4.悪役姫は、戦闘準備を開始する。
離宮に移ったからといって、アリアは何も遊んでばかりいるわけではない。
「素晴らしい! 流石キルリア王国の至宝と名高いアリア様ですね。完璧です」
「そんな、全て先生方のおかげですわ」
アリアは姫君らしく完璧に微笑んでそう謙遜してみせる。その品のある所作や美しさに教師たちはつい魅入る。
「我々が教えられる事など何もありませんね」
皇太子妃として帝国でやっていくための厳しい教育やダンス、マナーなどのレッスン。
1回目の人生で、ロイの隣に立って彼が恥ずかしい思いをする事がないようにと、罪人として裁かれるその日までずっと努力し続けた。
ロイに、褒められたかったのだ。そして、彼は私にやる気を出させるのが上手すぎると、アリアは1回目の人生を思い出し苦笑する。
動機も経緯も不純だったけど、血反吐を吐くほど頑張って身につけたそれは今世で大いに役に立っている。
(まぁ、彼に愛される要素にこれらは全く必要ないんだけどね。この手のコトが一切できなくても彼に愛されてしまうのが、ヒロインなのだから)
一瞬暗い気持ちになりかけた思考をアリアは首を振って吹き飛ばす。ロイに愛されるためには不要でも、今世彼と離婚する自分のためには必要なはずだ。
(より一層、できる事を増やさないと。一手でも多く、そしてなるべく早く離婚のための手段が取れるように)
悪役姫として名を残してしまったが、本来アリアは自他共に認める努力家だ。
色恋沙汰さえ絡まず、嫉妬心に狂う事がなければ、自分はキルリアの姫として申し分ない存在のはずだ。そう、育ててもらったのだ。大好きな両親と仕えてくれた家臣たちに愛情深く、大切に。
もちろんそんなことは本編には関係ないので、一切出てこない話だけれども、アリア自身はちゃんと知っている。
「先生方、私もっと色々な事が学びたいですわ。……皇太子妃として、どんな事でも身につけておいて損はないと思いますの」
「素晴らしい向上心です。ご興味があるものはありますか?」
「そうですね。ではとりあえず」
アリアは微笑んで希望を伝える。驚かれたが僅かひと月足らずで皇太子妃として必要な教育を全て終えた彼女の希望はあっさりと受け入れられた。
もうすぐアレがやってくる。だから、備えておかなくては。
アリアは窓の外を見て、雨が降りそうな雲を目でぼんやり追いながらそんな事を考えた。
「一体、どういうおつもりですか! 姫様」
自分達以外いなくなった部屋で、彼女は強い口調でアリアの事を嗜める。
「マリー、そんなに怒鳴らなくても聞こえているわ」
結婚式の日以降ずっと様子がおかしかった自分を気遣い、辛抱強く見守っていたマリーもとうとう堪忍袋の尾が切れたかとアリアは苦笑する。
マリーは初夜の翌日、突然アリアの希望でダイヤモンド宮を引き払って離宮に移った時も、国から連れてきた従者たちをマリーを除き全てキルリアに帰してしまった時も、黙って従ってくれていた。
だが、本日本館からロイの使いが来たのを追い返してしまったのは流石に見逃せなかったらしい。
「どうしてしまったのです、姫様。あんなにロイ様との結婚を待ち望んでいたではありませんか? 野暮かと思ってお尋ねしませんでしたが、初夜で何があったのですか? 初日以降夜伽のお呼びもありませんし、離宮に一度顔を見せたきり訪ねても来ない。そんな殿下からようやくお呼びがあったというのに、あんな断り方をして」
「食事の誘い断ったくらいで大袈裟ね。急病なのだから仕方ないじゃない」
「どこがですか? ピンピンしてるじゃないですか!! 私、幼少期からお仕えしてますけど、姫様が寝込んでいるのなんて数えるほどしか見た事ないですよ」
「そんな稀な事態が今から来るのね。わぁー大変」
のらりくらりとマリーの小言をやり過ごしながら、アリアは先程の使いの者とのやり取りを思い出す。
ロイの使いから渡された手紙には、忙しくてなかなか会いに来れなかったという謝罪と夕食に誘いたいのだが都合はいかがかという文面。トゲが抜かれた薔薇の花が一輪添えられており、便箋には柑橘系のいい香りがふわっと薫るように染み込ませてあった。
「あんなに丁寧な心遣いを無下にするだなんて、姫様は一体どうしてしまわれたのですか?」
歩み寄りの姿勢を見せてくるロイに対して、仮病で断る。どこからどう見ても非はアリアの方にあるとマリーに責められるまでもなく分かっている。
アリアは届けられた薔薇をクルクルと指先で弄びながら、心遣いねとため息を漏らす。
1回目の時にも似たようなことがあった。まぁあの時住んでいた場所は離宮ではなくダイヤモンド宮で、ロイの住まいともロイの執務室がある場所ともすぐ目と鼻の先の近さだったが。
あの時は忙しい中届けられた手紙と細かな気遣いに心が踊り、柑橘系の匂いが好きになり、貰った薔薇をドライフラワーにしてとっておいたりしたっけ? と同じやり取りを今回冷めた気持ちで受け止められている自分にアリアは良かったと感じている。
「大丈夫よ、マリー。キチンと本題の返事はしたのだから、殿下は機嫌を損ねたりしないわ。私だって、自分の役割くらい分かっているつもりよ」
そう言ってアリアは薔薇の花を飾る事なく机に放り投げる。
わざわざ来た使者にはとても悪いことをしたと思う。だが、自分が夕食に行かなかったとしても、必要な返事は持って帰ったのだから彼がロイから叱られる事はないだろう。
夕食の誘いの手紙を見たアリアは、
『今から高熱が出る予定なので、残念ながら食事が喉を通りそうにありません。時間と資源の無駄なので、今後私に対してはこのような機嫌伺いなど不要です。公務はもちろん出席します。義務ですから。公務についての詳細は書面で送って下さい。当日お会いしましょう』
と、伝言を返した。
手紙を書かず、花の礼すらつけずに。
それが礼を欠く行為だと、充分承知した上でアリアはあえてそうした。
「手紙ごと処分しておいて。私の目に触れないように」
手元にコレがあるだけで、1回目の人生の結婚1年目を思い出し、気持ちが掻き乱されてしまう。あの時の自分は毎日浮かれていた。
ロイが書いたわけでも、用意したわけでもない、手紙や花に一々感動し、まるで自分が愛されているのだと勘違いして、彼からの贈り物は全て宝物のように扱っていた。
でも今のアリアは知っている。これらは全てアリアの機嫌をとって、気持ちよく事に臨ませるための仕掛けでしかないということを。
(まぁ、要するに馬の鼻先ににんじんぶら下げるのと一緒よね。大丈夫。こんな事でときめかない)
分かってるから大丈夫、とアリアは自分に言い聞かせる。そうしていないとバカみたいに心臓が速くなるから。
そして、自分とヒナとの対応の差を思い出す。
ロイは、どれだけ忙しくともヒナのために時間を作り、彼女の好きな花束を持って自ら彼女を迎えに行くのだ。
幸せそうな顔をして。
(コミカライズ、網羅しておいて良かった。本当、神作画だった)
あんな風に微笑み合う幸せそうな2人を見たら、本命とそれ以外、どちらがそうなのか勘違いのしようがない。
そう思うのに、締め付けられるように胸が痛くて泣きそうだった。
(私は所詮、処刑予定の悪役姫だもの。今世では徹底的にロイ様に嫌われよう。一縷の希望すら、絶対に抱く事がないように)
もうすぐ、ちょうどいい具合に公務が入る。そこでやらかせばきっとロイは自分など切り捨てたくなるに違いない。
(早く、離婚しなきゃ。ロイ様にもヒナにも幸せになって欲しいもの)
大丈夫、できるはず。
悪女の血が入っている、かつて荊姫と呼ばれた自分なら。
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