33.悪役姫は、想われる。
それ以来、定期的に『夜伽』と言う形でロイから呼ばれるようになったが、2人の関係は至って健全なままだった。
夫婦の部屋から入って、ロイの部屋で2人で過ごし、眠くなればアリアはロイの部屋のベッドで、ロイは夫婦の寝室のベッドで寝る。そして、朝が来れば夫婦の部屋から出て行く。本当にそれだけだった。
「……あーまた負けた。詰みだわ」
「アリアは駒の動かし方が素直過ぎる。常に最善手で行けば勝てるわけじゃないぞ」
「だって、殿下が急に悪手打ってくるから! もう一回っ!!」
2人で過ごす時はゲームをする事が多かった。
「勝った!! ……殿下、手心加えてないですよね?」
「既に5駒落ちなのに、まだ手心欲しいのか? アリアの欲しがりさんめ」
「なっ!? すぐ駒落としてもらわなくても勝てるようになりますからね!」
「はは、それはどーかな。簡単には勝たせん」
アリアは駒を動かしながら、ロイのことを、そして戦略や駆け引きの仕方を知っていく。
アリアはロイを見ながら思う。すっかり口調を崩して屈託なく笑うロイのこの姿が、きっと彼の本来なのだろう、と。
そんなことを思いながら何度も何度もロイと夜を共にした。
「ところで殿下、あの書類の山は崩さなくっても大丈夫なのですか?」
「……あれなぁ」
「気乗りしない案件なんですね。手伝いましょうか?」
時には一緒に仕事をしたり、
「女性がこの国で働くのに、アリアは何が足らないと思う?」
「もう、足らないことしかないですよ。そもそも制度としてですね」
意見を交わしたり、
「この案件、アリアに任せていいか?」
「ご命令とあらば喜んで」
時に仕事を割り振られたり、
「この本、懐かしい。子どもの頃すごく好きでした」
「アリアもか? 憧れるよなー冒険譚」
雑談したりしながら、時間を共にする中で、アリアはロイ・ハートネットというヒトを知っていく。
1回目の人生では一度だって見ることのなかった、2回目の人生で読んだ小説にも書かれていなかった、まるで知らない彼の為人。
彼は、けして完全無欠の皇子様なんかじゃなかった。
自分と同じように、悩み、葛藤を抱えながらも、それでも前に進む、生身の人間なのだと、そんな当たり前の事を今更実感するだなんて、一体どれほどロイに色んなものを押し付けていたのだろうか? とアリアは自分が情けなくなる。
そして、それを見せてもらえるほどに信頼してもらえるようになった今世の自分が、少しだけ誇らしかった。
どれだけ夜を明かしても、ロイは初めに約束してくれたようにアリアの事を傷つけたりせず、無理に触れる事も近づく事もせず、ただ一緒にいてくれた。
そして、一緒にいるこの時間が穏やかに過ごせている事にも、楽しく感じている事実にも、アリアは素直に驚いていた。
「アリア、眠いなら先寝ていいぞ。俺はもう少しこれ終わらせてから隣の部屋に行くから」
「……いつもベッドお借りしてすみません」
「別に構わんさ。俺の事情で呼び出しているし」
昼間の訓練がきつめのメニューだった事もあり、その日のアリアは随分と疲れていて早々にギブアップしてしまった。
すっかり慣れたロイのベッドを借りて身体を横たえる。
緊張感のなくなったアリアが眠りに落ちるまで、ほんの数分しかかからなくなっていた。
規則正しい寝息が聞こえ、ロイはそっとベッドに近づく。
「警戒心の強い野良猫を手懐けた気分だな」
アリアの寝顔を見ながら、ロイはクスッと笑い、アリアのシャンパンゴールドの髪をそっと撫でる。
撫でられて気持ちいいのか、眠ったまま微かに笑みを浮かべて、手に頬を寄せてきたアリアをロイは優しく見つめる。
「……ロイ様」
寝言でアリアに名前を呼ばれ、ロイはそれに応えるように彼女の髪を軽くひく。
「いつになったら、起きてる時に名前呼んでくれるようになるんだろうな?」
引いた髪に軽く口付けて、
「待ってるから」
ロイは小さくつぶやいた。
「アリアが、選んでくれるまで待ってるから」
眠りながら泣かなくなったアリアの頬をそっと撫でて、
「おやすみ、アリア」
アリアを見つめるその琥珀色の瞳はとても穏やかな声でそう言った。
ロイは隣室にうつり窓から月を眺めながら"アリア・ティ・キルリア"その人の事を考える。
『あなたは一体、どんな人ですか?』
アリアの淡いピンク色の瞳にじっと見られるといつもそう聞かれている気がした。
そして、不思議な願望が湧くのだ。
アリアに"ロイ・ハートネット"という人間について知って欲しい、と。
ロイは自分が世間で言われるような天才ではないことを知っている。
苦しくても重圧を前に投げ出すことができず、体裁を整えているだけの小心者。
蓋を開けてしまえば、自分なんてその程度の人間でしかないのに、いいカッコしいの自分が期待に応えなくてはと、いつだって息がつけないほどにもがき続けている。
(カッコ悪いありのままの自分を知って、そのまま受け入れて欲しいなんて、まるでガキみたいだ)
この帝国で皇太子として生き残るためには、強くなるしかなかった。
ごくごく親しい者と接するほんの僅かな時間以外は素の自分に戻る事なんて、ほとんど許されなかった。
年齢を重ねれば、それさえも許さないほど、完璧な皇太子であり続けなければならなかった。
苦しい事を苦しいとも言えない。そんな自分とこの国に来て苦しむアリアの姿が重なって見えた。
だけど、アリアは自分とは違ってそんな彼女を苦しめる何かと戦うことを選んだようだった。
それが非常に興味深くて、そして叶うなら打ち勝って欲しいとさえ思った。
まるで小説のヒーローが成長していく冒険譚でも見るかのように、アリアという人物を観察し、アリアが救われれば自分も救われるようなそんな勝手な幻想を見ていたのだった。
それに気づいたのは、宿で一緒に過ごした夜の事で、泣きながら本音を落とした彼女は、痛みも悔しさも葛藤も抱えた自分と同じ生身の人間で、それらを抱えながら前を向いて進もうと抗う様が、ロイの目にはカッコよく見えた。
時間を共にして、言葉を交わして、少しずつ、少しずつ、アリアを知りながら、本当の自分を晒していった。
アリアがはじめに見ていた好意を持っていたであろう"ロイ・ハートネット"なんて、本当は虚像でしかないのだと。
『あなたは一体、どんな人ですか?』
怯えながらもロイ自身を知ろうと淡いピンクの瞳を逸らさずに手を伸ばしてくるアリアに、アリア自身の目で本当の"ロイ・ハートネット"を見つけて欲しかった。
完璧でない自分の事を晒しても、アリアは幻滅したりしなかった。
彼女は何も求めずにただそこにいてくれた。
多分、それだけで充分だったのだと思う。
息ができないほど苦しくみっともなくあがく自分の存在を許してくれる彼女と過ごすこの時間が、なにものにも変えられないかけがえのないものになっていて、いつの間にかそんな時間をくれるアリアに惹かれていたのだと気がついた。
気づいてしまったら、落ちるまでは一瞬だった。
(アリアに想う相手がいても、もう手を離してやれない)
代わりに誰よりも大事にしよう。もうアリアが何にも怯えなくて済むように。
夜伽の名目でアリアを呼び出すようになって何度目かの夜、ロイはアリアの寝顔を見ながら、言葉に出さずに静かにそう誓ったのだった。
(今夜も、アリアが見る夢が彼女が泣かずに済むものであるといい)
窓の外の月にかかる雲を見ながら、ロイはそんな事を祈っていた。
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