75.悪役姫は、未来を願う。
ロイに刃物を向けるのは今世では2度目だなとアリアは荊姫を構えながら思う。
1度目は戦場で囚われた15歳の時。あの時は魔力封じのせいで黄昏時の至宝を使えず、荊姫もマリーに預けていたため隙を見て盗んだ刃の欠けた小刀を使ったんだったな、と聖剣保持者であるロイを相手になかなか無謀な事をしたものだと苦笑する。
彼が逃してくれなかったら、あの時アリアは死んでいた。
あれから5年。
前線において何より信頼できるパートナーを手に、目の前で昔戦場で憧れた琥珀色の強い瞳を前にして、否が応でも高揚する。
全身が痺れるほど感じるワクワク感は、きっと荊姫とアリア2人分の感情だ。
「それじゃ、はじめようか?」
そう言った瞬間にロイが纏う雰囲気が変わる。研ぎ澄まされた張り詰めたような緊張感と、威圧感。
それを真っ向から受け取ったアリアは、瞳を瞬かせ口角を上げる。
仕掛けたのはアリアからだった。
優雅に舞うように、軽々と大剣を振り回し一気に距離を詰める。
ガキーーーーンッ。
静かな夜に、剣と剣が合わさって硬質な音を奏でる。
「楽しそうだな、アリア」
随分と、とコチラを見返してくる琥珀色の瞳はロイの心情を反映させるように冷静で、だが負けてやらないという好戦的な姿勢が見て取れた。
「さすが聖剣。叩き折る勢いでいったのに、傷一つつかない」
ふふっと上機嫌に笑ったアリアは、大剣の重量などまるで感じさせないほど軽やかに振りかぶり、真っ向から斬り込む。
「重っ。すっげぇバカ力」
楽しそうにそれを受けたロイは、聖剣の力を解放するために口内で魔法詠唱を転がす。
「が、ちょっと素直過ぎないか?」
ロイは光を宿した聖剣で、アリアごと重たい大剣を軽々と吹き飛ばす。
空中でくるりと体勢を整え、音もなく地面に降り立ったアリアは、
「ただ単純に荊姫の力を見せたかっただけよ」
嬉々として構え直し、速度をつけてロイに迫る。
アリアの剣筋を見極めて、ロイは真正面からそれを受ける。
何度も何度も夜の闇に剣がかち合う音が響く。
相手は格上の聖剣保持者。
『楽しい、楽しい、楽しい』
と、荊姫の歓喜が聴こえる。
「私も楽しいよ、荊姫。さあ、派手に暴れようか!」
魔剣を構えたアリアは、荊姫に応えるようにそう言うと、ロイに向かって加速した。
「はぁーきっっつーー」
頭の中が空っぽになるまで身体を動かして、汗だくのままアリアはゴロンと地面に横たわる。
手が痺れるほどの感覚と剣と剣が交わる硬質な音が耳の奥に残っていて、高揚感が身体を占める。
アリアが目を閉じてゆっくり開けた時にはもう彼女の瞳はいつもの淡いピンク色に戻っていて、形のいい唇はとても満足そうに弧を描いていた。
「……楽しかった」
アリアは未だ大剣の形を保ち続ける魔剣荊姫に視線をやる。
「楽しかった、ね。荊姫」
ここは戦場でも前線でもないし、これは勝負でもないただの手合わせだ。
だが、ロイの聖剣と戦っている間中、ずっと荊姫が楽しそうな様子が伝わってきて、アリアはそんな好戦的なお姫様に全力で応え続けた。
断罪ルートを回避した今、こんな日々が死ぬまでずっと続くのだとアリアは思っていた。
だけど、荊姫と道を分つ分岐点が発生した。
ヒナを元の世界に帰すためには荊姫が必要だ。
(荊姫は、前を見てる)
荊姫が答えを出してしまったのだから結論は出ている。ただ、アリア自身の心がそれに追いついていないだけ。
(でも、私はこの選択で良かったって本心から言える自信がない)
きゅっと唇を噛み締めたアリアの手の上に温かな手が重なる。
「アリア、上見てみな」
いつの間にか隣に寝転んでいたロイが優しい声音でそう言った。
「…………キレイ」
真っ黒な闇夜に浮かぶ下弦の月と散りばめられた星々にアリアは小さな声を上げる。
「アリア。視野が狭くなったら、まずは落ち着いて息を深く吸って、ゆっくり吐いてみてごらん。思考が停滞してしまえば、見えているものも見えなくなってしまうから」
隣に視線を移せば、触れられるほどすぐ近くに大好きな琥珀色の優しい瞳と目が合って、アリアはじっとそれを見つめる。
「選択肢って言うのは、一つに見えても必ずしもそうとは限らない。抜け道もあるし、気にいらなければ選択肢を増やすって手もある」
ロイはアリアの淡いピンク色の目を見ながら優しい口調で言葉を紡ぐ。
「"絶対"なんてないんだ。選択の責任は自分にしかとれない。人生の責任も喜びも後悔も全部自分で抱えていくんだ」
確定した未来など存在しない。
だからみんな悩みながら、その時々で自分にとっての最適解を探すのだ。
「だからアリア、アリアが思う通りでいいんだよ」
アリアはどうしたいと思っている? そう言ってロイはもう一つの手をアリアの方に伸ばしそっとアリアの頬を撫でた。
「……荊姫のいない人生を歩く自信がなくて」
とアリアは荊姫を引き寄せてそっと撫でる。
「ヒナを帰してあげたいって、答えは出ているんです。でも、荊姫がいなくなるのが怖い」
アリアは静かに心情を吐露する。
「ずっと一緒に生きてきたから。いつも私の一番近くで応えてくれて、私もずっと荊姫の存在や感情を感じながら生きてきました」
アリアはゆっくり上体を起こし、荊姫を元の小さな剣に戻す。
「この子は今まで沢山の主人を見送ってきました。そして、私もこの子に見守られながら死んでいくんだと思っていました」
アリアは荊姫を大事そうに握りしめ、
「荊姫は、私が彼女を失ったあと生きていく覚悟を持てば絶対応えてくれます」
確信したようにそう答える。
荊姫が自身の終わりを嘆いていない事は、アリアには分かっていた。
「荊姫が私の代で終わりを迎える。それはきっと荊姫にとって、悪い事ではないんだと思います」
何事にも最後は訪れる。
きっと荊姫はもうそれを選んでいる。
分かっているのに、甘ったれた自分が彼女の存在を引き止めたがる。
「嬉しい時も苦しい時も悲しい時もそばにいてくれた誰よりも近い存在を失ってひとりになるのがきっと私は怖いんです」
気持ちを整理するように、アリアはロイにそう話した。
ロイはじっとアリアの話を聞いたあと、ゆっくり上体を起こすと、
「荊姫がいなくなったとしても、アリアのこれから先の人生にはずっと俺がいるから」
荊姫の代わりにはなれないけど、とロイはそう言ってアリアを見つめる。
「アリアが嬉しい時も悲しい時もそばにいる。それは約束する」
ロイはアリアに指を伸ばし、優しく彼女の頭を撫でる。
「俺はアリアを置いて逝ったりしない。君が最期を迎える日が来たら、息を引き取る最後の瞬間までずっと手を握ってる」
「……明日暗殺されてるかも、とか言ってたくせに」
アリアはクスッと笑いながらロイの琥珀色の瞳を見返す。
「俺は約束は守る方だよ? アリアをひとりにしたりしない」
確約はできないけど、努力はするからとロイは笑い返してアリアの淡いピンク色の瞳を見つめ返す。
「……今、ロイ様にすごく抱きつきたい気分です」
アリアから初めてそんな事を言われたロイは少し驚いた顔をして、
「おいで、アリア」
と笑顔でアリアを呼ぶ。
素直にロイの腕の中に収まったアリアは、ロイの心音を聞きながら、この音が自分より1秒でも長く刻み続ける事を願いながら、これから先の覚悟を決めた。
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