7.魔導師学園入学試験、閉幕
「おいおい、頼むから話を聞いてくれよ」
魔力を集めた光の弾が人の体躯の十倍はあるクジラの姿を模したのは、アリアナの思う全てを殲滅するイメージを具現化したものなのだろう。
拳程度や頭ひとつ程度の魔力弾とは比較にもならないほど規格外の大きさを誇る光のクジラ。当然、直撃すればひとたまりもない。
「これほど大きな魔法ともなると、やはり粗さが目立つな」
まだ入学もしていない志願者が放つ大型魔法に、場内は愕然。しかしクジラが向かう先にいるリルクレイは焦るどころか冷静に魔法を分析していた。
「桶に注いだ水と同じだ。魔力は肉体という入口も出口もない桶のなかに押しこまれているだけで、魔法として放出されてしまえば違う」
背とくっついてしまいそうな腹を片手で撫でながら、リルクレイが右手で杖を構える。
「空気中で拡がろうとする魔力を魔法として維持し続けるのは難しく、【維持する力】こそ魔法の使い手に求められる技術ってワケだ」
クジラとの距離は次第に縮まり、もうリルクレイに逃げ場はない。とはいえ、逃げるつもりもない。
アリアナの放った巨大なクジラに対し、リルクレイが杖先から放ったのは拳ほどの小さな魔力弾。
大きさの違いは魔法を構成する魔力量の違い。魔力量の違いはシンプルな威力の違い。
普通に考えれば太刀打ちできるはずのない格差だが、着弾地点からクジラの姿が徐々に崩壊していく。
「お前のは粗過ぎる」
クジラが姿を保てなくなるまで、そう時間はかからなかった。
「そんな、ウソ……」
自分の持ちうるすべてをかけた渾身の一撃が崩れ落ちる様を目の当たりに、アリアナの顔は血色を失っていく。
刹那、クジラの巨体を貫いてきたリルクレイの魔力弾がアリアナの腹を直撃。高価なローブはズタズタに破け、手から離れた白銀の杖とアリアナの軽い体が宙を舞った。
「あのチビ、一体何をしたんだ?」
「そんなの分かるわけないだろ」
静まり返る競技場。これから入学する素人も、魔法を学んでいる魔導師の卵たちも、彼らに指導する現役の魔導師たちも、全員が魔法の激突の瞬間を見届けた。
想像できなかった結末に、誰もが言葉を失った。
「どうして、私の滅鯨が」
発熱で視界がぐらつく。
頭がぼーっとする。
「単純な理屈さ、収束を維持できずに散り散りになった魔力の縫い目を撃ち抜いて魔法を崩壊させた」
「そんなこと、できるはずがない」
それでもアリアナは自身の唇を血がでるまで噛んで意識を保った。
「はずがないと決めつけるのはいただけないな。理論上不可能でないことは決して机上の空論なんかじゃなく、実現できないならばその原因を追及するべきだ」
「偉そうに、ペラペラと知った風な口を」
「知った風ではない、知っているんだ。追求しない理由の多くが、熱を持つ自分を冷めた目で見つめる、もうひとりの自分にあるいうこともね」
地面に伏せていたアリアナの体が、無理してでも立ち上がろうと強く力んだ。
「無茶はやめておけよ。これ以上はオーバーヒートを起こす」
「黙りなさい、この私があなたのようなネズミに負けるわけには」
力む肉体を高熱と激痛が襲う。オーバーヒートは人体や意識に悪影響を及ぼし、重度の鬱や身体的な障害を抱えてしまうこともあれば、最悪の場合で死にいたることだってある。
魔導師を志すものであれば、それほど有名なリスクを知らない者はいない。アリアナだってオーバーヒートの後遺症に苦しむ魔導師を何人も見てきた。
「これから何十年と続く未来がお前にはある。目先の勝敗なんて、取るに足らないものだと思わないか?」
「何も背負うものがないあなたには、一生かかっても理解できないでしょう。魔法の時代を導くマクニコルの名を背負う私にかせられた責任など」
しかし、落第という汚名に比べれば自分の命など安いものだった。
「お父様や弟や妹たち、全ての魔導師の期待に背くなど私にしてみれば死も同然!」
それが彼女の背負う期待と責任。
「最も強く最も気高いレイア様のような魔導師になるまで、私は――」
自分に向けられた杖に気づき、アリアナは言葉を失った。
魔導師に杖を向けられるのは、何より恐ろしい凶器を向けられるも同然の行為。
「ほう、レイア様のように」
四つん這いになったアリアナの後頭部に突きつけられたリルクレイのボロ杖は、試合の勝敗をハッキリと表している。
「撃ちなさい」
「殺すつもりはない、むしろ逆だ。お前の決意の固さはよく分かったが、これ以上の無茶を許すわけにはいかない」
「撃ちなさいっ! ここでネズミに敗北するくらいなら、死んだほうがマシです!」
顔をあげるや否や、アリアナはリルクレイの杖先を握って自分へ向けた。翡翠色の綺麗な瞳からは、大粒の涙があふれる。
「そんなことを言いながら、死ぬのが恐ろしいんじゃないか」
「生き恥をさらすことに比べれば、死など恐ろしくはありません!」
「恐ろしいから泣いているんだろう?」
声を荒げるアリアナと対照的に、リルクレイはひどく落ち着いていた。
「死が恐くない人間などいないさ。お前のそれは恥ずべきことじゃない、当然の感情だよ」
アリアナ・ヴィラ・マクニコルが負けると理解した競技場の空気は、まるで葬儀のよう。
「私にとっては、レイア様に憧れ続けて歩み続けた私を裏切ることのほうがもっと恐い」
刹那、立ちあがるのと同時にアリアナの手がリルクレイから杖を奪い取った。
「たとえこの身が朽ちようとも、敗北の歴史は残さない!」
リルクレイの華奢な体を突き飛ばせば軽々と後ろへ転がり、ボロ杖はアリアナのもの。形勢は完全に逆転した。
「前言撤回しましょう。この私に葬られること、死後の世界で誇ることを許します」
そう言ってアリアナが、ボロ杖の先端を地面に伏せたリルクレイに向けようとした瞬間、
「えっ?」
リルクレイのボロ杖が重たく、空間に固定されたようにその場から動かない。
「今のお前じゃ、どんな手を使ったって私に勝てないよ」
「何をしたんですか」
「私の魔力を流したままだからね、杖を操作するくらい簡単なことさ」
「わざと隙を見せていたんですか? なんて卑しい真似を」
むっくり起きあがったリルクレイが嬉々とした笑みを浮かべた。
「ちょっとした悪戯だ。気を悪くしたのなら申し訳ないね」
「あなたという人は、どこまで私をコケにすれば気が済むんですか」
巨人に引っ張られるような強い力でアリアナの手から離れたボロ杖は、空中でくるくる回転しながらリルクレイの手の中へ帰ってくる。
「アリアナといったな、お前にとって魔法というのは誰かの期待に応えるための道具でしかないのかい?」
「それはっ」
「お前の憧れるレイアも、誰かの期待に応えるために魔法を学んだのか?」
無理に起こしたアリアナの体を激痛が襲い、膝から地面に崩れ落ちた。
「違う、そんなはずありません」
痛む自分の体を両腕で抱くと、アリアナは悔しそうに唇を噛んだ。
「私もそう思う」
魔法なんていうのは生まれた頃からずっと傍らにあって、当然のように世界を動かし続けているエネルギーのようなもの。
当然のごとく学び、当然のごとく使い、目の前に敷かれた魔導師の道を当然のごとく歩んでゆく。魔法というのはアリアナにとって過程に過ぎなかった。
「だったら、お前にとっての魔法とはなんだ?」
だからアリアナは答えられなかった。そんなことを考えたこともなかった。
「レイアにとっての魔法とはなんだ?」
自分にとっての魔法が何なのか。
レイアにとっての魔法が何なのか。
「人にとって、魔法とはなんだ」
魔法とは、誰かの期待に応えるためだけに得たステータスでは。
言葉を詰まらせているうちに自分さえ信じられなくなったアリアナの顔が青ざめる。
「魔法がなかった時代、人はそんなこと考えもしなかったろう」
遠のく意識のなかで、アリアナは必死に思考した。
「答えられるようになるまで、お前は私を越えられないよ」
そう言って踵を返すリルクレイ。
競技場を泳ぐ黄金灯魚が煌々と輝く体で照らしだした彼女の小さな背中が、その日アリアナが目にした最後の光景だった。