31.あなたは、本当は……
白を基調とした豪華絢爛な廊下を歩くアリアナの傷痕だらけの顔を見るなり、使用人たちは目を剝いて驚いた。何やら神妙な面持ちで足早にアリアナが向かったのは、父ヴィクターの書斎。
幼い頃からアリアナは、書斎にいる時のヴィクターが苦手だった。書類に睨みあうヴィクターの対応は我が子であっても冷ややかで、わがままを言おうものなら睨まれて使用人に摘まみだされてしまう。
良い思い出がひとつも存在しない書斎の扉を、アリアナは三度ノックした。
「誰だ」
扉の向こうから、ヴィクターの声が聞こえる。
「アリアナです」
すぐには返事してくれなかった。
しばらく間をおいたあと、扉の前でピンと背筋を張るアリアナのもとへ「入れ」とだけ聞こえてくる。
「失礼いたします」
扉を開いたらすぐに部屋へ入り、何より先にまず扉を閉める。それが重要な書類を扱うヴィクターの書斎における決まりごとだった。
「お忙しいところ失礼します。昨日お送りした資料は見ていただけたでしょうか」
二日前にブラッド邸で起きたことは、すでにマギサエンド中が知っている。
ただし、不幸な事故として。
「転生実験か、こんなものをよこしてどうしろというのだ」
地下書庫は全焼ということになっているが、リルクレイの持ち帰った第二試験場と第三試験場で行われた実験を記す資料の一部を受け取ったアリアナは、すぐにそれをマクニコル邸の使用人に渡した。
使用人を中継し、ヴィクターのもとへやってきた転生実験の資料。アリアナは、それが公表されるべき事実と信じてやまなかった。
「お父様は転生実験をご存じでしたか?」
「初耳だな」
「資料を見て分かる通り、第三試験場と呼ばれている村にはガブリエラ・ブルックスとその家族が暮らしていました。
偶然、死を免れたガブリエラは村人が一瞬にして絶命した真相を追い、統括局のジョージ・ブラッドが行っていた転生実験に辿り着きましたが、その後命を落としています。
ガブリエラ・ブルックスは結婚していた際の性で、彼女の旧姓はガブリエラ・ゴート」
「書庫で調べていたのはこれだったか」
自らの娘を嘲るように鼻で笑ったヴィクターが、資料を机の上に投げ捨てる。
「公文書にあるガブリエラ・ゴートの記述は虚偽です。彼女は知ってはならない真実を知ってしまったが故に、ありもしない裏切り者のレッテルを貼られて暗殺されました」
「帝議の私に、自ら公文書の虚偽を認めろというのか」
「それが真実であるなら、公表すべきと考えます」
あまりにも真剣なアリアナの眼差しに、ヴィクターはため息をこぼした。
「転生実験のことは分かった。そこにガブリエラがいたことも、ここに書いてある。実際に実験場を調査すれば資料との因果関係も証明されるだろう。
だが、それと征伐の関係性を結びつける証拠はない。もしもこの事実を隠蔽した人間がまだ内部にいるとすれば、偶然のひと言で済まされるだろう」
「それは……」
「そもそも、帝議会が自らの信用に関わる公文書の虚偽を認めるはずがないだろう。これ以上、余計なことに首を突っ込むな」
アリアナに向けられた目は、彼女もよく知る冷ややかな目。恐ろしくないといえばウソになるが、それでもアリアナは両手の拳を強く握って口を開く。
「今回の一件、凶行に及んでいたのはヘド・ブラッドとガブリエラ・ゴートの一人娘レイチェル・ゴートでした。
彼らの凶行は、魔法が使える者と使えない者の間で生まれた格差に起因するものです。
しかし現代社会にとって魔法は不可欠で、もし失おうものなら人々はたちまち混乱に陥るでしょう。双方に生じている格差を埋めることは私個人にできるはずもありません」
「その通りだ、お前ひとりが何をしようとも世界は変わらない」
「ですが、真実を届けることはできます」
「真実を?」
ヴィクターが眉をひそめた。
「真実を知る権利は誰にだってあります。そこに技術力の差や社会的地位の介入なんてものは、決してあってはならない。
今回の事件、私は転生実験の被害者でありガブリエラのことをよく知る、ニック・ウォーカーという男と出会いました。彼の望みは、真実の公表ただひとつです。
大切な人を奪われたうえ、権力者の身勝手で誤った情報を拡散された彼は苦しんでいました。平等に真実を与えることができたのなら、悲劇は起きなかったはず」
アリアナの言葉に耳を傾けたまま、自らの口を開こうとしないヴィクター。
書斎にしばらくの静寂があったのち、アリアナがすぅっと深く息を吸い込んで速まる鼓動を落ち着けた。
「私にとっての魔法は、真実を暴くための力です」
その言葉を聞くや否や、ヴィクターは驚いたような顔でアリアナの目を見つめ返す。
「力によって真実が伏せられ、捻じ曲げられ、その代償を弱者が払う。それが世の中だというのなら、私は同じだけの力を持って真実を捻じ曲げんとする者たちを糾弾し、公正な判断のもとで償わせます」
「それが、お前の見つけた答えか」
「多くを敵にまわすことも、針のむしろに立たされることも承知の上です。しかしどんな状況に陥ろうとも、私は私の答えを後悔することはありません」
魔法によって生まれた人間の格差。レイチェルの怒りをぶつけられてから今の今まで、アリアナはずっと考えていた。
「魔法、出自、しがらみ。格差や因縁の絶えない世の中で、真実だけは全ての人間に公平に与えられるべきではないでしょうか」
不平等な世界で、唯一平等なもの。
ようやく見つけたアリアナにとっての答えが、【真実】だった。
「そこまで言うのなら、今お前が言ったことを全て次の帝議会に持ち込もう。証拠と照らし合わせ、事実だと認められたものは全て公表する。
だが、あまりアテにしすぎないほうがいい。それだけは覚悟しておくことだな」
「ありがとうございます」
ヴィクターに深々と頭を下げ、アリアナが踵を返す。
金のドアノブに細い手が触れた時、
「アリアナ」
背中越しにヴィクターがアリアナを呼び止めた。
「お前の入学祝いをまだしていなかったな。後日、改めて寮に報せを送ろう」
「お父様?」
予想もしなかったヴィクターの言葉を受け、アリアナは呆気にとられた。
それもそのはず、少し前までアリアナは家を追い出される覚悟だってしていたのだ。彼の口から入学祝いなんて言葉が出てくるなんて、自分の耳を疑ってしまう。
「家族に顔をあわせる際には怪我を治しておけ。マクニコルの魔導師が、そんなみっともない姿を見せるものじゃない」
「…………ありがとうございます」
アリアナが心から笑ったのは、幼い頃にレイアの物語と出会って以来のことだった。
*
後ろでひとつに束ねた長い灰髪の天辺に小鳥がとまった。ボーっと青空を眺めていたリルクレイのことを、オブジェとでも思ったのだろう。
頭の上に重さを感じてはいるが、リルクレイはそれを追い払おうともしなかった。
そのまましばらくマギサエンドでの長閑な昼を小鳥と過ごしていると、何かに気付いた小鳥が逃げるように羽ばたく。
「待っていたんですか」
天使像を中央に構える噴水の淵に座っていたリルクレイのもとへ歩いてきたのは、多くの使用人に見送られて屋敷をでたアリアナ。
まさか屋敷の庭でリルクレイが待っていると思わなかったのだろう。灰色の外套にくるまれた小さなシルエットを見つけるなり、アリアナは呆れてため息をつく。
「私が持ち帰った資料だからね、不備はなかったかと心配になっただけさ」
「もっと欲しいところですが、状況が状況でした。持ち帰れただけでも上々でしょう」
すっくと立ちあがるリルクレイも、彼女の目の前で足を止めたアリアナも、顔は痛々しい傷痕だらけ。ブラッド邸で起きた事件ののち、持ち帰った資料を確認したりと治癒院へ足を運ぶ時間がなかったらしい。
「それで、どうだった?」
「お父様が尽力してくれるとのことです。ジョージ・ブラッドやヘド・ブラッドが行った転生実験については立証されると思われますが、ガブリエラのことはおそらく」
悔しそうに歪んだアリアナの顔で、リルクレイはおおよその内容を悟った。
ガブリエラ・ゴートは、これからも裏切りの魔導師として語り継がれるのだろう。
ヘド・ブラッドをはじめ、レイチェルやニックにとって報われる結果ではないはずだ。彼らの胸の内を聞いたアリアナは、それが悔しくて仕方ない。
「他の誰も知らなくたって、私たちだけはガブリエラという悲劇に見舞われた女のことを知っている。それを語り継ぐことくらいは、彼女のためにできるはずだ」
そう言って顔を綻ばせたリルクレイが、アリアナに右手を差しだす。
「これは?」
「ともに修羅場をくぐり抜けたんだ。そこには友情が生まれるはずだろう?」
握手しようと、そう言っているのだろう。
あまりにもバカらしいリルクレイの言動に、アリアナはため息をつく。
「この件はマクニコルの手柄になるでしょう。あなたの名前がでることはありません」
「むしろ好都合だ」
「ですが、あなたがいなければ私は殺されていました。それに入学試験のことも、あれは引き分けでなく私の完敗です」
握手を求めたリルクレイに応えることなく、アリアナは彼女を真横を通過していった。
「敗北した相手に命まで救われて、面目は丸潰れです。せめてあなたと対等になるまで、その手に応えることはできません」
「まったく、強情というべきか真面目というべきか」
流石に今回ばかりは心を許してくれると思っていただけに、落胆も大きい。差しだした手を戻さなくてはならない自分を嘲笑い、リルクレイも踵を返してアリアナの背を追う。
五人分くらいの間をあけて前を歩いていたアリアナだったが、何か思い出したように「それから」と言って足を止めた。
「私とあなたに友情が生まれることは絶対にないので、勘違いしないように」
背中越しに言いたいことを言ったアリアナの足が、再び動きだす。
「なんだ、冷たいじゃないか。同じ部屋で寝泊りするよしみなんだから、もう少し友好的になってもいいだろう」
「あなた、全然部屋に帰ってこないじゃないですか」
「そんなことは……あるか」
「受けた恩は返しますし、実力も認めます。けれど私はあなたの人を見下した態度とガサツな性格が大っ嫌いなので、レイア様に誓って私があなたと友人関係になることは――」
アリアナの足が、また止まった。
「どうかしたかい?」
今度はつられてリルクレイも足を止めた。
「ひとつ、聞きたいことが」
「よしきた、何でも答えよう。好物なら歓迎会で食ったピザが美味かったな」
振り向いて顔をあわせることもなく背中越しに飛んできた言葉に、リルクレイは目をキラキラと輝かせる。
「転生実験はレイア様を復活させるために行われたものでした。あなたは転生実験が行われた第四実験場の生き残り、ガブリエラたちと同じように何らかの理由で魔法を回避したと考えるのが妥当でしょう。
けれどもし転生魔法が成功していたとしたら、あなたは……」
「お前はどう思うんだい?」
「質問しているのは私です」
ようやく振り返ったアリアナの真剣な眼差しは、決して談笑を求めるものじゃない。
「あなたは、本当は……」
自分へ向かう疑念に、リルクレイは思わず笑ってしまった。
「偶然村の外へ出ていて魔法を回避できただけさ。レイアのことは、書物を読んでファンになったんだ」
「そうでしたね、あなたがレイア様だなんて一瞬でも考えた自分が恥ずかしいです」
へらへら笑いながら告げるリルクレイと史実の魔導師の鑑たるレイアは、似ても似つかない。
一瞬でもふたりの姿を重ねてしまった自分を戒め、アリアナは踵を返して歩きだした。
「騙すような真似をしてすまないね、アリアナ」
巨大な庭園の先にある門を目指して歩くアリアナの背中を見つめながら、リルクレイが呟く。
「だけどきっと、夢は夢のままでいたほうが今の私たちにとっていいのかもしれない」
自分の正体を小さな胸のなかに秘めたまま、リルクレイも再び歩みはじめた。
数日後、リルクレイもまたレイアのファンだと知ったアリアナの容赦ない飾りつけが、ふたりの部屋の容姿をガラリと変えることとなる。
レイアの人形、レイアの胸像、レイア関連の書籍、レイアを描いた有名画家の絵画。とにかくアリアナの実家から持ちこんだレイアグッズに囲まれ、リルクレイは正体を明かさなかったのは正解だと心底思ったという。
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
リルクレイとアリアナという少女たちの話はこれにて完結です。
自分のなかにあった疑問やモヤモヤをキャラクターたちの物語として言語化できたこと、読んでいただいたひとりでも多くの方々と時間を共有できたこと、非常に嬉しく思っております。
これから続く物語を描くか、それとも全く違う話を描くか、今のところは分かりませんが活動は続けたいと思いますので、その際はまたよろしくお願いいたします。




