6.悪役姫は、始動する。
アリアが帝国に嫁いで来て最初の公務は大規模な狩猟大会への出席だった。
そしてこれは本編開始前の出来事で、小説ではロイの回想シーンにたった一行、"アリアとの公務は最悪だった"程度しか出てこない。
ちなみに小説ではロイとヒナが無事互いに心を通わせだし毎年恒例の狩猟大会でロイが活躍し、初々しいヒナに優勝を捧げるシーンが綺麗で、いつまでもお幸せにっと拝みたくなるくらい2人が尊かった。
(つまり、今日のこのイベントはロイ様にとって"最悪"と印象が残ればいいだけで、それ以外の縛りがなく自由度が高い)
アリアは1回目の人生を思い出し、ため息を漏らす。初めての公務で沢山ロイの足を引っ張り、その度に彼に優しくフォローされた。
だから次こそは上手くやれるように頑張りたいと真面目に皇太子妃教育と向き合うきっかけになったし、ロイの優しさや仕事ぶりに触れ彼の事が更に好きになった出来事だった。
(でも、ロイ様にとっては"最悪"だったのよね)
そう思われても無理もないとアリアは今なら思う。ロイに見惚れ、己の役割をまともに果たせないどころか、足を引っ張り、彼に怪我まで負わせた。
どうしようもないダメ妃。愛していないなら尚更、目障りな上に面倒でしかなかっただろう。
(だから、今日のイベントが打って付けなのよ。よりロイ様に嫌われて、追い出したくなるくらい幻滅されるには)
アリアは自分の身体の動きを確かめるように、手をグーパーグーパーと動かし、よしと気合いを入れる。
記憶が戻った直後は、2回目の人生の平和な世界で生きた自分の感覚が強く、過去の記憶と今世のアリアが上手く馴染めなかった。
だが、今は全ての記憶と感覚がキチンと繋がり思った通りに身体を動かせるようになっている。
妃教育に加えて希望を出し、少々身体も鍛え直した。これなら、大丈夫なはずだ。
「姫様、準備完了いたしました」
マリーに整えてもらい、美しく仕上がった自分を見る。
ああ、本当に悪女と言われた祖母の姿絵とそっくりだ。まさに、悪役姫らしいじゃないかと笑ったアリアは、二の腕まである白のロンググローブをはめ、立ち上がる。
カツンと高いヒールを鳴らし、自身の姿を観察する。
「息を呑むほどお美しいです、姫様! 皇太子妃としてのお披露目、きっと注目の的ですね!!」
「ありがとう、マリー」
これで、戦える。
私は今日皇太子妃の役目を果たし、悪役らしく彼に嫌われに行くのだと気合いを入れたアリアは、約束の場所へと歩き出した。
「お待たせいたしました、殿下」
そう声をかけられ、ロイはアリアの方に視線を向ける。久しぶりに会った彼女は淑女らしく礼をしてみせる。
着飾った彼女は相変わらず儚くて美しい、まさに絶世の美姫という言葉がピタリと当てはまる出立ちだった。
「本日もお美しいですね、姫。思わず見惚れてしまいました」
そう言って微笑みを浮かべたロイはアリアに手を伸ばす。
流れるようなスマートさでエスコートを申し出るロイを見ながら、アリアは言葉が上手く紡げず、小さくええと頷くので精一杯。
アリアは内心で不甲斐ない自分のひとり反省会を開始する。
(うぅ、初手は悪女らしく高飛車な感じで、"あら、相変わらずお上手ですこと"っていって妖艶に笑うつもりだったのにっ。いっぱい、鏡の前で練習したのに、できなかったぁぁあああ)
そんな心の叫びを表に出さないだけでも自分で自分を褒めてあげたいくらいなのだが、初手のしくじりが尾を引きそうだとアリアはこっそりため息をついた。
「それでは行きましょうか? 姫」
躊躇いがちに伸ばされたアリアの手を取り当たり前のように腕を組んで歩き出すロイを見ながら、アリアの心拍数は加速する。
(うわぁぁぁああ、本物の破壊力っ!! あんなに、あんなに、冷却期間置いたのに。いっぱい嫌な女になる練習したし、1回目の人生を思い出して復習したのにっ)
ロイの着飾った姿を見るのは当然初めてではない。このシーンだってアリアにとっては2回目だ。
だが、どうしようもなくロイがかっこよく見えて胸がときめく。そして、同じくらい背筋が凍る程の罪悪感を覚える。
「緊張しておいでですか?」
言葉数の少ないアリアを案じてか、ロイがそう言葉をかける。
「いいえ、仕事ですから」
今度はさらっと答えたアリアは内心でもう一度、これは仕事なのだとつぶやく。
(ごめんなさい、ヒナ)
この人は、自分のモノではない。1年後にやって来るヒナのモノだ。ロイにこうやって手を取ってエスコートされるのも、ロイがヒナと恋に落ちるまで。
(仕事だから、許して欲しい。決して、素手で触れたりしないから)
こんなふうにときめくのだって、気づかれないようにするから。
だから、少しの間隣にいる事を許して欲しい。なるべく早く、ここを空けるからとアリアは心の中で繰り返し自分に言い聞かせた。
「姫の今日のドレスは、とてもお似合いですね。今度、姫の好みをぜひお聞かせください」
隣から、ロイの優しい声が降ってくる。でも、この声音は作り物。
ロイのこうやって自分のことを気にかけてくれるところが好きだった。初めて会った時から、嫌な顔一つせず話を聞いてくれるところも。
だけど、今のアリアは知っている。これは、ロイが自分に興味を持ってくれているわけでも、好きだから知りたいと思ってくれているわけでもなく、今後効率よく物事を進めて行くための調査の一環でしかない、という事を。
「……頂いたドレスを着ずに申し訳ありません。今後は必要時デザイナーを寄越してください。その方が私の話を聞くよりもずっと効率的でしょう?」
そうとも知らず、ペラペラと中身のない話をし続けた1回目の自分は、ロイにとってどれだけ無駄で面倒な存在だったのだろう?
本当にロイが会話を楽しむ時は、髪に触れるなどスキンシップをとりながら、優しい目をして頷くのだ。例えば、ゆっくりお茶を飲みながら。あるいは、眠りに落ちるまでの甘い微睡の中で。ヒナにはいつもそうしていた。
「ご心配頂かなくても、リンクコーデが必要な時はそうしますわ。ですが、本日は不要でしょう?」
だからあなたから贈られたドレスは着なかったし、今後も自分で用意するとアリアは冷めた目つきと共に言外にそう告げる。
こういう行事において本来なら夫や婚約者といったパートナーからドレスを贈られた場合、たとえ好みでなかったとしてもそれを着てくるのが暗黙のルールであり慣例だ。
それをロイとはしないとアリアは言い切った。
ちなみに1回目の人生でも、今回もロイからはとても美しく上品なグリーン系のパステルカラードレスとそれに合わせた宝飾品を受け取っている。
そして1回目と同じくらい嬉しかったアリアは今回は袖を通すこともせず、クローゼットに大事にしまった。
(アレ、可愛いんだけど動きにくいのよね。それにアレ着るとこの後の私の予定的に困るし、デザイン的に手袋似合わないし)
それを着なかった理由は告げず、自前のドレスを着て来たアリアは、
「皇太子妃として、恥ずかしくない衣装できたつもりですが、何か問題でも?」
と、ツンとそう言い放つ。
「いいえ、姫の魅力を引き出すには俺ではまだまだ力不足のようだ。次は姫が思わず着てみたくなるようなデザインのモノを贈らせてもらうとしよう」
だが、ロイは気分を害した様子を全く見せず、むしろニヤリと口角を上げて不敵に笑いながらそう返した。
やや口調を砕けさせて寄越した視線にアリアは固まる。自分をじっと見つめるその琥珀色の瞳はまるで、獲物を狩るハンターみたいだと。
(まだ、本番始まってもないのに、こんなところで負けてたまるもんですかっ!!)
いつもと違うロイの様子に見惚れそうになったアリアはきゅっと表情を引き締め、楽しみですわと余裕の笑みを浮かべてみせる。
内心は既にいっぱいいっぱいだし、赤面しそうなのだが。
(この近さがいけないのよ。心臓に悪い)
誰だ、エスコートは腕を組むなんてこと言い出したヤツはと八つ当たりしながらアリアは、ふっと視線を外に向ける。
若い騎士が令嬢からリボンを受けとっているのが目に入った。
「そう言えば、姫は俺に贈り物をくれないのか?」
完全に口調を崩したロイが耳元で囁くようにそう強請る。
アリアはこの事態を想定していたとばかりに小首を傾げて、
「私の刺繍の腕ではとてもとても殿下にお渡しすることなどできませんわ。練習はしたのですけれど、納得のいくものができなくて。だから、近しい者や従者には贈りましたけど、殿下の分はありませんの」
とアリアは微笑みそう言った。
この狩猟大会では淑女は、夫やパートナー、意中の相手などに刺繍を施したハンカチやリボンを渡し、狩猟大会での活躍や無事を祈る習慣がある。
ちなみに1回目では、ボロボロながらなんとか自力で完成させたハンカチをロイに渡したが、今回はロイの分だけ用意しなかった。
一番に渡すべき相手を軽んじ、周りにはプレゼントを贈るというあからさまなマナー違反と礼を欠く行為。しかも結婚直後なのにこの対応。外から見てこの夫婦は仲が悪いと言っているようなものだ。
そんなアリアの攻撃にロイの鉄壁の微笑みが一瞬曇ったのを見落とさなかったアリアは、
(これで嫌な女認定確定ね! そろそろ離縁状を叩きつけたくなったのではないかしら?)
内心でよっしゃーっとポーズを決める。
「安心なさって、殿下。殿下が欲しいものはちゃんと用意しますわ。刺繍のハンカチなんかよりも、ずっといいものを、ね?」
ふふっとアリアは悪女っぽく不敵に笑う。
「仕事ですもの。求められた解を用意します。ですから、殿下も私にご褒美をくださいませね?」
会場に着いたアリアは、ロイにエスコートの礼を述べると、
「行きましょうか、殿下。殿下にとって良きモノが狩れます事をお祈りしています」
とても初めての公務とは思えないほど落ち着いた様子で、アリアはそう言って会場入りした。
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