12.裏切りの女魔導師ガブリエラ・ゴート
大陸に国は二十以上あるが、各地で活動する魔導師は全て魔法都市マギサエンドにて管理される。
魔法都市の最高位である【魔導帝】と、魔法に関連する全ての実権を握る『帝議会』、それらの意思に基づいて世界中の魔導師を管理する【魔導師統括局】。
これらの組織の決定は全世界の魔導師にとって絶対であり、魔導師を名乗る以上は逆らえない。
数年前、魔導帝の世代交代とともに完全廃止例がでた【征伐】もまた、魔導師にとっては抗議も拒否も許されない帝議会からの極秘命令だった。
*
「あった、十年前の征伐の資料」
高級住宅地でも桁外れに巨大なマクニコル邸。その地下にある書庫で、アリアナが嬉々として声をあげた。
一匹の黄金灯魚だけを頼りに、地下書庫で一冊のファイルを探し続けること二時間。ようやく見つけたのは十年前に起きた征伐に関する新聞記事と、統括局から帝議会に提出された書類の写しだった。
とはいえ、表向きに書かれていたのは征伐でなくテロ事件。
「待っていてください」
黄金灯魚へ告げると、アリアナは杖を棚にたてかけてページをめくる。
「十年前の征伐、その引き金となったのはひとりの魔導師の裏切り」
視線で文面をなぞって声にだす。
『征伐』は過激化する魔法反対運動への対抗策で、過激な活動をする者たちを魔導師が制圧するというもの。十年前の征伐も例外でなく、武装して魔導師を襲った過激派組織の拠点を制圧するために約三十人という魔導師が駆りだされた。
十年前の征伐が異例とされているのも、凄腕の魔導師が魔法反対運動に加担していたのが原因だろう。
「ガブリエラ・ゴート、当時三十六歳の女性。統括局の認可を受けた魔導師」
書面に描かれた黒髪の女性は、裏切りの魔導師ガブリエラ・ゴートの肖像画。
「鉄属性を得意魔法としており、彼女を筆頭とする過激派との戦闘では統括局より派遣された魔導師のうち、六名が死亡。十名が重傷。ほか軽傷または無傷にて制圧完了」
激闘の末に勝利したのは統括局側の魔導師部隊だったが、ガブリエラの操る世にも珍しい鉄属性の魔法は彼らに大きな損害を与えたらしい。
「ガブリエラ・ゴートの死亡を確認。統括局からの指示にあった捕縛作戦は失敗」
そしてガブリエラもまた、命を落とした。
「たしか、ガブリエラ・ゴートの右腕には……」
状況を知らないジャーナリストが好き勝手に書いた記事を飛ばしてアリアナが開いたのは、征伐の引き金ともなった中心人物ガブリエラのプロフィール。
魔導師学園を卒業して統括局の認可を受けた魔導師であることから、彼女に関するプロフィールは実に詳細なものだった。
身長、体重、スリーサイズをはじめ、祖父母までの家系図も掲載しており、隣のページには彼女の姿が模写されている。
アリアナが求めていたのは、ガブリエラの模写。
「あった!」
ようやく見つけたガブリエラは非常に大人しそうな女性だが、右腕に【186】という数字のタトゥーが刻まれている。
「数字のタトゥー」
リルクレイの腹に刻まれたタトゥーを見た瞬間、真っ先に思い出したのが初見の際にも違和感を覚えたガブリエラのこのタトゥーだった。
よく見てみれば、字体もリルクレイのものと酷似しているではないか。
「ガブリエラ・ゴートは希少とされる鉄使いで、複数の現役魔導師を相手に深手を負わせた稀代の魔導師。そしてあのネズミも――」
模写されたガブリエラの右腕にアリアナの目が吸い込まれた瞬間、
「書庫は先祖に認められた人間しか立ち入りを許されないのは理解しているな、アリアナ」
書庫にアリアナのものではない男の声が反響する。
「お父様」
声の主は、アリアナの実父でマクニコル家の現当主ヴィクター。
「お前を家に呼んだのは私だが、書庫に呼んだつもりはない。私のいない間にコソ泥のような真似をしおって」
「黙って書庫をお借りしたのは申し訳ございません。しかしどうしても調べたいことが」
ヴィクターが手にしていた杖の底で石造りの床をコンッと叩いた途端、アリアナの手のなかからファイルが鳥のように羽ばたく。
左右のページを翼みたく上下して飛んだファイルが目指したのは、ヴィクターの腕のなかだった。
「十年前の征伐、ガブリエラ・ゴート。新聞社どもが市民を焚きつけているようだが、こんな事件はとっくに過去のものだ。今さらこんな事件を調べて何になる」
十年前の征伐以降、魔法反対運動に参加する若者が増加している。というのが各国の提示しているデータ。
裏切り者をだした事実と、征伐という名のもとに一般人を弾圧する魔導師の姿勢が不信感を生んでしまうのは仕方のないことだった。
「いえ、そのことではなく、私が調べていたのはガブリエラ・ゴートの右肩に刻まれている数字のタトゥーです。何かご存じないでしょうか」
「裏切り者の趣味など知るに値しないものだが、知っていたとしてお前に教えてやる道理もない。入学試験のことは既に聞いているぞ」
ヴィクターの口から入学試験の単語がでてくるなり、アリアナはむっと顔をしかめた。
「その件については」
「言い訳など不要、お前はマクニコルの家名を背負いながら大衆の面前で醜態を晒したのだ」
一匹の黄金灯魚が放つ暖かな光の端でヴィクターの表情が険しくなるのが見える。
「はい、承知しております」
「退学申請の準備はできているのだろうな」
「それは……」
言い淀んだアリアナの姿を見て、ヴィクターの口から大きなため息がこぼれた。
「今のお前が選ぶべき道はふたつ。今すぐ退学を申請してマクニコル家に残るか、マクニコルの名を棄てて学園で四年間恥を晒し続けるか」
「私に魔導師の道を諦めろとおっしゃるのですか」
「お前には期待していたが、どうやら買い被っていたらしい」
統括局から魔導師として認められるには魔導師学園卒業の肩書きが必須。アリアナが血の流れるほど強く唇を噛んだのも、退学が指し示す意味を理解していたからである。
「お父様」
本棚にたてかけていた杖をアリアナの左手が強く握る。
「お父様にとって、魔法と何ですか」
「力だ」
「力、ですか」
「私はマクニコル家の当主として、人々を導く立場にある。私にとって魔法が何かと問われれば、それは人の上に立つための力だ」
この時、アリアナは生まれて初めてマクニコル家当主と今の自分の距離感を理解した。
言葉や肩書き、他人の反応。俗世で植え付けられた概念では気づけなかった、あまりにも遠すぎる距離。
「同じ問いを受けた時、私にはすぐ答えることができませんでした」
魔法とは何か、なんて核心をつく問いに答えられるか否か。それがあまりにも遠すぎるヴィクターとアリアナの差であり、アリアナの理想の脆さでもある。
「退学の件、もう少しだけ待っていただけないでしょうか」
ヴィクターの表情が嫌悪で歪んだ。
「自分が何を言っているか、理解しているのか」
「はい」
「いいや、お前は何も理解できていない。お前はこの家で生まれ育った恩を仇で返そうとしているのだ」
ヴィクターの手もとから離れたファイルは再び鳥のように羽ばたいて本棚のなかへ帰っていく。
「仇で返そうなんて、私はそのようなこと考えておりません」
「これ以上の醜態を晒せばマクニコルの名に一体どれほどの泥がつくか。お前の身勝手により苦しめられるのは私だけではない、お前の弟や妹たちもいずれ苦しむこととなるだろう」
弟がふたりと、妹がひとり。食事や行事、たまに廊下ですれ違う程度にしか顔をあわせない姉弟であったが、決して不仲ではなかった。
個々に世話役や教育係がついて顔をあわせる暇がないだけで、むしろ仲は良好。アリアナも三人の弟妹を可愛がっていたし、弟妹もアリアナのことを尊敬していた。
「それは」
もしも入学試験の話が弟妹にも届いていたのなら、失望していることだろう。
自分の失態で後の世代に迷惑をかけるのはアリアナにとっても不本意であった。
「しかし、私はまだ答えを見つけられておりません」
それでもアリアナは左手の杖を震えるほど強く握りしめて続ける。
「私にとっての魔法が何なのか。その答えを見つけるまで、私は生涯をかけて魔導師になる夢を追い続けるでしょう」
「恥をさらすことを望む人間はいない。お前だって、これ以上恥をさらして生きていくのは御免のはずだ」
「はい、おっしゃる通りです」
「夢なんてくだらないもののために、お前は恥辱を受け続けるのか?」
「快諾していただくつもりはありません。しかし夢を追うにも諦めるにも、私なりに納得できる理由が欲しいだけです」
地下室に足音を響かせはじめたアリアナが、ヴィクターの隣を通過して出口を目指す。
「覚悟はできているのだろうな? アリアナ」
「はい、どんな処分であろうと受け入れるつもりです」
「ならば、今この瞬間をもって地下室への立ち入りを禁止する。私以外の家族に面会することも禁止だ。数日後、私のほうでお前の処分を正式に決定する」
地下室はマクニコルを継ぐ者のみが入れるプライベートスペース。そこへの立ち入りを禁じられたということは、跡継ぎの資格をはく奪されたのと同義。
それだけでなく家族との面会まで禁止されたとあっては、事実上の絶縁である。
「お父様の決断であれば、娘として従うだけです」
しかしアリアナはその場で足を止めて振り返ると、深々頭を下げた。
マクニコルという名に誇りをもつアリアナにとって非常に重い処置であったが、今の彼女にとっては「レイアのような魔導師になる」という夢を奪われるよりもよっぽどマシだったのだろう。
何の異論も唱えることなく、アリアナは一礼した後にそそくさとマクニコル家の豪邸を去ってしまった。
*
「確かにあのネズミは異常なほどの知識欲があって、生活に支障がでるほど様々な本を読みこんでいる。ですが、魔法に必要なのは知識だけではない」
巨大なマクニコル邸をあとにし、すっかり陽もおちた高級住宅街をアリアナは頭を悩ませながら歩いた。
「魂、すなわち魔力の適性とそれらを操るだけの技術」
陽光を失った道を無数の黄金灯魚が照らし続け、少なくともこの魔法都市マギサエンドの地から明かりが消えることはない。
「実際に立ち合ったからこそ私には分かる。彼女の魔導師としての実力は現時点で統括局の魔導師並みか、それ以上の逸材」
自分以外はひとつの人影も見えない大通りで、アリアナは足を止めた。
「ありえるのでしょうか、私よりも年下の十数年ばかり生きただけの少女に、そんなこと」
天才。神童。最早リルクレイの素質はそんな言葉で片付けられるようなものではない。
「彼女の力に秘密があるとして、あのデザイン性の欠片もない数字のタトゥーが関連しているはず」
当然、行きついたのは不正という答えだった。なかでも怪しいのは、「ダサい」のひと言に尽きる数字のタトゥー。
「実際、複数の魔導師と杖一本で渡りあったテロリストのガブリエラ・ゴートにも、類似するタトゥーが彫られていた」
征伐にて圧倒的な力を見せつけた裏切り者のガブリエラもまた、数字のタトゥーを持つ魔導師である。
「ネズミとガブリエラの共通点はなに? 実力者であることと、それと」
どうにもリルクレイとガブリエラに共通の秘密があるようでならないアリアナ。再び足を動かしながら腕をくんでいると、ある疑問が脳裏を駆け抜ける。
「そういえばガブリエラの姓、ゴートなんて名前は聞いたことがない」
アリアナは片手で自らの頬をなぞりながら、さらに思考した。
「ネズミの名前は忘れましたが、彼女はマクニコルの名すら知らなかった芋娘」
おかしい、と呟いたアリアナの顔が急に険しくなる。
「魂の質の多くは血縁により確定する。つまり優秀な魔導師のもとに優秀な魔導師が生まれ、普遍的な魔導師のもとでは相応の質でしか生まれない」
それは、五百年続く魔法の時代における常識。
「長く続く魔法の時代で、マクニコルをはじめとした優秀な血統は大半が頭角を表し、それなりの地位を手にしているはず。それなのに彼女たちはどちらも無名な家の生まれ。
例外もないわけではないけど、あれほどの実力ならばネズミの方も入学試験前よりウワサがでていたって不思議ではない。むしろ、何のウワサもないほうが不自然」
世界中の魔導師がマギサエンドの統括局にて管理され、学園に入学する生徒の大半は入学する前より情報が流れていたりもする。
それは入学志願者たちに教えを説いた魔導師の言伝によるもので、それがウワサとして耳に入ることも珍しくなかった。
「無名でありながら、常軌を逸するのほどの才能をもった魔導師」
それが、リルクレイとガブリエラに関してはウワサというものが一切なかったのだ。
「まさかあの数字、異郷で特殊な訓練を受けた証?」
正解か、見当違いか。疑惑は深まっていく一方だった。




