24.はじまりの物語
十五年前、ニック・ウォーカー当時十一歳。
マギサエンドから馬車を二日半ほど走らせたところにある長閑な村はある日を境に最先端の技術を手に入れた。魔法である。
「父ちゃん、俺は絶対に魔導師になる」
「アホか、お前はウチでトウモロコシを育てるんだよ!」
ニックが言うと、父・デニスがテーブルを強く叩いた。似たようなやりとりがはじまったのは一年ほど前。トウモロコシ農家のひとり息子が突拍子もないことを言うものだから、デニスは呆れ果てた。
「ブルックスさんが村に来てから便利になったって、父ちゃんも母ちゃんも言ってたろ!
俺もブルックスさんに魔法のことを教えてもらって、魔導師になってやるんだ!」
朝食後、ニックは顔を真っ赤にして怒鳴ると家を飛びだした。
年中半袖で過ごせるほど暖かい気候の村で過ごしているのは農家とその家族ばかり。何の名所もない辺境へ観光にくる客がいるはずもなく、民宿をはじめ飲食店や娯楽施設も当然ない。
いるのはトウモロコシ農家か、酪農家か、最近はカカオ豆をつくる農夫も数人でてきたらしい。
「なんだよ、魔法がありゃもっと楽な暮らしができるのに、汗だくで泥だらけになって腰痛めて……かっこわりぃ」
村に点在する井戸の七割は、数年前に村へやってきた魔導師ガブリエラ・ブルックスによってつくられたものだ。長年雨にさらされた家屋の修理だって、劣化で使いものにならなくなった農具だって、彼女の登場は貧しかった村に豊かさを与えた。
「ブルックスさん、今日もいるかな」
娯楽のない村でニックが向かったのは、村を囲む林を抜けたところにある川。はずむような足取りで向かったそこには案の定、洗濯をする女性と不器用ながらも手伝う幼い少女の姿があった。
「ブルックスさん!」
「あら、ニック」
大きな呼び声に気がついて、くるりと振り返った女性はにっこりと微笑む。けれど彼女の隣にいた少女は逃げるように背中へ隠れてしまった。
「洗濯、俺も手伝うよ」
「いつもありがとうね」
桶のなかでしわくちゃになった衣服を一枚手にとり、ニックも女性と同じように川で洗濯をはじめる。
年がら年中湿った暑さに包まれている村ではあったが、川のほとりはまるで違う世界みたく涼しい風が吹く。ニックはそんな場所がたまらなく好きだった。
「ブルックスさん、魔導師なのに魔法使わないの? 洗濯なんてすぐに終わっちゃいそうだけど」
「すぐに終わっちゃうと、ここでこうして涼めないでしょ? 私もこの子も、すごくこの場所が好きだから」
ガブリエラ・ブルックスも、彼女の一人娘も、それは同じ。
「俺もここが好きだよ、家のことも忘れられるし」
「家のこと?」
「俺はブルックスさんみたいな魔導師になりたいのに、親父がウチのトウモロコシ畑を継げってうるさいから」
「お父さんの仕事、嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ、だけどかっこ悪い」
ニックの顔がむすっと膨らんだのを見て、ガブリエラはクスクス笑う。
「そう? 私はかっこいいと思うよ」
「かっこ悪いよ、毎日毎日土まみれになって、腰も痛めてるのに」
「【正しさ】を追い求め、【正しさ】という答えに辿り着いた時、【正しさ】の概念は崩壊する」
突然妙なことを言うものだから、ニックは目をまん丸にしてガブリエラの横顔を見上げた。
「なにそれ」
「魔導師学園で教わったの、魔法をつくった偉い人の言葉だって。魔導師はみんな、この言葉の本当の意味を探し続けてる」
「へぇ」
「私には、人間はひとりじゃ生きていけないんだよって聞こえるの」
「どうして?」
「トウモロコシ畑を続けていくことは、お父さんにとっての正しいこと。魔導師になってお父さんたちを楽にしたいのは、ニックにとっての正しいこと。
みんなが別々の正しさを持ってるけど、これが正しいんだって意地っ張りになっちゃうとそれは正しさじゃなくなってしまう。だから私たちは不完全な正しさを持ち寄って、それをお互いに磨き続けなきゃいけないの。【正しさ】が【正しさ】でなくならないように」
急に返事が返ってこなくなるので脇に視線をやると、ニックの顔も洗濯する手もピタリと止まって抜け殻みたくなってしまっていた。
「ごめんごめん、ちょっと難しかったね。人間はみんな協力しないと生きていけないよってこと」
「ブルックスさんも?」
「もちろん」
「魔導師なのに?」
「今の私には旦那がいて、この娘がいる。私が病気になった時には家族が助けてくれるの。
だからニックも、お父さんが困ってるときは助けてあげなきゃだめだよ? ニックだってお父さんやお母さん、村のみんなに助けてもらって今があるんだから」
考えとく、とだけ言ってニックは口をツンと尖らせたまま洗濯を続ける。
「ニックも、おそろい」
黙って洗濯をしていたニックの左腕を指して、少女が口をひらいた。
短くて可愛らしい指が向いていたのは、水に浸かったり出たりを繰り返すニックの左肘から手首の丁度真ん中あたりに刻まれた数字のタトゥー。
「ああ、これ? 少し前にマギサエンドの人たちが病気を治すためにって言ってたけど、俺ってなにか病気なのかな」
「違うよ、私だってほら」
少し不安げな顔をしたニックに、ガブリエラは自らのよれたシャツの半袖をめくり、右肩を見せる。ニックの左腕に刻まれた【166】と同じように【185】という数字が刻まれていた。
少し体を傾けてガブリエラの陰に隠れた少女を見れば、彼女も左の二の腕に【186】の数字が刻まれているではないか。
「治癒院っていう病気や怪我を治してくれる人たちが、悪い菌から私たちを守るためにって。だから村のみんな、これに守られてるの」
事実、治癒院の医術に長けた魔導師たちが流行り病などを防ぐために村を渡り歩く行事はある。その際、免疫力を高める魔法を施した証に村人へ目印となるタトゥーを刻み、街によっては出入りにタトゥーの確認を必須化しているところもちらほら。
「へぇ、そういうもんなんだ」
「うん」
とはいえ、ひとりひとりに違う数字を刻みつけるなんて話はガブリエラも聞いたことがない。これではまるで家畜じゃないか、と思ったりもしたが治癒院のことは治癒院にしか分からず、外部の人間であるガブリエラが把握していることは極めて少ない。
こういう場合もあるのだろう。ガブリエラはその程度にしか考えていなかった。
「この感じ」
涼しい川のほとりで洗濯していたガブリエラ自身の背中に生暖かい風がぶつかる瞬間まで、ずっとそうだった。
「ねえ、あれなに」
少女が指したのは、村のほう。彼女の短い指が向かう先へ視線をあわせれば、木々を妖しい光が駆け抜けるのが見えた。
「もしかして、魔法?」
手にした衣服を桶のなかへ投げ捨て、恐る恐る立ちあがったガブリエラの目が泳ぐ。
「ブルックスさん?」
「ニック、レイのことをお願い。私は先に村へ戻ってるから!」
レイと呼んだ愛娘をニックに任せ、ガブリエラが血相を変えて走りだした。それもそのはず、村にいる魔導師は自分ひとりで、自分がいない村で魔法が発動するはずがない。
しかし、未だ村から風にのって流れてくる空気の生暖かさは魔力熱によるもので、妖しい光も魔力が反応を起こした際によく見られる光。
「どういうこと? もしかして魔賊が?」
村についたガブリエラが目にしたのは、いつもと変わらない穏やかな村。魔賊がきたような喧騒はなく、風に乗ってまわる風車の音だけが喉かな景色に響きわたる。
「どういうこと?」
魔導師学園を首席で卒業したガブリエラだ。彼女の感じた魔法の気配が、勘違いだったというのは考えにくい。
慎重な足取りで村を歩いた彼女がまず向かったのは、自分の杖を置いたままにしている我が家。しかしその道中、井戸の傍で倒れている女性を見つけた。
「ブリットさん!」
倒れている女性の名はブリット・ハンフリー。酪農家のモリス・ハンフリーの伴侶で、街で商人として働く二十六歳のひとり息子がいるガブリエラの知人だ。
ブリットの上体を持ちあげて揺らすが反応はなく、脈ももう動いていない。
「うそ」
体はほんのり熱をまとっているものの、外傷はない。
「魔力熱、魔法で殺された?」
ごめんねブリットさん、と彼女の体を土に寝かせ、開きっぱなしの目を閉ざしてやる。
「ブリットさんだけじゃない、村のみんな」
歩けば歩くほどに見つかる外傷なき死体の数々を見つけ、ガブリエラの顔色が徐々に青ざめた。
「まさか」
慌ててガブリエラが向かったのは大きな畑を裏手に構える彼女自身の小さな家。そこには誰の姿も見られず、すぐさまベッド横の杖を持って家を飛びだす。
家の裏手にあるトウモロコシ畑へ急いだガブリエラが、自分の背丈を越すまで育ったトウモロコシを掻き分けて見つけたのは力なく倒れた男性の姿。
「アーサーっ!」
すぐさま駆け寄って彼の体を抱きかかえるが、やはり息はない。
「そんな、どうして」
乱れた金髪の隙間から見える翡翠色の瞳から大粒の涙があふれた。
「起きて」
どれだけ嫌なことがあっても落ち着きを与えてくれた彼の胸板に額をぶつけるガブリエラ。しかし彼の心臓はもう動いていなかった。
「ねぇ、起きてよ」
何度呼びかけたって、一生添い遂げると決めた彼が起きることはない。怒りや悲しみの矛先さえ見つけられず、ガブリエラは幼少期以来はじめて大声を散らしながら、わんわん泣いた。




