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2.五百年後の世界

 ざあざあと、雨の音が聞こえた。ただよう湿っぽい空気が肌にまとわりつく。

 雨のにおい、麦のにおい、生々しい血のにおい。複雑に絡みあうにおいにレイアはたまらずむせ返った。


「げほっ、げほっ、なんだこれは」


 重たいまぶたをひらくと、見知らぬ天井があった。隙間なく敷き詰められた板は降りつづける雨の侵入を一滴たりとも許さない。

 軋む体をむっくりと起こす最中、レイアは瘦せ細った自分の腕を見て顔をしかめる。


「これが、私?」


 血で濡れた床を見ようと顔を下へ向けた際に垂れてくる灰色の長い髪もレイアのものではない。レイアの毛は赤く艶やかで、ベタついた灰髪とはほど遠かった。


「死んだはずだが、まさか死後の世界か」


 小ぢんまりとした家屋のなかには、レイア意外にも若い男女がひと組。しかしすでに息はなく、顔の穴という穴から流血して置物みたく転がっている。


「と、いうわけではないか」


 今になって気づいたことだが、レイアの手足や衣服とも言い難い体に巻いただけのボロ布も血まみれ。彼女自身もふくめた三人の血が家屋の床を血の海へ変えていた。

 関節がみしみしと軋みながら痛む。ガタつく体に鞭をうって起こし、倒れた男女の傍に近寄ってみるが当然のように反応はない。触れてみたって、揺らしてみたって、うんともすんともいわない。


「死後の世界で死者がでることもないだろう。それにしてもこの骸、外傷がない」


 気がかりだったのは、絶命しているにもかかわらず彼らの素肌には外傷がひとつも見当たらないこと。


「私も同じか、しっかり首が繋がっている」


 レイアの首は、国王ヘインダルの命令により断頭台で落とされた。死後の彼女は知らないが、首を斬ったあとの骸はそのまま火炙りにされている。

 生存の余地が微塵もなかった自分が生きていることに戸惑いながら、レイアはくるりと踵を返して骸に背を向けた。


「少しだけ状況が掴めたかもしれない」


 出入り口の脇に備えつけられた竈の傍で、桶の底を覗く。ゆらゆら揺れる水面に映ったのは、灰髪の見知らぬ少女だった。

 瘦せこけた頬にベタベタはりつく灰髪。宝石のような碧眼。細長い首と血に濡れた白い肌。水面に映る貧相で幼い少女は、レイアの知る自身の容姿と大きくかけ離れたもの。


「転生魔法」


 ぼそっと呟いたのち、レイアは桶の水で強く擦りつけるように顔を洗った。


「魂の情報を収束させ、別の器に繋ぎとめる。原理的には完成していた魔法だが、事前検証すらしていない不完全な魔法を一体誰がどうやって」


 家屋のなかから窓ガラス越しに見える村は世辞にも栄えているとはいえない素朴な環境で、絶え間なく大雨が降り注ぐそこに人影はひとつもない。

 冷たくなった窓ガラスを細い人差し指でなぞれば、霜のなかに真っ直ぐな線が描かれる。


「何のために私を」


 自分に与えられた見知らぬ少女の肉体へ視線をおろしたレイア。


「誰がどうやったかは知らないが、私はもっと背が高かった。それに胸も尻も、これでは子どもじゃないか」


 はぁ、とため息がこぼれる。


「それは肉体の持ち主に悪いな」


 テーブルのうえでバスケットから転がり落ちていた味の薄いパンを頬張り、骸のほうへ歩み寄っていく。よく見れば男は今のレイアと同じ灰髪の持ち主で、女の横顔は今の顔と似ている気がしなくもない。


「家族、だったのか」


 屋内を歩くたび、床いっぱいに拡がる血が何も履いていないレイアの足の裏にはりつく。


「死して魂を失った骸に私が邪魔したわけだ」


 起きあがってからしばらく動いているうちに気づいたが、すでに関節の痛みはない。

 血のうえで胡坐をかいたレイアの手が、俯せに寝た骸の背中をなぞりはじめた。


「血や骨が肉体を築くように、魔力が魂を築く。魂のない骸に魔力なんかあるはずがかないのに、これは」


 男の背に感じる生温かさに険しい表情を浮かべると、今度は立ちあがって女の骸の胸もとから股関節までそっと撫でおろした。掌に生温かい空気がじんわり滲むが、当然骸が体温を持つはずがない。

 レイアが人々に魔法を教える際、まず選ぶのは魔力と熱の関係性についてである。魔力が反応を引き起こして魔法と化した時に魔力は熱を持つ。魔法を使った跡には熱が残り、体内に熱が残り過ぎれば、それは臓器を破壊する。

 魔力の扱いに長ける者ならば皮膚感覚につたわる熱で魔力熱か否かを判断できるとレイアはいうが、まさにいま彼女の感じている熱がそれだ。


「魔力の痕跡、彼らの死は魔法によるものか」


 骸になってから、どれだけの時間が経過したかは知る由もない。だがレイアの掌が感じとっているのは、間違いなく何らかの反応を起こした魔力の残骸である。


「本来、人の暮らしを豊かにするはずの魔法に命を奪われるとは可哀想に」


 魔法の痕跡以外の熱を一切感じられない骸の頬を撫でると、レイアは悔しそうに唇を噛んだ。


「どうか魂の還る地で安らかに眠ってくれ」


 ゆっくり立ちあがったレイアが家屋の外へ出ると、そこは絶え間なく降り注ぐ雨音に支配された寂しげな村。ぬかるんだ地面に裸足で跡を残しながら、小さくて華奢な体を大雨に晒した。


「どうなっているんだ、この村は」


 村、というには寂しすぎる。

 廃村、というには軒を連ねる家屋が立派すぎる。

 少し歩いたレイアが、ずぶ濡れのまま別の家屋の前で足をとめた。つま先立ちで窓を覗きこめば先ほどと同じように、流血して倒れる家族の姿が見えた。

 血と泥で浅黒く汚れた足のまま部屋へ踏み入り、転がっていた骸の近くで膝をつく。


「この骸にも外傷はない。それに魔法の痕跡まで同じだ」


 大人の体を細くて非力な腕で持ちあげることはできず、仕方なくふたつの小さな骸を裏返した。仰向けにした若い男女は顔立ちも似ているのもあって、まず姉弟で違いないだろう。

 やはりこの骸にも外傷はなく、不可思議な生温かさだけが残っていた。

 自身の痩せた頬をなぞりながらしばらく難しい顔をしたあと、レイアがすっくと立ちあがる。


「なるほど、悪趣味なことをしてくれる」


 その後もずぶ濡れになりながら村を徘徊するが、案の定、生存者はない。

 家のなか、畑、井戸の傍ら。ありとあらゆる場所に外傷なき骸が転がっていた。


「私の魂を肉体へ直接繋ぐことはしなかった。いや、できなかった可能性が高いな。

 だから私を蘇らせた何者かは、本来のレイア・ワーグナーの魂に別々の異なる魂を結合することで欠損部分を補修し、今の時代の情報を与えながら今の私の魂を構築した」


 畑まで出向くと、道の傍らに【リルクレイ村】と刻まれた木製の看板が見えた。この村の名前だろうが、看板に刻まれている文字をレイアは知らない。

 生前、王国に伝わる文字を使って魔法のノウハウを書き記したレイアだが、今彼女の目の前にあるのは当時の文字列ではなかった。


「幾つもの魂が自分のなかで混在しているのは気味が悪い。この文字が読めているのは、私の糧となった魂たちの情報だろうな」


 村の中心部から、雨音に混ざって幾つもの足音が聞こえた。

 人の足音ではない。幾つもの蹄がぬかるんだじめんを抉って疾る馬の足音。

 畑から急いで村へ戻ると、レイアは家屋の陰に体を隠した。


「成功か?」


 白い外套の男が問う。

 村の中心へ到達した彼の周りには十人ほど黒い外套を羽織った者たちが集い、馬の背中から降りてくる。


「オオカミの紋章?」


 白い外套の背にも、黒い外套の背にも、一様に刺繍されているのは遠吠えするオオカミを模した刺繍。オオカミを背負った黒い外套たちが散り散りに村を散策するが、当然そこに生存者などいない。いるのは外傷なき骸だけだ。


「魔法は発動しているようです」


 井戸の傍らに転がる骸を足で小突いたあと、深くかぶった黒いフードの下から女の声が聞こえる。

 他にも骸を見つけては無慈悲に細い足で蹴ると、女は大きく頷いて白い外套の男のもとへ踵を返した。


「こちらに生存者はおりません」

「そうか」


 白いフードで顔は見えないが、低く太い声はそれなりに年齢を感じさせる。何より外套のポケットから二、三枚の葉を取りだした際に見えた手は、ハリツヤある若者のそれとえらくかけ離れたものだった。


「こちらも生存者なし、そちらは?」

「生存者なしです」


 散っていた黒装束たちが集まってはひとりひとり首を振る姿に、白い外套の男は大きなため息をついて落胆する。


「失敗か」

「――様、どういたしましょう」


「第五試験場のプランを早急にまとめましょう。雨がおさまったら死体と村は観測用の番号を確認後に焼きなさい。小さな村が地図から消えたところで誰も気づかない」

 そう言って葉をまとめて口へ放ると、白い外套の男は苦しそうにむせた。


「お体が冷えます。無理をなさらないでください」

「問題ありません、それよりも私が生きているうちに転生魔法を完成させなくては」

「そうまでして魔導師レイアを復活させる必要があるのでしょうか」


 白い外套の背を優しく撫でる女の手を振り払い、男は馬に跨った。


「我々人類が近年にしてようやくたどり着いた叡智に、レイア様は五百年も前に到達していた。魔導師ならばその意味が分かるはず」

「それは重々承知しております」

「レイア様の知識と技術さえあれば、混沌の時代は夜明けをむかえる」

「村の後始末には別動隊を呼びます。――様方はマギサエンドに戻られてください」


 オオカミの紋章を背負った男たちが去っていったのを屋根から確認すると、レイアは安寧の息をついた。

 たまたま見つけた木箱から屋根にあがって、存在を悟られないよう気配を消していたのは大成功だったのだろう。彼らの目論見通りに魔導師レイアは此処で復活していたものの、それが首謀者たちの耳に届くことはなかった。


「ペラペラ喋ってくれて助かった。災厄の悪魔を復活させてやろうとか、そんな狂信的な連中なのだろうが、買い被りにもほどがある」


 屋根から飛び降りようとも考えたが、この細い足である。衝撃でへし折れてしまっては堪らない。

 来た道を戻り、家屋の裏手から再び誰もいなくなった村の中心部へ姿を現すレイア。ぬかるんだ地面に雨水を受けて柔らかくなった一枚の葉を見つけ、すぐさま拾いあげた。


「この葉、先ほど頭のような男が食べていた。オオバコか?」


 緩やかに波打つ水面のような表面の大きな葉。手触りは雨に濡れてしまって分かりづらいものの、薄いながらにしっとりした肌ざわりで並みならぬ強度を持つそれは、レイアも知る薬草の一種。


「あの男が言っていた観測用の番号というのはコイツのことか」


 下半身が丸出しになるまで、自身がまとう薄布をめくる。きゅっとしまったレイアの横腹には【223】という数字のタトゥーが刻まれていたのだ。

 彼女だけではない。村に転がっている骸はどれも体のどこかに異なる数字のタトゥーを刻んでいる。


「何らかの企みによって五百年前を生きていた私は復活した、と。どこの誰かは知らないが、こんな悪趣味な計画に加担するつもりはないとキッチリ分からせてやらねばな」


 大雨のなか、蹄の跡を追うように歩きだしたレイア。彼女の素足が向かったのは、村の南東にそびえる立派な山で、歩いて越えようものなら数日の苦労は免れない。


「そうか、五百年」


 家屋が視界から消える頃、レイアの足がピタリと止まった。


「知人もいない五百年後の世界にやってきてしまったワケか」


 遠くの空へ目を向ければ、灰色の雲は途中で切れて山の向こうに陽が差すのが見える。


「孤独というのは堪えるな」


 レイアの足が再び山を目指しはじめた。

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