31.悪役姫は、皇太子の立場を察する。
騎士として再び剣を取る日が来るとは思わなかったな、と思いながらもアリアは充実した日々にやりがいと幸せを感じていた。
実力主義の集団は分かりやすくていい。真っ当に取り組むうちに好奇の視線はいつしか消えて、3回目の人生にして初めてこの帝国で居場所ができた気がした。
「あ、殿下だ」
訓練後離宮に戻る道すがらロイの姿を見つけた。1回目の人生であれほど妄執していた自分が嘘のようにすっかり落ち着いた今、彼を遠巻きに見かけてもアリアの胸は高鳴る事はない。
声をかけても良いものかと迷い、邪魔をしてはいけないかと踵を返し歩き出したアリアの背中に聞き慣れた声が呼び止める。
「アリア」
歩みを止めて振り返ったところで、
「!?」
口の中に飴玉を放り込まれた。
「殿下っ! ヒトのこと見かける度に餌付けするのやめてくださいっ」
もう、と抗議しながらアリアは飴玉を転がす。疲れた体に甘いものが沁みる。
「アリアこそ、夫を見かけて声もかけないなど相変わらず薄情だな」
言葉とは裏腹に琥珀色の瞳は楽しそうな色に染まっている。
「お仕事中にお邪魔をしてはいけないと思っただけです。殿下、すぐ仕事溜めるじゃないですか」
「そう思うなら手伝ってくれ。手が足りん」
またですか、と言いながらも正直ロイの仕事に携わるのは嫌いではなかった。
今世のロイはアリアの事を皇太子妃として扱わない。というよりも、療養所からアリアが戻って以降、彼はアリアの事をルークやクラウド同様、近しい部下のように扱っていた。
それがアリアにはとても心地よくて、とても安心できる距離だった。何故、ロイがそうしてくれるのかは分からない。だけど、意図して距離を取ってくれているのが分かるくらいには、アリアはロイを理解できるようになっていた。
「そう言えば、クラウドから1本取ったらしいな」
すごいなとロイは素直にアリアの事を褒める。
「まだまだです。正直、感覚が戻りきってなくて」
動き足らないです。
そういうアリアの顔を見ながら、ロイはそうかと相槌を打つ。
隣に並んでも決して触れ合わない、拳一つ以上開けた距離をロイは意識して保つ。それがアリアが自分に許してくれるパーソナルスペースだとロイはそう認識していた。
「でもですねぇ! 今度の遠征、私も選ばれたんです。最近の魔獣出現率気になりますし、しっかり調査して来ますね」
「期待している」
アリアの話を聞きながら、ロイはクラウドの報告を思い出す。
アリアはけして人当たりが悪いわけでも、相手への気遣いができないわけでもない。現に騎士団では他の騎士たちとよく笑い合い、気さくに雑談に応じている姿を見るらしい。
自分に対してだけなのだ。アリアが身を固くするのも、彼女の笑顔が消えるのも。
それでも最近はようやく笑ってくれるようになった。とくに仕事の話をしている時は比較的笑顔が多く見られ、アリアが楽しいと思っている事が伝わってくる。
そんなアリアに、ルークから言われた話をしなくてはならないのかと思うと正直気が重い。
(まだ、どう考えても時期尚早なんだがな)
「殿下、どうしました? というか、どこまで付いてくる気ですか?」
本館からどんどん離れてますけど、とアリアは足を止めてロイの方をじっと見つめる。
「アリアに会いに、離宮に行くところだったからいいんだ」
アリアはロイの言葉を噛み砕く。
手を借りたいくらい忙しいのに、わざわざ会いにきてまで話さなくてはならない話。
どこかしら気乗りしないといったロイの表情。
「悪い話、みたいですね」
「アリアにとっては、な」
否定する事なくそう言ったロイはアリアの手を取って飴玉を一つ載せる。
「随分と、察しが良くなったな」
最近は花ではなく、褒め言葉とともに飴玉をもらう事が増えた。
その飴玉を握りしめて、ありがとうございますと小さくつぶやく。
まるで小さな子どもにご褒美を与えるようなやり取りだが、ロイから自分の頑張りを目に見える形で認められているような気がするのでアリアはこのやり取りが嫌いではなかった。
「離宮でお伺いします」
ロイの言葉を受けて、心の準備をしたアリアは静かな声でそう言った。
「殿下、お待たせして申し訳ありません」
「髪くらい、乾かして来ても構わなかったんだが」
離宮の応接室に通されて、アリアが身支度を整えて現れるまで数分。
ロイは早すぎる彼女の登場に苦笑しながらそう言った。
離宮に戻ったアリアはマリーを呼び、応接室の人払いをさせ、ロイにお茶を出すよう指示した。
その間に急いでシャワーを浴びて服を着替えたのだが、髪が長いためどうしても濡れたままになってしまった。
「殿下がお忙しいのは、もう嫌になるくらい知ってますから。ちょっと見苦しいのは見逃してくださいね」
タオルを肩に載せたまま、アリアはそう言って肩をすくめる。
「アリア、少し触れても構わないか?」
アリアの髪から落ちる雫を見ながらロイはそう尋ねる。アリアはじっとロイを見て、静かに頷いた。
ロイはアリアの髪に触れ、『風よ』と風魔法の詠唱一言だけで髪を乾かしてしまった。
「便利ですね。ドライヤーいらず」
「まぁ、自分でする事はほとんどないけど」
「羨ましいです。私は無属性の基本的な生活魔法か、既に組まれた魔法の起動しかできませんから」
「そうなのか?」
意外そうにつぶやくロイに、アリアは自身の目を指して頷く。
「キルリア王家の中でもこの目を持って生まれた子は基本的に身体強化に特化した魔法しか使えません。特に私の魔力は荊姫に捧げるためにあるので」
それが、アリアの持っている全てだった。そう、ずっと思っていた。けれど、今は他にもできる事があるのではないか、と思うようになった。
それはロイが自分に仕事を任せてくれるおかげだとアリアは思う。
「ところでアリア。飴は好きではなかったか?」
ロイは透明な瓶を指差しアリアに尋ねる。その中には今までアリアに手渡した飴が包みに包まれたまま沢山入っていた。
ロイの問いかけにそっと首をふって、その瓶を引き寄せたアリアは、微笑みながら今日もらった分の飴をポトリとその中に落とす。
「もったい、なくて」
色とりどりの包み紙につつまれた飴を眺めて、アリアはポツリと漏らす。
「食べたら、なくなっちゃうから」
いつかヒナが来て、ここを去る日が来たらロイから預かった王冠はもちろん、与えられたドレスも宝石も全て置いていかなくてはならない。
けれど、ロイからもらった言葉とこの飴だけは間違いなく自分の物だ。"いつか"が来てもきっと頑張ったこれだけはなくならない。
この飴が増えた分だけ、できる事が増えた気がして、目に見えるところに置いておきたかったのだ。
飴をまるで宝物のように手に取るアリアを見て、ロイはやはりまだダメだなと思う。それでも、彼女を皇太子妃に置く以上避けては通れない。
「アリア、夜伽に呼んでもいいだろうか」
ロイの言葉にアリアは息を呑み硬直する。
「流石にもう、呼ばないわけにはいかなくてな」
アリアが帝国に嫁いで半年、そうだろうなとロイの言葉を聞きながらアリアは遠い目をする。
騎士団で働いたり、ロイから任される仕事に携わったりするうちに、2回目の人生で読んだ小説の内容がより色濃く現実としてアリアの上に降りかかる。
この時期のロイの立場はまだ盤石ではないのだ。王弟殿下やその子との権力争いに身を投じ、より力をつけようともがいている。
(立場を更に盤石にするためには、子の存在が必要。だけど、私と彼との間には)
子どもを授かる事はないのだ。1回目の人生で、何度彼と関係を持っても、妊娠する兆しすらなかった。
だが、彼には将来的にヒナとの間に子が生まれるのだから、きっと問題は自分の方にあるのだろう。
(今世は避けたかったのに、な)
この人はヒナのものだ。自分は、本当の意味で妻ではない。
だけど、離縁できなかった以上、これ以上拒否するのはロイの立場をさらに危うくしてしまう。
無事にヒナにこの場所を明け渡すためにも、今回の呼び出しは避けられないとアリアは悟る。
目を閉じて、心を閉ざしていれば、時間は勝手に過ぎていくだろう。
「……分かり、ました」
今世でロイには随分と世話になり配慮してもらった。ならば、無駄なこととわかっていても、彼のために義務を果たすべきだろう。
きっと、今夜が終わったら今までみたいにロイの事を見て笑うことはできなくなるだろうけれど。
(やっと、新しい関係が築けると思ったのにな)
結局、同じ道を辿るのかと1回目の人生とは違う心情を抱えながらアリアは夜伽の承諾をした。
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