クリスマスイブに謎の美少女といい感じになったけど、推しのVtuberの配信の為帰宅する話
「次は――駅、――駅」
車内アナウンスがイヤホン越しに聞こえてくる。
混雑した電車の中、なんとか座席に座れた俺は、推しの配信の切り抜きを見ていた。
俺の推しはVtuberだ。
そこに恥ずかしさを覚えない程度にはオタクな俺は、今夜は彼女が「今夜はチキンを用意しておいてね! 一緒に食べよう!」と言ってくれたので、買いに行く途中にいた。
目の前に立つ人の肩越しに、車内モニターを見る。
目的地まであと一駅。
『クリスマス。大切な人と過ごす、特別なひとときをあなたに……』
モニターから流れるCMの声。
大切な人、ねぇ。
大学入学と共に上京してきて一人暮らし、彼女もいない人間には縁のない話だ。
俺は再びスマホに目を落とした。
ん、この切り抜きは……『――のセンシティブな発言まとめ』か。
…………と、とりあえず見てみるか。ゴクリ。
こっ、これは……。
こんなものを公共の場で見ていていいのか?
紳士として疑問を抱き、顔を上げて周りの様子を観察する。
混雑した車両で、こちらに注意を払っている人はいなさそうだ。
しかし、一人、慌てたようにキョロキョロと辺りを見渡している人がいた。
「チッ」
「っ」
彼女は隣の人に軽くぶつかって舌打ちされ、ペコペコと頭を下げた後に動きを止めた。
「…………」
『親切な人って、良いよね。優しい人間が好きだし、私もそう在りたいんだ』
耳元のイヤホンは、いつの間にか別の動画を自動で再生し始めたようだ。
彼女に関するものの中で、一番好きな切り抜きだ。何度も見た。
普段よりやや真面目なトーンの、彼女の声が耳朶を打つ。
『誰かを助ける時、その人は、周りに弱みを見せることになる。だから、親切が出来るのは、人としての強さの証明なのかも』
俺はイヤホンを外し、立ち上がった。突然の行動に、怪訝そうな周囲の視線を感じた。
だから、はっきりと声に出した。
「すみません、ちょっと物落としちゃって、足元失礼しますね」
そう宣言した俺は、さっと腰をかがめ、床に手をついた。
床の汚れや埃が目につく。なんとなく綺麗な印象があったが、よく見ると意外と汚れているな。
これだけ大勢の人が乗り降りするんだから当然か。
そんなことを考えつつ探した結果。
車両の端っこに小さなペンダントが落ちているのを、見つけることが出来た。
それを拾い、顔を俯かせていた持ち主に渡すと、きょとんと眼を丸くしていた。
「これですか?」
『まもなく、発車致します』
「あ、良かったです。じゃあ、僕ここなんで、失礼します」
彼女がこくこくと頷いた時、丁度電車が止まったので、それだけ言って俺は下車した。
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駅のトイレで手を洗い、エスカレーターを上り外に出ると、もう陽が暮れていた。
街灯が辺りを照らしている。
珍しく、柄にもないことをしてしまった。
まあでもあの人も、せっかくのクリスマスイブに、落とし物なんてしたくないだろう。
創業者の名前がかっこいい、某チェーン店の前に来ていた。
店内のスピーカーから流れるクリスマスソングが、店の前まで溢れてきている。
その陽気な音楽を聴いていると、ただチキンを買いに来ただけなのに気分が上がる。チキンを食べながら見る推しのクリスマス配信、最高ではなかろうか? いや、最高だ(反語)。
しかし、その最高にも一部の隙があった。
最高を求める人で、店はごった返していた。
俺は萎えた。萎えたが、しかし今更チキンのないクリスマス配信視聴なんて考えられない。
しかも、ニート同然の大学生活をしている中、今日はわざわざこのためだけの外出。
買わずに帰るという選択肢はない。
覚悟を胸に、列の最後尾に並ぶ。
少しすると、また新たに俺の後ろに並ぶ人が現れる。
やろうや、兄弟。我慢比べや……!
そう思いながらちらりと背後を確認すると、さっきの落とし物の持ち主がいた。
「…………」
「……あ、どうも」
沈黙を保つ女性に、とりあえず頭を下げる。
結構な偶然だけど、まぁありえないと言うほどでもないだろう。
すると目の前の人もぺこりと礼を返した。
そして、彼女は手に持ったスマホの画面をこちらに向けてきた。
え、何。
やや困惑しながら、しかし彼女がずい、と突き出してくる。
それはどうやらメモ帳の画面らしかった。
『先ほどは、ありがとうございました』
感謝の言葉を入力した彼女は、続いてスマホを一度操作した。
『すみません、今喉を傷めてて声が出なくて』
「なるほど」
冬は乾燥するし、そういうこともあるだろう。俺も昔重めの風邪を引いて、ドラゴン〇ールの悟空が苦しんでいる時くらいの声しか出せない時があった。
『お礼も言えずに失礼しました』
「ああいや、全然、気にしないで下さい。大したことじゃないんで」
『そんなことはないです』
俺が言うと、彼女は少し困ったように眉を寄せる。
店の前で、若干の沈黙が生まれた。
俺は改めて目の前にいる人を観察した。
如何にも安っぽいグレーのダウン、マスクに黒のニット帽。
パッと見た時、あまり印象に残らないような人だ。たとえ街中ですれ違っても、次の瞬間には忘れているような。
その人はいそいそとスマホを操作した。
『是非、何かお礼をさせてください』
「えぇ、良いですよ、そんなの」
随分、感謝してくれてるみたいで、それはこっちとしても嬉しくない訳じゃないけど。
『いえ、是非、何かあれば』
「いえいえ、本当に結構ですので」
『……そう、ですか。分かりました。ありがとうございます、助かりました』
長引くような気配を感じたが、少し断り続けると、彼女は折れたようだ。
社会性を感じさせるような、微妙な距離感だった。
そうして、やや奇妙なコミュニケーションは途絶えた。
俺はまた正面に向き直り、配信の切り抜き動画を見ていた。
待つことしばらく。
ようやく列も捌けてきて、俺の前には数人並んでいるだけ。
その時、何やら申し訳なさそうな顔の店員が店の外に出て来た。
嫌な予感がした。
その予感は的中し、俺の目の前で、店員がチキンの売り切れを宣言した。
嘘、だろ……。ちらりと後ろを振り返れば、彼女もマスク越しにピシりと表情を固まらせているのが分かった。
「当店としても、十分な在庫を準備をしたつもりだったのですが……大変申し訳ございません」
店員が沈痛な面持ちで頭を下げている。
確かに、結局俺の後ろにいるのは落とし物をした彼女だけで、足りなかったのは二人分だけのようだ。
「こちら当店が提携いたしております、レストランのサービス券でございます。この近くに店舗がございますので、もしよろしければご利用下さい」
そうして、俺と彼女はサービス券を渡された。
さっさと店の中へ引き上げていく店員を目にしながら、頭の中で今日の計画を練り直す。
……今晩の推しの配信は、比較的遅めの時間に告知されていた。
今からレストランに寄って帰ったとしても、余裕を持って間に合うだろう。
わざわざ並んで手に入れたこの券。夕食を待ち侘びる腹具合。
考えるまでもなかった。
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「いらっしゃいませ」
券に示されていたレストランは、多くの客で賑わっていた。
ちらと確認すると後ろに彼女もついてきている。
どうやら彼女もせっかくのクリスマスイブに、チキンを食べずに帰る気はないらしい。
「今から一人って、入れますか?」
「……はい、大丈夫ですよ」
俺が尋ねると、インカムをつけたウェイターが何やら連絡を取った後、案内してくれた。
「大変申し訳ございません、現在、満席でございまして……」
ふと背後からそんな声が聞こえた。思わず振り返ると、スマホの画面を見せながら、彼女が別のウェイターとやり取りをしているところだった。
「あ、じゃあそっちの人を入れてください。僕は良いので」
俺が立ち止まったのに気づき、怪訝な顔で振り返っていたウェイターにそう告げる。
驚いた眼をした彼女が、ぶんぶんと胸の前で手を振った。
とはいえこの時間に放り出されても、ほとんどの店はやっていないだろうし。
自分のせいで女の子が一人でさもしくクリスマスイブを過ごすことになると考えると、気が滅入るのだ。
それならば、ここは格好つけて譲って、今日はコンビニ飯でも食べてやりますよ。
「いや、マジでいいんで」
「…………!」
スス、と身振りで遠慮を示してくる彼女と譲り合いを繰り広げる。
そんな俺たちの様子を見かねたのかウェイターの一人が、彼女に何か確認を取るようにした。
やがて彼はこちらにやってきた。
「ご提案なのですが、現在空いているのが二人席でして、相席という形であればお二方共にご案内出来ますが……」
彼女はこくこくと頷いていた。
そういうことになった。
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きっちりと制服を着こなしたウェイターが去っていき、個室に俺と彼女は二人きりになる。
「あー、すみません。こんな形になって……」
案内された席は、最近よく見る透明な仕切りも無く、テーブルに対面で座る形だ。
見ず知らずのキモオタが、向かいに座っているのは中々辛いものがあるだろう。見ず知らずじゃなくても、キモオタは辛いものがあるだろうけどな。
『いえ。ありがとうございます。気を使って頂いて』
彼女は纏っていたダウンや帽子を脱ぎ、壁のハンガーに掛けていた。
ダウンの下には少し柄のある赤のニットを着ていて、それは会った時の格好よりも、よっぽど似合っているように思えた。
帽子の下に隠れていた、絹のようにさらさらとした髪は照明に照らされている。
詰まるところ、彼女の造形はやたらと整っていた。
この辺で、察しの悪い俺の頭にも流石にひとつの推測が浮かんだ。
恐らくだがニット帽も眼鏡も、変装だったのだろう。
目の前の女の子は、もしかしたら名の知れたアイドルか女優か何かなのかもしれなかった。
しかし、現実世界の流行などたまに配信者の切り抜きで上がるネタでしか知らない、ゴリゴリのキモオタには真偽の判定は出来そうになかった。
『あの、聞いても良いですか』
「な、ななななんですかい」
『普通にしてもらえますか? 敬語もいらないので』
私は癖でやってるので気にしないで下さい、とメモ帳は語る。
そう言われても、こんなに綺麗な人と話したことなんて無いし。
配信を見ることを「女友達と話すみたいで、楽しいんだよなぁ!」と豪語する奴らにドン引きしつつも、その女友達さえいない身であるから。
とはいえ頼まれたので、普段通りの言葉遣いを心がけてみる。
『誰かの落とし物を一緒に探したりとか、ああいうこと、いつもやってるんですか?』
「まあ、たまに。気がついた時だけ」
『凄い。何か、きっかけとかあるんですか?』
「……憧れている人がいて」
長い話になるかもしれないけど、と前置きすると、彼女は微笑んで手の平の先を俺に向けた。
「昔、ちょっと鬱みたいになってたんだ。って、別に本当に辛い人に比べたら、たいしたことないのかもしれないけど。親が離婚して行きたかった大学に行けなかったり、友達と喧嘩したり、ちょっと色々嫌なことが重なって。そんな時に、ある人が救ってくれた。ああいや、それって宗教的なものじゃなくて、救ってくれたというか、勝手に救われただけなんだけど」
たまたま見ていた動画サイトのおすすめに、Vtuberがお悩み相談の配信をしていて。どんなことを言うんだろうかと、興味本位で相談してみたのだ。
その時のことは鮮明に覚えている。
透明感のある、一度聴いたら忘れられない声だった。
はっきりと喋っているのに、触れたら消えてしまいそうな繊細さを感じさせる声だった。
『相談ありがとう。……辛いよね。そういう時は、無理にいつも通りにやらなくていいと思うな。誰かを頼っても良いと思うし、とにかくこれ以上心を痛めないようにするのが最優先だよ』
彼女はそんなことを言った。
俺は続けて、慰めの言葉を言うのだな、と思った。甘くて優しくて、何の意味もない言葉を吐くのだと思った。だが違った。
『……でも、そこから更に落ちてしまわないように、自棄にならないように、やるべきことを、やるべきだよ。そうしたら、きっと貴方は生きていけるから』
意外だった。可愛らしい見た目だったし、どちらかと言うと今は、弱っている人に寄り添うようなことを言った方が人気が出ると思う。それでも、彼女は俺の背中をばしりと叩くようにそう言ったのだ。
俺の周りにはその時、慰めてくれる奴はいても、ちゃんとやれと言う人はいなかった。多分それもあって、俺には彼女の言葉が響いた。
「……で、その人に認めてもらえるような、自分で居たくて。って、会う機会は一生ないんだろうけど」
ちゃんと伝わったか少し不安になったが、彼女は真剣な顔で頷いていた。
『そうなんですか。きっと素敵な人なんでしょうね』
「まぁ、そうだな。あ、結構有名な人だから、もしかしたら知ってるかもな」
『そうなんですか』
「VTuberって見たことある?」
彼女はピタッとスマホを持ったまま硬直した。
え、どうしたんだろう。
しかし、彼女は気のせいだったかと思うほど僅かな時間止まっていただけで、すぐに動き始めた。
『はい、ありますよ。たまに見ます』
おお。
こういう子もVTuberとか見るのか。まぁ、最近はかなり色んな人が見てるって言うからな。
嬉しいな。一気に親近感が湧いたというか。
「じゃ。その、俺が尊敬してるのは――っていうVtuberなんだけど」
ゴトリと音がして、見ると彼女がテーブルの上にスマホを取り落として、呆然とこちらを見ていた。
「……どうかしたか?」
彼女は幽霊でも見たようにその目を大きく開いていた。
長く白い指が、震えながら入力する。
『その人で、間違いないんですか? 貴方が尊敬しているのは』
「あ、ああ。感謝してる。あんな風になりたいって、そう思ってる」
時が止まったように目を見開いたまま、俺の言葉を聞いていた彼女はやがてサッと顔を俯けた。
そして傍らの鞄からハンカチを取り出して、そっと目にあてた。
少しの間、個室を沈黙が支配した。
俺は彼女の突然の行動に困惑し、動揺していた。
どう見ても彼女は泣いている。
何か不味いことを言っただろうか、と必死に頭を巡らせていると、
『実は、私も彼女のファンでして……』
やがて目を赤くした彼女はそう説明してくれた。
こちらに向けられたスマホのホーム画面は、俺を救ってくれた彼女を描いたイラスト、ファンアートになっていた。
「マジか!? こんなところで同志に出会えるとは! 僥倖!」
思わず席を立ちあがり、対面に座る彼女に握手を求めかけて、あ、と気づき座り直す。
「悪い、つい嬉しくなっちゃって……」
驚いたように目を丸くしていた彼女は、やがてふっとため息を吐いた。まるで警察から逃れ続けた大泥棒が遂に観念した時のような、そんな息の吐き方だった。
『参考までに、どんなところが好きなのか、教えてもらっていいですか』
「おう。えっと、まずは声か。唯一無二の、妖精のような声。聞いているだけで心が澄んでいくような気がする」
『……っ、はい』
「っと、勿論声だけの人なんてことを言うつもりは毛頭無い。勿論、彼女を知るきっかけ、入り口としての声は非常に魅力的なものであることに異論の余地はない訳だが、一番はその優しさだな」
『…………はい』
彼女の顔は未だ赤い。共感性羞恥だろうか? でも遠慮せず続ける。
「人を受け入れ、だけど受け入れるだけじゃない。見捨てず、前を向かせる強さっていうかな。優しさっていうのは強さを含んでいるんだよ。これは彼女の言だけだどな」
『…………はい。覚えていてくれて、ありがとうございます』
「? なんでお礼?」
『あ、いや、あの、私もファンとして、嬉しくて』
顔を覆っている。
自分と推しを同一視しているタイプのファンか。めんどくさい奴だ。
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それから話題も変わり、彼女の様子も落ち着いて。
同じ配信者を見ているということもあって、ゲームやアニメなんかの趣味の話も弾み、食事も終盤。
「声出せないって言うのは、不便だな。どれくらいヤバい? 飲み物飲みながらならとか、小声とかなら大丈夫とか……」
『声を出したら死にます』
「そんなに酷いのか!?」
『仕事もなくなり、存在が失われます』
「声を出すだけで!?」
くすくすと口元に手を当てて笑う彼女。
その可憐さに高鳴る胸を誤魔化すように、俺は丁度運ばれてきたグラスに口をつける。
……ん。
果物の香りと、特徴的な味。
向かい側の彼女も口をつけて、少し首を傾げている。
「お酒なんて頼んだか?」
彼女は手を横に振った。そうだよな。
彼女も俺も同じメニューを頼んでいたはずで、それにアルコールは書いていなかった。
まぁ俺は成人しているし、それほどお酒に弱い訳じゃないから、問題ないけど。
その時、個室の扉がノックされ、ウェイターがコック帽を被ったシェフらしき人と共に入ってきた。
「大変申し訳ございません。他のお客様と注文を間違え、アルコールを提供してしまいました」
深刻そうな顔でそう言われ、俺と彼女は顔を見合わせる。
彼女は構わない、と首を振っている。
「いや、全然大丈夫です。逆に、ちょっと飲んじゃったんですけどこれって……」
「勿論、お代は結構でございます。失礼致しました」
出て行ったウェイターを見ながら、お互い少し笑う。
『大変そうですね。きっと、忙しいのでしょう』
「なんてったって、クリスマスイブですからね」
そんな一幕もあったが、食事を終えた。
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店から出ると既に辺りはすっかり暗く、正面の大きな公園は飾り付けられたイルミネーションが点灯していた。
「いやー、美味かったな」
「……」
さっきまで雄弁だった彼女のスマホは、急に静かになった。
黙って、きらきらと輝くイルミネーションを見ている彼女に、俺は気づく。
あ、やべ。
そりゃそうか。俺達はただ、席が空いてなくてたまたま相席になっただけ。
店の外まで話しかけてこられても困るか。
弁えてなかったな、と少し反省していると、彼女は急に弾かれたように走り出した。
え?
一瞬迷ったが、追いかけることにする。
彼女は謎だらけで、そこに興味が無いと言えば嘘になる。
意外と健脚だった彼女の姿が公園の中に消えないように、追いかけていくと。
「うおっ……」
公園の広場。一段と豪華に飾られた煌びやかな光の中で、眼を輝かせた彼女が踊るようにくるくると舞っていた。
妖精のような、天使のような、その姿。
「あの子、綺麗……」
「おかーさん、あの人凄いね!」
「ええそうね、芸能人かしら……」
周りの人の注目を集めているのが分かった。
そういえば、さっき着けていたニット帽も眼鏡もしていない。
イルミネーションの光を受けた彼女の髪から、キラキラとした粒子が周囲に振りまかれている気がした。
それくらいには、幻想的な光景だった。
やがて彼女が動きを止めると、周りで見ていた人達の間から拍手が上がった。
それに笑顔で手を振り返している彼女に、気になって一つ尋ねた。
「おい、変装はしなくて良いのか」
小声で尋ねると、彼女の笑顔が凍った。
いそいそと帽子を被り、ダウンをきっちりと着込んだ彼女と公園を後にする。
『忘れてた、ありがとう』
寒さのせいか、はたまた恥ずかしさのせいか頬が赤くなっている気がする彼女に、両手を合わせて謝意を表される。
『なんだか、とってもうれしくて』
「クリスマスイブが?」
『うん。こんなに楽しい気分になるなんて、思ってなかったから』
無邪気な笑顔をこちらに向けてくる。
その姿にくらりと来かけて、己の正気を疑う。
落ち着け。俺には推しがいるだろう。
その後、公園の出口まで歩いていると、彼女の身体が一度ふらっと揺れた。
大丈夫か、と尋ねる。
『だいじょぶ。なんかねむいな、お酒飲んだからかな』
…………。
少し予感がして、隣を歩く彼女を観察する。
目はとろんとしていて、大き目のマスクから覗く頬は赤らんだままだ。
「もしかして、お酒弱いのか?」
『まあそこさこ』
……うん。
俺はため息を吐きそうになった。
これ、本当に大丈夫だろうか。
---
『うきあつてくれてありがとう あそこのえきでかちさんしよ』
うん、大丈夫じゃないね。
元より相席しただけの関係、たしかに解散の頃合いではあるだろうが。
俺は彼女の様子を確かめる。
足取りも表情も危うい、ふらふらしながら手に持っているスマホに表示される文章も、打ち間違いが多いなんてものじゃなく。
恐らく一口しか飲んでなかったはずだが、彼女の酒の弱さは相当だな……。
「っ! ……っ」
そんなことを考えながら歩いていると、彼女が凍り付いた地面に転びそうになっていた。
彼女の手が、咄嗟に隣にあった俺の肩を掴む。
「っ、あぶねっ! 本当に大丈夫かよ」
「…………」
何とかバランスを取り立ち上がった彼女は、こちらを振り返った。
彼女の手は俺の肩を掴んだまま。すなわち、至近距離。
その吸い込まれそうなほど大きな瞳と、眼があった。
「じゃ、じゃあ、そろそろ解散か。気をつけて帰れよ」
ちょうど駅に着いたこともあり、俺は急いで彼女から距離を取った。
人が行き交う改札の前、俺と彼女は二人から、一人と一人になった。
少し薄情な気もしたが、ここが線引きだろう。
俺と彼女はただの他人だ。いくら酔っていると言っても、たかがグラス一杯だ。
少しトイレでも入って酔いを醒ませば、どうとでもなるだろう。
そんな風に、少し寂しい気持ちを感じながらも、言ったのだが。
「…………」
とろんとした目をした彼女が、じっとこちらを見ていた。
………………。
思考が一瞬で空白になる。ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
自らの手のひらを握る。瞬きが意識して増える。
彼女の言葉のその意味を、裏の裏まで読もうとして、思考がエラーを吐き出す。
有り得ない。俺のような、キモオタに限って、そんなこと。
多分、酒が回ってきて、たまたまそういう風に見えているだけだ。
ぼんやりとした彼女の、無防備な胸元に視線が行きそうになって、慌てて目を逸らす。
逸らした視線で見渡した、煌びやかな街のここから見える部分だけでも、ホテルが幾つかあることに気づく……いやいやいやいや。落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け俺。
その時。
ヴヴ、と、コートのポケットが振動した。
液晶が光っていた。アラームだ。
推しの配信の、三十分前に鳴るように掛けておいたアラームだ。
――突然、周りを行き交う人の声が、耳に入ってきた。
急に人が増えたような気がした。改札の頭上のパネルに、次の電車の出発時刻が流れている。
俺はタクシーを呼んだ。
駅中のコンビニでオロナ〇ンCを買って、彼女と一緒にタクシーにぶち込んだ。
タクシー代として、なけなしの野口を三枚握らせた。
そして俺は駅に向かって歩き出しつつ、右手でコートのポケットからスマホを取り出して、さっきの通知の詳細を確認する。
よし、今から帰れば十分間に合うな。
---
「………はぁ」
最寄駅から家への道を歩いていた。
疲れからか、少し白い息が空に漏れた。
彼女の連絡先も聞いてない。もう会うことは無いだろう。
あの時の高揚感もすっかり冬の寒さが拭い去り、一瞬、非常に勿体ないことをしたのではないか、という考えが頭をよぎった。
生まれてから今まであんなチャンスなかったし、今後も恐らく無い。
ああいうとこで上手くやるやつが、きっと人生も上手くやるんだろう。
己の中の筋に従って行動したつもりだが、それでも足が竦んでしまったのも間違いなく事実。
これではチキンと呼ばれても仕方がない。
冬空の下を、一人歩く。
俺は人との繋がりというものが、よく分かっていない。
リスクに見えるような不確かな何かの先を掴みに行く、その度胸のようなものが俺には欠けているのだ。
多分そうだ。
俺が、華の大学生活の本丸であるところのクリスマスイブに、隣に彼女も友達もおらず、こうして歩いているのは、そういう部分が原因な気がする。
……でも。
俺は再びスマホの画面を点けた。ホーム画面に映るのは、憧れた大好きなVtuberのファンアート。その中でも一番のお気に入り。そして、奇しくもあの子が設定していたのとまったく同じイラストだ。
俺の憧れた人は誓って、弱みに付け込むようなことはしないだろう。
だったら俺も、上手くやれない馬鹿でいい。
馬鹿なままで、自分に胸を張れる自分でいよう。
綺麗事でいいのだ。
騙して手に入れたものなんて、欲しくはないのだから。
多分、ずっとこのままじゃいられない。
今は夢を見ているだけで、レストランで飲んだ酒が残っているのかもしれない。
でも、今はこれでいいんだ。
途中、家の近くのコンビニに寄って、あったかいチキンを買った。
「~~♪」
今日はクリスマス。
誰かにとっては、恋人と過ごす日で、違う誰かにとっては、家族と過ごす日。
そして俺にとっては、好きなVtuberの配信を見ながらチキンを食う日だ。
---
あるVtuberの配信。
そのVtuberは、視聴者の皆も一緒に食べよう、と事前に言っていたチキンを食べている。
「チキンって、腰抜けなんて悪口として使われがちだけど。ひどいよね。こんなに美味しいのに」
上位のチャットのリプレイ:
『たしかに』
『美味しさとは関係ないかも……』
『この前彼女が家に泊まりに来たのに、何もしなかったらチキンって言われた』
「んんっ。まぁ、そういう人もいるかも……? 人の心は難しいね」
その後、少し雑談した後、ごほんと咳払いした。
「実は少し、改めて皆に言いたいことがあるんだけど」
上位のチャットのリプレイ:
『え』
『何?』
『待って、心の準備が……』
「あ、ごめんごめん、そういうのじゃないよ。……えっとね、」
きりりとした表情を作る。
「今日ね、電車で落とし物をしたんだ。ちょっと探したんだけど、でも中々見つからなかったから、もういいか~って思ったんだ」
「そうしたらね、何も言ってないのに、わざわざ立ち上がって探してくれた人がいてね。すごく嬉しかった」
上位のチャットのリプレイ:
『その人神やん』
『グッジョブだね』
『可愛いから助けたんじゃね?』
「前にも言ったことあるけど、私は、みんなを笑顔にしたいの。だから配信をやってるの」
上位のチャットのリプレイ:
『良いね!』
『はぁ? くっさ、見るのやめよ』
『何このコメント、気にすることないよ!』
Vtuberは少し眉を下げて、でも笑った。
「ううん、分かってる。これって、笑っちゃうくらい綺麗事。……でももし私が、笑顔をいっぱいの、いーっぱいの人に届けられたなら。その時、それは綺麗事じゃなくて、本当にきれいなものになると思うんだ」
夢を見るように視線を彼方に飛ばしていたVtuberは、正面に向き直る。
「そしてもう、誰も私を笑えなくなる」
使い古されたBGMが鳴る。この夜に相応しい煌びやかな音が鳴る。
「だから、この聖なる夜に。綺麗じゃなくても、綺麗であろうとする人達を、光が照らすこの夜に。心からの、心ばかりの贈り物を」
「どうか皆が、少しでも幸せな気分でいられますように」
「メリークリスマス」
上位のチャットのリプレイ:
『メリークリスマス!』
『メリクリ!』
『メリークリスマス』
「うおおおお!! メリクリ! チキンうめぇえええええええ!!」