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10/31

10.五百年の時を経て


 *



 体の火照りと消耗に耐え切れず、アーカムは膝から崩れ落ちた。長い金髪を毛先まで汗でしっとり濡らす彼女を見下ろし、レイアは「はぁ」とため息をつく。


「何度やったって結果は変わらない。お前というヤツは美しい容姿に反して頭のなかは猛獣のようだな」

「私は強くなきゃダメなんです。師匠のように私にも魔法があれば、誰も私を女だからと卑しめない」


 器用に手もとでくるくると杖を回転させながら、レイアがケラケラ笑う。


「アーカム、だからお前は先に進めないんだ。知識、角度、精神状態、見方や状況ひとつで物事っていうものは容姿を大きく変える。魔法だって同じさ」

「魔法も、ですか」

「魔法は誰かに認められるためにまとうハリボテの鎧じゃない。もっと肩の力を抜いてみろ、せっかくの魔法を楽しまないのは勿体無いと思わないかい?」


 杖を肩に担ぎ、後ろを振り返った途端にレイアの体が傾いた。


「師匠?」


 体はゆっくり沈み、長い赤毛がなびくと同時にレイアが鈍い音をたてて倒れてしまう。


「師匠っ!」


 手にした杖を投げ捨て、アーカムは血相を変えて駆けだした。肉体も限界を迎えていたが、敬愛する師匠が倒れたのだ。それどころではない。

 大慌てで倒れたレイアのもとへ駆け寄り、俯せになった体を転がしてやる。


「アーカム、すまないが……何か食べられるものを……」


 顔色を悪くしたレイアが、弱々しくアーカムの外套の端を握った。

 そんな彼女の姿を目の当たりにし、アーカムは心配するどころか呆れてため息をつく。


「師匠、前に食事をしたのは?」

「覚えてない、四日前か五日前くらいだったか」

「私が買い出しに行ってる間のことは全部グラジオたちに任せてたのに! アイツらはまた師匠の世話をサボってフラフラと!」 

「おいおい、私は老人や子どもじゃ――」

「一緒です! 私が目を離すといつもこうなるんだから!」


 この時、レイアは四十六歳。アーカムは二十九歳。十七も離れた師匠を相手に、アーカムは怒りを通り越して最早呆れ果ててしまっていた。

 先ほどよりも大きなため息をつくと、アーカムはレイアの足を両脇で抱えて引きずりはじめる。


「消耗しているところを悪いな」

「悪いと思うなら、ちゃんと食事と睡眠はとること。というか、こんなの言われてやるようなことじゃないですよ」

「失敬な、ワザとやっているわけではないぞ。ついつい忘れてしまうだけだ」

「これだから魔法バカは」


 後に四賢者と呼ばれるアーカムたち四人の弟子は、いずれもレイアのことを尊敬している。彼女を心から敬い、その知識を教えてもらうためにひとつ屋根の下で暮らしているからこそ、彼女の人としての重大な欠点には悩まされるばかり。


「あなたは私たち四人にとって大切な人なんですから、長生きしてもらわなくちゃ困るんです」

「ふむ、善処しよう」


 緑が生い茂る森のなか、空腹で動けないレイアを引きずって、アーカムは師匠一人と弟子四人が暮らす小さな家を目指した。

 瞳を閉じれば、真っ暗闇のなかに騒がしい声が聞こえる。魔法と四人の弟子に囲まれる暮らしのことがレイアは好きで好きで堪らない。だからこうして聞こえる弟子たちの些細な口喧嘩も、ゲラゲラ笑う声も、レイアにとっては心地良かった。



 *



 騒がしい声にまぎれて、ドンっと勢いよく扉を開く音が鼓膜を殴りつける。


「なんだなんだっ!?」


 岩のように重たいまぶたを開けば、見覚えのある天井とは少し違う光沢のある白色の天井だった。


「アナ様? アナ様はどちらですの!」


 何やら慌ただしい様子で部屋に踏み入り大声をあげたのは、朝方もこの部屋を訪れた少女キャロル。


「ちょっと、そこのネズミ! 起きなさい!」

「お前の騒がしい声で起きたよ、頭によく響く騒々しい声だ」


 ひとつに束ねていたヘアゴムを解いて、灰色の髪が乱れるほど頭を掻きむしりながら体を起こしたリルクレイ。ふと窓の外に目を向ければ、もう夜の闇を黄金灯魚がゆらゆらと泳いでいた。


「アナ様はまだ帰っておりませんの?」

「アナ? あぁ、アリアナのことか」


 刹那、キャロルの手がジャージの胸倉をつかみ、リルクレイの小さな顔を自分のもとへ強く引き寄せた。


「アナ様よ、様! アナ様とルームメイトになった程度で偉そうに、私だってアナ様と同じ部屋の空気を吸いたいのにっ! むしろ袋に詰めて家宝にしたいくらいですわ!」


 至近距離で血走った目を見せられては、リルクレイも「すまん」と謝るほかない。


「彼女なら見ていないし、お前たちが入ってきたように誰かが部屋に入れば私が気づいただろうな」

「そんなぁ」


 怒りで顔を真っ赤にしていたキャロルだったが、今度はリルクレイをベッドの上に放り投げてその場に膝から崩れ落ちた。


「せっかくの歓迎パーティ、あんなお優しい言葉をいただいたあとでご一緒できると思いましたのに」


 急にグズりはじめたかと思えば、「アナ様ぁぁぁぁぁ」と大声をあげてわんわん泣きはじめるキャロル。あまりの情緒不安定ぶりに目を丸くして驚くリルクレイだったが、それはキャロルとともにやってきた同期の女子生徒たちも同じらしい。

 学園の制服と外套に身を包んだ女子生徒たちは噴水のように涙を流すキャロルを見て、呆れ混じりの大きなため息をついた。


「ほらキャロル、歓迎パーティはじまるんだから」


 そう言ってキャロルの腕を抱えたのは、同期の女子生徒のなかでも最も背が高いドロシー・パーカーだった。

 長身かつグラマラスで、端正な顔立ちに泣きボクロ。色気という言葉をそのまま体現したような彼女は、入学一ヶ月目にして同期と先輩含む三十人以上の男子生徒から告白されたという魔導師学園はじまって以来の記録の持ち主。


「ドロシーさぁぁぁぁん」

「はいはい、アナ様いなくて寂しいのは分かるけど、せっかく先輩たちが用意してくれてるんだから」


 子どもをなだめるようにドロシーがキャロルに肩を貸し、その背中を上下に撫でる。


「リルちゃんだっけ、キミも着替えたら寮のキッチンに顔だしなよ。先輩たちがアタシら新入生の歓迎パーティやってくれるんだってさ」

「分かったよ、着替えたらすぐに向かおう」


 リルクレイの返事を聞くとドロシーは小さく微笑み、キャロルたちとともに部屋を去った。

 我ながら少しばかり寝過ぎたと思うリルクレイであったが、起きるタイミングとしては丁度良かったのかもしれない。

 綺麗にたたむこともせずカットソーを脱ぎ捨てて支給された制服に袖を通していると、視界の隅に一冊の本が映った。

 運び屋の兄弟から授かった灰色の外套を腕にかけ、アリアナの机の上に置かれた一冊の本へ手を伸ばす。


「オオカミを連れた魔法使い?」


 表紙に書かれたタイトルを読みあげたリルクレイの手がパラパラと本をめくる。魔導書でもなく医学書でもなく、それは物語を文章で綴った小説だった。

 五百年前を生きていた頃にも伝説や伝記というジャンルは存在したが、学術書のようなものばかり読んできたリルクレイにとって誰かの物語は縁遠いもの。


「カエルムとインフェルム……あの裏山で見つけたオオカミどもか」



 物語に登場するのは一人の女と二頭のオオカミ。山の麓で暮らす魔法使いレイアと、彼女が飼っている白毛と黒毛のオオカミだ。

 カエルムと名づけられた白毛のオオカミと、インフェルムと名づけられた黒毛のオオカミ。二頭はかつてその強大な力で各地を蹂躙し、人々を喰らい、暴虐の限りを尽くす。

 そんな時に現れたのが魔法使いレイアだった。

 レイアは世にも珍しい『魔法』という術の使い手で、後に『魔導師』と呼ばれる存在。彼女の魔法によってオオカミは打ち倒されたものの、慈悲深い彼女はその命まで奪おうとはしなかった。

 なんとレイアはオオカミたちを受け入れ、彼らに贖罪のための時間を与えたのだ。

 オオカミたちはレイアのもとで罪を償い、彼女とともにあらゆる怪物から人々を守るために活躍したという。



「なんだこの話は、あいつらは勝手についてきて家に住みついただけだぞ。私の目を盗んで食糧をあさるわ、大事な書物を噛みちぎるわ、本当にロクなもんじゃなかった」


 作者の名はパトリック・カルバート。魔導師レイアを題材にした小説作品群で非常に有名な作家だが、そんな人物をリルクレイが知るはずもない。

 当然、【オオカミを連れた魔法使い】で描かれた逸話も事実無根の大間違いである。


「まったく、私はここまで美化されてしまっているのか」


 この小説をアリアナがどれだけ熱心に読んでいたかは、ページの隅を折り曲げた回数で大体分かる。おそらく感銘を受けたシーンに付箋として折り目をつけているのだろうが、その数は十や二十できくものではなかった。

 しかしリルクレイにしてみれば、こんな作り話に価値はない。


「どうやら、私の素性は公にすべきではないな」


 本を閉じるや否や、嘲るような笑みが自然とこぼれた。


「夢は夢のまま、ずっと眠っていたほうがいい」


 丸めて小脇に抱えた外套を広げて羽織ると、リルクレイは静かに部屋を去った。

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