8.サイテーでサイコーな学園生活
アリアナ・ヴィラ・マクニコルにとって魔導師になるのは当然の未来だった。
振る舞い、言葉遣い、語学や史学に魔法。それぞれ異なる家庭教師から厳しく教わる知識を小さな体に叩きこむのは、マクニコル家に生まれたなら当然のこと。疑う理由もない。
アリアナは一度だけ、現当主である実父ヴィクターに「お前では家を継げない」と言われたことがある。実際、ほかの妹弟たちに比べて彼女の魔法の技術は見劣りしていた。
才能がなかったわけではない。勉強だって毎日毎日取り組んだのに、魔法はいまいち身につかない。
理由は簡単だった。アリアナは学んでいるだけで、それ以上も以下もない。厳しく教育されることへの抵抗や疑いがないのと同時に、アリアナには向上心がなかった。
魔力はすなわち人の魂。魂は精神。向上心もなければ熱意もない、家の方針や父の言いつけに従うだけの人形が魔法を上手く扱えないのは当然のことである。
だからアリアナは自分が家を継げないことに落胆はなかったし、次の日からも彼女は平然と厳しい教育に身を任せた。
十歳になったある日、
「こうして四賢者様の活躍によって、レイア様のありがたい教えは今に伝わるのでした」
レイアと弟子たちの歴史を学んだアリアナは、彼女の物語にひどく感銘をうける。
まだ魔法が世になかった時代、今にして思えば当時の人々は大変な暮らしをしていたのだろう。
そんな彼らの生活を豊かにする可能性を魔法という技術に見出し研究と普及に努めたレイアは、魔法という未知の力を恐れた悪い国王に処刑されてしまう。
「レイア様は、どうして死を受けいれてしまったのでしょうか」
真っ先に思い浮かんだ疑問だった。
「死を受けいれる、ですか?」
アリアナ専属の女性家庭教師が、首を傾げる。
「レイア様ほどの偉大な魔導師であれば、魔法が使えない愚民などおひとりでも葬れたはずです。しかしあの御方はそれをせず、死を受けいれた」
国王に捉えられたレイアが断頭台に連れられていく描写を細い指でなぞりながら、アリアナはさらに続けた。
「魔法をもって人々を導く師、それがレイア様。それが魔導師」
元来、魔導師という呼称はレイアが後世に遺した「魔法とは人々を導くためにある」という言葉に由来するもの。つまりレイアこそが本当の魔導師で、レイアの生き様こそが魔導師を名乗る現代人が学ばねばならない教え。
「レイア様の死後、魔法を起源とする戦争は幾つも起きました。魔法は人々の生活を豊かにするだけでなく、争いの火種となってしまうこともレイア様は知っていたのかもしれません」
「レイア様は、今の世の中をお気に召してくださるでしょうか」
またアリアナが問いかけると、家庭教師は少し間を置いて口をひらいた。
「人々は一度、レイア様の描く理想を分からずに裏切ってしまいましたが、今の私たちは違います。魔法が人々の生活に強く根付いた魔法の時代こそ、レイア様が望まれていた未来ではないでしょうか」
現代で魔法の恩恵を受ける全ての者が、魔導師レイアに感謝をしている。彼女を象ったモニュメントがあれば必ず一礼するし、魔法を学ぶ前に人々は必ずレイアについて知る。
「もしもレイア様が今の世の中を見守ってくださっているのなら、あの御方の志に恥じぬ生き方をしなければなりませんね」
「はい、それが四賢者アーカム様より代々続くマクニコル家に課せられた使命であると旦那様もおっしゃっておりました」
「ありがとうございます、ナターシャ」
そう言ってアリアナは頷いた。
アリアナの異常なまでのレイア崇拝がはじまったのは、丁度この頃からだ。「レイアさまならばこうする」「レイア様ならばこう考える」というのがアリアナの判断基準になり、彼女は血のにじむような努力で、一度は放棄したマクニコル家を継ぐ権利を捥ぎ取った。
*
四賢者アーカムの血を継ぐマクニコル家当主ともなれば、醜態なんてもってのほか。無様な敗北など決して許されない。
誰よりも強く、誰よりも気高い魔導師レイアのように――――。
「部屋に戻らないと思っていたら……」
しかし、アリアナのプライドも憧れも打ち砕かれた。
「一体何なのですか、あなたはっ!」
アサドリが滑空しながらやかましく鳴く日の出頃、女子寮の廊下に俯せで倒れている灰髪の少女リルクレイによって、粉々に打ち砕かれた。
「その声はアリアナか」
リルクレイ対アリアナの試合の結果は引き分け。
「丁度良かった、なにか食べ物をくれ。空腹で死にそうだ」
「はあぁぁぁぁ?」
アリアナの意識が遠のく瞬間、踵を返して歩きだしたリルクレイもまた、空腹のあまり地面へ崩れ落ちた。
予想外の事態に講師たちの長い協議があったものの、抜きんでた実力を持つふたりの入学は無事に許可された。
しかしアリアナにとっての試練はそれからも続き、全寮制の魔導師学園で同室になったのがリルクレイなんて運命の悪戯としか言いようがない事態。
「まだ今の時間はオープンスペースのキッチンに人はいないでしょうが、共同食堂ならもう職員がいるはず」
長袖カットソーにジャージのズボンと非常にラフな恰好のアリアナが袖で額の汗をぬぐい、呆れたようにため息をもらす。女子寮の一階にも寮生なら誰でも使えるオープンスペースとキッチンはあるものの、今に至るまでの十七年で一度も料理をしたことのないアリアナが飯を振舞えるはずもない。
まだ早朝で他の寮生が作ってくれるのも期待できず、アリアナはリルクレイの華奢な体を背負って男女共同の食堂へ足を急がせた。
*
食事も寝床も衣服も与えられる寮では、風呂だって入り放題。寮に付属している大浴場を利用しているリルクレイの髪は入学試験時と違って艶をおび、後ろでひとつに束ねて大きな馬の尾をつくっていた。
「これだけ美味い飯が食い放題とは、本当に入学できてよかったな」
「嫌味のつもりですか?」
五百人は座れる大きな食堂だが人は少なく、等間隔にぽつぽつ見られるほど。なかでも隅のほうの席を選んで対面に座ったリルクレイが着る黒い半袖カットソーは魔導師学園に属する生徒へ配給される部屋着で、勿論その左胸には白い糸でオオカミの紋章が刺繍されている。
「それはそうと、数日前から姿が見えませんでしたが」
「図書館にいたよ」
「図書館? まさか部屋に戻らず、ずっと図書館へ?」
「この学園の図書館は興味深い書物が多くてな。新解釈をまじえた魔導書や解剖学を学べる医学書なんかは、実に面白い」
大皿の上で城のように積まれたパンを食い、鉄板の上で焼ける肉をフォークでかっさらい、猛烈なスピードで皿を空にしてゆくリルクレイ。
テーブルを挟んだ向かい側からその姿を見ていたアリアナは、また大きなため息をついた。
「それで食事も睡眠も忘れて没頭していた、と」
「まったくもってその通りだ」
「はぁ、とんだ魔法バカですね」
魔法バカ、というのはレイアが四人の弟子に言われていた不名誉なあだ名である。
食事も睡眠も忘れ、自室で魔法の研究に明け暮れては数日後に倒れた姿で弟子たちに発見される。次第にそれは日課のようになっていったが、倒れた師匠の姿を初めて見た四賢者唯一の女性アーカムが顔を蒼白させて悲鳴をあげたのは、今になっても良い思い出だ。
「私の知る限り学園の食堂はもっと賑わっていたが、まだ朝早いのか。ということはあれかい? また走りこみでもしてたのだろう?」
「存じていたのですね」
「図書館の窓から見えていたよ、随分頑張っているようで感心だ」
リルクレイが自身の上半身ほどある大皿を十枚積みあげる頃、厨房から悲鳴が聞こえはじめた。
「バカにしないでいただけますか」
「人聞きが悪いな、バカになどしていない。お前は素晴らしい魔導師になると言ったろう? だから私はお前が精進するのを応援しているんだ」
「ふざけないでください! あなたとの勝負に負けたせいで私は――」
拳を強く握ったアリアナが声を荒げたその瞬間、どさっと大きな物音をたててリルクレイの頭がテーブルに伏せる。
「ちょっと?」
不安げな面持ちでリルクレイの肩を揺らしてみるが反応はなく、徐々にアリアナの顔が青ざめていく。
「ちょ、どうしたんですか!」
強めに肩を揺すると、小さな頭がテーブルの上でころりと転がった。そこにあったのは、鼻風船を膨らませて気持ちよさそうに眠るリルクレイの可愛い顔だった。
「寝てるっ!」
怒鳴っても、強く揺らしても、起きる気配はない。少し躊躇ったあとにアリアナが頭を小突いても、リルクレイはスヤスヤ寝息をたてて気持ちよく眠ったまま。
「本当に何なのですか、あなたは」
放っておくこともできたのだろうが、二人一部屋のルームメイトが食堂で無様に鼻風船を膨らませているなんてマクニコル家の恥。そんなことでも考えていたのだろうか、嫌悪感を顔に滲ませながらもアリアナは小さくて軽いリルクレイの体を再び背負い、自室を目指した。
「さっき、私は何を言おうと……自分の敗北を他人のせいにするなんて、あってはならない醜態」
アリアナは、ひと月経った今でも鮮明に覚えている。
目の前で余裕綽々の笑みを浮かべるリルクレイの姿も、自分が全力で放った魔法が容易く打ち砕かれる様も、ベッドで目を瞑れば最終試験の光景を思い出す。
「まだまだ私が未熟な証」
アリアナたちが食堂を去ろうとする頃、アサドリの鳴き声に叩き起こされた生徒たちが左胸にオオカミの紋章を刺繍した制服をまとって、ぞろぞろと食堂に集まりはじめた。
食堂にやってきた誰もがテーブルに残る山積みの大皿に声をあげて驚いていたが、アリアナは知らないフリをすることにしたらしい。
「おや? これはこれは、マクニコル家のアナ様」
食堂から女子寮に繋がる渡り廊下へ差し掛かったアリアナの背を、男子生徒が呼び止めた。