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3.魔法都市マギサエンドへ

 ドンっと下から突きあげるような衝撃を背に受けてレイアは目を覚ました。目の前に広がったのは、またもや知らない天井と顔を覗きこむ知らない中年男性。


「ようやく目を覚ましたか、嬢ちゃん」

「お前は?」


 レイアが目覚めるや否や、中年男性はにっこりと微笑んで小さな頭を雑に撫でる。


「俺は運び屋のウェルダ、あっちで手綱握ってんのが弟のクリエットってんだ。あんな山のなかで倒れてるから死んじまったのかと思ったぜ」

「山のなか? そうか、私は道中で意識を失っていたのか」


 ぐぅっと恥ずかしげもなく鳴る自分の腹音を聞きながら、ようやくレイアは荒々しく揺れる馬車で目を覚ますまでのことを思いだした。

 蹄の跡を追って山を越えようとしていた道中であまりの空腹に朦朧とし、遂には力尽きた。険しい山中で倒れたレイアを助けてくれたのが、優しい運び屋の兄弟だったらしい。


「腹が減ってるなら何か食べるといい。好き嫌いはあるか?」

「食に感謝することはあっても、拒絶することはない」

「そいつは偉い、親御さんの教えが良かったんだろうな」


 げらげら笑いながら、ウェルダが馬車のなかで一緒に揺られていた積み荷の木箱をひとつ床に降ろす。


「おい兄貴、そりゃマギサエンドに届ける品物だろ」

「細かいこと言うなってクリエット、少しぐらい無くなっても気づきゃしねえよ。それにガキが腹空かしちまってんだ、放っとくつもりか?」

「……少しだけ、先方にバレないようにしろよ」


 苦い表情を浮かべたクリエットの背を見て小さく笑いながら木箱をひらくウェルダ。なかから手に取ってレイアに差しだしたのは、ふたつのほどよく熟した林檎だった。


「いいのか?」

「ガキが遠慮なんていらねぇもん覚えなくていいんだ。美味ぇから食っとけ」

「優しいのだな」


 どちらかといえば強面で筋骨隆々、言葉遣いも荒っぽい。そんなウェルダの笑みや言動から滲みでる優しさにレイアは顔を綻ばせ、小さな口で林檎にかぶりついた。


「行き先はマギサエンドだが、嬢ちゃんはそれでいいか?」


 背中越しにクリエットが問いかける。


「マギサエンド?」


 当然、五百年前を生きていたレイアに現代の地名が伝わるはずもない。しかし、その名に覚えはあった。

 ――――様方は【マギサエンド】に戻られてください。

 雨音で詳細には聞き取れなかったものの、村に現れた一団の女が告げていた地名である。


「なんだ、知らないのか? 魔法都市マギサエンドだよ」

「魔法都市、マギサエンド」


 聞くたび、口にするたび、ぼんやりと思い浮かぶ。レイアの魂に混ざった人々の記憶に違いない。


「世界の魔導師の八割がマギサエンドの魔導師学園を卒業してる、魔法の時代を担う中枢部。それがマギサエンドだ」

「魔法の時代……魔法都市……」


 細い指で自身の輪郭をなぞりながらレイアが考えていたのは、やはり村で遭遇した一団のこと。

 転生魔法が彼らによるものだったとして、それは非常に高度な知識と技術を要する魔法。当然ながら、一朝一夕で魔法を身につけたような使い手では到底不可能である。

 一団の正体と目的を突きとめたいレイアにとって、魔導師の八割を輩出する魔法都市が目的地というのは願ってもいない幸運だった。


「ほら、あれが魔法都市マギサエンドだ」


 二頭の馬へ繋がる綱から放した片手でクリエットが指した先に見えたのは、天高くそびえる壁。その高さはレイアが村から見上げた山を優に超える。


「凄まじい技術力だな」


 人の手で築いたとは到底思えない巨大な壁を目の当たりにしたレイアがぽろりと漏らした声を聞いて、ウェルダがゲラゲラ笑い声をあげた。


「そりゃそうさ、なんたってあそこには何万って数の魔導師がいる。運び屋として各地をまわっちゃいるが、あれほどの街はマギサエンドの他にねぇ」


 道端に転がる小石に躓いては車体が持ち上げられていた獣道と打って変わって、人の丈の十倍はあろうかという正門に近づけば近づくほど地面は平らな石畳になっていく。

 小さな段差の連続に、今度は車体がガタガタと小刻みに揺れはじめた。


「あの日、あの瞬間、魔法は衰退の一途を辿ると思っていたが……これはなかなか感慨深いものがある」


 大きな川にかけられた石橋を渡り終える頃、クリエットが嫌悪に顔を歪めて舌打ちする。


「ったく、またやってるよ」

「どうかしたのか?」


 馬車のなかから小さな頭をだせば、クリエットの嫌悪の矛先はすぐに分かった。

 巨大な正門の前に大勢の人が群がって、ひとりひとりのあげる怒号がこれ以上ない騒音となっているではないか。


「またやってんのか、飽きないもんだなぁ」

「何やら穏やかじゃない様子だが、度々見る光景なのか」


 正門に向かって浴びせる罵詈雑言が、近づくにつれて大きくなっていく。

 有象無象の後ろ姿しか見えないが、レイアは似た光景を知っている。彼女を「悪魔」と呼び、処刑場で罵詈雑言を浴びせた市民たちと同じだ。


「ありゃ魔法反対運動だよ。一番近い町でも馬車で一日半かかるってのに、よくもまあわらわら集まってくるもんだ」


 暇してんだろうなぁ、と最後にボヤいたウェルダもまた、先導のクリエットと同じように顔を歪める。


「今の自分たちの生活があんのは魔導師様のおかげだってのに、恩知らずな連中だよ」


 魔法反対、魔法は不平等の象徴、魔導師は人殺し。看板とともに同じ意志を掲げた群衆の背からクリエットの馬車が近寄ると、黒い外套を羽織った門番たちが「道をあけろ」と杖を構えた。

 くたびれた木の棒にしか見えない杖も、魔法の使い手が持てばおぞましい凶器へと形相を変える。


「嬢ちゃん、俺らに話を合わせてくれないか?」

「それは構わんが」

「助かるよ、こうして反対運動やってる時の警備は厳しいんだよ。親父の世代の時はもっと緩かったらしい」


 向けられた杖に怯えて道をあける群衆の割れ目を、馬車が進んでゆく。次第に攻撃の矛先はクリエットたちにも向けられ、左右から罵詈雑言が馬車を襲った。


「積み荷を確認する。搭乗者は降り、通行証の提示をお願いします」


 正門前でレイアも含めた搭乗者三人を降ろすと、門番たちが荷物検査をはじめる。

 屈強な男が積み荷をひとつひとつ降ろして確認するのではなく、杖を構えた外套の男が重たい木箱を宙に浮かせて検査するあたりは、やはり魔法都市といったところだろう。


「君は?」


 ひとりの男が、馬車から降りてきたレイアに目をとめた。

 厳つい男たちが乗りこむ馬車からボロ布をまとう貧相な少女が姿を現せば、異常事態を疑うのも無理はない。


「ああ、こっちの嬢ちゃんは入学試験を受けに田舎から出てきたってんで、途中から乗せてやったんだ。この細い足でマギサエンドまで歩かせるのは心苦しいだろ?」

「そうか、入学試験を」


 どうやらクリエットの言うそれが、彼なりに考えた策なのだろう。視線を降ろした先でレイアが大きく頷くと、男は安心したように息をつく。

 見事に作戦は成功だった。


「そうだ嬢ちゃん、馬車のなかに外套がある。そいつを着るといい」

「兄貴、また荷物を」

「こんな若い嬢ちゃんを裸同然の恰好で歩かせるのも悪いだろう」

「そりゃそうだけどさ」


 ウェルダの良心だとは理解しながらも、クリエットは兄の勝手な言動にため息をつかずにいられない。


「お前たちの品物だろう? 本当にいいのか?」


 レイアにそう問いかけられると、クリエットは頷いて馬車を指す。


「ああも言われたんじゃな、さっき手前に積みなおしてた細長い木箱がそうだ。何着か入ってるはずだから、気に入ったのを持ってくといいさ」

「まったく、よく似た兄弟だ」


 通行証を門番に見せるクリエットの隣を通過し、馬車の荷台にのぼったレイア。彼の言うよう手前に積んであった細長い木箱をあけると、幾つもの色や生地の外套が綺麗に折り畳まれていた。

 赤や黄色と派手な色も考えたが、広げてみるなりレイアは首を何度も横に振る。


「これは派手過ぎる」


 次にレイアが広げたのは、以前も彼女が愛用していた黒色の外套。しかし先ほどの派手な外套に比べれば生地が薄く、安っぽいようにも見えた。


「黒も捨てがたい」


 頭を悩ませるレイアだったが、そんな彼女の視界の隅に灰色の外套が映る。


「この髪の色とお揃いか、色も生地も実に私好みの逸品だ」


 嬉々として顔を綻ばせながらレイアが灰色の外套を羽織る頃、馬車の外では検査が無事に終わったらしく、クリエットの通行証に大きな判子が押されていた。


「通行は三人で認証してある」

「どうも」


 クリエットが小さく会釈しながら通行証をしまっていると、馬車のなかから着替え終えたレイアが降りてくる。


「すまない、本当に助かった」


 なかに着ているボロ布はそのままだが、大きめの外套を羽織ってズボンを履いた彼女の姿は、なんとも可愛らしい子どものようだった。


「お嬢さん、入学試験は明日の午前十時からだ。遅れないように気をつけるんだよ」

「忠告、恩にきるよ」


 人と人との間を滑るように動いていたレイアの目が、声をかけてくれた男性門番のところでピタリと止まる。それもそのはず、男が着ている黒色の外套の胸もとにはリルクレイ村で見たのと同じオオカミの紋章があったのだ。

 じぃっと胸もとばかり見るものだから、男も不思議そうに首を傾げる。


「どうかしたかい?」

「その紋章、ステキだと思ってね」

「ああ、これか。これはマギサエンドに所属する魔導師の証さ。始祖の魔導師様が愛した動物を象った誇り高き紋章なんだよ」

「魔導師。そうか、魔法の使い手を魔導師と呼ぶのか」


 クリエットとウェルダが馬を引きながら搬入ルートを相談する間、レイアは自身の輪郭を指でなぞりながらひとり頷いた。


「実は私が入学試験を受けるのには理由がある」

「理由?」


 ひとりの魔導師の門出は、マギサエンドの魔導師にとって喜ばしいことである。だから男は嬉しそうに顔を綻ばせながら見知らぬ少女の話に耳を傾けた。


「恩人を探しにきたんだ。白い外套の背に同じようなオオカミの紋章をつけていた」

「その魔導師の名前は?」

「名は聞いていない。以前助けてもらったことがあるのだが、名も顔も晒さず颯爽と消えてしまった」


 呼吸するように吐きだした嘘は、男に僅かな疑心も与えない。


「なるほど、だけど白い外套ならマギサエンドでも羽織える魔導師は限られている。それはきっと魔導師学園の関係者だよ」

「関係者だけが、白い外套で統一されているのか?」

「これから魔導師となる学生たちに、偏った知識や思想を植えつけてはならない。学園関係者が羽織る外套の白っていう色は、そんな【純白の教え】の象徴とされているんだ」

「色々とありがとう。入学試験が楽しみだ」

「それはよかった、頑張って」


 話しているうちにクリエットたちの相談が終わったらしく、「嬢ちゃん行くぞ」とウェルダの声が響いた。


「ああ、今行く」


 馬車を引くウェルダに呼ばれ、石と鉄の門をくぐる。

 その先に広がったのは、魔法の世界だった。

 大道芸人が水と炎を自在に操って観衆から黄色い声を浴び、露店が軒を連ねる通りでは杖や巻物といった魔法に関する必需品がずらり。


「魔法都市マギサエンド、これが魔法により発展した世界」


 井戸の水を汲むのも魔法。部屋に灯りをつけるのも魔法。石を躯体にして、三階建てや四階建ての大きな建築物をつくるのも魔法。ひと際目立つ巨大な時計塔や石像だって、魔法という技術が生みだした芸術である。

 右も左も魔法にあふれ、生活の全てが魔法によって成り立つ世界を目の当たりにしたレイアは、肉体相応の少女みたく瞳を輝かせた。

 そんな彼女のすぐ隣を黄金灯魚が横切る。街の低空を縦横無尽に泳ぐ無数の黄金灯魚に昼夜は関係なく、その日その瞬間も画板に滲む絵具のように淡い光で人々を照らしていた。


「俺らは納品にまわるが、どうする?」


 どんどん足を進めていくレイアの小さな背中にウェルダが問う。


「私は私の言葉通り、入学試験を受けてみようと思う」

「そうか、頑張れよ」

「ああ、色々とありがとう。道中で拾ってくれたのがお前達で本当に良かったと思うよ」

「未来の魔導師様にそう言ってもらえるのは光栄だよ」


 食料や日用品に衣料品、魔法用具。様々な商品を扱う店が軒を連ねる露店通りを目でなぞっていたレイアの目が、中央広場にそびえる巨大な石像でピタリと止まる。

 外套を羽織り、太陽を模した杖を天にかざす女性の魔導師の像なのだろうが、レイアはどうもその姿に見覚えがあった。


(私は悪魔と呼ばれて国王ヘインダルに処刑されたはずだが、時の流れというやつは理解できんな)


 マギサエンドの正門をくぐった商人たちが、像の足もとで手を合わせて深く頭を下げているのが見える。

 ウェルダとクリエットも同じで、ふたりはレイアの隣で頭を下げるとともに像へ感謝の言葉を捧げていた。


「この像へ祈るのが魔法都市の慣わしなのか?」

「慣わしってほどじゃないが、今の俺たちの生活があるのは始祖の魔導師様あってのことだ。だからマギサエンドに入る時はこうして感謝をこめて祈るのさ」


 問いに答えたのはクリエットだった。


「始祖の魔導師、か」

「ウチは親父が魔導師でな、その時に魔導師の教えをよく聞かされたもんだ」


 幼い頃を思い出して小さく笑いながら、ウェルダがさらに続ける。


「【正しさ】を追い求め、【正しさ】という答えに辿り着いた時――」

「【正しさ】の概念は崩壊する、だろう?」

「なんだ、知ってたのか。嬢ちゃんも身近に魔導師がいたのかい?」

「まあ、そんなところさ」


 そう言ってレイアは門から吹きこむ風に外套を靡かせながらウェルダに背を向ける。


「ウェルダ、クリエット、心優しき運び屋兄弟の名を、私は生涯忘れない」

「そうまで言ってくれりゃ、助けた甲斐があるってもんさ。そういや、嬢ちゃんの名前を聞いてなかったな」


 クリエットの問いかけに、レイアは自らの顎に手を添えて考える。


「リルクレイ、私の名はリルクレイだ。この名を覚えておいてくれると嬉しい」

「覚えとくよ」


 始祖の魔導師レイアの石像の前で、少女はそう名乗った。

 それは決して忘れてはならない地図から消えた村の名前。

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