪で目元を隠したおどおどした青年。牛乳瓶かと思うくらい分厚い眼鏡を掛けていて、言われないと「伯爵位」だって解らないくらい…なんというか…なんというか!
貴族のくせに周りにへらへらしているからだろうか、うん、威厳を感じない。
「伯爵様とご婚姻なんて羨ましいですわ、私にも是非紹介を」と、隙あらば自分が!なんて下心と野心が入り混じった目をしていた友人たちも、振り返ったらおらず、違う殿方に声を掛けている始末。
呆気に取られていたら最悪。猫背のそいつが近付いてきたの。
「ももも、もしかして…君はミア・カーター嬢?ど、どうしてここに?」
しゃべったらもっと最悪だった。自信がないのって声に出るのね。彼が後ろに背負うのは薔薇でなく、キノコが似合いそう…。
花で言ったら…なんかじめじめしたヤな奴よ!!
「ちょっぴりシャイなミステリアスな殿方」…なんて噂の実態は「根暗オタク」だった
この人が私の許嫁「ヒューゴ・ナイルブルー」伯爵。
「初めまして ヒューゴ様。ミア・カーターです。
両親との顔合わせの前に一目、お会いしたくて…。ヒューゴ様がご出席なさる夜会に参加致しました」
半分頭が真っ白だったけど、しっかりとカーテシ―も出来た。よく言った自分。
その後、ヒューゴの反応を見て、もう半分の頭も真っ白になるのだった。
「サラフィーヌ…」
「サラフィーヌ?」
誰か解らない名前を呟いた後ヒューゴが
泣いた。
目(髪の毛と牛乳瓶で隠れているけれど)から大粒の涙―
なんで???
私、何か変な事言ったのかしら?
お母様に「あなたの顔は主張が強いから朗らかさを心掛けなさい!絶対相手を睨んでは駄目よ」なんて言われる事があったけど、もしかして私、ヒューゴ様を睨んでしまっていた!?っていうか、私の顔ってそんなに怖いのかしら?
「ミア嬢がナイルブルー伯爵様を泣かせた…!」
と周りから声が聞こえて、はっとした。
しかも最悪なのが、アンソニー子爵がこの夜会に参加していたのよ!!今の一連の流れ見られたわよね!?
「まあ~!!!ヒューゴ様ったら目に髪の毛が入ってしまったのね~!!だってとっても長いから~~~!!」
咄嗟に言い訳を口にしてヒューゴを無理やり退場させるしかなかった。このままだと伯爵を泣かせた子爵令嬢なんて不名誉な噂が飛び交うことになる。頭が真っ白になったにしてはいい機転だったのでは??
「こちらにいらして!!」
こんな政略結婚なんて認めない。泣きたいのはこっち!こんな泣き虫じめじめ伯爵はお断りよ!
※※※
控室に入ると少し落ち着いたヒューゴ様。
「ミア嬢、さ、先ほどは取り乱してすみません…。まさか今日の夜会に参加されているとは思わず…」
「いえ…もしかして。私が参加しては都合が悪かったでしょうか?」
「そそそそんな!とんでもない…むしろ…」
そう言ってまた泣き出した…。
(地雷 完全に地雷案件だわーーーー)
「ヒューゴ様、よろしければ私の顔を見て涙を流す理由を教えて頂いても?私に原因があるようでしたら、改善いたします。」
「ミラ嬢は…――サラフィーヌに似ているんだ」
「サラフィーヌ様とはどなたなのですか?」
「勝気な眉毛と…大きな瞳、桃色の髪がよく似ている…。ぼ、僕はサラフィーヌの事を…愛していた…」
ヒューゴの目(だから前髪と牛乳瓶で見えないけど)からは、大粒の涙がはらはらと落ちた。
―――やだわ…この流れ。先を聞きたくないけど、私の今後に関わるから聞かずにいられない。
「愛していらっしゃるのなら…私ではなく、サラフィーヌ様とご婚約なされたら…」
「できない…!!サ、サラフィーヌは…虹の橋を渡って…」
「うぅぅぅ~!!!」
そういって子供のように泣くヒューゴを前に、ミアは途方に暮れた。
今回の話は見えた。ヒューゴがわざわざ遠い土地の子爵令嬢の私をご指名なのは、私が亡くなった想い人にそっくりだったから、そういうこと。
初対面のヒューゴ(26歳)を前に、17歳の小娘が何が出来るのでしょう?一周回って腹が立ってきた。
「ヒューゴ様!殿方が人前で泣くなんてみっともないですわよ!!」
「す、すみません…ミラ嬢…父も亡くしたばかりでサラフィーヌまで失って…僕…」
「ほら…お顔を上げてください、まったく」
じめじめが止まらない。話を聞いているだけできのこが生えてきそう…。ハンカチを差し出し、ヒューゴがそれを受け取る。
婚約したら大きな男児の面倒を見る羽目になりそうな今回の婚約話。全伯爵さまはお亡くなりになり、この頼りなさそうな男が領地運営をしているらしい。不安しかない。
牛乳瓶みたいな眼鏡を外して涙を拭いたその顔を見たら、更に一周回って腹が立ったのだ。
「は?????????」
そこにはびっくりするほど美しい造形をした美青年がいた。
「ミラ嬢は…優しい…ですね」
赤くなった鼻をすすりながら少しだけ笑うヒューゴの微笑みに、どきりとしてしまったのだった。いや、私でなくてもどきりとするだろう。だって彫刻のように美しいお顔をしているから。
(…磨けば光るのでは?)
ふとよぎった考えに頭が支配され、その日は逃げるように帰ってしまった。
貴族の恋愛は実らない。そこに個人の感情は必要ないのだから。いかに身分の高い殿方に見初められ、嫁ぐことができるか。それに限る。ミアはそれが解っていたから夜会で必死に努力して、自分も周りも納得できるような「アンソニー子爵」との婚姻をまとめようとしていたのだ。
令嬢として産まれたからには、この婚姻を受け入れるしかない。でも感情面で考えると、ヒューゴと結婚したいかと言われると、NOだ。いくつもの試練が待ち受けている。私がこの後やることは、父と母にナイルブルー伯爵家への嫁入りをすると、どれだけ大変かを涙ながらに訴えること。婚姻の辞退を告げ、角が立たない様な手を考え、顔合わせを回避することだ。
だけどあの時のヒューゴ様の笑顔が頭から離れず、数日が経過した。
ミアが決意を固めるその前に、先方が動いた。
父はミアを書斎に呼び出すと、賽は投げられたことを告げたのだった。
「ナイルブルー伯爵家は早い婚約を望んでいる!明日ナイルブルー前夫人たちに会うぞ」
※※※
両親に連れられ、形式だった顔合わせが済んだ。
「息子はこの通り少し、人付き合いに難があって。ずっと縁談に消極的だったんです。心配をしていたのですが、今回、そんな息子きっての指名ということで…私は…私は…!げほげほ」
ナイルブルー前伯爵夫人はお身体が弱いらしく、時折咳込みながら涙を流し訴えてきた。
「ミア嬢…!どうかヒューゴを支えてやってください…!!げっほげほ」
長い髪を振り乱し息も絶え絶え、息子を託してきた。
父と母は、二人の婚姻が決まればたくさんの支度金を頂くことで話がまとまったそうで、一日でも早く、結婚を…!!と迫る夫人の手を取り
「はい、ナイルブルー夫人。ミアに全てお任せください!!このままナイルブルー伯爵家に行く準備も整っておりますので!」
なんて爆弾発言をして、泣いていた…。
「お母様、お父様、いきなり押しかけたらご迷惑になるから…一度落ち着いてから…」
とやんわり時間を稼ごうとするも
「いや…ミア嬢…是非来てください…その方が嬉しい…」
なんて、あの夜会で見たイモキノコ男が、涙を流しながら同意するのだった…。
(断れないやつ!!!!!)
※※※
地獄の顔合わせから数日後には、ミアはヒューゴの屋敷にいた。
異例のスピードで進んだ同居生活の幕開けだった。ここから数か月ミアはお屋敷で「ヒューゴの婚約者」として過ごすことになる。
「ミア嬢は今日も美しい桃色の髪をしているね…うぅ…」
一通りお屋敷の案内も済み、訪れたヒューゴの私室でミアは後悔していた。
一瞬の輝きに目が眩み、人生の大事な選択を間違えるとここまで大変な目に合う。そんな時、ヒューゴが口を開いた
「ごめんね…ミア嬢。
伯爵家からいきなり婚姻が来たら、断れないよね…。
でも僕はどうしても、サラフィーヌに似ている、君に傍にいて欲しかった…」
「人伝に、サラフィーヌに似ている桃色の髪の令嬢がいると聞いて、こっそり君を見に行ったんだ。びっくりしたよ、本当にサラフィーヌにそっくりだったから。
でも、夜会で女性を口説くなんてできる自信がなくて、強引にミア嬢が断れない状況を作ったんだ」
「サラフィーヌを失ってから僕は唯一の取柄ともいえる魔道具造りも手が付かなくなってしまって…。
でもね、君の事を知った後魔道具造り、少し捗ったんだよ。」
「僕は過去を乗り越えたい…」
そう語ったのだった。ヒューゴは彼なりに悩んで今回の婚姻話に臨んだようだ。
しかもちゃんと自分の権力と影響も計算して…ってあれ?もしかしてヒューゴ様は私の思ってる様な人と違う?そう思っていたら ヒューゴが更に提案してくれたのだった。
「君と結婚するつもりはないよ…
僕が前を向けるまで傍にいて欲しいだけ…。そうしたら僕から母や君のご両親にも話はつけるから」
「結婚するつもりはない…?」
「ぼ、ぼくはこんな性格だし、頼りないのは分かってる。だから誰にも、君にも迷惑かけたくないし。
それにミア嬢はアンソニー子爵のことが好き…なんでしょ?夜会の時…気にしてたでしょ…」¬
なんて本心を見抜かれてびっくりした。
結婚するつもりがないのなら、私としても大変助かる。しかも支度金はそのままこちらに渡してくれるつもりらしい。母たちも文句は言わないだろう。なんでもヒューゴの作る魔道具が高く売れるから、資金には困っていないらしい。
その後、結婚するつもりがないヒューゴは、タイミングを見て家督は従兄に譲り、自分は研究職に進むという。
意外にも、用意周到だった。仕事はできるのかもしれない。
ずっと暗雲立ち込めていた婚約話に一筋の光が差した。
「解りました。あなたは過去を乗り越えるために私を利用する。その後始末はヒューゴ様が一手に担っていただける。」
私は人助けの為に呼ばれたらしい。それならば一肌脱いであげようじゃないか。それにヒューゴの素顔を見てからずっと、「勿体ない」と思っていたのだった。磨けば光るダイヤの原石を見つけたのが自分だったのだから。
「任せてください!ヒューゴ様!一日でも早く、過去を乗り越えられるよう全力で協力して差し上げますわ!私の顔を見て泣くどころか、笑うくらいにしてみせます!」
「ミア嬢…!」
「要するに、うじうじキノコから脱却すればいいのですから簡単ですわ!」
「…は、はっきり言うね…ミア嬢…」
うじうじキノコ…とショックを受けているヒューゴを傍目に、ミアは興奮が抑えられずまくしたてる。だってこれは人助け。ヒューゴは変わりたがっている。その為に私の力が必要なの。
「こうなったら待っていられません!早速始めましょう!」
「な…何を?」
ミアが手を叩くと、そこからともなくメイドたちがやってきてヒューゴを攫っていくのだった。
「みみみミア嬢!これは一体…!?」
半泣きになるヒューゴ様を連れて、ミアは高笑いするのだった。
「心機一転するのはまずは見た目から!
健康な体に健全な魂が宿るのですよ!」
ちょっと違う?まあいっか!とミアはさらに高笑いをした。結婚も回避できて、しかも磨けば光るかもしれない原石を一番近くで見られるかもしれない僥倖に、笑わずにはいられなかった。
「よーし!絶対ヒューゴ様をうじうじキノコから薔薇の似合う貴公子にしてやるんだから!」
俄然やる気に満ちたミアは、腕まくりをするのだった。
※※※
「ヒューゴ様、これで準備は整いましたわね。」
ミアはヒューゴを鏡の前に立たせ、彼の新しい姿を確認させた。少し長すぎた前髪は額を見せるように、髪は整えられている。牛乳瓶のような眼鏡は、魔道具でできたコンタクトにした。衣装は彼の髪の色と合わせて作られたシルクのセットアップ。金の刺繍がとても映える。
ヒューゴは自分の姿をじっと見つめ、驚きを隠せない様子だった。
「これが…僕??」
「そうですわ、ヒューゴ様。これからは堂々と歩いてください。あなたはナイルブルー伯爵家の当主、今は私の婚約者ですもの。」
ミアは彼の背を叩いた。そう、猫背が治るように思い切り。
背筋を伸ばしたヒューゴ様は意外と大きかった。普段どんだけ縮こまっているのよ。
「きゃん!」
背中を叩かれたヒューゴは情けない声を出す。伯爵様を叩くなんて大変不敬なのだけど、今は婚約者なんだから許されるはず。
「今まで周りのメイドたちは何をしてきたのです?」
「僕…人に触られるの得意じゃないから…いつも最低限で…」
ヒューゴはまだ少し信じられない様子で鏡を見つめた。
確かに嫌がるヒューゴの大変身は大変だった。でもやらねばならない事もある。この素材を磨かず腐らせておくのは人類の損失だわ。
そして成し遂げた後のミアはとっても満足していた。自分の目に狂いはなかった。自信のなさからくる、下がり眉は治らないけど、これはこれでかわいいかも?
「じゃあ行きますわよ」
「ど、どこに?」
「サラフィーヌ様との思い出の場所ですわ。そこで新たな思い出作りを致しましょう。過去ばかり見ているからヒューゴ様は悲しみから解放されないのですわ。つま先の方向を変えましょう。私たちは未来を生きているのですよ」
「…ミア嬢…」
「大丈夫です 私が先導いたしますから」
だばっとヒューゴ様が泣いたと思ったら手を思いっきり握られた。
「…ありがとう…、主張が強くてちょっと怖いかもって思ったけど、
ミア嬢は優しんだね…」
ヒューゴ様の手は大きくて、思ったより力強くてびっくりした。今まで瓶底眼鏡と前髪で隠れていた金色の瞳が眩しくて、胸が高鳴った。
自分のセンスがいいせいで…。
「もう殿方が人前で泣くのはみっともないですわ」
「あっ…こ、コンタクトがずれたかも…!」
締まらないところがヒューゴらしくてミアは少し笑った。________________________________________
※※※
ヒューゴに案内されたサラフィーヌとの想い出の場所は屋敷の先端、街の広場が見える高台だった
目的の場所に行くまでに出会った使用人たちは、ヒューゴのあまりの変貌ぶりに皆声を失っているようだった。あんぐり口を開けたまま停止する人もいた。
今日のヒューゴは、まるで別人のように輝いていた。ヒューゴはメイドたちが皆、振り向き二度見していることに、気が付いていなかった。
「サラフィーヌはここが気に入ってたんだ」
(というかサラフィーヌ様との思い出の場所ってもっと遠い所なのかと思ったら意外とご近所なのね)。
「サラフィーヌ様はどのような方だったのですか?」
「彼女は特別な存在だったよ。
サラフィーヌはいつも僕の傍にいてくれたんだ…。彼女にならなんでも話せたんだ。僕は人見知りだからね…」
「そうですか…とても大切な方だったのですね。」
ミアは少し緊張しながら、次の質問をした。
「サラフィーヌ様はどのようにして亡くなられたのですか?」
ヒューゴは深いため息をつき、ミアに視線を合わせた。
「サラフィーヌは…病気で亡くなったんだ。彼女がいなくなってから、僕は孤独の意味を知ったよ。」
でも、サラフィーヌの最期、僕は立ち会う事が出来なかったんだ…。お礼を言いたかったのに…」
そう言うとヒューゴの目に涙が浮かんだ。ミアはヒューゴのことを段々解ってきた気がした。
(ヒューゴ様は本当に純粋なんだな)
多くの人と深く、仲良くなれない性質、だからこそ懐に入った人は大事にする。大事にし過ぎてしまった分、悲しみも大きい。
不器用—…だけどそれだけ愛されていたサラフィーヌは幸せだっただろう。
「私はヒューゴ様のように大切な何かを失った経験はありませんからこんなことを言う資格はないかもしれません。
ですがお礼を言いたかったその気持ち。サラフィーヌ様に届いていらっしゃると思いますよ」
「ほら 笑ってくださいませ。無理にでも笑うと、人間楽しくなってくるものです」
その言葉にヒューゴは一瞬驚いたようだったが、やがて深くうなずいた。
涙を流しながらもちょっと笑顔を見せてくれたのだった。
(よかった、少し元気になってくれたかも)
そう思うとミアは心が暖かくなったのだ。
「ミア嬢は…僕と違ってとっても強いんだね」
「そんなことないですわ。
ヒューゴ様こそ、弱っちいくせに真摯に前を向こうと頑張っていらして、とってもお強いですわよ」
「弱いのは否定してくれないんだね…」
ヒューゴは不満げな瞳をミアに向けた。その瞳は言葉と裏腹に優しかった。
気が付いたら夕日が差し込む時間になった。夕日の橙色は辺りを照らしていた。ヒューゴの髪は橙に照らされ風に靡いて煌めいていた。
※※※
その後ヒューゴと何日かにわたり、サラフィーヌ慰安旅行をしたのだった。
と言ってもほとんどお屋敷と領地内だったけど。
最後に訪れたのは領内の池のほとりだった。ピクニックに来たことがあったそう。
「ミア嬢…あの…」
「何でしょうか?」
「髪を触ってもいい?」
そこでヒューゴが真面目な顔して言ってくるからびっくりした。
「…はい…。」
サラフィーヌと髪の色が似ていたと、そう言っていた事を思い出し、了承した。ヒューゴは風に舞うミアの桃色の毛先をそっとなでる。
(…照れますわね…)
そう思っていたら、ミアは当然腕を引っ張られ、気が付いたらヒューゴに強く抱きしめられていたのだった。
「あのヒューゴ様…」
「ごめん…!これで…最後にするから…!」
「最後って…」
この婚約のことか。そう思った。確かに最近のヒューゴ様は私の顔を見ても泣かなくなってきた。私が笑顔を強要するせいだけど。魔道具造りにも身が入るようになったらしい。この前は、操作すると七色に光る魔道具でできた花束をくれた。
「サラフィーヌ様を思い出すのですか?」
「…うん」
「ありがとう……今までずっとそばにいてくれて…」
好きな人との死別…。きっと自分には想像が出来ないほど辛い事なんだろう。これで、ヒューゴ様の気が済むのだったら胸を貸すのもやぶさかでない…か。サラフィーヌの替わりと思うと妬けるな…。
そう思いながら、ミアはそっとヒューゴの背に手を回した。
「それほど大切に思われていたのですね…。ところで、サラフィーヌ様は私に似ていると言っていましたが、どのように似ているのですか?」
ヒューゴは一瞬ぴくりとして、ミアから離れた。
「実は、サラフィーヌは…僕の愛犬でーー」
「…え?」
ミアは驚いて止まった。
「犬…?」
ヒューゴは少し恥ずかしそうにうなずいた。
「う、うん…。サラフィーヌは僕の愛犬。彼女は僕にとって、家族以上の存在だったから…。だから、ミア嬢の桃色の髪や大きな瞳を見ると、サラフィーヌを思い出して…」
ミアは一瞬戸惑ったが、やがてその状況の奇妙さに気づいて笑い出した。
犬に似ているだなんて失礼な話なのだが、ヒューゴだからだろうか、妙に納得して許せてしまった。
「まさか…私が犬に似ているだなんて!」
ヒューゴもミアの笑いにつられ、微笑んだ。
「そう言われると、少し変かも…?でも、本当にサラフィーヌは特別だったから…」
そう笑うヒューゴは吹っ切れたような爽やかな目をしていた。
________________________________________
※※※
あの一件から、ヒューゴの様子は変わっていった。
放っておくと、おどおど猫背になるのは変わらないけど、ミアを見ると頑張って背筋を伸ばして、手を振ってくれるようになった。
「サラフィーヌを模した魔道犬を作ろうと思うんだ。」
サラフィーヌを失ってからスランプに陥っていたらしいヒューゴの魔道具作り。どうやら乗り越えられたらしい。
「前を向けたのですね」
「う、うん…っミア嬢のお陰で。見た目も…自信なかったけど、今はすごく周りの人が褒めてくれるから…。ちょっとはうじうじキノコじゃなくなったかな…?相変わらず人前は苦手だけど」
そう笑うヒューゴ様の笑顔に少しときめいた。
今までは顔…というか髪の毛とか印象だと思うけど…-を見られたら泣かれていたが、優しく笑ってくれるようになったから。
繊細な彼の事を可愛いと思う自分がいるのに驚いた。それに思った通り、髪を整えてそれなりにしていたら見た目もミアの好みだった。ちょっぴり強引なところも別に嫌じゃない。
でも私に微笑むのはサラフィーヌ(犬)と重ねているからなのよね。
そう思うとショックだった。
(やだ 私ったらこれではまるでヒューゴ様のことを…)
「ミア嬢…」
「僕たちの婚姻の話なんだけど…」
そうだ 今回の婚約はヒューゴが前を向けるまで。そういう約束だった。
つまりヒューゴが過去と向き合い立ち直った今、私の役目は終わったということ。
「今までありがとうございました ヒューゴ様」
彼から別れの言葉が聞きたくなくて、自分から切り出した。
「う…うん。君にあまり得がないのに、付き合ってくれてありがとうミア嬢。後始末はきちんと君が困らない様に手配するから」
「そうですわよ。私、大きな男児をお世話するみたいで、大変でしたからね」
「君は本当にはっきり言うよね…」
ヒューゴは少し困ったように笑った。犬と似てると言われ、過去を乗り越えるのに付き合ったんだ。少しくらい嫌味を言っても罰は当たらないだろう。
こうして私はナイルブルー伯爵領から逃げるように帰って行った。
________________________________________
※※※
ミアはやっぱり憂鬱だった。
突然ナイルブルー伯爵との婚姻が決まって、婚約前に白紙撤回。その直後、アンソニー子爵から求婚の申し出があって、あれよあれよと婚姻話がまとまっていったから。
身の丈に合った結婚だし、前々から望んでいた相手。社交界でもアンソニー子爵は人気者だし不満なんてない。
望んでいた結果になったわけだが、どこかもやもやした気持ちを抱えていた。
「これがマリッジブルー…ぜんぶヒューゴ様のせいですわ」
ブルーという単語から彼の群青の髪の毛を思い出し、心の中で八つ当たりする。今日の夜会で公に婚姻を発表する。これで私の人生は決まる。
そう思って馬車を降りたら、見覚えのある目の前に群青色の髪の青年が立っていた。
猫背は頑張って矯正して胸を張って立っている。髪の毛もしっかりセットして、服は地味な色ばかり選んでいた彼が明るい白のスーツに身を包んでいた。ヒューゴ・ナイルブルー伯爵。
周りの令嬢はいきなり現れた誰か解らない、爽やかな青年に頬を赤らめて噂していた。以前の彼を知っている人は、まさか彼がヒューゴだとは思わないだろう。
「以前からそうやっていればとっても素敵でしたのに…」
「ミア嬢…」
ミアを見つけたヒューゴは、形式だった挨拶を告げた後、仰々しくお辞儀をした。
「ミア嬢…この度はご婚約おめでとうございます、ご挨拶しに参上いたしました…。」
「ヒューゴ様。アンソニー子爵とのご婚姻のお手配、ありがとうございます。一体どのような手を使ったんですか?」
にこりと微笑んだヒューゴ。
アンソニー子爵との婚姻は一度流れたはずだったのに、再度異例のスピードで進んでいったのだった。やはり仕事はできるらしい。
「ミア嬢、見て」
彼の後ろからは魔道具のサラフィーヌが出てきた
「サラフィーヌ(ロボ)完成したのですね!」
桃色のボディにきりっとした目、彼が操作をするとまるで本物の犬のように動いた。
「うん…どう?ちょっぴりミア嬢に似てない?」
番犬のようにヒューゴの横にぴたっと座るとワン!と吠えた。
嬉しそうにサラフィーヌを見つめるヒューゴの顔を見たら、ミアは胸が苦しくなった。
「よかったら…私にも魔道犬を作っていただけませんか…?」
「う うん、どんなものがいい?」
ヒューゴに要望を聞かれ、ミアは答えた。
「群青色の大型のものがいいです」
そう言ってヒューゴの顔を見ず、逃げ出してしまった。だって私の目からは大粒の涙が溢れそうだったから。
想いが伝わらないのはとっても辛いのですわね。
※※
会場に着くとアンソニー子爵が待っていた。
「ミア嬢、私たちの婚約を発表するから壇上に…」
「はい…」
手を引かれ皆の前に促される。
「本日お集まりいただき誠にありがとうございます。この度 私アンソニーとカーター嬢は婚約の話がまとまったことを皆様に発表いたしま…」
そんなアンソニー子爵めがけていきなり何かが突進してきた。どわーーっとアンソニー子爵は壇上の端に倒れ込んだ。
よく見ると魔道犬のサラフィーヌだった。
「ちょっと待った!!」
振り返るとそこにはヒューゴがいた。
息を切らして壇上に上がってくる。
「僕はヒューゴ・ナイルブルー 大事な家族を失った時、前を向けず立ち止まっていた時に
ミア嬢に出会った」
「そんな僕の事をミア嬢は持ち前の明るさと強さで支えてくれた
彼女の優しさにたくさんのものを貰ったんだ
彼女の幸せの為に一度は身を引いたけど…」
ヒューゴはミアの前に立つと、真剣なまなざしでミアを見つめた。そして跪いて手を差し伸べた
「僕にはミア嬢が必要だ
だから 僕と結婚してください!」
そういうヒューゴの手は震えていた。そうですよね、こんな大勢の皆様の前で、萎縮してしまいますわよね。目には涙が浮かんでいた。
会場は謎の貴公子がヒューゴ・ナイルブルーだったことへの驚きと、突然の求婚の衝撃でざわついていた。
「泣きたいのはこっちです!」
「そういってくれるのを待っていたんですよ!好きなら離さないくらい言って下さいまし!この甲斐性なし!」
「ごめん…僕はミア嬢に嫌われてると思っていたから…!でも泣いているミア嬢を見て…」
「ヒューゴ様は私くらいしっかりした女性じゃないとやっていけませんね」
忘れていた。彼は根暗オタクなんだから、待っていちゃ駄目よね。
そう思って、私から思いっきりキスをした。
会場は大いに盛り上がっていたが、私たちはその場を後にした。
※※※
その後、ヒューゴとミアは、幸せな結婚生活を送った。
お屋敷にはいつもミアの叱咤激励が飛び交っていて二人の傍らには、桃色の気が強そうな魔道犬と群青色の大型の2匹が見守っていたという。
ちなみに、アンソニー子爵はナイルブルー伯爵から多額の支援を頂いたそうで、持ち前のモテっぷりを発揮し、すぐに他の令嬢と婚約が決まったそうな。
おしまい