58.悪役姫は、目覚めを待たれる。
何度も何度も繰り返し、誰かが自分の名前を呼んでいる声がする。
とても優しく髪を撫で、アリアと愛おしそうに私の名前を呼んでいる。
だけどたまに聞いているこちらの胸が痛くなるほど悲しく、切ない声音で、アリアと呼ぶ。
まるでどこにも行かないで、とアリアの事を引き留めるかのように。
一体、誰が? とアリアは首を傾げる。
そんな風に悪役姫を愛してくれる"誰か"なんて、この物語には登場しないというのに。
『姫様、どうしました?』
隣からマリーの声がして、アリアは淡いピンク色の瞳をパチパチと瞬かせる。
「白昼夢でも、見ていたのかしら?」
お天気がいいからかしら? と首を傾げてアリアはマリーと散歩を続ける。
追いやられた時点で大人しく離宮に篭っていればいいのに、性懲りもなくアリアは彼の姿を探してしまう。
「……っ」
思わず漏れたアリアの呻き声に、マリーはアリアから視線を外し、アリアが見つめる先を辿る。
そこには仲睦まじく寄り添って手を繋いでいるロイとヒナの姿があった。
『あの女、また!! 殿下も殿下です。姫様を正妃に娶っておきながら』
「……マリー、いいの。これが、正しいの」
ここは、彼と彼女の物語。
そこに悪役姫が割り込む余地などないと、今のアリアは知っている。
『……姫様?』
「……良かった。幸せそうで」
差し伸べられた手を取らなくて良かった。
一時的な感情に流されずに、ロイのことを諦められて良かった。
向けられた視線に勘違いして、縋りついてしまわずに済んで良かった。
「本当に、お似合いだわ」
だってこれは明確に書かれたこの物語の既定路線。
なのに、どうしてこんなにも胸が痛むのかしら? とアリアは胸の前で両手を握りしめる。
「これで、良かった……はずよ」
本当に? と誰かがアリアに耳元で尋ねる。
「ええ、そうよ。悪役姫は、物語から退場するの」
本当に、それでいいの? とまた誰かが尋ねる。
「だって……」
それで、悪役姫は幸せなの?
『アリアといる時間が俺は単純に楽しいんだ』
不意に、そんな言葉が思い出される。
『側にいたいと思う理由はそれじゃ、ダメだろうか?』
私だって、とアリアは思う。
叶うなら、そうであったらと願ってしまう。
「だけど、どうにもならないのよ」
アリアは両手で顔を覆う。
「悪役姫にそんなことは願えない」
叶わない思いだと分かっているから、隣を望んだりはしない。
だから、代わりに幸せを祈るのだ。
どうか幸せになって、と。
それがアリアの示せる最大限の"愛している"の形だった。
起きないアリアを見つめながら、ロイはアリアと彼女の名前を口にする。
魔力欠乏症だというアリアの頬をそっと撫でる。
その頬は驚くほど冷たく、色を失っている。
「俺の魔力、アリアにやれたらいいのに」
アレクの処置によって一時的に魔剣への魔力供給量を抑えた今の状態のアリアなら2〜3日で目が覚めるかもしれない、とアレクは言った。
「アリアは、目が覚めたくない……のか?」
『でも、本人が望まないならこのままかもしれない』
アレクの話は信じがたい内容で、だけどどこか納得できるものでもあった。
***********
「"死に戻り"という現象を知っているだろうか?」
アレクは荊姫とアリアを並べて、魔法陣の描かれたガラスケースを取り出す。
それは特殊魔法しか使えないアレクの代わりに、アレクの指示通りロイが作ったものだった。
「なんだ、それ?」
「僕も魔剣を調べる過程で偶然聞いた御伽噺みたいな内容なんだけどね」
アレクはガラスケースにアリアの血と荊姫を入れ、ガラスケースに組まれた魔術式を起動させ魔力を慎重に注ぎ込む。
「我の強い魔剣に最後の主人として選ばれた場合、魔剣が死ぬまで死なせてもらえなくなるらしい」
「……どういう事だ? それは」
そもそも魔剣の所持者が短命なのは、魔剣に常に魔力を供給しているからだ。
主人の寿命を喰うのに死なせてくれないとはどういうことなのか?
「死んだはずなのに、ある一時点に戻りやり直す。魔剣が壊れるまでずっとだ」
「そんなこと」
時間を巻き戻すなど、あり得ない。
だが、アリアは何度も未来を言い当てた。
本当に、アリアは未来を知っていた?
「でも僕は、仮にそんな現象があったとしても、実際には時間が巻き戻ることはないんじゃないかと思っている」
「矛盾してないか? それ」
こんなとんでもない仮定を言い出したのはアレクなのに、時間が戻ることはないという。
「そもそも"時間"というものの流れは一方向で、逆流することはない。が、世界線軸という概念がある。さまざまな選択で分岐した、別の世界線。所謂、並行世界ってやつだな」
「暴論だな」
「だが、あると証明する手段がないだけで"そんなものは存在しない"と証明することもできないんだよ。そもそも異界からの転移は認めるのに、なぜ別の世界線には否定的なんだ?」
そう言われてロイは言葉を紡げなくなる。現状、朝菊陽菜という異界から転移してきた"時渡りの乙女"の力を借りて、魔獣の暴走の原因である瘴気を浄化している真っ最中だ。
「じゃあ、アリアがこのまま死んだとして、魔剣が寿命を迎えない場合アリアはどうなるんだ?」
「この世界でのアリアは死んだら終わりだろうな。でも、荊姫はアリアが死ぬ世界を許さない。だから、アリアの存在を別の世界に飛ばすんだ」
そのために膨大な魔力を欲していると考えれば、今の荊姫の状態も分からなくはないとアレクは仮定する。
「でも、アリアは死ぬんだろ?」
「善悪の判断も生死の概念も、そもそも僕たちと魔剣とでは違うんだよ。精神、或いは魂、魔力の塊、記憶というデータ。そういった通常人の目では見る事のできないそれを荊姫は"ヒト"と認識する」
肉体と精神は別物なんだとアレクは話す。
「"世界で最もわがままなお姫様"」
「なんだ、それ?」
「荊姫の別名だよ。力のある魔剣にはそれぞれの特性を表す2つ名がある。わがままなお姫様は我を通すためならなんでもするんだろう」
「それで、アリアを殺して連れ去るのか? そんな無茶苦茶な」
「でも、多分この現象は荊姫の独断では起きないと思う」
アレクの言葉にロイは驚いたように目を丸める。
「荊姫が魔力を引き出せる最大値はアリアとどれほど共鳴できているか、による。少なくともアリア自身が望まなければ、そうはならないはずなんだ」
「アリアが、死ぬ事を望んでいるって?」
バカな事を言うなよとロイはつぶやいて奥歯を噛み締める。
「さぁ、アリアの願いは僕には分からないし、そもそもアリア本人にも分かっていないのかもしれない。ただ潜在的にあるそれを、荊姫が掬い上げて応えている可能性はある」
アリアは荊姫のお気に入りだからと言いながらアレクはガラスケースの中を魔力で満たした。
「ただどこかの世界でアリアは"ここではないどこかに行ってしまいたい"と思っただけなのかもしれない。そして、今もそう思っているのなら、止める手立てはないかもね」
実際のところは本人に聞かなければ分からないし、聞いたところで説明できるものではないのかもしれないと、アレクは淡々と言葉を紡ぐ。
「けどまぁ、現時点で僕の可愛い妹は確かにここにいて、どこにも行かないで欲しいと願っている人間がいるってことくらいは伝えておきたいと思うから、起きてもらわないと困るなぁ」
アレクはアリアの頭をそっと撫でる。
「ロイ、君はアリアを引き留められるかい?」
そう言ってロイを見上げるアレクの空色の瞳は、アリアの姉フレデリカと同じ色をしていた。
アリアを泣かせたら許さない、と。
「僕的には、他の世界に行かれるくらいならさっさとロイなんて見限ってキルリアに帰ってくれば? って思ってるから」
離縁状に記入しといてくれてもいいよ? と言ったアレクを見ながら、
「悪いな、離婚する気はさらさらないんだ」
ロイの琥珀色の瞳は、アリアの隣は譲れないと語る。
「それは残念だ」
あとよろしくと言ったアレクはガラスケースに込めた魔術を発動させ、魔力を使い切った反動で眠りに落ちた。
************
「なぁ、アリア。今、一体君は何周目の人生なんだ?」
アレクのあり得ないような話を思い出しながら、ロイは眠っているアリアに問う。
『1年以内に私と離縁してください』
『真実の愛の前では悪役姫など、邪魔なだけですもの』
『1回目の人生だったら、私はきっと迷わずあなたを選んだのに』
『これから先、もし、人生を何度繰り返す事があったとしても、私はあなたの隣を選ばない』
かつて、アリアに言われた不可解な言葉の数々が頭に浮かぶ。
「これが、アリアの望んだ結末なのか?」
『だから、私は物語から退場するの。それが、私の望む未来だから』
私は悪役姫だから。
とてもそうは見えないアリアが、いつも辛そうにその言葉を口にする。
「でも、俺は」
『未来がどうなるか、私にはもう正確には分からなくって』
アリアがアクアプールに立つ前に言った、その言葉に縋りたくなる。
選択によって未来は変わっていくのではないか、と。
「たとえアリアが悪役姫なんだとしても」
もし、アリアが過去自分の預かり知らないところで自分の知らない世界の自分と諍いがあり、傷つけてしまったのだとしても。
「それでも、ここに"今"いる俺は」
ロイはアリアの長い髪を掬って、そこに口付ける。
「俺はアリアの事を愛している。君と生きる時間が欲しい」
目が覚めたら、沢山言葉を交わそう? とロイはアリアに話しかける。
今はまだここに間違いなくいるアリアを失わなくて済むように。
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