余興の終わり
「大切な人を失った悲しみ、どうにもできなかった自分への憤りは分かります。でも逃げてはダメです」そう言ってトキネは春野の左襟を右手で握った。そうして左手を右襟にかける。先ほどと同じくその腕を横から手を沿えて受け流そうとする春野の腕は、今度はトキネの動きを妨げる事は出来なかった。次の瞬間春野の体は宙に舞った。
リングのマットに横たわる春野の横でトキネが言った。
「死と生はコインの裏表です。死を迎えた人間に引きずられて生ある人間が、まっとうな人生を放棄することは死に対する冒とくです。生き残った人間は死んだ者の分まで生を謳歌する責任がある」そうして少し乱れた道着の襟を正してから、リングに横になったまま、空を見上げて動かない春野に向かって
「日曜日に茂木家の道場でまた会いましょう」と言ってニッコリと笑った。
「勝負あり」サタジットの声が響く。ようやく春野も立ち上がりトキネに深く一礼して自分のコーナーへと戻っていった。しかしトキネは自分のコーナーに戻るのではなくサタジットの横に立って話しかけている。
「で、あなたが今日のトリを勤めてくれるんでしょうか?」トキネはサタジットにそう言ってまたニッコリとほほ笑んだ。
「トキネさんはリングの上で立会人に何を話してるんですかね?」リングサイドで長十郎が草壁に聞く。
「あなたが最後の相手だろうと言ってます」草壁の答えに長十郎は驚いた。
「あの立会人の人もユーナムのギフテッドなんですか?」
そう言った長十郎に続いてダニエルも
「先ほどからの動きからすると、彼は相当な武の持ち主ですよね」と言った。
「彼の名前はサタジット・レイ。先日の闇カジノのハオランと同じ思考加速のギフテッドです。同じというか師匠みたいなもんですかね。ユーナムのギフテッドの中でも別格です。今日はけが人が出ないように、最強の人間に立会人をしてもらうと父が言ってましたが、まさか本当に来てくれるとは私も驚きました。しかし立会人とか言いながらあんな動きをしていたら、小佐波さんにはまぁばれますよね。彼がやってもいいというのであれば、それはそれで楽しみですが…」草壁は語尾を濁した。
リング上ではサタジットがトキネに答えている。
「先日は弟子というほどでもないんですが、私も指導したことのあるハオランがご迷惑をおかけしたそうで陳謝いたします。どうしようもないヤツですが、私と同じく思考加速のギフトを持っているのに、あなたには手も足も出なかったと聞きました。それで今日は立会人の話を受けて、あなたの動きを近くで拝見させていただきました」
「相手にとって不足なしでしたか?」トキネが聞く。
「ハオランごときでは確かに相手にならなかったでしょう。彼のかたきを取るなんて事は考えていません」サタジットは笑みを浮かべてそう言った。そうしてリングサイドにいる草壁の方を一瞬見てからトキネへと視線を戻して話を続ける。
「私とあなたがやり合えば、命のやりとりになってしまうでしょう。ここにはそれを止められそうな人間もいない。今日はめでたい席です。手合わせはまたの機会といたしましょう。あなたと立ち会うのが運命であれば、いずれその日はやって来ますから」サタジットはそう言い残してリングを去っていった。
一人残されたトキネも残念そうな表情を顔に浮かべて、自分のコーナーに戻ってきた。それをリングサイドに居た長十郎とダニエル、草壁の三人が迎える。
「お疲れ様でした。今日は私たちの為にありがとうございました」草壁は深々とお辞儀した。トキネさんはリングを降りると頭を下げている草壁さんの背中をポンと叩いた。そうして屈託のない笑顔を浮かべながらこう言った。
「運動したらお腹が空きましたね」
草壁さんは顔を上げてこう答えた。
「今日のメインディッシュはこれからサーブです。A5ランクの仙台牛です。小佐波さんは仙台あたりのご出身でしたよね?」
それを聞いてトキネさんの表情はパーッと明るくなった。
「仙台牛は久々ですね。リングでのメインディッシュは食べ損ねましたがそれは楽しみです」




