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36.悪役姫は、焦がれられる。

 執務室からぼんやり窓の外を眺めているロイに軽くため息をついたルークは、コトッと小さな音を立ててコーヒーが入った事を告げる。


「……また、見てらしたのですか?」


 ここのところ主人は時折ぼんやりと外を眺める。そして、視線の先にいるのは、今の彼のお気に入り。


「そんなに気になさるなら声をかけるなり、呼び出すなりしてはいかがです? 彼女はあなたの妻で、この国の皇太子妃なのですから」


 ルークの静かな問いかけに、ロイは表情を崩すこともルークの方を向くこともなく、


「いい。今自重も込めて冷却期間中だから」


 とそっけなく言った。


「冷却期間って……ロイ様一体何をされたんですか?」


「人の心っていうのは、どうしてこうもままならないか」


 ロイはルークの問いには答えず苦笑気味にそう言って、


「いいなぁ、クラウドは。アリアと一緒に働けて。俺よりずっと親しく見えるな」


 俺も政務を放り出して剣を取ってアレに混ざりたいな。

 そんな事をぼやくロイに、


「まさか、あの2人の仲を疑っておいでで?」


 とルークは呆れたような口調で尋ねる。


「そんな事あるわけないだろ。アリアはすぐ顔に出るし、クラウドは俺を裏切るくらいなら舌噛み切って死ぬぞ」


 あの2人がそんな関係でないことくらい、誰に言われるでもなくロイ自身分かっている。


「どこまで、近づくことを許してくれるんだろうな。せめて、名前で呼ばれるくらいにはなりたいんだが」


 耳まで真っ赤になりながら膝を抱えて『もう知りません』と拗ねるようにそう言ったアリアの事を思い出し、ロイはクスリと笑う。


「アリアを見ているとな、陛下の話を思い出すんだ」


 ロイは独り言のようにルークに話しかける。


「また、龍の話ですか?」


「憧れないか? ほんの一握りの本物の天才」


 アリアを見ていると、昔何度も父親から聞かされた"龍"という存在の話を思い出す。

 稀に人の中に生まれる、先を見通すことのできる存在。

 ほんの一握りの本物の天才。

 そして、変化をもたらす天災。

 良い方に転ぶのか、悪い方に転ぶのか、それは龍の気まぐれと龍を見つけた者の相性によるのだという。


「どうしてキルリアはアリアを出したんだろうな」


 魔剣が使えて、特殊な魔法を持ち、勘の良さも先を見通す力もある。

 それこそ、国益になるように正しく育てて国に留まらせれば随分と国のためになっただろう。

 だが実際は随分と本人の好きにさせた上、政略結婚という形でアリアを国から出している。


「龍は自らが望まないところに留まれないから、ではないですか?」


 昔からロイに何度も龍について聞かされて来たルークは窓の外に視線をやって、ため息交じりにそう言った。


「だから、あなたもアリア様が出て行かないように好きにさせているのでしょう? 龍には首輪をつけることはできませんから」


 女性が表に立たないこの帝国で、力を持たせ、本人の意思を尊重している。


「龍に魅入られるのも大概にしてくださいね。そうして育てて、力を持って、あなたの首でも取りに来たらどうします? ロイ様」


 変化が必ずしも良いものとは限らない。ただでさえ今は王弟殿下と権力争いの真っ只中で、城内が騒がしいのだ。

 ルークとしてはアリアがこの国で女性の変革の柱になるよりも、早々に懐妊してロイの地位を固めてくれるほうが何千倍もありがたい。

 そんな事は言われずとも分かっているだろうに、ロイはそれよりも彼女の意思を尊重する。

 結婚前の合理的かつ効率重視のロイからは考えられない変化だ。そのアリアがもたらした変化こそが、悪い事のはじまりではないかとルークは疑いそうになる。


「まぁ、龍に対しての憧れがないとは言わない。俺は天才じゃないからな」


 国取りゲームでアリアの打った新手を思い出し、ロイは焦がれるようにつぶやく。


「でも、今はそうじゃなくて」


 アリアが泣くたびに胸の奥がつっかえたようにざわつくのだ。

 アリアの涙に共鳴して心を抉られるような感覚を覚える。

 泣かないで欲しいと単純に思う。

 彼女の笑顔を見るたびに、ずっとこうなら良いのにと願ってしまう。


「本当の意味で夫婦になれたらなとそう思うんだ」


 なかなか彼女は自分を受け入れてはくれないが、それでもロイ・ハートネットのことを知ろうとおっかなびっくり伸ばしてくる手がただ愛おしい。


「長い人生で、ずっと心を許せない相手が隣にいるのは、お互いしんどいだろ」


 ロイは自分の指先に視線を落とす。自重できずに触れてしまったアリアの温もりを思い出して、クスッと笑う。

 羞恥心から拗ねられるように警戒されたが、嫌悪感を示されたわけではなかった。怒っているその姿すら可愛いと思ってしまう。


「アリアが宣言した未来より、早かったな」


 アリアが離宮に移って最初に彼女を訪ねた日に言われた事を思い出す。


『とても素直で可愛くて、優しさと思いやりに溢れた運命に果敢に立ち向かう勇敢で素敵な方なのです。だからどうか、大切にしてあげてくださいませ』


「また、アリア様の予言……ですか?」


「半分あたりで半分ハズレの、な」


 アリアのいう1年後に現れたわけではないし、まだ愛を育めるような関係ではないけれど。


「とても素直で可愛くて、優しくて、思いやりがあって、運命から逃げない、か」


 自分にとっての最愛の人。

 何より、大事にしたいと思う人。

 だけど、気持ちを伝える事さえまだ難しい人。


「知ってるか? こういう場合、惚れた方が負けらしいぞ」


 だから、諦めてくれと楽しげに笑ったロイを見ながら、


「……あなたって人は」


 ルークは額を押さえてため息を漏らす。

 どうやら主人は自身の立場を盤石にする事よりも、恋に落ちる事を選んだらしいと悟る。アリアの様子から見てきっと、2人の間に子が望めるのはずっと先のことだろう。


「悪いな、期待にそえなくて」


 苦い顔をするルークに、目下の目標は名前で呼ばれるレベルだと先の長い事を宣言したロイは、


「さて、っと。前回怒らせてしまったし、両手いっぱいの星を用意しないとな」


 今日がいいなと空を見上げて、アリアを夜伽に呼ぶことに決めた。

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