第2回 パンジャンドラム 転がる悪夢
ちょっと脚色入ってます。
入っていると思いたい。
パンジャンドラム
時は1943年、イギリスを含む連合軍はドイツの構築した「大西洋の壁」という沿岸に作られたコンクリートの防護陣地の攻略にとても手を焼かされていた。
この大西洋の壁は凄まじい広さと、強大な防御力を誇っており、イギリス軍の上陸を拒み続けており、上陸作戦の一切を失敗させてきた。
これを攻略するために、強力な爆弾を叩きつける作戦が考えられ、そのために自走する巨大な爆雷兵器の開発がすすめられた。
船の上から射出され、城壁まで自走。強力な爆弾を城壁に密着した状態で爆発させ、大西洋の壁を破壊するという強力な兵器の設計がはじまりました。その兵器はパンジャンドラムと呼ばれました。
後の世に、ボロクソに叩きに叩かれてネタにされる、世界の変な兵器リストを考える時に100%登場してくる兵器がこのパンジャンドラムです。
さて、どんな特殊兵器だったのかを見て行きましょう。
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2つの車輪の間に爆雷がセットされているというシンプルな形状です。
糸巻きの芯、ミシンに使われるボビン、重量挙げのバーベルのシルエット、こんなものを連想させる形状をしています。
ご家族がミシンで色々と作っていた人なら、糸を使い終わったボビンをおもちゃにしていた記憶もあるかもしれません。
車輪は自走するために燃料を詰め込んだロケットスターターが付いており、この噴射力で車輪を回転させて、水上でも、砂浜の上でも転がっていく事ができるように設計されていました。
水上に面した施設を破壊、次段では破壊された施設を乗り越えて、上陸させてさらに奥の施設を破壊するということを狙いとしていました。
車輪の大きさは何と直径3メートル、車輪が2個のタイプが基本ですが、いくつも車輪が並んで爆薬の量を増やした大型タイプも存在しています。
起爆させる事を目的としている以上、使い捨ての兵器となるため限界まで簡略化も図られていました。
転がる方向は発射後にコントロールすることは出来ず、推進力のロケットの固定も比較的簡略だったため時に脱落する事も珍しくありませんでした。
そのため、砂浜の僅かな凹凸や摩擦の差でも、進行方向が大きく変わってしまい。まっすぐに進む事すら難しく、明後日の方向に転がってしまったり、横転してしまったりと実験の失敗が続いていました。
実験そのものも砂浜で実行されていましたが、これは海水浴場の近くであり、人目にも付いて、実験の失敗は沢山の人に目撃されていた事もこの兵器の残念さが語り継がれる理由の1つかもしれません。
◇
開発には困難を極めたパンジャンドラムですが、ある程度安定した推進力と多くの爆雷を積み込める機構の搭載に成功したと発表されました。
これは大型であり、複数の車輪が連なったタイプで見た目の大きさもインパクトも強力なもので、これが新聞記者などを招いた大規模な兵器のお披露目会に登場しました。
見た目はさながら、クラス全員の足を結んだ30人31脚直前の小学生の一列。これを巨人にさせたような恐ろしい見た目です。
当然、ものすごい数のロケットが備え付けられており、単体でも大空高く打ち上がるという威力を持っており、個人に直撃しようものなら大怪我につながります。
爆薬が実装されていたかは定かではありませんが、多数の観客がいる所だったので、爆薬は積んでいなかったでしょう。爆発しようものなら、一般人に死傷者がでますからね。
とは言えども、3メートルもある車輪にひかれたとしたら、大怪我しますけどね。
こんな大型なパンジャンドラムが披露される順番が回ってきました。
新聞記者達はこのスクープを逃すまいと、メモを手にして、カメラを構え、瞬きもせずにパンジャンドラムを見守ります。
多数の車輪にとりつけられた無数のロケットに点火され、パンジャンドラムは転がり始めました。
転がり始めた直後、1つの車輪が大きく跳ねます。地面の凹凸に引っ掛かったようでした。僅かな凹凸によっても軌道が変わる欠点は克服されていませんでした。
ですが、横転するという欠点は見事に克服され、進む向きを変えてパンジャンドラムは突き進みます。
また跳ねて進行方向を変え、また向きを変えて、その都度大きな振動がパンジャンドラムに伝わります。
簡易な固定をされていたロケットは1つ、また1つと外れてしまい、ロケットは時に地面に打ち込まれ、時に大空に羽ばたき、時に観客席に飛び込んで火花を散らしました。
観客たちは大慌て、我先にと逃げ出し始めます。
進行方向を何度も変えたパンジャンドラム本体は、新聞記者達の居る報道席に狙いを定めたようで、時々飛び跳ねながらもその勢いを殺さずに突き進んでいます。
3メートルの巨大な車輪が記者達を押しつぶそうと飛び跳ね、振動で外れたロケットを縦横無尽にまき散らしながら、襲い掛かっていきました。
記者達は蜘蛛の子を散らすように、あちこちに逃げました。ある人は右に、ある人は左に、ある人はまっすぐに。
パンジャンドラムは記者達を追いかけますが、1人、また1人とその軌道から逃れて行きます。
運の悪い人はいるものです。
ある男性の記者は右に左にとパンジャンドラムの軌道から逃れようとしますが、ちょうど地面の凹凸がうまい具合にひっかかり男性の逃げる方向へとパンジャンドラムはロケットを撃ち出しながら進行方向を変えます。
男性は恐怖におびえ、涙をこぼしながらも全力で走り続けました。
逃げおおせた新聞記者も、観客も、果てはお披露目会を主催した軍隊も、誰も暴走するパンジャンドラムを止められず、男性記者が逃げ切れる事を願いながら見守るしかありませんでした。
みんな、巨大な車輪に潰されず、ロケットも撃ち込まれなかった事に安堵しながら、パンジャンドラムに追われる1人の男性記者が無事に逃げられるように祈りながら見守っていました。
ただただ、見守っていました。
◇
こんな事態になったので当然、開発も研究も全てが一切中止となりました。
よくもまぁ、こんな兵器を世に出した物です。
ですが、この兵器はドイツ軍にとって、警戒せざるを得ないものでした。
開発が成功すれば、この家ほどもある巨大な固まりが強烈な体当たりをしてきた直後に、パンパンに詰め込まれた爆弾がゼロ距離で爆発するという、世界最大とも言える攻撃力を受け止める事になります。
人々にとっても大きさ、動き、威力、目的、どれをとっても注目したくなるものです。
新聞記者もこぞって集まり、観客も集まった中にはドイツのスパイも紛れ込んでいた事でしょう。
これだけ目立つ場所で意図的に失敗させるという事まで織り込んだ、情報操作のためのダミー兵器がパンジャンドラムだったという説があります。
確かに、ここまでの大失敗をしそうな試作兵器を堂々と見せたり、人目に付く場所で実験したりと、秘密を貫く軍隊の運用としては疑問に残る部分も、ダミー兵器と思うと辻褄が合うように思います。
実際、大きな注目を集めたパンジャンドラムのおかげもあったのか、ドイツ軍はイギリス軍が上陸を狙う海岸線を読み違え、別の海岸に戦力を集中させてしまいました。
つまりイギリスを含む連合軍はドイツ軍に情報を誤認させるという欺瞞作戦に成功していたという事です。
世間には後世に残るネタ兵器、その実際は情報操作のための兵器という隠れ蓑。
パンジャンドラムの本質はどちらでしょう。
猪突猛進!
直径3メートルの車輪が2つ。
家の物置よりも大きいですよね。