11.女子寮恒例、新入生歓迎会
ドロシーの活躍でキャロルの大泣きはおさまったらしいが、まだまだ彼女は慌ただしい。二年生や三年生の女子生徒たちが中心となって盛りあげる会場のなかで、彼女だけはどうも落ち着かない様子で周囲をキョロキョロと見渡している。
「なんだ、まだあいつはアリアナを探しているのか」
藍色の瞳が会場にいないアリアナの姿を探しているのだということは、大広間の隅のほうでピザを食べるリルクレイにも分かった。
「アナ様ね、ちゃんと言わないとキャロルに怒られる」
「お前はさっきの」
「キミと同期のドロシー・パーカー、よろしく」
大皿の上で六枚に切り分けられたピザのひとつを手に取ったドロシーが、リルクレイの対面に腰かける。
「キミはさ、どうして学園にきたの?」
「どうして?」
赤い唇と分厚い生地の間でチーズを伸ばすドロシーの垂れ目が、興味深そうにリルクレイを見つめた。
「キミくらいの実力があれば統括局のエリート街道だってまっしぐら。でもキミって入学してから一ヶ月くらい何の講義も受けてないみたいだし、なんのために入学したのかなってちょっとした興味」
ふむ、と持ったピザを食べ終えた口をへの字に曲げてリルクレイが頭を悩ませる。自分が魔導師レイアで、自分を今の時代に蘇らせた張本人を探すため、とは当然言えない。
「そういえばアリアナや図書館にいる連中が口を揃えていたな」
ウソでも適当な答えがすぐに思い浮かばなかったのだろう。リルクレイは自らの灰髪をヘアゴムでひとつに束ねながら話題を変えた。
「講義、知らないの?」
「知らんな」
「あははっ、やっぱりリルちゃんって面白いよね。じゃあ明日は将来有望なリルちゃんのために、講義を案内してあげる」
「いいのか?」
「もちろん。あ、でもひとつだけ条件」
綺麗な顔にほんのりかかった短めの黒髪を耳にかけると、ドロシーは無邪気に笑った。
「条件?」
「もしもリルちゃんが将来すごい魔導師になったら、恩人としてアタシのことを言ってもらおうかな」
「私がすごい魔導師に?」
自分を嘲るみたくリルクレイは笑うが、対面するドロシーは彼女がすごい魔導師になることを確信している。
「夢とかは? どういうことがしたいとか、どんな風になりたいとか。
卒業して魔導師になればマギサエンドの外でも魔法を使う許可がおりて、やりたいことは何でもできるんだし」
テーブルに頬杖をついたドロシーの視線の先で、リルクレイが頭を抱えた。
「夢か、そう言うお前は夢があって入学したのかい?」
「アタシの夢はママみたいなジャズシンガーになること」
「ジャズシンガー?」
「キミのいた田舎じゃ、馴染みがないのかな」
初めて聞く言葉にリルクレイが首を傾げていると、一層盛りあがりを見せる広間の中央から「ドロシーちゃん」と彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「今から聞かせるから、ちょっと待っててね」
食べかけのピザを「あげる」と言ってリルクレイに渡したあと、すっくと立ちあがって広間に集まった女子生徒たちをかきわけるドロシー。彼女が目指したのは、広間に用意された楽器の前。
鍵盤、打楽器、管楽器。様々な楽器が並んでいるものの、そこに音楽隊の姿はない。
「エマリン・パーカーの娘さんが歌ってくれるなんて、贅沢な話よね」
楽器の前に立ったドロシーを見て、ひとりの女子生徒が目をうっとりさせる。
「先輩、お願いします」
ドロシーが深く頭をさげると、数名の先輩の女子生徒たちは「任せて」と手にしていた杖を振るう。すると杖にあわせ、楽器が人の手も借りず演奏をはじめたのだ。
川のせせらぎと小鳥の鳴き声のように、穏やかな楽器の音色とドロシーの歌声が静まり返った広間に響く。次第にドロシーの声が熱を帯び、軽快なリズムとともに跳ねあがった。
「ふむ、これはなかなか」
女子生徒が集う寮の広間。しかしリルクレイをはじめ、歌声に耳を傾けていた生徒たちには確かに満月のもとで靴の音を鳴らして踊る紳士が見えた。
ドロシーが歌い終える頃、音に心をゆだねていた生徒たちからの盛大な拍手と歓声が広間を包みこんだ。
「ステキですわー」
なかでもひと際声が大きかったのは、ドロシーの友人キャロル。
「ありがとう」
優しい微笑を浮かべ、小さく手を振りながら楽器のもとから離れるドロシーが一目散に向かったのは、聴衆のなかに見つけたリルクレイのもとだった。
「どうだった?」
まだまだ鳴りやまない拍手と歓声のなか、ドロシーがなんとか聞こえる程度の声量で問いかける。
「最高だったよ」
「ありがとう」
「しかし歌い手ならば、魔法は必要ないんじゃないのかな」
「さっき先輩たちが魔力操作で楽器を演奏してくれたでしょ? あれをやりたいの」
誰の手も借りずしてひとりでに演奏をはじめた楽器は、事前にドロシーと打ち合わせしていた先輩たちが魔力を用いて動かしたもの。物体を操作するだけなら容易いものの、楽器で音色を奏でるとなれば非常に繊細な技術を要求される。
当然それは簡単に会得できる技術ではない。
「自分の手で曲を作って演奏して歌う。全部を自分で手がけたステージを世界中で披露して、ママのように歌声で皆の心を癒したいっていうのがアタシの夢」
「素晴らしい夢だ、私も心から応援――」
「お母様譲りのステキな歌声でしたわぁぁぁぁ」
リルクレイの言葉を遮り、矢のようにキャロルが飛んできた。瞳には感激の涙を浮かべ、両腕をいっぱいに広げてドロシーを抱きしめる。
「ちょっ、キャロルってば苦しいよ」
「あれはまさしく私が幼少の頃から聞いてきたエマリン様の歌! いつの間にかこれほどの成長を遂げていたのですね」
柔らかな頬同士がぶつかり、ふにふにと擦りつけられているものの、ドロシーはそれほどイヤでもないらしい。
むしろ嬉しそうに顔を綻ばせ、抵抗のひとつもしようとはしなかった。
「先ほどから思っていたが、随分仲がいいようだな」
「キャロルのご両親がママの大ファンで、よくパーティに呼ばれてたからね。キャロルとは小さい頃からお互い知ってる仲なの」
「そして私は将来スターとなるドロシーのファン一号――」
ドロシーから離れ、年相応に成長した胸を張ったのも束の間、キャロルは自分と同じくらい小さいリルクレイの姿を見て表情を一変させる。
「あなたはっ! 憎きネズミ娘っ!」
ころころと豹変する感情についていけなかったのか、リルクレイとドロシーが顔を見合わせて不思議そうに首を傾げる。
「何かしたの?」
「いや、ほとんど初対面のはずだが」
当然、今日会ったばかりのリルクレイに心当たりはない。
「とぼけても無駄ですっ! どんな卑怯な手を使ったかは存じませんが、あろうことかアナ様を公衆の面前で凌辱し、そのうえ……」
「そのうえ?」
怒りのあまり、ぷるぷる震えるキャロル。しかし彼女の言い分はいちゃもんも同然で、リルクレイにとっては事実無根の濡れ衣である。
「アナ様と同室なんて、非常に羨ま……憎たらしいことですわっ!」
「お前今、羨ましいと口走ったろ」
「そんなこと言っておりません! 思ってはいますが、言っておりません!」
ムキーッと怒りを隠そうともせず、その場で地団駄を踏むキャロル。
「それよりアナ様ですわ! こんなに遅くまで帰らないなんて、きっと何かあったに違いありません」
「いやいや、実家に帰っただけなんでしょ? 今頃大豪邸で入学祝いでもしてるんじゃない?」
慌ただしく視線を右往左往させるキャロルだったが、案の定アリアナの姿は見つからない。そんなふたりの会話を聞いて、リルクレイは腕を組みながら大きく首を傾げた。
「実家? なんだ、あいつは実家に帰っているのか」
「あいつぅ? なんて無礼なっ! 今すぐ私が粛清を――」
敬愛するアリアナが「あいつ」なんて呼び方されたのが気に入らないキャロル。すぐにリルクレイを取り押さえようと両手をあげたが、寸前のところでドロシーに羽交い絞めにされてしまう。
女子のなかでも特に背が高いドロシーと、同期でトップクラスに背の低いキャロルだ。同い年の少女といえど、ドロシーがキャロルを抑えるくらいは難しいことでもなかった。
「アナ様なら、今朝マクニコル家当主のヴィクター様から手紙を貰っててね。その後すぐ杖を持って寮を出ていったから、実家に呼びだされたんだと思うよ」
「ふむ、名家の娘とは聞いていたが大変そうだな」
なにも、アリアナの帰りを今か今かと待ちわびていたのは、キャロルに限ったことではない。マクニコル家の長女が入学したのだから、その記念すべき行事を祝いたいと思うのは女子寮の誰もが考えていたことである。
入学前から名を馳せていたアリアナを尊敬する者。マクニコル家の長女と仲良くなる機会を伺っていた者。一度でいいから会話をしてみたかった者。
しかし、彼女たちの期待とは裏腹に、夜遅くまで続いた歓迎パーティーへアリアナが姿を見せることはなかった。




