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35.悪役姫は、無理難題を課す。

 結論から言えば、効果は絶大だった。

 普段は髪で見えそうで見えない位置につけられた痕は、騎士団での仕事中髪を束ねればどうしても人目に晒されてる。

 それに加えて、人前でのロイからのスキンシップがあからさまに増えた。

 とは言え、甘い言葉を囁かれるわけでも抱きしめられるわけでもなく、手を繋いで歩いたり頭を撫でられたり程度なのだが。

 それだけの変化に敏感に反応する人たちを見て、普段自分がいかに見られているのかをアリアは自覚せざるを得なかった。


(これは偽装、これは偽装っ)


 アリアは呪文のように自分に一生懸命言い聞かせる。そうでなければ痕をつけられた時の事を思い出し、恥ずかしさで叫び出しそうだった。


「んー、ちょっと薄くなってきたな。追加でつけていい?」


「いや、いいんですけど、でもっ、殿下っ!! その、偽装にこの体勢とか他にも諸々必要ですか?」


「当然.、必要だよ。アリアはそれっぽく見せるために嘘ついたり演技なんてできないだろ」


 そして現在、アリアは再びロイの膝に乗せられて首筋をマジマジと見られていた。

 ロイは指でアリアの耳や頬、首から肩にかけてそっとなぞっていく。触れるか触れないかのギリギリの触り方に敏感に肌が反応し、抑えていても声が漏れそうになる。

 今世の身体は確かにこういったことに未経験ではあるけれど、1回目の人生から振り返れば少ないとはいえ男性経験がないわけではないし、閨事に比べればこれくらい大した事ではないはず……なのだが。


(今すぐ逃走したいくらい恥ずかしい)


 そんなアリアの心情を察したかのようにクスっと笑ったロイはアリアの耳を甘噛みし、わざと音を立てながら首にキスを落としていく。


「……ひゃぁ……ん……はぁ、すみ……ません。変な声……ん、出て、しまっ」


「気持ちいい? アリア」


 耳元で囁かれたアリアは、耳まで紅く染めながら抗うように首を横に振る。


「その割に涙目だけど」


「……偽装のため、ですよね?」


 肩で息をして力が抜けてしまったアリアを抱き止めて、ロイはシャンパンゴールドの髪に指を通す。


「もちろん、そうだけど。アリアが痕みる度に、人から見られる度にこういうことされたんだって思い出してくれた方が効果的だろ?」


 アリアの指に1本1本指を絡めて、アリアの手の甲にキスをしたロイは、そう言って笑った。


「偽装にはある程度のリアリティの演出が必要、なんだけど。まあ、そんな可愛く鳴かれるといじめたくなるな」


 ロイはそう言いながら、アリアに触れたり、アリアに聞かせるように音を立てて何度もキスをして、舌を這わせ痕をつけていった。


「………アリアさん?」


「…………」


 ようやく解放されたアリアは野生に返った小動物のように警戒心を滲ませて部屋にあるソファーの端っこで膝を抱えてうずくまっていた。

 ロイの問いかけを無視して抱き抱えたクッションに顔を伏せたままのアリアに焦ったようにロイはそばによる。


「ちょっ、ホントごめんって。調子にのりました」


「知りません。もう、殿下なんて本当に知りません」


 金輪際協力しませんからっと顔を伏せたままアリアは小さくそういう。

 羞恥心で耳がまだ紅く染まっているアリアを見ながら、ロイはやり過ぎた事を後悔する。


「アリア」


「殿下なんか知りません」


「悪かった。本当に、俺が悪かった。物凄く反省してるから、隣座っていい?」


「イヤです」


 若干泣き声のアリアに拒否されて、ロイは盛大にため息を漏らす。

 それに反応して、アリアの肩がピクッと震える。それを見たロイは立ち上がり、アリアから離れていった。

 パタンとドアの閉まる音がして、ロイが部屋から出て行った事を知る。どうやらこのまま向こうで寝るらしい。

 ほっとしたような、寂しいようななんとも言えない感情が渦巻いて、アリアは泣き出しそうになる。

 これ以上感情が掻き乱されるまえに、もう寝てしまおうと思ったアリアの肩にふわりと何かがかけられる。

 視線を動かせば、真っ白なショールがかけられており、困った顔をしたロイが目に映った。


「とりあえず、ホットミルクでも飲んで落ち着いて欲しい。蜂蜜入れるか?」


 ロイはどうやらこれらを取りに行っていたらしい。


「アリア、俺が悪かった。拗らせるのは嫌だから、今日のうちに仲直りしたい」


 膝をついて、アリアの手を握り、琥珀色の瞳が懇願するように訴える。


「どうしたら許してくれる?」


 そう尋ねるロイに、


「……私に呆れたんじゃないんですか?」


 さっきため息ついてたじゃないですか、とアリアは冷たく言う。


「自分の理性の弱さにため息ついただけだ。カッコつけといて、結局アリアを傷つけてる」


 アリアの淡いピンク色の瞳を見つめながらロイはそう弁明する。


「アリアが善意から申し出てくれてるの、分かってたはずなのにな。アリアがあまりにも可愛いから調子にのりました。本当にすみませんでした」


 ロイはそう言うと深々とアリアに頭を下げた。そんなロイを見て、アリアは驚いたように目を大きくする。

 ロイは、こんな風にはっきりと気持ちを言葉にするタイプではない。ヒナに愛を囁く時は別として、それ以外は多くを語らず事を進めていくタイプとして小説では描かれていたし、1回目の人生でロイと過ごしたときはこんな風に取り繕わない素のままで話してくれた事など1度だってなかったのに。


「……そんな、簡単に皇子様が謝っちゃダメでしょ」


「アリアの信頼を失いたくない」


 キッパリとそう言ったロイを見て、アリアは再び驚く。


「やっとそばに寄ることを許してもらえるようになったのに、それがなくなるのは耐えがたい」


 ロイは傅いてアリアの手を取り、


「アリア、どうしたら許してくれる?」


 まるで叱られた子どものようにそういうロイの事が可愛く見えてアリアは小さく笑う。


「本当にごめん、アリア」


 まるでとても大事なものでも扱うようにアリアの手に自分の額をつけて許しを乞うロイのブルーグレーの髪をそっと撫でる。

 撫でられて顔を上げたロイの琥珀色の瞳に熱が灯っているように見えて、アリアは戸惑い、すぐに内心で否定した。


(この人は、私のものではないのに。また勘違いするところだった)


 頭に浮かんだことを振り払うように、アリアはロイから手を離す。


(そんな事、あるはずないのに。自分に都合よく解釈するなんて、私には学習能力がないのかしら?)


 ロイがアリアに対して恋することも愛することもなく、そう見える全部は自分の願望が生んだ幻想だ、とアリアは自分に言い聞かせるように認識を刻みつける。


(また、勘違いして破滅するなんてごめんよ)


 少なくとも、自分とロイの間にはそんなものは芽生えない。

 だから、勘違いをしてはいけない。


「……もう、いいです」


 アリアはロイの視線から目を逸らした。その琥珀色の瞳で見られたらまた、愛されているのではないかと勘違いしてしまいそうだったから。


「いいって顔してない」


 確かにいいとは思っていない。でも、このままでいるのは居心地が悪い。

 なお食い下がるロイから離れなくては、と本能的に思ったアリアは、


「じゃあ、お星様をください。両手に抱えきれないくらい沢山」


 と、無理難題をふっかけた。


「……星」


 ふむと頷いたロイは、


「分かった。次回呼ぶ時は用意しておく」


 約束と子どもみたいに小指同士を絡めてとても優しくそう言った。

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