断罪直前にループし続けていた私、「ずっときみを探していた」と竜王様が迎えにきましたが信じられません
「――おお、エレオノール! よもやお前のような女が私の婚約者だったとは! なんて悪辣! なんという悪女! 即刻婚約破棄、三日後に首切り処刑だ!」
王太子は大仰に両腕を広げ、おおげさに嘆いてみせる。かなり大ぶりなパフォーマンスであるが、私の心は揺るがない。
何千回と断罪処刑を繰り返してきただろう。私の心はボロボロだった、もう許して欲しい、いや、そう思うことすら飽きた。虚無だ。
(また断罪が始まるのね)
希望も絶望も、どちらも抱くことなく、私はフッと嘲るように笑った。
もはや、ギロチンなど怖くない。
ただ、ただただ、早くこのループを抜け出したい。
それだけだった。
沙汰は下された。私の両腕は屈強な兵士によって拘束される。抵抗なんて、もうしないのに。これから留置場に連れて行かれて三日後、私は首を斬られる。
しかし、この時だけは展開が違った。
「――ずっときみを探していた。きみこそ、オレの運命の番……」
(……は? ……つがい?)
王城のステンドガラスを派手にぶち割り、大きなドラゴンに跨がった美丈夫が現れたのだ。
◆
「やあ、どうだい? 急に連れてきてすまないね。先の食事はどうだった?」
――人間の城とは比べものにならないほど巨大な城に運び込まれ、あれよあれよと侍女に連れて行かれて、死ぬほどいい匂いの湯につけられて、極上マッサージを受け、公爵令嬢の身でも着たことがないような恐ろしく繊細な金糸の刺繍の入ったドレスを着させられ、疲れた身体にちょうどいいあたたかくて優しいお味の軽食をいただき。
さあちょっと一息、というタイミングで彼はやってきた。先の断罪の場面で窓をぶち破り、私をさらっていった、あの男。
私は目を褒めて彼を見る。目が合うと、彼はニコと微笑んだ。
夜空のように深い紺の美しい髪、切れ長で真っ赤な瞳、スラリと伸びた手足。怖いほど整った造形の男だ。
この濃紺の髪が麗しいその人が言うには、彼はこの世界の最強種である竜人。しかもその王だということだ。
そして私はこの人の番。らしい。
なんでも私がループし続けていたのは、この竜王様の魔力によるものだったそうだ。運命の番と番えない限り、何度も、何度でも時間を遡り、つがえるその日を迎えるまで延々とループするという――。
他のみんなはループすると記憶を失うけれど、当事者である私の記憶は消えない。だから、私は何度も何度も何度でも、処刑されては時間をまき戻っていたわけだ。
「ずっときみを探していたんだ。ようやく出会えて嬉しいよ。……どうか、これからはオレと共に生きて欲しい……」
色気のあるテノールボイスが私の鼓膜を揺らす。
人にあらざる証である深紅の瞳には、目を丸くして呆けている私が映り込んでいた。
彼は私の浮かべている表情は気にならないようで、フッと口角をあげ、目を細めて私を愛おしげに見るのだった。
「――いや、それ、ふざけてます……?」
「えっ」
竜王様はぽかんと口を開いた。
きれいな形の唇の端から尖った犬歯(竜歯?)がのぞいている。
「そんなことされて、番えるなんて……無理でしょ……」
「す、すまない。きみが……オレが来るまでどんな目に遭っていたかは知っている。本当に申し訳なかった!」
ようやっと絞り出されたわたしの声に、ハッとした竜王様は躊躇なくその場に平伏した。周囲の文官らがざわめく。
「オレの一生をかけて埋め合わせをする。だから、どうか......! 一生きみを慈しみ、愛し抜くと約束する!」
はあ、と思わずため息がこぼれる。ビクッと竜王様の肩が跳ねる。そりゃあため息くらい出るでしょう。なにをびびっているのやら。
さっきまでの美形イケメンオーラはどこにいったのか、竜王様は青い顔でだらだらと冷や汗を垂らして、瞳を揺らしながらすがるように私を見ていた。
「私もう疲れちゃって……つがいとか、恋とか愛とか、信じられないんですけど……」
「す、すぐにきみを見つけられなくて、本当にすまない。でもオレは……」
「ちょっとそっとしておいてもらえませんか?」
ビクビクと成り行きを見守っていた侍女に声をかけ、私のために用意されたという部屋に連れて行ってもらって、そしてそのままベッドに五体投地で寝た。
◆
竜王様に「きみはオレの運命の番!」と攫われて、早数日。
「番様、大丈夫かな。少しでも粗相をしたら逃げ出しちゃうかな」という感じでビクビクしている従者たちに甲斐甲斐しく世話を焼かれ、私は上げ膳据え膳でごろ寝生活をしていた。
(……あんなこと言って、ほとんど一日中いないし……)
竜王様は一生をかけて私を愛する――と言ったわりに、あの日以来私の前に現れることはなかった。
どうも、ほとんど城に帰ることなく、外をせわしなく飛び回っているらしい。
「すまない、本当にすまない」
久しぶりに顔を見せた竜王様は、この間と同じようにぺこぺこと頭を下げ続けていた。
(この人、私よりだいぶ背が高いはずなのに、私ずっとこの人のつむじばっか見てるわね)
竜王様のつむじはよく見ると二個あった。どうでもいいことに気がついてしまった。もう見飽きたわ、と「顔を上げてください」と伝えると、おずおずとようやく顔をわずかに上げた。眉をこれ以上ないほど下げた情けない顔をした竜王様と目が合う。顔はあげたけれど、背は曲げたままだから、彼は私を上目遣いに見上げていた。
こういう顔をした捨て犬を拾ったことがあるのを思い出す。ジョン、元気かな。
「実は……き、きみを見つけるまでに……きみと同じように、罪なき罪により断罪される人たちをたくさん見てきたんだ。今でも間に合うなら、助けに行きたくて……」
それで、四六時中城を空けているらしい。ポツポツと告げられた言葉に、私はハッとする。
「……なんですって」
「す、すまない。勝手に連れてきたのに、きみを放っておいて……もう少し、待っていてくれないか」
心底申し訳なさそうに言われ、かえって私はムッとした。
「……いいわよ、むしろ、早く助けに行ってあげて。私みたいな目に遭っている子がそんなにいるだなんて、頭がおかしくなりそう」
竜王様はわかりやすく顔を輝かせる。深紅の瞳が、文字通り煌めいていた。魔力が強いものに多く見られる現象だ。感情に作用されて強まった魔力が、そのまま瞳の煌めきとなる傾向があるのだ。
(私が、それで怒るような人間に見えるっていうのかしら)
そんな理由があるのなら、ほったらかしにされて怒る道理などないというのに。
はあとため息をつきながら、腕を組む。
「それで? どのくらいかかりそうなの」
「うーん、あと三百五十七人くらいかな」
「さんびゃ……。まって、さんびゃく?」
あさっての方角を見上げながら、指折り数えて竜王様が言う。驚愕のあまり、私は叫んだ。
「この世界の治安どうなってるの!? なんで無実の罪でひどい目に遭っている人がそんなにいるの!?」
「で、でも、世界は広いから、総人口を考えれば三百人程度なら『そんなもんかな』って感じじゃ……」
「まあたしかに『そんなもんかな』かもしれないけど!」
パッと聞きのインパクトが強すぎる。
きみは何を憤っているの? と不思議そうに冷や汗をかく竜王様に、頭がクラクラした。
「……まあ、とにかく、わかったわ。あなたはその三百五十七人を救いたいのね……。行ってらっしゃい」
「――え」
竜王様は目を見開く。慌ててそばにいた女官に「ねえねえ」と声をかけていた。
「き、聞いた? い、い、今、オレに『行ってらっしゃい』って」
「そんなことで喜んでいないで、早く行きなさい!」
別に『旦那様、行ってらっしゃいませ♡』的な感じで言ったわけじゃないわよ!
……とまではさすがに言わないけど、追い出すような勢いで竜王様の背を押した。
彼がいない間、『竜王様の番』の私には特に何もお勤めのようなことは何もなかったけれど、竜王様のお城には大きな図書室に膨大な魔術書や歴史書が並んでいて、それを読んでいれば全く退屈はしなかった。
(……人間の国だったら禁忌扱いにされてるような高等魔術の本も普通に置かれているのね……)
人間の身で安易に使えば身を滅ぼす危険のある高等魔術も、最強種である竜人であればリスクは少なく使いこなせるということだろうか。肉体の強度も魔力の質もきっと比べものにならないのだろうと考えると、そんな種族の王の番として選ばれてしまったらしいことになんだか気が遠くなった。
だが、それはさておき、国では上位の魔術の使い手として認められていたうえ、さらに王太子の婚約者という身でも閲覧を禁止されていた『転移術』や『錬金術』といった高等魔術書を読むのは特に楽しくて、時間が経つのはあっという間だった。
◆
それからまた、数日。
ずっと城を空けていた竜王様がふらふらと帰ってきた。
「全員救えたの?」
「いや、まだ……。ごめんね、少し城の仕事をやったらまた出て行くよ」
相変わらず眉を垂れ下げた情けない顔で竜王様は言った。
ただ、いままで見てきたよりも顔色が悪い気がした。
その晩。なんとなく眠れなくて、側付きの女官の許可をもらって、城内の中庭に来ていた。
ここは月がよく見えるので、お気に入りの場所だった。故郷から遠い場所に来ても、見える月は同じなのだなあと思えるから。
誰もいないと思って、領地の祭りでよく歌った歌を鼻歌混じりに歩いていたのに、池の近くからなにやら小さく誰かが啜り泣く声が聞こえてきた。
(……竜王様だ)
竜王様は泣いていた。
とっさに後ずさったら木の葉を踏んでしまい、ガサ、と音を立ててしまう。
竜王様はハッとした顔で振り向き、そして私と目が合う。「ああ」となんだか自嘲するような薄い笑みを浮かべ、竜王様は眉をひそめる。
私は開き直って、彼の情けない顔をまっすぐ見上げた。
「どうしたんです、あなたという人がそのように泣いては、まるで幼子のようではないですか」
「はは、幼子か。そんなこと言われたのは何百年ぶりかなあ……」
竜王様はぐしゃ、と髪をかきあげ、顎を上にあげる。
「……間に合わなかった。間に合わなかったんだ」
「……そう」
彼が今何をしているのか、私は知っている。
間に合わなかった。つまり、彼は、断罪されんとしている人を救えなかった。そしてそれを嘆いているのだ。
「たまたま、目の前で惨劇が起きただけ。救えなかった人は、もっとたくさんいる。……オレは、全然間に合わなかった。間に合って、ないんだ」
真紅の瞳を細め、竜王様は口元を歪めた。
しばらく竜王様は夜空の星など目にも入っていないだろうに、上を見上げていた。
大きく深呼吸をしたのち、竜王様は私に小さく微笑んだ。それから、少し慌てて手を振る。
「す、すまない。きみの前で、落ち込むことじゃないよな」
苦笑する竜王様のお顔には、疲れが見えた。
「……私が処刑されるのは三日後よ」
「うん?」
「私が処刑されるまでの間。私を助けに来る前に、その人たちのところに行ってあげて。あなたが知っている、無実の罪の人たちをみんな助けてから、私のところに来て」
「そんな! それじゃあきみは!」
「私は留置場に繋がれて処刑を待っているだけ。別にそれ以上につらい責め苦があるわけじゃないわ。私が処刑される三日後の正午までにすべてを終わらせて来て」
竜王様は目を見開く。
「……きみはそれでいいのかい?」
「ええ。だって、もうすでに何千回、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど処刑されてきたんですもの。いまさらどうってことないわよ」
「……ありがとう。そして、ごめん」
とても『竜王』なんて大層な存在とは思えないほど、竜王様は情けない表情で呟いた。
髪をかきあげて、私はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
別に、感謝されたいわけでも、謝って欲しいわけでもない。私の提案はあくまで『救える人がいるのならば、救われるべきだ』と思ったからだ。
しばらく夜の中庭に静寂が広がる。その静寂を断ち切ったのは竜王様だった。きょとんとした顔で私を眺めながらしげしげと呟く。
「きみ、公爵令嬢だそうけど、あんまりしゃべり方とかそんな感じじゃないよね」
「やけっぱちのがらっぱちにもなるわよ! いいこと、もう一度言うわよ。永遠に自分が冤罪で処刑されるまでの三日間を繰り返してたのよ! 粗雑にもなります!」
「ご、ごめん。本当にすまない……」
ぺこぺこと竜王様が頭を下げる。思わずキャンキャンと噛みついて返してしまった。ああ、もうどうにでもなれと虚無になってた私にこんな元気があったとは。自分でも驚く。
「とにかく、あなたは救えなかった人たちのことも救いたいのでしょう? だったらさっさとやり直しましょう。ほら、ループできるんでしょう?」
「あ、オレがやろうと思ってできるわけじゃないんだ。オレときみが番うことができないという運命が確定した瞬間に時間を巻き戻るようになっていて」
「……なるほど、では、私が命を絶てば」
「何を言っているんだきみは! そんなことしていいわけがないだろう!」
だって、『番うことができない運命が確定したら時間が巻き戻る』のならば、いままでのループと同じように私が死ねばいいだけのことじゃない? 竜王様のあまりに剣呑な表情に思わず怯む。
「なにも……きみが死ぬ必要はない! きみがオレとは番えない、オレは無理なんだと……そう突きつけてくれればループする!」
「あ、そうなんですね。『私、竜王様の番になるなんて絶対に一生無理です』」
「うっ」
なんだ、簡単。あっさり言った言葉で竜王様はうずくまる。
そして、ぐらりと世界が歪む感覚がした。うーん、頭が歪む? 視界が歪む? 何が歪んでいるのかは正確にはわからないけれど。
――ともあれ、これで狙い通り時間は巻き戻ったようだった。
「なんという悪女! 即刻婚約破棄、三日後に首切り処刑だ!」
(どうあってもこのシーンからやり直しなのね)
聞き慣れた口上に、久しぶりにうんざりしながら私はいきり立つ王太子を眇めて見た。
◆
竜王様は私がギロチン台に上がるその直前に私を迎えに来た。
「全員救えた?」
「……いや」
そうでしょうね、と私はたいした感慨も持たずに、気まずそうにする竜王様に返す。
「もう一度、するんでしょう? いくわよ」
「えっ、ま、まって、あの、せめて、一回城に帰って、きみだってちょっとお風呂にくらい入りたいんじゃ」
「何千回同じ三日間を繰り返したと思っているのよ。お風呂に入れない日のほうが多すぎて慣れたわ」
私を抱きかかえたまま狼狽える竜王様に一切の配慮はせず、私は『竜王様とは絶対番えません』と彼の目を見つめながらハッキリと宣言した。
それが、これが幾度ともなく繰り返された。
何度かは彼があまりにも健気に提案するので、彼の城に戻ってお風呂に入ったりおいしいご飯を食べさせてもらうこともあった。私は別にいいんだけれど、竜王様のほうこそきっと休息は必要だろうから。
「やっぱり、番様は運命の相手なのですね。会ってすぐなのに、もうこんなに打ち解けられて」
彼の城に仕える人たちは『番えなかったときに強制ループ』するとは知っていても、まさかこう何十回も繰り返しているとはさすがに想像だにしていないのか、ホワホワと私たちにこんなことを言ったりもした。
……竜王様と会えるまでにすでに何千回もループしてた私は、今のループはそこまで辛くなかった。何しろ、終わりが見えている。竜王様が把握している三百幾人かを救えれば私のループは終わる。
それを終えたあとに、私が竜王様と番えるかどうかは問題ではあるけれど、それは今は置いておこう。
(この強制ループは最悪だけれど、彼自身はそんなに悪い人ではないのよね)
彼にも言われたけれど、ループ地獄のせいですっかりはすっぱになってしまった私にも彼は呆れたり、嫌な態度は見せたりしないで、優しく接してくれる。
すでに虚空の彼方のごとき記憶だけれど、あの国に公爵令嬢として生まれて十七歳の今になるに至るまで、私には素直に言葉のやりとりをできる相手なんていなかった。うわべだけのやりとり、打算の人間関係、貴族同士の暗黙のルール、そんなものにがんじがらめになっていた私。
妙な話だけれど、私はループ地獄の果てに自分を取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなってはすっぱのがらっぱちになった結果、初めて人に素直な自分をさらけ出していた。そして彼はそんな私を受け止めてくれていた。
まあ、だから、彼はいい人なんだなあと思うようにはなっていた。
彼の優しさを受け止めるくらいのことはしてもいいかな、と思えるくらいにはなっていた。
それはともかく、今日も今日とて、私と竜王様は睨み合っていた。
これから私は、竜王様をキッパリと振るのだ。私とは番えないという運命を叩きつけるのだ。
竜王様はもう何百回も聞いているはずなのに、飽きずに私に振られるたびショックを受けていた。そろそろ慣れてもいいころなのに。私だって殺されるのは百回くらいで慣れたのになあ。
でも、私は私で、初めのうちはあっさりと言えていた『無理です』宣言を言うのに罪悪感を覚え始めていた。なにしろ、竜王様は毎回毎回大真面目に落ち込むのだから。
それに、竜王様も『番』っていうシステムと『番えないと強制ループ』というルールがやっかいなだけで本人はそんなに、悪い人じゃないんだよなあと情が芽生え始めてしまったせいもあるだろう。
彼をこっぴどく振るというのが、私にとっても苦行になってきていた。
そんなわけで私たちは奇妙な緊張感を漂わせて睨み合う。
意を決して、私が「竜王様、無理です!」と叫ぶ――けれど、一向に世界が歪む感覚がやってこない。
「……あっ、あれっ? ループにならない……」
竜王様がキョロキョロと周りを見ながら首を傾げる。
「どうしてかしら。……『嫌い』」
「うっ」
「『だいっきらい』」
「ぐっ」
私が心ないことを言うたび、竜王様は胸を押さえ、よろめく。
「……おかしいわ、ダメージは入っているのに……!」
「そ、そうだな。傷ついた……」
......あ。もう何度も言いすぎて、今更すぎてループスイッチが入らないのかしら。
「もっと完膚なきまでに私とあなたじゃつがえないってことを叩きつけるしかない、ってこと?」
「ループの仕組みは……そうなんだが……そうなんだが......! 言語化のダメージがでかい……!」
青ざめている竜王様だけど、急にハッとしてブンブンと首を横に振り出す。
「い、いや! きみが今まで味わってきた苦しみに比べれば! この程度のこと!」
竜王様はキッと目つきを鋭くさせ、私の肩を掴んだ。
「ひと思いにやってくれ! 頼む!」
「た、頼まれると、ちょっとやりづらくなるんだけど……」
鬼気迫る表情に狼狽えながら、なんとか「私とあなたじゃ番えません」の運命を確定させるために私は思案する。
言葉の刃だけでダメなら……物理的にもダメージを与えてはどうだろうか?
素面ならばそんなの(暴力)どうかしてると思えたはずだけど、竜王様の縋る勢いもあって、私の脳はなぜかこんなことを思いついてしまった。
「――あなたのことなんて、だいっきらい!」
スパァンと音を立て、私の平手打ちが竜王様の頬に炸裂した。
◆
ビンタ作戦は成功した。
私と竜王様はいつものループ通り、私の処刑三日前に戻ってきていた!
(……うまくやってよ。私だって、何度も何度も誰かのことを『嫌い』とか『無理』とか言いたくないんだから……ましてやこんな、頬をひっぱたくなんて……)
まあ、そりゃあ、彼と番うのは――無理は無理なんだけど。
でも、言って傷つくとわかっている言動をしなければいけないというのもストレスである。
時は過ぎ、私がギロチン台に立つその日。
「……間に合わなくても、私が処刑されたらどうせループするんでしょう? 駄目だったときは迎えに来なくてもいいわよ」
懲りずに私を助けに来た竜王様に、そう呟く。
「それは、オレがいやなんだよ」
竜王様は乾いた低い声で、なんだか苦笑しながら返してきた。
「私のところに来る時間で救えた子たちのことは?」
「それもすごい心が苦しい。けれど、彼女たちは時間が巻き戻ったらそのときの記憶を忘れられるだろう? きみだけは全部覚えているんだ。きみが殺されることでループするのは、もういやだ」
「……ふうん、そう」
空を飛ぶドラゴンの背中はとても大きいけれど、うっかり落っこちたりしないように私を抱き支えてくれている竜王様の腕の中で、私は俯く。
(……少し、意地悪なことを聞いてしまったかしら。嫌な言い方をしたわ、私)
わざわざ己が何かを切り捨てる選択をしているということを無為に突きつけてしまった。私は彼を傷つけたことに、胸が痛んだ。
(……私たちはループができる、でも、やっぱり、こんなことを繰り返すのは良くないわ)
私にも何かできることはないだろうか。私はただただ彼が救いに来るのを待つのではなくて、何か、この状況の私でも彼の助けになれないのかを考え始めた。
◆
それから幾千ものループ。幾千かのビンタを経て。
「……え、なんで……」
私はあんぐりと口を開けた竜王様と対面していた。そんな彼を一瞥し、私は彼の傍らで腰を抜かしているご令嬢に手を差し伸べる。
あと一秒でも私が現れるのが遅ければ、きっとこのご令嬢は騎士の剣によって『断罪』されていただろう。
どうやら最高のシチュエーションで、私は『転移』に成功したようだ。
彼の間抜けな顔があまりにも心地よくて、つい私は大仰に髪をかきあげて胸を張ってしまう。
「私には『時間』がたくさんありますからね。それを活かして、『転移術』を学ぶなど容易なこと」
「えっ、いや、『転移術』ってきみ、それ、魔術の最高峰に類する……」
「あなたは私がどれほどループしているかご存じでしょう? あれだけ時間があれば嫌でも習得できるわよ! 最高峰の魔術くらい!」
元々私には魔術の才能があったし。竜王様の住まう城の図書室には魔術の本もたくさんあったし。城に仕える竜人たちには『転移術』の使い手もいたから教えてもらえたし。ずっとずっとループしている間、私は鍛錬に勤しんでいたのだ。
無限ループの時間つぶしにもなるし、こうして一人で懸命に不幸な人を救おうとしている竜王様のお助けにもなるし、一石二鳥だ。
呆気にとられる竜王様に胸を張り、私は勝ち気に笑って見せた。
「一人では限界があるでしょう。私も手伝うわ、それで……もうこんなループ、終わりにしちゃいましょう?」
「……きみって人は……」
竜王様は大きな手のひらで顔を覆いながら、はあとため息をつく。
しばらくなんだか髪の毛をガシャガシャしていたけれど、やがて、竜王様は私に向き直り、微笑みながら口を開いた。
「きみという人と出会えたことをオレは神に感謝する。何よりも、きみに。ありがとう」
真紅の瞳が、キラキラと煌めきながら私を見つめる。
こんなにもきれいな瞳の輝きを私は見たことがなかった。
(……へんなの)
竜王様と向かい合って、その目を見ることなんて、何度もあったのに。
なぜだか私はそのとき、竜王様の真紅の瞳と初めて目が合ったような気がした。
◆
そうして、私たちは全ての人を救うことに成功した。
二人で手分けして世界中を回り、時には二人で協力して、実は私の転移術習得後も何回かループもしつつ、試行錯誤を繰り返して、どうにか、三百五十七人を救い出せた。
ついでに、私自身の冤罪を払うこともできたみたいだった。私が転移術によって脱獄したせいで騒ぎが起き、『誰が脱獄を手助けしたか』という疑心暗鬼のなか、真犯人が浮かび上がってきたらしい。まあ、内部崩壊というやつか。
私の罪は無くなった。けれど、だからといって、もうこの国に私が帰ることはないのだけど。
私は竜王様の腕に抱かれながら、ドラゴンの背の上にいた。全ての人の救済が終わったから、これから竜王様のお城に帰るのだ。
「そういえば、竜王様はどうやって無実な罪の人たちが断罪されかかっていることを知ったの? しらみつぶしに私を探していたら、たまたま?」
「ああ。オレには千里眼ってものがあってね。これで世界中を覗いて、ずっときみを探していたんだ」
「それで、断罪されかかっている人たちを、いろいろと見つけちゃったわけね」
竜王様は苦笑する。
「千里眼なんて言うが、けして万能じゃない。見ようと思って意識していなければ特に何も見えやしない。君を探すために使っていなければ、きっとオレはこんなにも多くの人が無実の罪で裁かれようとしていることなんて、何も気づかないままだった」
「……そうね。あなたが見つけたという三百何人かだって、きっとそれで全部じゃないでしょうしね」
「そういうことを考え出すとキリがなくって胸が痛むよ。だから、特別理由が無い限り、この力は使わないようにしているんだ。オレの仕事は本来、無実の人の救済ではないから」
そっと竜王様は目を細める。
「……ありがとう、『救いに行ってもいい』とオレを送り出してくれて。そうでもなければ、オレは一生悔いたままだった」
「それはよかったわ。あなたの一生、長そうだもの。ずっと悔いたままじゃ生き地獄だわ」
「はは、そうだな。でも、案外ポックリ逝くかもよ」
「妙なこと言わないでよ、私よりは長生きするでしょう」
「えっ」
俯いて、彼の目を見ないままそう言ったら、竜王様はなんだか慌て始めたようだった。
「あ、あの、ごめん。あの……オレがあんなこと言ったから、さびしくなった?」
竜王様はおずおずと私の顔を覗き込む。
「あなたって、結構デリカシーないわよね。言われない?」
「……ごめんね」
さびしくなるわよ。それくらいの時間はとうに一緒に過ごしているのだから。
そして、彼もまた、私がこうして拗ねるとき、本心ではどう思っているのか、わかるようになってしまったらしい。一言も「すぐに死ぬなんてさびしいこと言わないで」なんて言ってないのに、見透かされていることが気恥ずかしくて私は俯いたまま口を尖らせる。
竜王様はしばらくそばでソワソワとしていたけれど、私相手にあまりしつこく言葉をかけるのは悪手とわかっているので、しばらくして、私を抱く力を一瞬だけほんの少し強めて、それからはお城に到着するまでずっと無言だった。
◆
城に戻り、お風呂に入って身体の汚れを落として、私も竜王様も疲れ切ってるからお腹に優しいあっさりご飯を食べて。
あとは寝るだけなところ、私は竜王様に呼び出されて、お城の中庭で彼と対面していた。
中庭の池のほとりで向き合い、微妙にしっとりとした雰囲気が流れる。なんだからしくない妙な雰囲気だった。
「どうしたの?」
「えっ、あの、その、みんな救えたし、もうループは……これで、終わりに……多分、なるんだと思うけど」
歯切れの悪い竜王様に私は眉を顰める。
はっきり「これでループも終わりだよね」と言えないのは、きっと彼はまだ『私に振られてループする』可能性を危惧しているからだろう。
この期に及んで、そんな心配をしているだなんてと呆れるけれど、彼はこういう性格なのだからしょうがないとも思えた。
「つまり、そのー……これからきみには、オレの番として過ごしてもらう、ことに、なるんだけど」
「だから、なに?」
竜王様はばつが悪そうに苦笑し、そして、俯いた。
「あの、きみは……恋人とか作って、いいからね。子どもとかも、その人と作っていいんだし……」
「は?」
私の怪訝な声に竜王様は顔はあげたけれど、眉を下げたまま、困ったように笑ってみせる。
「オレはきみがそばにいたら、それでいいんだ。番っていうのは、なにも夫婦になる必要はなくて……肩書きとしてはきみには妃にはなってもらうんだけど、それはあくまで形だけで、きみはちゃんと好きになった人と結ばれて大丈夫だから……」
懸命に、けして私から目を背けないようにしながら重ねられていく言葉に、私はもうたまらなくなって、竜王様の頬をバチンと叩いていた。
「……えっ? ル、ループしない……?」
ぱちぱちと大きく瞬きする彼をキッと睨みつける。
「するわけないでしょ! ばかっ! これはあなたが嫌いだからしたわけじゃないんだから!」
「ええ? お、怒ってるのに?」
「怒るわよ! なんで勝手にそうやって決めつけているの! 怒るわよ、だって、私、あなたのことが好きなんだから……!」
「え」
竜王様は目も口も、ぽかんと丸くする。
あんなに、何千何回も一緒にループしていたのに、気づいていなかったのか。彼と通じ合えたと思える瞬間が、何度もあったはずなのに。
彼は私を単なる運命共同体としか思っていなかったのか、それとも、自分の都合に巻き込んでしまって申し訳ないという気持ちでいっぱいになりすぎてたせいで気づけなかったのか。……竜王様の性格的には後者だろうなあ、と私ははあと大きくため息をつく。
そういう生真面目さとか、臆病なところとか、とにかく優しいところとかを好きになってしまったのだから、しょうがない。
「だから、これは離別を叩きつけるためのビンタじゃなくて、そんなこと言ってうやむやに逃がさせたりはしないんだからっていうビンタよ。それでループするわけないでしょ。ループの条件、私とあなたが絶対に番えないって運命が確定することなんでしょ」
「え、ええ。ほ、ほんとに?」
「……してないでしょう、ループ」
「……」
竜王様は赤い目を見開きながら、自分の頬を撫でる。
「頬が痛い。夢じゃないらしい」
「当たり前でしょう。もう一発いっとく?」
「いや、もうお腹いっぱいだ! それにもう一回されて万が一でループしたら悲しいし!」
竜王様は白い頬に私の赤い手形をつけながら、満面の笑みを浮かべ、そして私をぎゅうと抱きしめた。
「ありがとう、オレの運命。エレオノール、ありがとう」
「あなたこそいいの? こんなはすっぱな女」
「うん、きみみたいに優しくて、心の立派な人なんてそうそう見つからないよ。こんなめちゃくちゃなループに付き合わされたのに、許してくれる人なんて、そういないよ」
「……私みたいな女を優しいなんて言うのはあなただけよ。これだけ何度もビンタされてよくそんなこと言えるわね」
照れ隠しで眉根を寄せながらそう言えば、竜王様は「ええ?」と首を傾げながら、口元をへにゃへにゃ緩めた。
「だって、きみ、本当はオレのことビンタなんてしたくなかったろ? いつも泣きそうな顔でぺちってしてくるからもうかわいくてかわいくて、かわいそうで、それでもう『この子にこんなことさせてられない!』って申し訳なさ過ぎてさあ」
「そ、そんな顔してないわよ! そんなこと毎回毎回考えながらビンタされてたの?」
「うん、いや、本当にかわいくって、かわいそうなのがまたかわいくて、なんか変な性癖目覚めそうに……」
「……ばか!」
顔を赤らめてうっとりとしている竜王様の語りを、もう聞いていられなくて、思わず竜王様の胸を叩く。
「ご、ごめん、調子に乗った! ごめん! ちょ、ちょっと、いじめてみたくなっちゃったりとか……してないから!」
「何を考えながらループしてたのよ! ばか! もう!」
「ごめん! ごめん! ……あ、でも、ポカポカされてもループしないね。あはは」
「……ニコニコしないでよ! もうっ」
意外と体格の良い竜王様の胸を非力な私が叩いたところで、なんのダメージもなく、そしてループもしない。竜王様は私が真っ赤になって怒っているのをむしろ嬉しそうにして、私の攻撃を受け止めていた。
(……なぜかしら。番とかそういうの以上に、ちょっとやっかいな相手に捕まっちゃったかも、って思うのは)
まあ、でも、もう、しょうがない。そういう男に絆されてしまったのだから。
ちょっと情けなくて、お調子者で、やっかいで面倒くさいほど優しいこの人に。
それに、数え切れないほどのループでこんながらっぱちになってしまった私をここまで手放しに「かわいい優しい大好き」と言える人も多分、この人くらいのものだろう。
晴れて、私と竜王様は結ばれ、竜人族たちからも、人間たちからも、神様たちからも祝福を受け、幸せに暮らしていくことになる。
……これでハッピーエンド! だったらよかったんだけど、実はこれから先も色々あって、何度かループして魔の処刑待ち令嬢(三百五十七人)をお救いし直したりしたのは、他のみんなには内緒、私たちだけの秘密である。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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