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14.アリアナ派VSロレンス派②


~【魔法生物学】アニマ・ラウレジアの場合〜



 敷地内の温室へ繋がる渡り廊下で、煌びやかに泳ぐ黄金灯魚を横目にリルクレイは口がはち切れんばかりの大あくびをした。


「次はどんなことを学ぶんだい」

「アニマ先生の【魔法生物学】で、この先の温室で受けるの」


 温室へ近づくにつれて廊下の脇に設置されているプランターの数は増えていき、様々な形の薬草が所狭しと植えられていた。

 そのなかのひとつを見て、リルクレイの足が止まる。


「これは、オオバコか?」


 摘まんだ大きく分厚い葉は質感もしっとりしていて、それは間違いなくリルクレイの知るオオバコの特徴。


「オオバコ? それはたしかカエル草だよ」

「カエル草?」


 しかしドロシーの口から出てきたのは、全く違う名前だった。


「リルちゃんのところではそうやって呼んでたの?」

「ああ、間違いなくこれは私の知るオオバコだ。咳止めの薬草として使っていた」

「地域によって呼び方が変わることもあれば、魔力で生態変化してることもあるみたいだからね。もしかしたらアタシの知ってるカエル草とリルちゃんのいうオオバコは一緒のものかもしれないし、違うものかもしれない」


 ドロシーの細い手が温室の引き戸をガラガラと音をたてて開けた瞬間、温かい風とともに怒号が外へ溢れる。


「この声、キャロル?」


 数年来の付き合いである。元々耳の良かったドロシーなら、すぐにそれがキャロルの裏返った怒号だというのが分かる。

 大陸全土から植物を集めた女子寮の中庭よりも広大な室内を慌てて走り、リルクレイとドロシーが見たのはロレンスに杖を向けるキャロルの姿だった。


「ちょっとキャロル、何してんの」


 予想もしていなかった光景を前にこぼれたドロシーの問いも、激昂するキャロルの耳には届かない。


「アナ様への侮辱、取り消しなさい」

「何を取り消すことがあるのか。全部本当のことだろう? 引き分けでの入学なんて聞いたことがないんだし、賄賂は間違いない」

「あの方はマクニコルの名に恥じない誇り高き魔導師ですわ。そんなこと、するはずがないでしょう!」


 どうやら事の発端は、この場にいないアリアナへの侮辱らしい。ロレンスが自身を慕う生徒たちに笑い話として披露していたところ、たまたま近くを通ったキャロルがしびれを切らしたのだ。


「撃ってみろよ、ポンコツ」

「なんですって」


 突如はじまった喧嘩に騒然とする室内。しかし当事者であるロレンスは余裕の笑みを浮かべてキャロルのことを挑発していた。


「代々、マクニコル家に顎で使われてきたパシリ一族なんだ。ポンコツと言われたって仕方ないじゃないか」

「私のことは構いません。ただしお父様や先代のことをおっしゃるなら容赦は――」

「キャロル、杖を納めなさい」


 顔を赤くして怒りを露にするキャロルだったが、その背にぶつかるアリアナの声を聞くなり口をピタリと止める。

 親友のドロシーですら制することができなかったキャロルの怒りを止めたのは、アリアナのたったひと言。


「……アナ様」

「すぐに杖を納めなさい、見苦しいですよ」


 渋々構えた杖をおろし、くるりと踵を返したキャロルに向かうアリアナの視線は、まるで見知らぬ人を睨むように冷たい。


「しかしこの男は、アナ様やお父様のことを侮辱して」

「同じことを何度も言わせないで」


 眉ひとつ動かさず淡々と言ったアリアナだが、キャロルからの返事を聞く気はない。温室の石畳に並べられた受講用の席を見つけるなり、アリアナはそれ以上何を喋ることもなく着席して辺りの植物を見渡した。

 アリアナのことも父のことも、自らが尊敬する人物を目の前で侮辱されながら何もできないのが、心底悔しかったのだろう。キャロルの瞳がうるうると揺れはじめる。


「友人だろう? あれはヒドいんじゃないか?」

「もしもこの場でキャロルがロレンスに魔法を撃てば退学程度じゃすまないからね。最悪、家同士の問題にもなる。

 アナ様はいつも言い方はキツいけど、ちゃんとアタシらのこと考えてくれてるんだよ」

「なるほど、いいところもあるじゃないか」


 リルクレイの目に映るアリアナの姿は、友人への態度がおそろしく冷たい非情な女のそれ。彼女だけでなく、アリアナのことを冷たいと感じた者は温室のなかにも多くいただろう。

 しかし彼女と親交の深いドロシーやキャロルは、非情な態度のなかにあるたしかな優しさを受けとめていたらしい。


「なんだお前、泣いてるのか?」


 喧嘩の熱量が下がっていくのを誰もが感じたその時、ロレンスが目を潤ませたキャロルに気づき、声をあげた。


「泣いてなんかないですわ」

「ウソつけよ」


 すぐさま顔を隠そうと背を向けたキャロル。アリアナ派の筆頭でもあるキャロルの痴態を笑い飛ばしてやろうとでも考えたのだろう、ロレンスが半笑いで彼女の腕を掴む。

 だが、強引にキャロルを振り向かせようと力んだロレンスの手首を別の手が握った。


「そこまでにしときなって」

「ドロシー・パーカー」


 ロレンスの手首を掴んで彼を制止したのは、不敵な笑みを浮かべるドロシー。


「女の子の涙を笑うもんじゃないよ」

「はぁ?」

「キミがやろうとしてるのは、男としてやっちゃいけないことだから。これは忠告」

「忠告だと? アリアナの腰巾着風情が、このロレンス・レイクストンに?」

「そう思いますよね、アニマ先生」


 ドロシーが呼びかけた途端、大きなヤシの木の陰から「ひぃっ」と驚く女の声が聞こえた。


「あのぉ、いつから……」


 声に気づいた生徒たちの視線が集まるヤシの木から現れたのは、白い外套を羽織る怯えた様子の中年女性アニマ・ラウレジア。


「温室に来たときからずっと、ですね」

「ひぃっ、それじゃあ私が生徒の喧嘩を止めることができないダメ講師だってことも」

「そんなこと思ってませんよ、自信もってください」

「ホントですかぁ?」


 アニマには有名な話がふたつある。

 ひとつは、統括局からも魔力の影響を受けた地域や生物の調査を依頼されるほど魔法生物に関して一級品の知識を持っているということ。もうひとつは、生涯のほとんどを魔法生物と過ごしてきた弊害でもある極度の人間恐怖症だということだ。

 彼女のことをよく理解していたドロシーは優しい言葉をかけた後、ロレンスの手からキャロルを奪い返して小さな肩を抱く。


「ほらキャロル、あんなヤツのこと気にしちゃダメだって」

「ですが、お父様とアナ様は私の夢で」


 大粒の涙を流すキャロルが弱々しく声を振るわせた。

 ただ尊敬していただけではない。彼女にとって自信の父やアリアナは、自分の未来像を当てはめる夢でもあったのだ。


「夢か、眩しい連中だな」


 僅かに聞こえたその言葉が、リルクレイのみぞおちをじんわり熱くする。


「そうだ、さっき考えたんだけど今晩皆で食事でもどう? せっかくだからリルちゃんも」


 アリアナの近くにキャロルを座らせ、ドロシーが声を張った。涙するキャロルのことを気遣い、力技で話題を切り替えようとしたのだろう。


「私もか?」


 三人のすぐ後ろの席に座ったリルクレイが目を丸くして首をかしげる。


「親睦会の意味もこめて、ダメ?」

「私はむしろ歓迎だが」


 そう言ったリルクレイの目がアリアナに向かう。


「断る理由はありません。ただし、万が一用事が入った場合はそちらを優先するので」

「じゃあ決まり! 今夜、寮のオープンスペースで」


 嬉々として手を叩き合わせた瞬間、けたたましい鳴き声が温室に響き渡った。鳴き声の正体は、長身のヤシのさらに頭上で翼を広げている黒いドラゴン。


「ど、ど、ドラゴン種!?」


 固い皮膚に刃物のような爪。巨大な翼。あまりにも恐ろしい姿に、生徒たちの顔は一瞬にして真っ青になった。


「えっと、本日はドラゴン種についての講義です。彼女はマーサちゃんといって、私が飼っているベビードラゴンでして……」


 ドラゴン種は魔法生物のなかでも突出して危険とされる種族のひとつ。飼育なんてもってのほかで、世界中が規制する行為である。


「ドラゴンは空の賢者とも呼ばれていて、非常に賢い生物なんです。こちらのベビードラゴンは同種のなかでも小柄なのが特徴です」


 同じ種族のなかでは小さいとされるものの、全長はおおよそ人間の二倍から三倍。地上に足をつけたその姿はあまりに恐ろしく、とてもじゃないがアニマの話に集中できるような状況ではなかった。

 大きな翼を折りたたんだマーサの目こそ畏怖を与える鋭利さを持っていたが、アニマに頭を擦りつける姿は飼い犬のようで実に可愛らしい。


「先生、大丈夫なんですか?」


 ひとりの女子生徒が席から問いかけると、アニマは体をびくっと跳ねあがらせて恐る恐る首を頷かせた。


「皆さんも触ってみますか? この子は大人しいので大丈夫ですよ」


 思ってもみなかったアニマからの誘いにざわつきながらも、好奇心に逆らえなかった生徒がひとり、またひとりと立ちあがってアニマのもとへ向かう。

 誰もがドラゴン種という未知の生物を目の当たりにして動揺するなか、ロレンスは不機嫌そうに舌打ちをして顔を歪めた。


「クソ、アリアナの腰巾着のクセしてあいつら」


 今にはじまったことではないが、ロレンスは目の上のたんこぶであるアリアナが気に入らない。彼女を敬愛して付き従う生意気なアリアナ派の生徒は、もっと気に入らない。

 まるで自分と対等のような態度をとったキャロルとドロシーのことが、腹立たしくて仕方なかった。


「ロレンス様、あのドラゴン触らなくてもいいんですか」

「はぁ? あんな化け物になんか興味あるわけ――」


 刹那、ドラゴンと触れあおうとできた列にキャロルとドロシーが並ぶ姿が見えた。


「あいつら、見てろよ」


 ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべたロレンスが、自身の杖を手にして立ちあがる。

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