9.強すぎる少女の正体
「あなたは確か、レイクストン家のロレンス」
「マクニコル家のご令嬢に覚えていただいてるとは光栄」
「何度かパーティで拝見しておりますので、ご入学おめでとう」
マクニコル家ほどではないが、ロレンス・エスマ・レイクストンのレイクストン家もまた、マギサエンドでは有名な魔導師一族。
アリアナもロレンスも、入学前から記念式典や個人主催のパーティーで互いに顔を見たことくらいはあったのだろう。
「ルームメイトとは随分仲良くしているみたいで」
何がおかしかったのか、ロレンスはそう言い放って自身の取り巻きの男子生徒たちとともにゲラゲラ笑い声をあげた。
「誇り高きマクニコル家の次期当主が薄汚いネズミと傷を舐めあって、当主様が見たらどのように思うか」
そもそもレイクストン家にとってマクニコル家は、目の上のたんこぶ以外の何物でもない。
四賢者アーカムの血を継ぎ、魔法の時代で確固たる地位を築いているマクニコルに比べれば、レイクストンなど三番手四番手の血筋。偶然にもマクニコル家の長女と同期になったロレンスが彼女を目の敵にするのは必然的なことだった。
「先を急いでますので」
揚げ足をとって反応を面白がっているというのは分かる。悔しいという気持ちも当然あった。
「あれほど情けない試合をして、学園の厚意で入学できたような魔導師が当主になってしまえば、それこそマクニコル家の評判も地の底だ」
けれど過程や過去でする口喧嘩というのはアリアナの美学に反したのだろう。沸きたつ感情をリルクレイの太ももを握って押し殺し、そそくさと女子寮を目指す。
耳障りなロレンスたちの笑い声が聞こえなくなったと思えば、今度は女子寮に所狭しと置かれた半生物の土像の声や物音が耳に触れ、アリアナはむっと顔をしかめた。
「掃除だ掃除だ、お掃除だ」
「キレイにキレイに、ピッカピカ」
二足歩行のウサギたちがモップを握ってアリアナの足もとを行進する。
「試合は引き分け、私は負けたわけではない」
九匹のウサギの声にかき消されてしまうほど小さな声で呟くと、アリアナは三階の自室へ向かう階段の途中で足を止めた。
「マクニコルを名乗る魔導師が引き分けに甘んじていいはずがない。当主になる身として、私は常に誰よりも強く気高く」
志もなく、ふらふらと辺りを徘徊しては空腹でぶっ倒れるようなリルクレイに気高さはない。けれど彼女は恐ろしいほど強く、彼女がいる限りアリアナが誰よりも強くあることはできない。
ロレンスにとってアリアナが目の上のたんこぶであるように、アリアナにとってのリルクレイもまた、目の上のたんこぶ以外の何物でもなかった。
「よりにもよってこの私が、こんなネズミに」
自室に戻ると、ぐっすり眠るリルクレイをベッドの上に転がした。
同室とはいえ、左半分がリルクレイのスペースで、右半分はアリアナのスペース。育ちが良く、見栄えを気にするアリアナの整理整頓された右半分とは対照的に、左半分は図書館から借りてきた本が散乱していて足の踏み場もない。
「たしか今日のスケジュールは午後からの講義と、そのあとに女子寮の歓迎パーティ」
はぁ、と呆れ混じりのため息をつきながらもこくりと頷き、アリアナは絨毯の上に散らばった本を一冊一冊手にとって部屋の隅に積みあげていく。
【現代魔法のいろは】、【魔力の源をたどる】、【魔法がある生活とない生活】。アリアナが手にする本はどれも魔導書で、全ての解釈を理解しようとするなら数年で足りるかどうか。
「勤勉という点では認めざるをえませんが、食事も睡眠もとらずに数日読み続けるなんて」
ふたりが魔導師学園に入学して一ヶ月、アリアナはリルクレイが自分の力でベッドに入ったのを見たことがない。
講義にも顔を出さず、入学早々に単位が危ういリルクレイは毎日図書館に入り浸り、体力が限界になれば庭園や廊下、部屋の床で屍のように転がっている。
「一体どれだけの間、こんな生活を続けていたのやら」
それが、アリアナには恐ろしかった。
当然である。体を鍛え、勉学に励み、これまで血の滲むような努力をしたアリアナを容易く上回るほどの知識と技術を、リルクレイという年下の少女は人生を魔法に捧げることで身に着けたのだろう。
入学試験でまざまざと見せつけられた実力差を考えれば、やはり恐ろしくて堪らない。
「この私を見下す太々しい態度も、図々しさもだらしなさも、敬愛するレイア様を軽視する態度も、私はあなたのことが大嫌いです」
鼻風船を膨らませて眠るリルクレイは、どうせ聞いていない。
「しかし、あなたの積みあげてきたものは認めざるを――」
ようやくアリアナが部屋を片付け終える頃、「くちゅんっ」とリルクレイが鼻風船を割って子犬のようなくしゃみをした。
「あんなところで寝るから風邪をひくんです」
自業自得です、とボヤきながらリルクレイに毛布をかけようとした途端にアリアナの手が止まる。
「これは、タトゥー?」
だらしなくはだけたリルクレイの腹に刻まれていたのは、【223】という数字のタトゥー。ひと昔前に比べれば魔法の発達でタトゥーの刻印が容易くなり、デザイン性の高いタトゥーを体に彫っている人間は珍しくもない。
しかしリルクレイの腹に彫られているのは数字だけが描かれたひどく簡素なもので、デザイン性は微塵にも感じられなかった。
「数字のタトゥー、どこかで見覚えが」
まるで家畜に番号をふっているようにも見える不気味なタトゥーを指先でなぞると、リルクレイの小さな口から甘い声がこぼれる。
(なんて可愛らしい声を……)
特に何をしているわけでもないのだが、アリアナの胸を羞恥心と罪悪感が襲った。
(って、何を考えているのですか私はっ!)
リルクレイの小動物にも似た顔が少しだけ歪み、寝息が熱を帯びる。顔と無防備にはだけた腹を視線が行き来するに連れて、アリアナの顔が次第に紅潮しはじめた。
大嫌いで憎むべき相手の寝姿に何故だか動悸がおさまらない。
刹那、コンコンっと部屋の扉をノックする音が響いた。
「ひゃいっ!」
リルクレイが寝ている隣で膝をつき、剥きだしの腹に手を添えている自分。これがどんな誤解を招くか、誤解が家名をどれほど傷つけるか、一瞬で脳裏を駆け抜けた思考にアリアナは大慌て。
急いで布団をリルクレイにかぶせて立ちあがると深呼吸して息を整えた。
「アナ様、いらっしゃいますか?」
「はい、その声は確かキャロル・コルソン」
豊かな自身の胸に手を当てて呼吸を整えたアリアナがドアノブに手をのばす。
開いた扉の先で深々と頭を下げたのはアリアナが声で聞き分けた通り、アリアナやリルクレイと同期の少女キャロル。
「覚えていただいてたのですね、私……私……」
アリアナに名前を覚えてもらっていたのが堪らなく嬉しかったのだろう。頭をあげてアリアナの顔を見上げるや否や、キャロルは乱れた長い金髪をなおそうともせず、胸に手を当てて藍色の瞳を潤ませはじめた。
「当然です、コルソン家とは先代からの付き合いですので」
さっきまでの激しい動悸に襲われていたのがウソのように、落ち着いた振る舞いでキャロルと向かい合うアリアナ。
キャロルという少女は昔から背丈が低く、それを周りからバカにされることも多々あったが、誰よりも小さな体に誰よりも真っすぐで純粋な心を秘めていることをアリアナは知っている。
彼女の美しすぎる姿を至近距離で見られたことに感動したキャロルの涙腺が崩壊し、目尻からぶわっと涙があふれた。
「ちょっ、どうして泣くんですか!」
「すみません、すみません、マクニコル家の御長女様とこんなお近くでぇぇぇ」
コルソン家はマクニコル家に仕える魔導師一族のひとつ。コルソン家の娘であるキャロルにしてみればマクニコル家の長女なんていうのは雲の上の存在で、幼い頃から「アナ様のようになりなさい」と教育を受けてきた憧れの人物である。
そんな彼女と同期というだけでも爆発しそうなほど嬉しいのに、手を伸ばせば触れるほどの距離で会話できるというのはキャロルにとって感動以外の何物でもなかった。
「はぁ……外聞が悪いので泣くのはやめてください」
わんわん泣いていたキャロルの胸もとにあてられた手に視線を向ければ、【ヴィクター・ジェイ・マクニコル】の名が書かれている便箋が握られているではないか。
「その手紙、お父様から私に?」
「あっ、はい! 実はマクニコル家の使用人が寮にいらして、こちらをアナ様にと」
キャロルから受け取った便箋はふやけて熱い。大方、緊張してずっと握りしめていたのだろう。
「そうですか、ありがとうございます」
「そそそそっ、それでは私はこれで!」
役目を果たすなり、深々頭をさげて踵を返すキャロル。
「待ってください」
「ふぁいっ!」
その背中をアリアナが呼び止めた。
「せっかく同期として入学したのです、お互い精進しましょう」
「はいっ! ありがとうございます!」
入学してから一ヶ月、キャロルがずっとストーカーのように物陰から自分を見ていたのは知っていた。向けられているのが憧れと感動の眼差しだというのも、当然理解していた。
キャロルにおけるアリアナという存在は、アリアナにとってのレイア。彼女の気持ちが少しでも分かるからこそ、アリアナは去り際のキャロルに優しく微笑みかけた。
その後、キャロルが嬉しさのあまりトイレに二時間籠って悶えていたのは、アリアナの知らない物語。