ディニッツ・ドクトリン その一
ディニッツ・ドクトリンと呼ばれるこの方針だが、そんな大仰なものではなく、ゲトラウト戦争論を実戦レベルに昇華させたものである。
大まかな概要は至極単純、敵の攻勢に対し、守りに守りを続ける。その間一切の反撃、攻勢はしない。本当にただ守るだけである。
そして戦力の充実、潤沢な物資、敵の消耗が確認されたときに初めて反撃を行う。その反撃で相手を粉砕し、勝利をもぎ取る。
戦略家、戦術家と評されるもの達が見れば、愚鈍が過ぎるのレッテルが貼られることだろう。
戦乱の中、各国がそれや、それに類似する方針を採らないところがそのゲトラウト戦争論への世間の評価を表していると言っても過言ではない。
「亀の勝つこと難しき」この格言に全てが表されている。
戦闘、戦術、戦略などは勿論の事、外交にさえ機というものがある。
一瞬の機微を見逃すことなくその場で応じた手を打たねば取り返しのつかない損失を生むことになる。
希代の名将「戦争屋」アーデルースは精強を誇る皇国艦隊との決戦の際、皇国艦隊のその大軍ゆえの僅かな連携の綻びを突き大勝を飾った。
今世紀の天才、カーネクラウンも語る。
「強者が弱者を倒す方法は無数にあるが、その逆は難しい。弱者が強者の攻撃をまともに受ければ耐えられないからだ。弱者が採るべきは迅速である。常に先手を指し、強者を自由にさせないことで戦場を動かし、ひいては弱者に初めて勝機が生まれるのだ。弱者が動かぬことは勝利を放棄したに等しい。」
戦争自体がスピーディーになり複雑化する近年。その考えは時代に会わないと考えられていた。
第一に長期間に渡り防戦一方など将兵のモチベーションを保てない。
そんな代物を実用化する意味、老将は旧き書にそれを見出だした。
半世紀に渡る戦歴、繰り返される敗北の経験が彼をある境地に到達させた。
敗北の人ディニッツの集大成、敗北せぬための弱者の戦略。
ディニッツ・ドクトリンは嵐を巻き起こす。
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皇国艦隊を率いる、アルダン、ガレック両元帥は現状に手をこまねいていた。
この頃の連邦軍の動きにある変化が生じたからである。
「閣下、本日もテスター中将の第二三艦隊が国境を越え戦闘が起こりましたが、連邦軍は応戦するに留めたもようです。先日より敵全体に変化が起こっています。」
「……はぁ、つまんないな~ハゼル~どうにかしてよ。面白くないよ。」
「黙れ…だがこれはおかしい。戦争において主導権を相手に手渡すのは禁忌だ。ディニッツほどの男がそれを看過するとは思えんがな。」
二人は一週間に渡り、様々な策を弄したが、ザードル中将の第二艦隊が誘引戦術に引っ掛かり手痛い損害を被ったこと以外は相手が手堅い守備を貫き、停滞していた。
二人をして負ける要素を見出だせないにも関わらず、嫌な悪寒を止めることは出来なかった。
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「ザードル中将が敵の戦術に嵌まり、約八割の損害を出したとの事です。」
「なんだあの男、戦闘のなんたるかを私に教えてくれるのではなかったのか。ところで話は変わるがマドース少将、貴官にハルーメン星系に居られるダレウト大将の下に集結している輸送艦隊を護衛艦隊五千隻率いてこのアーテミア星系とカーマル中将等が集結するテューラ星系の補給基地に連れてこい。ザードル艦隊の穴を埋めるために動いたせいで我が軍の消耗が少しばかし激しくなっている。」
一個艦隊が大敗北を喫したにも関わらずディニッツは動じない。少しでも動けば、その隙を見逃さず泣き所を叩くのが、双璧なのだ。
以後数ヶ月間に渡り、連邦軍は守戦を採り続けた。
1635年8月10日、連邦本国が建国記念日でお祭り騒ぎしているこの時期に三ヶ月に渡る沈黙を守った連邦軍が突如として反抗作戦を行った。
その反抗作戦はディニッツ・ドクトリンの有用性を証明すると共に、新たな戦略、戦術の可能性を与えるに至った。