悪役令嬢の母ですが、没落回避のため旦那様を落とそうと思います
なんの特筆することもない、平凡な人生だった。
田舎でも都会でもない地域に生まれ、偏差値高くも低くもない高校・大学を卒業し、いたって普通のOLとして働いた。
唯一変わっていたところといえば、オタク趣味があることくらい。特に乙女ゲームが好きで、休みの日となれば昼夜問わず画面に向かっていた。死ぬ前日だって、発売されたばかりの乙女ゲームを徹夜でやりこんだくらいで――
——今思えば、これが死因だったのだ。
徹夜でフラフラのまま出勤して、駅のホームでふらりと倒れ込んだ。それが運悪く線路の方向で、これもまた運悪く電車がホームに入ってきたところだったため……そのままぐしゃり。
かくして『私』の平凡な人生は、走馬灯を見る暇もなく閉じたのだった――
*
「――――……さま――…………奥様……――ノワレ様!」
知らない声に知らない名前で呼ばれてハッとする。知らない天井が目に入った。
いや違う、よく知る声によく知る名前だ。この天井だって、嫁入りしてからもう数年、見慣れたもののはずだ。
「マロン……?」
「ああ、奥様……! 目を覚まされたのですね……!」
重い頭を傾けると、顔をくしゃくしゃにして泣いている暗い茶髪の女性が目に入った。
彼女はマロン・ブラウン。わたくしがこのホワイト公爵家へ嫁入りする前から侍女をしてくれている人だ。
「ええと、わた…し……痛っ!」
「ノワレ様、ご無理をなさらないでください!」
「のわれ……?」
マロンの呼ぶ名前に違和感を覚える。いや、そんなはずはない。わたくしの名前はたしかに『ノワレ』だ。
ノワレ・ホワイト——旧姓ノワレ・チャコール。数年前、チャコール伯爵家からこのホワイト家へと嫁いできた、いわゆる公爵夫人である。
まっすぐ腰まで伸びた黒髪に、少しつり目がちな切長の黒目。同性からは「意地が悪そう」と蔑まれ、異性からは「ミステリアスだ」と褒めそやされた、美しい見た目をしている。
そう思うのと同時に、「そんなのは『私』じゃない」と心のどこかから声が聞こえてくる。ちがう、『私』はもっと見た目も中身も平凡で、貴族なんて特別な存在でもなくて——
「お可哀想に、まだ意識が混濁してらっしゃるのね。ノワレ様、貴女はご出産のあと意識を失くし、そのまま三日三晩目を覚まさなかったのですよ」
——そしてマロンのこの言葉に、すべてを思い出した。
わたくしは公爵夫人として、第一子を身篭り出産したこと。だがこれがひどい難産で、何時間にも及ぶ出産のあと気を失い、赤子の顔すらまだ見ていないこと。そして気を失っている間、ここではない別世界の夢を見ていたこと——
(ちがう、夢なんかじゃない。あれは前世の記憶だ。——もしかしてわたくし、異世界転生しちゃってたわけ!?)
オタクだった自分も当然通ったネット小説。そこでありがちだった設定『異世界転生』モノ——おそらく出産の衝撃で、眠っていた前世の記憶が蘇ったのだろう。何かがきっかけで思い出すっていうのもありがちな設定だったし。
(とはいえ『ノワレ・ホワイト』として過ごした時間が長過ぎて、前世の記憶というより『知識』って感じがするわねえ)
わたくしはもう『ノワレ』として、20年以上の時を過ごしている。前世の親や友人を懐かしんだり、早死にして申し訳ないという気持ちはあれど、またあの世界に帰りたいという気持ちは湧いてはこなかった。
それに——
「ノワレ様、起き上がれますか? 今、貴女のお嬢様をお連れしますね」
「——! ええ、ぜひ! ぜひ会いたいわ!」
こっちの人生ではもう、結婚し出産までしているのだ。
まだ顔も見ていない、一度も自分のお乳をあげていない、わたくしのかわいい赤ちゃん——早く会いたい一心で、重い体をどうにか起こす。
「さあノワレ様、可愛らしい赤ちゃんですよ」
マロンの合図で、乳母だろうか、わたくしと同じ年頃の女性が寝室に入ってきた。その手に抱かれた小さな赤子を見て、感動が湧き上がってくる。
「小さい……」
その子を自分の腕に抱いて、一番に思ったのはそれだった。小さいのにずっしり重くて、何よりとてもあたたかい。赤子は一度むずかったが、抱き直すと「あぁう」と鳴いて、またすやすやと眠り始めた。
腕の中の小さないのちに、前世がどうだなんてことはもうどうでもよくなってしまう。少し前まで寝込んでいた体のつらさも吹き飛んでいた。
わたくしはもうこの世界で、『母』になったのだ。この小さな存在のためなら、どんなことでもできると心から思った。
「不思議な髪色ね」
気持ちよさそうに眠る赤子の髪を撫でながら呟いた。彼女の髪は、真ん中から白と黒に分かれた変わった色合いをしていたのだ。
さすがファンタジーな異世界ね。そう思ってクスリと笑う。自分が黒髪でマロンが暗い茶髪なものだから、この世界がカラフルな髪色に溢れた世界だということをつい失念していた。
あれ? だけどこの髪色、どこかで見たことがあるような……
「お名前は旦那様がつけてくださいましたよ。グレイお嬢様とおっしゃるんです」
「グレイ……あなたグレイっていうのね。グレイ……グレイ・ホワイト……!?」
フルネームを呼んでハッとする。
グレイ・ホワイト——それって、前世でやったことのある乙女ゲームの悪役令嬢の名前じゃないの!?
「ま、マロン! あの、つかぬことを聞くけれど、わたくしたちの住むこの国って、なんて名前でしたっけ!?」
「え? クリアネス王国のことですか?」
「クリアネス、王国……」
不思議そうに答えるマロンに、嫌な予感が確信に変わる。
間違いない、ここはわたくしが生前やっていた——より正確に言うのなら、死ぬ直前に徹夜でやって死因にもなってしまった乙女ゲーム、『光と魔法のクリアネス』の世界だ!
(ということは、この愛らしいわたくしの娘は将来悪役令嬢になってしまうの!? というか、わたくし、悪役令嬢の母親なの!?)
『光と魔法のクリアネス』——それは、剣と魔法のファンタジーな異世界を舞台とした、大人気乙女ゲームだ。
主人公は平民ながら強い光属性の魔力を持ち、王国貴族の集う学園へ特待生としてやってくる。そこで王太子殿下をはじめとした攻略対象の男性たちに出会い、交流を深めていくのだが——貴重な魔力持ちとはいえ平民は平民。そんなヒロインを面白くないと思う者は当然いて、他の生徒からひどいいじめを受ける。その筆頭が、悪役令嬢たるグレイ・ホワイトだ。
悪役令嬢グレイ・ホワイトは、メイン攻略対象である王太子殿下の婚約者で、彼に近づくヒロインに嫉妬していじめを行う役柄だ。だが、ヒロインが聖女として選ばれたことでいじめが表沙汰になり、断罪され婚約破棄されてしまう。そんな典型的な悪役令嬢キャラなのだけれど——
実はこのグレイ、悪役令嬢という立場でありながら、一部カルト的な人気のあるキャラクターだった。その理由は彼女の境遇と悲惨な末路にある。
まず第一に、悪役令嬢グレイは王太子殿下の婚約者という立場にもかかわらず、殿下に恋心なんて抱いていなかった。それなのになぜヒロインをいじめるほど殿下の婚約者という立場に固執したのか? ——それは彼女の父である、ホワイト公爵のためだった。
二人の婚約は、先代国王の甥に当たる父公爵が、無理を言って通した婚約なのだ。理由はたった一つ、金のために。
ブラン・ホワイト公爵は魔法研究が趣味の変わり者で、自ら王族の地位を捨て魔法研究室を立ち上げるほどの魔法オタクであった。だがその研究室は長年成果を出すことができておらず、潰れる寸前だった。
そこで公爵は自分の娘を嫁に出し、王族と公爵家の繋がりを強めることにした。研究室を潰さないために、娘を売ったのだ。
それに気づいていたグレイは、父公爵の役に立ちたい一心で王太子殿下の婚約者という立場に縋り付く。自分が生まれると同時に母親を亡くしている彼女にとって、父は唯一の肉親だったのだ。
そして第二に、悪役令嬢グレイは魔法の類を一切扱えない、【魔力なし】であった。
魔術師は国内でも希少な存在、貴族であっても魔法を使えない者は多い。だが、公爵という王族に近い立場で、一切魔法の素養のない人間というのはたしかにめずらしかった。しかも彼女の敬愛する父親は魔法研究室の室長であり、重度の魔法オタクなのだ。父公爵は【魔力なし】であるグレイには政略結婚以外の何も求めず、代わりに公爵の継がせるために養子に迎えた義弟ばかりをかまうようになる(余談だが、その義弟も攻略対象のひとりである)。彼女の性格が歪んでしまうのも当然のことだった。
断罪され婚約者にまで見放された悪役令嬢グレイは、ついには禁忌の闇魔法に触れ、その強烈な力に呑み込まれ亡くなってしまう。そして娘が禁忌に触れた罰として、公爵ごとお取り潰しになる——それが悪役令嬢グレイと、この公爵家の末路である。
自分で蒔いた種とはいえ、唯一の肉親に愛されたくて役に立ちたくて犯してしまった罪——闇に呑まれる寸前、王太子殿下ではなく父への愛を語る少女の姿は痛ましく、ファンからも同情の声が多かった。『私』もプレイ中ちょっと泣いてしまったほどだ。
……が、今はそんなことはどうでもよくって——
(これ、悪役令嬢が歪む原因、全部うちの夫のせいじゃない! というか、このままでは可愛い娘が闇に呑まれて死んじゃう上に、我が家が没落してしまうってこと!?)
かわいい寝顔を見せる娘を抱きながら、思わず頭を抱えたくなる。真っ青になったわたくしを見て、マロンが「ノワレ様、どこか具合がお悪いのですか!?」と心配そうに声をかけてきた。
(というかそんな状況を許すなんて、母親はいったい何をやって——ああ、ゲーム中ではグレイを産んだと同時に死んでいるんだっけ。……って、ええ!? もしかしてわたくし、この出産で死ぬ運命だったの!?)
畳みかけるように呼び起こされる前世の知識に衝撃を受ける。まさか、自分が死ぬ運命にあったなんて——。
……だが、待てよ。これはむしろ、朗報なのではないだろうか? だって、わたくしには前世の記憶がある。ゲームのシナリオだって完璧ではないが覚えているのだ。それを使って、この公爵家の破滅フラグを折ることだってきっとできるはずだ。
要は娘を悪役令嬢にしなければいいのだ。王太子殿下と婚約させないように仕向けたり、そもそもヒロインをいじめるような性格に育てなければいい。そして、悪役令嬢グレイの性格が歪んだ原因はただひとつ、夫にあるのだから——
(魔法以外に興味のない夫をどうにかすればいい。——それなら夫を口説き落として、わたくしやグレイにメロメロにさせてしまえばいいのよ!)
まるで天啓のように浮かんだ名案に、わたくしはグレイを抱えたままがばりと起き上がった。
「そうと決まれば寝てなんかいられないわ! さあマロン、明日から忙しくなるわよ!」
「えっ? なんですか、っていうか、グレイ様を抱いたまま暴れないでください、ノワレ様ー!」
勢いよくベッドから飛び降りると、腕の中でグレイが「ふみゃあ」と泣いた。
◇◆◇
「——ブラン様。わたくしです、ノワレです。お茶を持って参りました」
「……入れ」
低い声に招かれ、夫の執務室の扉を開ける。そこには、大きな椅子に腰かけ、何か書類を手に持っている白髪の男性がいた。
ブラン・ホワイト——このホワイト公爵家の現当主である。
彫りの深い端正な顔立ちに、血のように赤い瞳。見事な白髪は腰まで長く、それを後ろでひとつにまとめている。
背格好もすらりとした長身で、見てくれだけなら文句のつけようのない美形である。そう、見てくれだけなら。
「お久しぶりでございますね、ブラン様」
「ああ、そうだな」
「相変わらずお忙しそうですね。またすぐに研究室に戻られるのですか?」
「ああ、そうだな」
「今はグレイもいるのですし、少しゆっくりされては?」
「ああ、そうだな」
「……」
ブランはこちらをちらりとも見ず、わたくしが持ってきたお茶にも口をつけない。「早く出ていけ」という雰囲気を出しながら、じっと書類を読み込んでいる。
……これだ、これなのだ。ブラン・ホワイトという男は、こういう男なのだ!
彼はもともと王位継承権を持つ王族であった。だが国政を担うより魔法の研究をしていたいと、継承権を放棄し自ら魔法研究室を立ち上げた。それほどの魔法オタクなのである。今読んでいる書類も、おそらく研究関連のものなのだろう。
魔法以外のことにはまったく興味を示さない——それは妻であるわたくしに対しても、娘であるグレイに対しても。そしてその結果が公爵家の没落なのだ。
久しぶりと言ったのも、嫌味でもなんでもなくただの事実だ。
わたくしが前世を思い出し夫を落とすと決めたときから、もう半月が経っている。その間ブランは研究室に引きこもり、一度もこの家に帰らなかった。生まれたばかりの娘と、出産後目を覚まさない妻を置いて、だ。
(ゲームを通しても、数年の結婚生活でもわかってはいたけど……本当に最低な男ね)
だがそれも仕方のないことなのかもしれない。わたくしたちの結婚は、当然だが恋愛結婚ではなく政略結婚だからだ。それももちろん、金のため。
わたくしの実家であるチャコール家は、この国でも有数の資産家だ。研究資金がほしいブランと、高位貴族とのつながりがほしいチャコール家。お互いにこれ以上ない相手だった。
そして娘ではあるが子どもも生まれ、貴族としてとりあえずの責任は果たした(この国では女性でも家を継げるのだ)。だからこれからは愛のない妻との関係を深めるより、研究室にこもって研究したい——おそらくそう思っているのだろう。
だが、
(そんな没落街道まっしぐらなこと、させてなるものですか! グレイの運命は、ホワイト公爵家の没落は、この夫にかかっているのだから!)
きっと神様は、このためにわたくしに前世の記憶を蘇らせてくれたのだ。わたくしの頭のなかには、この世界にはない知識がたくさんある。そう、たとえば、心理学を駆使した男を落とす方法なんかもね!
(さあ、異世界転生知識チートの時間よ!)
わたくしは改めて決意すると、ブランの背後へスッと近寄った。
「ねえ、ブラン様ぁ……お疲れでしょう? 肩、お揉みしましょうか……?」
うしろからそっとブランの肩に手をかけ、耳元で甘くささやく。驚いたようにこちらを振り向くブランに、妖艶に映るよう心掛けてゆっくりと笑みを深めた。
(——どうだ、『夫を落とそう大作戦』その①、ボディタッチ攻撃!)
ボディタッチ——相手の体の一部に触れることは、相手との距離を一気に縮めるのに有効な手法である。初対面でボディタッチをするかしないかで好感度が変わるという心理学の実験もあるほどだ。
しかも、今の『わたくし』は10人中10人が認める美女なのだ。そんな美女にそっと肩に触れられ、耳元でささやかれ、あまつさえ微笑まれて喜ばない男がいようか、いやいない!
(正直、こんな前世ですらしなかったことやるのはめちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……)
だけど、娘と公爵家の未来のためなら、わたくしの恥など小さなこと。さあどうです、ブラン様! 今すぐメロメロになってもいいんですわよ!
——そう意気込むわたくしに対し、
「ああ、たしかに最近肩の凝りはひどいな。よろしく頼む」
……ちがう、そうじゃない! いや、たしかに肩揉みとは言ったけど……そうだけどそうじゃない!
本来の意図にまったく気づかず、ブランはあっさりと肩揉みを受け入れた。スルーされたことで気恥ずかしさが何倍にもなって押し寄せてきたけど、今更肩に置いた手をほかに動かすこともできず、そのままマッサージを始める。ブランの厚い肩はたしかに石のように硬かった。
(うぅ……そりゃあ最初からうまくいくなんて思っていなかったけど、ここまで意図が通じないとは……!)
美人妻とふたりきりの密室で、意味ありげに肩に触れられて、なんでそんなにあっさりしていられるのよ!? くそう、他人に興味のない魔法オタクには、やはり直球勝負じゃないと通じないか……!
(それなら作戦第二弾よ!)
わたくしは肩からそっと手を離すと、意味ありげにブランを見つめ、頼りなさげに言った。
「あのぅ、ブラン様ぁ……? 今夜は屋敷でお休みになられるのでしょう? それなら……今夜、ブラン様のお部屋にお邪魔してもよろしいかしら……?」
——どうだ、これぞ『思わせぶりな上目遣いで誘っちゃおう大作戦』!
間接的なアプローチが通じないのなら、あとはもう直球でいくしかない。半月ほど男ばかりの研究室にいたのだ、魔法オタクといえど人肌が恋しくなる頃だろう。
女性の側から誘うなんてはしたないという気もするが……せっかく夫婦という立場なのだ、これを利用しない手はない。こんなに美しい妻に夜の誘いをかけられるのだ。喜ばない男がいようか、いやいるわけがない!
「無理だな。明日にはまた研究室に戻る。今夜のうちにこの資料を読み込みたい」
……こ、この美人妻よりもその紙切れのほうが大事だっていうの!?!?!
すげなく返すブランに絶句する。政略結婚とはいえ、妻からの誘いなのよ!? それをあっさり袖にするなんて、そこまで、そこまでわたくしに興味がないというの!?
「で? 話はそれで終わりか?」
あまつさえ、「いい加減邪魔だ」とでも言いたげな目でこちらをじろりと睨む。
……あの、わたくし半月前まで寝込んで生死の境をさまよっていたんですけど……。そんな妻に対してその態度って……女として妻として、というかひとりの人間として傷つくんですけど……。
さすがに顔に浮かべた作り笑いが引きつりそうになったが、こんなことであきらめてたまるものですか! 直球のお誘いでもダメだというのなら、最終手段よ!
「も~! ブラン様ったら、つれないこと言わないでくださいな! わたくし、もっとブラン様とお話がしたいですわ。たとえば……魔法のこととか」
わざと語尾を伸ばし気味に言うと、ブラン様はやっとピクリと反応した。もちろん高めに作った声にではない。『魔法』というその単語にである。
(——よし、かかったわね! これぞ『趣味に理解を示そう』大作戦よ!)
オタクという生き物は得てして話したがりなのである。自分の好きなものについて語りたい、議論したい、わかってほしい——そしてそれをにこやかに聞いてくれる人がいたら、そんなの一瞬で好きになってしまうだろう。オタクとはそういう生き物だ。
これはどの世界においても不変の真理だ。ブランだってそうだろう。新婚の頃はちょくちょく自分の研究内容について話してきたりしていたし。わたくしはそのすべてに「興味ありませんわ」と返したけれど。
……あれ、もしかしてわたくしたち夫婦の不仲って、わたくしの態度のせい?
「……なんのつもりだ? おまえが魔法について聞いてくるなんて」
「ま、まあいいじゃないですか! グレイが生まれて、あの子は魔法が使えるようになるかしらとか、ブラン様のご意見も聞きたいと思いまして!」
「ああ、グレイか。そうだな、あの子の魔法の素質については、俺も気になっていたところだ」
ごまかすように言うと、ブラン様の赤い瞳がキラリと光った。よっしゃ、食いついた!
「ですわよね! 白と黒のふたつの色を持つ髪なんて、わたくし、初めて見ましたわ!」
「ああ、魔法関連の書物を見ても、【白黒髪】は記載されていなかった。【2色持ち】という時点で珍しいが、白黒となるとまた話は別だからな」
「さすがブラン様、すでに調べておいででしたのね」
「調べてもわからなかったがな」
そう語るブランの表情は、言葉とは裏腹に楽しそうだ。そりゃあそうだろう、白と黒の髪を持つ赤子なんて、魔法研究者なら興味をそそられないはずがない。
——乙女ゲーム『光と魔法のクリアネス』は、剣と魔法のファンタジーな世界が舞台だ。そして、『魔法』についてちょっと変わった設定がある。
それは、人の魔力は髪に宿り、髪色の種類がその人が使える魔法属性を、髪色の明るさが魔力の大きさを表している、ということだ。
たとえば【青髪】の持ち主は、水の魔法属性の持ち主。明るい水色に近ければ近いほど魔力が高く、藍色など暗い色ならば魔力が低い。
火と水など複数属性扱える者は、赤と青など2色の髪色を持つことになる。これが先程ブランが言っていた【2色持ち】だ。一般には珍しいが宮廷魔術師などには大勢いる。3色、4色……と属性が増えるほどその数も少なくなる。
わたくしの侍女マロンの暗い茶髪は、一応光属性に該当する。だが魔力が低すぎて、魔法を使える閾値には達していない。この世界の人口の半分以上は、この『魔法属性はあるが魔法が使えない』人間である。
ブランの白髪は、この世界でもっともめずらしく、もっとも貴重な魔法属性——『全属性』だ。まるで光の3原色を混ぜたみたいに、すべての属性を持つ者は白い髪を持って生まれる。これは代々王家に多く、元王族であるブランも見事な白髪なのだ。
では、わたくしの黒髪は? ——残念なことに、『魔力・魔法属性ともになし』である。……せっかくファンタジーな異世界に転生したっていうのに、魔力なし! 悪役令嬢の母に転生したうえ、魔力すらないってどういうことよ! せめて魔法チートくらいサービスしてくれたっていいじゃないの神様! ……という個人的な愚痴は置いといて。
そんな魔力なしのわたくしと、全属性のブランの間に生まれたのが、白と黒の髪を持つグレイである。魔力なしの黒と、全属性の白。ふたつの色を混ぜた灰色でもなく、白黒の髪。
魔法属性があるのかないのか、想像もつかない。こんな事例は今までないのだから。そんな対象を魔法オタクなブランが気にしないわけがない。
というか、もしかしてこの半月屋敷に帰らなかったのは【白黒髪】について調べるためだったのだろうか? まさか今手に持ってるその書類も……いやまさかまさか。
「魔法の素養があっても、使えるようになるのは早くて5歳前後だ。それより前は使えても体に負担がかかる。グレイが魔法を使えるかは、その頃になってみないことにはわからないな」
「なるほど、魔法が体の負担になるとは知りませんでしたわ」
そんな会話をしていると、ふとこの話を深堀りするのはあまりよくないのではと思い始めた。なぜならわたくしは、悪役令嬢グレイが魔法の素養がなかったことを知っているからだ。
悪役令嬢グレイも、幼少期は父公爵から『どんな魔法属性を持つのだろう』と期待をかけられて育った。【白黒髪】だなんて珍しい髪色、ゲームの世界でも魔法オタクだったブランが気にかけないわけがない。
だが、普通なら魔法を使えるような年齢になっても魔法は発現せず、悪役令嬢グレイは父に見捨てられてしまう。愛された、期待をかけられた過去があるからこそ、失望されたときのショックが大きかったのだ。その結果が闇落ちだ。
今現在のブランも、グレイがどんな魔法属性を持つか楽しみにしているように見える。……うーん、これは今のうちから期待させないよう仕向けたほうがいいのだろうか?
そう考えていると、
「なんだ? 考えこんでいるようだが、何か気にかかることでもあるのか?」
「えっ? い、いえ! 改めて不思議だなあと思っていただけですわ、髪に魔力が宿るなんて」
見透かすような言葉に驚いて、思わずごまかす。
「わたくしは【黒髪】だからわかりませんが、髪に魔力が宿るというのはどういう気分なのかしら。それに、魔力の宿った髪は色合いも華やかで美しく、うらやましいと思ってしまうのです」
「ふむ……見た目で言うならお前の黒髪も美しいと思うが……」
「……ふぇっ!?」
ふいに褒められて変な声を出してしまった。美しいなんて初めて言われたかもしれない。いや、ブラン以外からは何度も言われてきた言葉だけれど……。
「だが、そもそも魔力が髪に宿るというのは嘘だぞ」
「ふえぇ!?」
今度は間抜けに叫んでしまった。ちょ、ちょっと待って! それが嘘なら、あの乙女ゲームの設定はなんだったの!?
「で、ですが、学園の魔法学でもそう習いましたよ!? それに魔力が髪に宿らないというのなら、髪色によって扱える属性が違うのはなぜなのですか!?」
「まだ研究段階だからな、学園の教科書に載せられるようになるにはあと数年はかかるだろう。だが俺たち研究室の者や、宮廷魔術師の連中なんかの間ではもう常識だ」
「そ、そうなんですの……?」
「ああ。というか、そもそも『魔力』という概念自体が間違っているんだ」
「へ?」
『魔力』という概念自体が間違っている? 納得しない様子のわたくしに、ブランは詳しく説明しはじめた。
『魔法』とは、髪に宿る『魔力』を使い世界に干渉する力。そして宿る魔力の大きさが髪の明るさに、使える魔法属性が髪色に出現する……それが今現在の、『魔法』に関する常識だ。だが、ここ数年の研究で、『魔力』というものは存在しないことがわかりはじめてきた。
ならばなぜ魔法が使えるのか? ——実は、魔法というのは大気中の『マナ』を利用し行使している力なのだという。
この世界の大気中には、『マナ』と呼ばれる魔法の源のようなものがあふれている。そのマナに直接干渉し、変質させ、『魔法』として発現させる。自分の髪に宿る魔力を使って魔法を生み出すのではなく、大気中にあるものを変化させている——それが『魔法』の正体なのだ。
「よく言われる『魔力が大きい』者というのは、厳密にはその『マナ』に干渉する能力が高い者、ということだ。その能力の高さが、なぜ髪の明るさに発現するのかはまだわかっていないがな」
「では、魔法属性というのは?」
「ああ、『マナ』というのは基本的に『属性』がない——いや、『全属性』だと言ったほうがいいか。だが、『魔法』というのはどんなものでも属性を伴う。俺たちが一般に言う『魔法属性』とは、全属性の『マナ』から使用する『属性』を選び取る能力と言い換えられる。そして『マナ』から選び取ることができる属性は人によって違い、それがなぜか髪色に出現する」
「なるほど……」
納得したようにうなずいてみたものの、正直まだ吞み込み切れないところがあった。
つまり、ブランのような【白髪】は『マナ』に干渉できる能力が高く、『マナ』から選び取ることのできる『魔法属性』も多い。対するわたくしのような【黒髪】は、『マナ』に干渉することができず、どの『魔法属性』を選び取ることができない——ということか。
マロンのような暗色の髪を持つ者は、『マナ』に干渉することはできるがその能力値は低い、ということなのだろう。
……うーん、わかったようなわからないような?
前世でゲームをしていた時にも思ったけれど、この世界の魔法設定はなかなかややこしい。火魔法使いは赤髪、みたいに、キャラクターのわかりやすさのための設定だと当時は思っていたけど……。
どうして使える魔法属性が髪色になんて現れるのだろう? 今までは、髪に宿るといわれる魔力にそもそも『属性』があるのだと思っていた。水属性魔法使いは水の魔力を持ち、火属性魔法使いは火の魔力を持つ……というように。髪に魔力が宿るのだから、属性によって髪色が変わるのも頷ける。
だが、今のブランの話を聞くに、どうもそういうわけではないらしい。『属性』とは、マナのどの部分に干渉できるか、ということなのだ。たとえば【赤髪】は、全属性の『マナ』のうち火魔法属性にしか干渉できない。【青髪】なら水属性にしか。
そして【白髪】は全属性に干渉できる。『マナ』のすべての部分に対応できるのだ。それって、なんだか——
「——なんだかそれって、光の特性みたいですわね」
なんとなくつぶやいた言葉に、ブランが「え?」と反応した。
「光の特性っていうより、色の特性と言ったほうがいいかしら? ブラン様のおっしゃる『マナ』とは、まるで太陽の光のようだと思ったのです。あれはわたくしたちの目には白い色に見えますが、本当はあらゆる色を含んだ光でしょう? それがすべて集まっているから白く見える……。そしてその光が何か物体にぶつかると、反射した『光の一部』がわたくしたちの目に『色』として映る。『マナ』の一部に干渉することによって、属性のある『魔法』に変化させるのと、少し似ているように感じたのです」
これは、前世でゲームをしていたときにも思ったことだった。白は光の三原色を混ぜた色だ。全属性の魔法使いが白髪という設定は、おそらくこの光の特性からきたものだろう。
加えて先程ブランに教えてもらった『マナ』の話である。わたくしたちの目に見えている『色』は光の一部を反射したものだ。そして、この世界でいう『魔法』とは、『マナ』の一部に干渉して生まれるちからのこと。すべての光の色を混ぜると白になり、すべての属性を扱える魔法使いは白髪になる——うん、やっぱりよく似ている。
それに、それなら黒髪が魔法を使えないのも納得がいく。黒はすべての光を吸収する色だ。『マナ』に干渉できないのも頷ける。
そうひとり納得し、満足げに頷いていると、
「光を反射? 白があらゆる色……? ……いったいどういうことだ?」
凛々しい眉をしかめて、ブランがそう問いかけてきた。そしてようやく気づく。あれ、もしかしてこの世界って、この程度の理科の知識もないの!?
「な、なーんて! そんなことが昔読んだ本に書かれていた気がしますわ!」
「本? どんなタイトルだ? 著者は? 昔とはどれくらい昔だ? その本は今もチャコール伯爵家にあるのか?」
「え、えーと、どうだったかしら? もう捨ててしまった気がしますわ!」
「それなら覚えている限りのことを話せ。今すぐにだ!」
「ひいぃっ!?」
ブランに詰め寄られ、震えあがる。や、やばい。ブランが研究者の目になっている。知らない知識を与えられ、それが大好きな魔法に関係するかもしれないものだから、いてもたってもいられないのだろう。赤い目がギラギラと光っていた。
その目に負けて、結局わたくしは知る限りの光に関する知識をブランに告げた。といっても知っているのは中学理科の範囲くらいで、正直うろ覚えなところもあったが……それでもブランにとっては今まで知らなかった知識だ。わたくしの一言一句聞き逃さないよう、じっとおとなしく話を聞いてくれた。
「なるほど……それが本当なら、たしかにマナの性質と似ているかもしれないな……」
ブランは何かメモを取りながら、考えるように黙り込んでしまった。その姿に少しほっとする。自分の知識は正直あやふやだし、その本の出どころを問い詰められたところで何も答えられないからだ。……あとで聞かれたら、異国を旅した時に読んだとか言ってごまかそう。
「……では、黒は?」
「はい?」
「さきほどの光についての話だ。今お前が話した色の中に、黒色の話はなかった。ということは、白色光には黒色は含まれないということか?」
ブランがそう問いかけてきた。すごいな、今の話でそこまで思考がいきつくなんて。そう思いつつ、
「ええ、そうです。『色』とは、光の一部分を反射した結果だといいましたよね? 黒色とはその逆、すべての光を『吸収』した結果、黒く見えるんです」
「『吸収』……」
わたくしがそう言うと、ブランはまた考え込んでしまった。何やらぶつぶつと口元でつぶやいている。
これは研究者モードに入ったな、と苦笑を浮かべる。こうなったらもう何を言っても聞こえていないだろう。オタクというのはそういう生き物だ。
これ以上ここにいたら邪魔になるだろうか——そう思って、そっと執務室を出ようとする。『夫を落とそう』という最初の目的からはだいぶズレてしまった気もするが……少しは話もはずんだし、第一関門は突破したようなものだろう。といっても、その内容は甘い夫婦の語らいなどではなく魔法と科学の話だったわけだが……自由研究にいそしむ小学生みたいなかわいい顔が見られたので、まあヨシとしよう。
そう思い、ドアノブに手をかけた瞬間、
「待てよ、となると黒髪というのは……すまないノワレ、実験したいことができたから、これからまた研究室に戻る! しばらく戻らないと思うが、グレイを頼むぞ」
「はあ!? ちょ、待っ、ブラン様!?」
——扉の前にいたわたくしすら追い越して、ブランは颯爽と屋敷をあとにした。実験したいこと、とはおそらく今わたくしが話した光と色の話と、魔法と髪色についての話だろう。だから背中を押したのはほかでもないわたくし、なのだけれど……
「ちょっと……貴方が家にいなきゃ作戦を決行できないじゃないのよー!」
情けない叫び声を聞いてくれる者は、もうこの屋敷を出たあとであった。
◇◆◇
「まー、ぁ、……まぁんま!」
「きゃああああ! ちょっと聞いたマロン!? 今ママって言ったわよね!? ねえ!?」
「落ち着いてくださいませノワレ様。グレイお嬢様がそのような喃語を話し始めたのは、今に始まったことではありません」
「でもでもでも! 何回聞いても感動するのよ、少し前まで泣くか喚くかしかしなかったのに……!」
「んまぁー!」
——あれからしばらくの時が経った。
どれくらい経ったかというと、まだ首も据わらない赤子だったグレイが、こうして意味ありげな単語を話すようになったほどである。その間、約、半年。そしてその半年の間、夫との仲を縮められたかというと……正直、まったく、進展はない。
というのも、夫であるブランが研究室にばかりこもって、ちっとも屋敷に戻ってこないのだ。この家に戻ってこないのなら、距離を縮めるもなにもあったもんじゃない。
もちろん、半年間まったく屋敷に帰らなかったというわけではない。ただ、帰ってもなにか忙しそうにしていたり、疲れて寝こけていたり、はたまたわたくしの知識を求めて問い詰められたりするばかりで、夫婦らしい会話のひとつもできていないでいた。
「はあ、ブラン様も仕事ばかりしてないで、もっとグレイと会う時間を作ってくれたらいいのに。赤ちゃんの成長は早いんだから、この瞬間瞬間を大事にしないと……ねぇ、グレイちゃん?」
「ん、ぱぁー?」
「んん~、そうでしゅよ~。パパのことですよ~」
そう言ってグレイのふくふくのほっぺにキスをする。ミルクの匂い。心が落ち着く。
ブランとはまったくだが、グレイとの仲は順調である。貴族女性というものは、子育ては乳母に任せっきりで自ら参加する人は少ないと聞くが、わたくしは前世の記憶があるせいか我が子を他人任せにすることに違和感を覚えてしまい、積極的にグレイの世話をしている。そのおかげもあって、グレイはわたくしにとても懐いてくれている。わたくしが何をするにもくっついてきて、わたくしが触るものすべてに興味を示して……もう、そのかわいさといったら!
「ほーんと、このかわいさを知ったらどんな魔法オタクでも、メロメロになっちゃうだろうにねえ?」
「だぁ?」
わたくしが首をかしげるのに合わせて、グレイが不思議そうな声を出す。その仕草があまりにもかわいらしくて、ああこの世界にもカメラがあったらところかまわず連写してるのに、いっそわたくしが作ってしまおうかしら——なんて思っていると、
「ノワレ! ノワレはいるか!? すまないが、研究に協力してくれ!」
——という、いつぶりかに聞く夫の声が飛び込んできた。
*
場所は変わって、公爵邸内簡易研究室。
寝る間も惜しんで魔法研究をしたいブランが、数年前に建てた施設である。屋敷に帰ったとしてもここに籠ることも多く、ブランとなかなか顔を合わせられない原因の9割がこの場所にある。
「それで、協力とは何をすればよろしいので?」
ふたりきりの研究室で、テキパキと何か準備をしている様子のブランに問いかける。
あのあと、グレイをマロンに預けてブランとふたりで研究室へと入った。この場所に足を踏み入れるのは初めてのことだ。今までは興味もなかったし、魔法に詳しくない自分が入って何かやらかしてしまうのも怖かったから。
「ああ、以前光と髪色の関係について話したことがあっただろ? あれから研究室でも何度か議題にしていたんだが、実験に踏み切ろうにも研究室にはあいにく【黒髪】がいなくてな。以前の知識を与えてくれたのもお前だし、お前に協力してもらおうかと思ったんだ」
「まあ、それはそうでしょうね」
当たり前だ、魔法研究室に【黒髪】がいるわけがない。
「お前は、黒色は光を『吸収』する色だと言っただろ? それで考えたんだ。魔法を使えないというのは、マナに干渉する能力を持たないということだ。だが、それは『マナを魔法に変質させる能力を持たない』というだけで、違う形の干渉はできるのかもしれない……『魔法』という目に見える形で現れないため、俺たちにはわからなかっただけで」
「違う形、ですか?」
「そうだ。たとえば——マナを体内に『吸収』できる、とかな」
「そんな、まさか」
「まさかというようなことを試すのが研究だ」
マナを吸収する? 黒髪であるわたくしが?
そう訝しむわたくしに対し、ブランは平然とした顔で何かを手渡してきた。手のひらにやっとおさまるサイズの、宝石のように青く輝く石——水の魔石だ。
魔石とは、簡単に言うと魔力の詰まった石だ。主に魔術具の動力源として使われたり、魔術師が魔法を行使する際に使ったりする。魔鉱山と呼ばれる場所や魔物の多く住む森などに自然発生するか、あとはごく一部、体内で生成する魔物もいるらしい。
……だが、そんな魔石をなぜわたくしに? 【黒髪】のわたくしは、当然だが魔石を使っても魔法は行使できないのだけど……。
「見てみろ」
ブランはそう言って、わたくしの手の中にある魔石を握りこんだ。
「……っ!」
突然大きな手に握りこまれて驚く。同時に、ざあっと部屋の中に雨が降り、二重に驚いた。水魔法だ。ブランが魔法を使ったのだ。室内で何を、と声が出そうになるが、自分も室内のどこも濡れていないことに気づく。水魔法を使う前にバリアでも張っていたのだろうか、器用なことだ。
感心していると、ぱっと雨が止んだ。ブランが虫を捕まえた小学生のような顔で「どうだ?」と聞いてくる。……褒めてほしいのだろうか?
「相変わらずすごいですわね、ブラン様の魔法は」
「違う、そっちじゃない。たしかに俺の魔法はすごいが、今は魔石のほうだ」
「魔石?」
言われて手の中に視線を落とす。たしかに鮮やかな青色だった魔石が、先程より黒ずんでいるように見えた。
「このように、魔石を利用して魔法を使うと、その魔石はどんどん黒ずんでいくんだ。そしてマナを使い尽くすと真っ黒なただの石になる」
「へえ、そういうものなんですね。それで、協力してほしい実験というのは?」
「ああ、この魔石だ。お前には、この魔石からマナを『吸収』できるか試してみてほしい」
「ここでその話に戻るんですか……」
「ああ。魔石はマナの塊だからな、大気中のマナから『吸収』しろと言うよりは簡単だろう?」
いえ、全然簡単じゃないと思いますが……。
苦笑いを浮かべながら魔石を見つめる。期待してくれているブランには悪いが、正直できる気がしない。だって前世から含めてウン十年、魔法なんてファンタジーなもの使えたことがないのだ。この世界に生まれて、魔法を直に見たり魔術具を利用したことはあるが、それだけだ。まして、『マナ』を吸収する? どうやって? そもそも『マナ』がどんなものなのかもよくわかっていないのに。
「……やっぱり嫌か?」
「へっ? い、嫌というわけではありませんわ。ただ、どうしたらいいか戸惑っていただけで」
「そうか、よかった。お前は以前魔法には興味ないと言っていたから、無理やり付き合わせていたら悪いと思ったんだ」
ほっとしたように笑うブランに、少しきまり悪い気持ちになる。
「——俺はもちろん、すべての魔術師はマナを使って魔法を行使することができる。だが、逆に言えばそれしかできない。魔術師には、魔法には限界がある。だが、無限のマナがあふれるこの世界で、魔法の可能性がこれだけだなんて俺にはどうしても思えない。魔法が使えないとされる【黒髪】や【暗色髪】にも、何かあると思うんだ」
ブランはまっすぐわたくしを見つめ、そう言った。驚いた、【黒髪】にも何か可能性が、だなんて初めて言われた。高位の魔法使いであればあるほど、魔力なしを蔑む者も多くなるというのに——そういえばブランは、わたくしを娶る前も後も、わたくしが黒髪であることに一度たりとも言及したことはなかった。
……くそう、こんなことまっすぐ言われたら、ちょっとやってやろうかって気持ちになってしまうじゃない。正直いまだにどうしたらいいかなんてわからないが、それはきっとブランだって同じだ。結果できなかったとしたって、何を失うわけでもない。むしろ成功したらラッキー、【黒髪】の可能性も広がりブランからの好感度も爆上がりだ。グレイの将来にだってかかわるかもしれない。
(よし、女は度胸だ! やってやろうじゃないの!)
わたくしはそう意気込むと、ブランを真似て魔石をぎゅっと握り込み、
「んぐぐぐぐぐぐぐ……」
念じてみたり、
「んぎぎぎぎぎぎぎ……!」
いきんでみたり、
「うごごごごごごご……!」
高く持ち上げ祈りを捧げてみたりもしたが、
「……無理なようだな」
「あったりまえですわ!!!」
こんな大きな魔石、触るのも初めてなのだ。そんな魔法初心者に突然『マナを吸収しろ』だなんて、無茶ぶりもいいとこである。
「そもそも、わたくしは【黒髪】なんですわよ? 魔力、というかマナなんてもの、感じたこともないんです。だって魔法なんて使ったこともないんだもの。そんなもの、どうやって『吸収』すればいいのかわかりませんわ」
手の中の魔石を握りこむ。少し黒ずんでいるけれど、それでもまだきれいな青色をしていた。だけど、それだけだ。わたくしには、ただのきれいな色の石にしか見えない。
マナだとか魔力だとか、わたくしにはまったく感じ取れない。目の前で魔法を使われた今でもだ。こんな石ころに本当にマナが詰まっているの? その上、そのマナを『吸収』してくれだなんて……。
そう不貞腐れながら話すわたくしに、
「なるほど、そもそも『マナ』の感覚がない、か……。たしかに感覚を知るというのは大事かもしれないな。……ノワレ、」
「はい?」
名前を呼ぶと同時に、ブランは魔石ごとわたくしの手を握り、ぐっと体を引き寄せた。バランスを崩したわたくしの体が、厚い胸板にトンとぶつかる。腰のあたりにするりと腕が回された。
……あれ、これ、もしかして……ブランに抱きしめられてる!?!?
「ちょ、ちょ、ブラン様……っ!?」
「シッ、黙ってろ。感覚共有の魔法は構築に時間がかかるんだ……」
「感覚共有!?」
どうやらブランは感覚共有の魔法をかけようとしているらしい。
……なぜ!? そしてなんで抱きしめる必要が!? というか、感覚共有なんてされたら、今めちゃくちゃドキドキしてるのが伝わっちゃうってことじゃないの!?!?
ブランの吐息を、体温を感じるたび、心臓がバクバク波打ってうるさい。な、何を緊張してるんだ、わたくしは。わたくしとブランは夫婦なのよ? だ、抱き合うくらい普通のことじゃないの。頭ではそう思うのに——
(だめだ! 前世の陰キャだった『私』が邪魔して、どうしても緊張してしまう~~!)
困惑するわたくしに追い打ちをかけるように、ブランは「ノワレ、」と耳元に囁きかけてきた。鼓動がもう一段階おおきくなる。と同時に、ぶわりと何かあたたかいものが体中を包んだ。
「な……っ!?」
初めての感覚に戸惑っていると、今度は魔石を握っている右手のひらに熱く燃えるような『何か』が宿った。手の中で火の玉でも暴れているようだ。その熱い『何か』は右手から体内に入り込み、体中を駆けめぐる。それが再び右手に戻ってきたかと思うと、突然弾けた。同時に、またざあっと室内に雨が降る。
「——どうだ? これが『魔法』を使う感覚だ」
ブランはわたくしから体を離すと、そう言ってまた先程の魔石を掲げて見せた。その青色がさらに黒ずんだのを見て、やっとブランが魔法を使ったのだとわかる。それではあの熱くぐるぐるした感覚が、魔力——ブランの言う『マナ』なのだろうか。これが、魔法を使う感覚——……。
「俺たち魔術師は、こうやって『マナ』を一旦体に取り込むことで『魔法』の形に変化させている。ただ、『マナ』をそのまま体に留め置くことはできない。『吸収』という言葉を使っているが、『魔法』に形を変える以前の『マナ』を体に留め置けないか? と俺は考えているわけだが——どうした? なんだか顔が赤いが」
「いいいいいえ! なんでもございませんわ!」
ブランに顔を覗き込まれて、思わずごまかす。突然抱き込まれて耳元で囁かれて、ドキドキしないほど枯れていないんですのよ! ……なんて言えるわけもない。
「そ、それにしてもすごいですね。今のが感覚共有の魔法ですか? わたくし、そんな魔法があることすら知りませんでしたわ」
「ああ、使う者も少ないからな、知らなくても当然だろう。そこまで使い勝手のいいものではないからな」
「そうですか? いろいろ利用できそうな魔法ですが」
「この魔法は、感覚共有する対象と触れ合わなければ発動しない上、触れ合う面積が大きければ大きいほど効果が大きくなる魔法なんだ。密着しなければ発動しない魔法なんて、誰彼構わずしたいものではないだろ?」
「へっ……?」
それって、わたくし相手なら使ってもいいと思ったということ?
「ノワレ?」
「な、なんでもありませんわ! それより、今のでせっかく『マナ』の感覚を掴んだのですから、もう一度挑戦してみますわ!」
「ああ、よろしく頼む」
ときめきを誤魔化すようにブランから魔石をひったくり、先程の感覚共有の記憶を頼りにもう一度『吸収』を試してみる。
体を駆けめぐったあのぐるぐるとした感覚、手の中で暴れた熱い塊、そしてそれが弾けるように『魔法』に変化したあの瞬間——
ブランは、魔術師は一度体の中に『マナ』を取り込むと言った。体の中を巡らせるその過程で、『マナ』を『魔法』に変質させるのだと。
(大丈夫、わたくしはもう知っている、『マナ』が体の中を巡るあの感覚を——)
と、手のひらに熱い波のようなものを感じた。そしてじわりじわりとあたたかいものが体にしみこんでくる。ブランとの感覚共有では荒れ狂う海のように感じたが、今流れているものは小川のように小さく穏やかだ。
だが、小さくてもたしかに、『何か』が体の中に流れてきている感覚がある。その『何か』は体の中で、行き場もなくぐるぐるととどまっている。……これは、『マナ』を『吸収』できているのか? 『魔法』に関することは何もできないと思っていた黒髪にも、ブランが望むようなことができているのか——?
「——すごい、すごいぞノワレ!」
興奮したようなブランの声に、ハッとして目を開ける。目の前には赤い瞳がキラキラと輝き、今まで見たことのないような笑顔を浮かべていた。
「見てみろ、魔石がさっきよりも色が黒くなっている。もちろん、俺は何もしていない。……お前だよ、ノワレ。お前が、黒髪が、『マナ』の『吸収』に成功したんだ!」
「わた、くしが……?」
声に出してやっと、自分の息が切れていることに気づいた。ほんのちょっとの『マナ』しか『吸収』していないはずなのに、驚くほどに精神と体力を使っていたようだ。
「ああ、お前だ。すごい、【黒髪】が『マナ』を『吸収』できるなんて、世紀の大発見だぞ! ああこうしてはいられない、さっそく研究室に帰って今回の件を報告しなくては!」
ブランはひとしきりわたくしを褒めたあと、さっさと研究室に帰ろうと準備を始めてしまう。ええ、今日やっと屋敷に帰ったばかりなのに!? とは思うが、文句のひとつも言う体力すらわたくしには残っていなかった。
(このままではこの研究室にひとり置いて行かれる可能性まであるわね……というか、結局また夫婦の時間が取れなかったなあ……)
諦め半分にそう考える。まあいい、わたくしだけ戻らなければマロンが迎えに来てくれるだろうし、『吸収』に成功した今、ブランだってすぐにまた帰ってきてくれるだろう。そう思っていると、
「立てるか、ノワレ?」
「ふぇ?」
ブランが大きな手のひらをこちらに向けて差し出してきた。
「だ、大丈夫、立てますわ」
「そうか、よかった。歩けるか? 寝室まで送ろう」
「え、ええ……ありがとうございます……」
嘘、ブランがわたくしのことを心配してる? しかも、寝室まで送るですって……!? 驚き戸惑うわたくしに、ブランはダメ押しのように言った。
「礼を言うのはこっちのほうだ。お前のおかげで、研究が大きく進んだよ。……ありがとう」
ブランはそう言って、とろけるような笑みを見せた。
わたくしは自分の夫がこんなに優しく笑えることを、この日初めて知ったのだった。
◇◆◇
「んぐぐぐぐ……っ……できた! 見て見てマロン、一回で魔石を空っぽにできたわ!」
「それはよかったですね、ノワレ様。ですが、その淑女らしくない声と表情はどうにかしたほうがよろしいかと」
「ぐぅ……っ!」
——あれから三か月の時が経った。
ブランは相変わらず忙しそうで留守にすることも多いが、それでも以前よりは屋敷に帰ってくる頻度も増えた。
しかも、帰ってくると一番にわたくしのところに来てくれるのだ! ……まあ、わたくしの『吸収』の能力を確認しに来るだけだけれど。
「まーんま?」
「あっ、こらグレイ! この石はいたずらしちゃダメよ。パパの仕事道具なんだから」
「ぱー、ばー!」
グレイがわたくしの持つ魔石に手を伸ばしてきた。焦って遠ざける。魔法の使えないグレイに触られたところで何か害のあるものではないが、なんでも舐めしゃぶるこの時期に近づけたいものではない。
あれからグレイもだいぶ大きくなり、今ではハイハイで屋敷中を這いずり回るほどである。かわいい娘の成長はうれしいが、移動範囲が増えたことで心配することも多くなった。特に魔石はキラキラ輝くのが気になるのか、母親が触っているものに興味あるのか、すぐに手を伸ばしてくる。
あれから何度も練習し、わたくしの『吸収』の能力はどんどん成長している。手のひらほどの魔石からなら一度ですべての『マナ』を『吸収』できるようになったし、少しだけなら大気の『マナ』を『吸収』できるようにもなった。
できなかったことがどんどんできるようになるのが楽しくて、時間が空けば練習するようにしている。子育ての気晴らしや、夫が屋敷に帰らないさみしさを埋めるのにもちょうどいいし。
……ところで、ブランは世紀の発見だとか言っていたけど、『マナ』を『吸収』できたからといってなんの意味があるのだろうか?
だって、『マナ』そのものにはほとんど意味がないはずだ。『魔法』として使えるからこそ価値がある。黒髪であるわたくしはなんの魔法も使えない。それなのに、『吸収』だけして何になるんだろう……?
「……ぁっ、」
「ノワレ様!?」
そんなことを考えていると、突然目の前がぐらりと傾き、足元から崩れ落ちそうになった。倒れる寸前でマロンが気づき、体を支えてくれる。
「ノワレ様、大丈夫ですか!? 」
「ええ、ありがとう、マロン。どうしたのかしら、急に眩暈がして……」
視界はまだぐらぐらと揺れている。立っていられなくてマロンに寄りかかると、心配そうに声をかけてきた。
「昨日も頭痛がすると言っていませんでしたか? それに、最近ずっと体調が悪そうです。旦那様の言いつけとはいえ、少しは休まれてもいいのでは?」
そう、マロンの言うとおり、最近よく頭痛や眩暈がしたり体が気怠く動けないことがよくあった。『吸収』のしすぎで疲れているのだろうか?
「わたくしがやりたくてやっているのよ。でもそうね、今日はもう休むわ」
「そうなさってください。グレイお嬢さまのことは乳母とわたくしに任せて」
「ありがとう。あっ、魔石……」
「あとでお持ちしますわ。大丈夫ですよ、間違っても飲み込める大きさではありませんもの」
「ええ……そうよね」
マロンに言われる通り、魔石をその場に置いたままグレイの傍を離れる。グレイのことは乳母や使用人たちが 見ていてくれるし、何よりもう体が重く耐えられそうになかった。
「ノワレ!? どうしたんだ!?」
わたくしの部屋へと戻る途中、マロンに支えられながら歩いていると、ブランの焦ったような声に呼び止められた。今屋敷に戻られたのだろう、外套も脱がないままの恰好でわたくしのほうへ速足で近づいてきた。
「ブラン様……おかえりなさいませ。すみません、出迎えもせず……」
「そんなことはいい! どうしたんだ、そんなに青い顔をして……!」
「旦那様、奥様は最近ずっと体調がすぐれなかったようなのです。これから寝室へお連れするところですわ」
「体調が?」
わたくしの代わりにマロンが答えると、ブランは見るからに焦った顔で言った。
「ノワレ、もしかして具合が悪くなるのは『吸収』を行ったあとか?」
「え、ええ……たしかに言われてみれば……」
「やはり……! 実は、今研究室でもお前以外の【黒髪】に実験に協力してもらっているんだが、同じように体調不良を訴える者が多くいるんだ。……もしかしたら、『マナ』を大量に体内に留め置くことで体に害が及んでいるのかもしれない」
『マナ』が害? どういうこと? ブランの言葉に働かない頭で考える。
「お前ももしかしてと思って帰ってきたんだが……すまない、俺のせいだ! 安全性の確認もせずお前に無理をさせた。もっと俺がお前のことを見ていれば……!」
悔しそうに言うブランに、「貴方のせいじゃない」と首を振る。そんなわたくしを見て、ブランは申し訳なさそうに眉を下げたあと、「せめて俺が寝室に連れていく」とわたくしの手をとった。ブランの手が触れたところから、じんわり体が楽になったような気がした。
心配そうな顔をするブランを安心させるように、わたくしは小さく微笑み、礼を言った。
「ありがとうございます、ブラン様——」
「ぎゃああああああああああああああああ!!」
同時に、切り裂くような叫び声が聞こえてきた。グレイの声だ。全員がその声に素早く反応し、三人で元いた部屋へと戻る。
「グレイ!?」
「どうした、何があった!?」
「お、奥様、旦那様!」
ノックもせず部屋に飛びいると、そこにはうろたえる使用人たちと——黒ずんだ色の魔石を片手に泣き喚くグレイの姿があった。
「グレイ、グレイちゃん!? どうしたの、どこか痛いの? ……ねえあなた、何があったの、状況を説明して!」
「そ、それが、わからないのです。グレイ様はそちらの石を大変気に入ってらっしゃって、手に触れて遊んでいらっしゃったのですが、それが突然このように泣き出し始めて……」
説明する使用人の顔も真っ青だ。彼にも何が起きたのかわからないのだろう。ただ魔石に触れて遊んでいた、おそらく本当にそれだけなのだ。
でも、それならどうしてこんなに泣いているの? 魔石を飲み込んでしまったわけではないだろう、間違って頭をぶつけてしまったわけでも。それなら、それならどうして——
「——魔力暴走だ」
焦燥するわたくしの隣で、ブランが静かにそう言った。
「魔力暴走?」
「ああ、体内に取り込んだ『マナ』を『魔法』として外に放出できないと、まれに起こるんだ。おそらくお前たち【黒髪】が『吸収』して体調を崩すのも、似たような現象だと考えられる。……まさかグレイ、魔石から『マナ』を『吸収』したのか? あんな赤子が……?」
ブランが信じられないとでも言うように目を見開いて言う。
「そんなことはどうでもいいのです! ブラン様、それで、その『魔力暴走』とはどうしたら収まるのですか!?」
叩きつけるように叫ぶと、ブランはハッとしたような顔でこちらを見た。
「普通なら、魔法として『マナ』を発散させるか、しばらく休んでいれば治る。ただ……それはある程度体ができている魔術師の場合だ。魔法どころか、『マナ』にも慣れていない子ども、まして赤子だと——」
「そん、な……」
目を伏せて言うブランに、わたくしは体中の血の気が引いていくのがわかった。ぐわんぐわんと頭の中で何かが回っているようだ。
ブランの話に、先程の頭痛と眩暈が倍になって押し寄せてくるような感覚がした。グレイはまだやっとハイハイができるようになったくらいの、小さな赤ちゃんなのだ。体力も精神力もマナのコントロール能力だってない。そんな子が、魔力暴走?
——わたくしのせいだ。わたくしが、グレイから目を離したから。魔石をあの子の傍に置いていってしまったから。あの子の前で『吸収』の練習なんかしていたから——
ああ頭が痛い、手足が震えて立っていられない。誰も何もできずにいる中、グレイはまだこの世の終わりを訴えるように泣き喚いている。グレイが、わたくしのかわいい娘が、苦しんでいる——
「お、おい、ノワレ!? 何をする気だ!?」
わたくしは、重い体を半分這いずるようにしてグレイのもとへ寄り彼女を抱き上げた。ブランの焦った声が背後で聞こえる。
「『魔力暴走』……つまりこの子の体の中に、発散しきれない『マナ』があるということなのでしょう? なら、それをわたくしが『吸収』すればいいだけですわ」
痛ましい声を上げるグレイを抱き込んで、精神を集中させる。大丈夫、『マナ』の『吸収』はもうお手の物なのだ。それが魔石からであっても、大気からであっても。きっと人の体内からでも、勝手は同じだ。
「無茶を言うな! そんな青い顔をして……さっきだって倒れそうだったんだろう、これ以上やればお前だってどうなるかわからないぞ!」
「だからなんだっていうのですか! この子を苦しみから救えるのなら、わたくしはどうなったって構いません!」
泣き叫ぶわたくしに、ブランの赤い瞳が大きく揺れるのがわかった。ああ、夫の言うことに真っ向から歯向かうなんて、嫌われてしまっただろうか。これでは『夫をメロメロにしよう大作戦』も台無しだ。——だけどそんなことも全部どうだってよかった。グレイが苦しむことより優先すべきことなどなかった。
「——大丈夫、大丈夫よグレイ。今ママが助けてあげるからね……」
ゆっくりと声をかけながら、グレイの体内で暴れる『マナ』に触れる。それをじっくり手繰り寄せるように、自分のもとへ吸い込んでいく。じわり、じわり、熱い波が体に入り込んでくるのがわかる。グレイが泣き声を上げる途中で、「まぁま」とつぶやくのがわかった。
その声がどこか穏やかさを含んでいるのがわかり、ほっと息をつく。よかった、『マナ』を吸い出せば吸い出すだけこの子は楽になっているのだ。それなら、わたくしのすることはひとつだ。
より精神を集中させ、両腕に抱いた愛しい体をさらに強く抱き込む。触れ合う肌から、吸い込んだ息から、形容しがたい熱い波が入り込んでくる。体内を暴れるその熱に、内側から焼けてしまいそうだった。
グレイはまだ泣き止まない。強く強く抱きしめる。少しだけ泣き声が小さくなる。そっと頭を撫でつける。グレイはまだ泣き止まない——
「ノワレ!」
「ノワレ様!」
ぐらり、限界がきて倒れそうになるわたくしに、ブランとマロンが同時に叫んだ。崩れ落ちた体を誰かが抱き留めてくれた。ブランだ。ゆらゆら揺れていた赤い瞳は強さを取り戻し、まっすぐにわたくしの目を見つめていた。
「——すまない、ノワレ。お前ひとりに背負わせてしまった。魔力暴走を起こした者に、周りができることなど何もないとあきらめていた。馬鹿だな、研究者が一番にあきらめてしまうなんて」
そう言うなり、ブランはわたくしごとグレイを抱きしめる。体がぼうっとあたたかいもので包まれるような感覚がした。これは、感覚共有の魔法? 以前かけられたあの魔法と、同じものが今度はグレイとブランの間に繋がれていた。
「グレイ、わかるか? 今お前と俺は感覚を共有している。お前は俺と同じ白髪も持つ——魔法が、使えるはずなんだ。その小さな体の中で渦巻いている『マナ』を、俺の真似して放出させてみろ。大丈夫だ、どんなに大きな力でも、この父が必ず受け止めてやる」
ふたりの腕の中で泣くグレイに、ブランは諭すようにそう告げた。冷静な頭なら「赤ちゃんにそんなこと通じないわよ」とでも言ったのかもしれない。だけどその時は「ブランが言うならできるはずだ」となぜか信じられたし、「グレイならきっとできるはずだ」とも強く思った。
「大丈夫、大丈夫だ――俺たちが、お前のことを守ってやるから」
途切れそうになる意識の中、そう優しくつぶやく声が聞こえた。瞬間、グレイはいっそう激しく泣き叫び、それと同時に目の前が閃光に包まれた。
わたくしの記憶は、そこで途切れている。
*
「……気が付いたか?」
目が覚めたのは、慣れた寝台の上だった。目を開けると同時に見慣れた天井、そして声のするほうに視線をやれば、どこかやつれた顔のブランがすぐそばに腰かけていた。
「ぶらん、さま……?」
「ああ無理するな、寝ていていい。気絶する前のことを覚えているか? あのまま目を覚まさないものだから、さすがに心配したぞ」
「き、ぜつ……?」
ブランの言葉に、やっと思い出す。グレイが魔力暴走を起こし、わたくしがそのマナを吸収しようとしたこと、最後にはブランがグレイに魔法を使わせようとしたこと——。
だが、途中からすっぽりと記憶がない。ブランの言うとおり、『吸収』のしすぎで気絶してしまったのだろう。それなら、グレイは? グレイはどうなってしまったの?
「落ち着け、グレイなら無事だ。体内にあったすべてのマナを放出しつくしたんだろう、今は何もなかったようにぐっすり眠ってるよ」
「そうですか……よかった」
血相を変えたわたくしに、ブランはその後に起こったこととグレイの様子を説明してくれた。
グレイはブランの感覚共有のおかげか、自ら魔法を放ったことで体内のマナを完全に出し切ることができたらしい。かなり強い魔法だったがブランが同時に打消しの魔法を繰り出したことで屋敷にも使用人にも大事はない。「あの年であれだけの魔法を使えるなんて、稀代の魔術師になるかもしれんぞ」などとキラキラした目で語られた。うーん、こんなときでも歪みない魔法オタクである。
「それにしても、瞬時に打消しの魔法を使うなんて、やっぱりブラン様の魔法はすごいですね」
「ふん、俺の魔法がすごいのは今に始まったことじゃない……が、今回に限ってはノワレ、お前がギリギリまでマナを吸い取ってくれたからだよ。グレイが『吸収』したマナをすべて使っていたら、さすがの俺でもすべて無事には終わらせられなかったかもしれない」
謙遜するブランに驚く。いや、彼にとってこれは謙遜などではなく、純然たる事実なのだろう。それほどにグレイの魔法の素養は大きかったのだ。
「それにしても、残念だわ。やっぱり【黒髪】はなんの意味もないのね」
先の事件を思い出しため息交じりにそう言うと、ブランは「ん?」と不思議そうに首を傾げた。
「意味がない? どういうことだ?」
「だって、そうでしょう? グレイは半分白髪だから魔法が使えたけれど、【黒髪】は魔法として放出できないから、どれだけ『吸収』しても魔力暴走を起こしてしまうだけではないですか」
現に、わたくしがこうして倒れてしまったのもそのせいだ。『吸収』するだけしたって、何に変えられることもできず倒れてしまうだけなんて、意味がないと言っていいだろう。
そう落ち込むわたくしに、ブランはにんまりと笑って言った。
「そうでもないぞ。ほら、これを見てみろ」
「へ?」
そう言って渡されたのは、金色に光る手のひら大の魔石だった。光の魔石? なぜそれをわたくしに? 大きさも色もあの時グレイが握っていたものに似ているが、あれはグレイが『吸収』してもう真っ黒になっていたはずだし——
「この魔石は、お前が生んだものだ」
「はい!?」
頭に大きな『?』を浮かべるわたくしに、ブランはなんでもないことのように言い放った。
生んだ? わたくしが、魔石を!?
「お前は必死で気づかなかったんだろうけど、気絶する寸前にこの石がお前の体内から生み出されたんだ。ここからは推測の域を出ないが——おそらく【黒髪】は『吸収』したマナを魔石として生み出すことができる能力があるのだろう」
「魔石を、生む……!? そんなこと聞いたこともありませんわ」
「聞いたこともないものが実証されるからこそ、研究は楽しいんだ」
そう言うブランは相変わらず子どものような笑みを浮かべている。魔法に関わることだとすぐにこれだ。
「といってもまだまだ調べなければならないことはあるがな。魔石を生み出すきっかけだったり、必要な『マナ』の量だったり——身の危険をはらむほどのマナがなければ魔石を生み出せないというのなら、そんな危険なことはお前にはさせられないし」
ブランはさっきまでの屈託ない笑顔から一転、優し気な笑みを浮かべてわたくしの頭をそっと撫でた。熱い指先に心臓がドキリと跳ねる。
「——さて、お前も目覚めたことだし、俺はいったん研究室に戻る。今回の件も報告しないといけないし、【黒髪】の実験についても見直すことがたくさんあるからな」
「えっ、もう行ってしまわれるのですか?」
立ち上がるブランに、思わずそう縋ってしまう。ブランは驚いたように赤い目を丸くしてみせた。その表情にかあっと顔が熱くなる。
(わたくしったら何を子どものようなわがままを——!)
体調がすぐれないのと、不測の事態が起こったことで不安になっているのかもしれない。急いで取り繕うような笑顔を浮かべ、ブランに向き直った。
「申し訳ありませんブラン様。どうぞお気を付けて、いってらっしゃいませ」
「……ノワレ、」
するとブラン様は、わたくしと目を合わせるようにもう一度ベッド際の椅子へと腰かけた。まっすぐに瞳を見つめ、名前を呼ばれる。
「安心しろ、すぐに帰ってくる。今日に関しては、この魔石を置いて報告をしてくるだけだ。そしてこれからも——できるだけ、研究室にはこもらずこの屋敷に帰ってくるようにする」
「え? ど、どうしてですか、そんないきなり……」
思いも寄らぬ言葉に戸惑う。ブランは少しだけさみしそうな笑顔を浮かべた。
「……お前は、俺の知らない間に『母親』になっていたんだな」
そしてぽつり、ひとりごとでも言うようにそうつぶやいた。
「あの時、自分よりグレイを優先したお前を見て、衝撃を受けたんだ。自分だってもう倒れそうだったのに、俺の言うことも無視してグレイを抱きしめることを選んだ。俺は、お前よりずっと魔法にだって詳しいはずの俺は、何もできずただ立ちすくんでいただけだというのに……」
「何もなんて……! わたくしではグレイを救いきれませんでしたわ。最後の最後、グレイを守ってくださったのはブラン様ではありませんか」
「ああ、だから、お前の姿を見て『今度は俺の番だ』と思ったんだ。お前が『母親』として全力を尽くすのに、俺だけが『父親』になりきれていないことを恥じたんだ。だから今度は俺が『父親』として、グレイを守ってやらねばならないと思ったんだ」
「ブラン様……」
ブランは椅子から立ち上がり、わたくしの手をとると、ベッドの脇に跪いて言った。
「ノワレ、これからはグレイの父として、お前の夫として——お前たちを守ると誓う。お前たちのことを、守らせてくれ」
——それはまるで王子様からのプロポーズのようだった。だけどその表情は情けないくらい自信なさげに歪んでいて、そのギャップがおかしくてわたくしは思わず笑ってしまう。そんな反応に、ブランはさらにシュンと落ち込んだようだった。
その様子がまたおかしくて、だけどそれ以上にいとおしくて——わたくしは添えられた手をぎゅっと握りしめ、赤い目を覗き込むようにして言った。
「——はい、喜んで。ブラン様」
◇◆◇
——さて、かくして『夫を落とす』というわたくしの目標は、無事達成されたわけだ。
だが……我が娘、ひいては我が公爵家の没落フラグが折られたかは、正直まだわかっていない。なぜなら、このたび我が娘グレイと、第一王子殿下——のちの王太子殿下との婚約が決まったからである。
あれから数年の時が経ち、ブランの行っていた【黒髪】の研究はさらに進んだ。【黒髪】は『マナ』を『吸収』するだけでなく、吸収したマナを魔石として生み出すことができること、その『魔石』は魔鉱山などで採れる魔石よりも純度が高く、魔術具への利用などに適していることなど、今までの魔法の常識を覆す研究結果をいくつも発表し世間を騒がせた。最近では、【黒髪】だけでなく暗色髪の者も自分の適性属性の『マナ』なら『吸収』できるのではないか、という研究もはじめている。
今までないがしろにされがちだった黒髪や暗色髪の有用性を示したことで、魔法研究の重要性が見直され研究室は多くのスポンサーがつくようになった。当面、金銭関係の問題でつぶれるような心配はない。もちろん、王家に娘を売る必要性もだ。
それなのになぜ、グレイが王太子殿下の婚約者になってしまったかというと——
白黒の髪を持つグレイは、なんとマナを魔法に変化させることも吸収することもできるという、とんでもチート少女に成長してしまったのである。しかも、赤子の頃に『吸収』も『魔法として発散』することも経験してしまったせいか、普通の子どもより魔法を扱える能力が早く、高く発現してしまった。魔法オタクな父の指導もあり幼くして高位魔法を扱うこともでき、今や金のなる木とも言える魔石を生み出せる黒髪持ち、加えて母譲りの美貌と公爵令嬢という高い地位……。
そんな金と地位と名誉の権化のような存在なのだ、どこぞの貴族やまして他国に目をつけられる前に王族に引き込むべきだと、お互い幼い時分から婚約が結ばれた。王命とされてしまえばわたくしやブランとて何も言うことはできない。
そんなわけで、奇しくも状況はゲームと同じになってしまったわけだが、公爵家からではなく王家から言い出した婚約だという点は違っている。ゲームと違ってグレイは魔法も使えるし、このまま行けばゲームのシナリオどおりにはいかないだろうとは思うのだが——ただ、問題は。
「いやよいやよ! ホワイト公爵家はわたくしが継ぐの!」
……問題は、グレイ本人にあったりする。
あれから数年の時が経ち、グレイはなんともかわいらしい女の子に成長していた。ただ、さすが悪役令嬢というか、ちょっと、少し、……結構わがままで我の強い子になってしまったけれど。
そして彼女に今の最大のわがままが、これなのである、曰く、会ったこともない王子殿下との婚約なんて嫌だと。曰く、百歩譲って婚約は仕方ないとしても、このホワイト公爵家を継げないのは絶対に嫌だと。
「いや、だからね、グレイ? あなたは、第一王子殿下のお嫁さんになるのよ。だから公爵家を継ぐことはできないの」
「いや! 嫌嫌嫌! どうして好きでもない人と結婚して、その上お父様の研究室まで他人に譲らなきゃいけないのよ!」
あれ、そっち? もしかして貴女が継ぎたいのは公爵家ではなく研究室のほうなの?
グレイは父の影響か、とんでもない魔法オタクに育ってしまった。暇があれば魔術書を読みふけり、父が家にいれば珍しい魔法を見せてとねだり、それを見よう見まねで再現してはわたくしや使用人たちを焦らせる……見た目はわたくしそっくりだが、中身はブランの幼い頃そっくりらしい。ブランも自分と似た感性の娘が大層かわいいらしく、甘やかすだけ甘やかしている。
しかし、「公爵家を継ぎたい」のなら問題は山積みだが、「研究室を継ぎたい」のなら手はあるかもしれない。王族は公務があるからほかにも仕事をする方はほとんどいないけど、魔法研究は我が国が今一番力を入れている分野だし、【白黒髪】という前代未聞の髪色を持つグレイが魔法研究に関わるのは双方にとってプラスかもしれない。
わたくしはそう考えると、グレイと目線を合わせるように屈みこみ、諭すように言った。
「ねえグレイ、あなたが継ぎたいのが研究室だけなら、それは王子妃となったあとでも可能かもしれないわ」
「本当、お母さま!?」
「ええ。そのためにはね、グレイ、あなたの婚約者である王子殿下をメロッメロの骨抜きにするのよ!」
「めろめろ? ほねぬき?」
「そうよ! 男性というのは惚れた女性に弱いものだから、殿下をメロメロにしてしまえば『研究室を継ぎたい』なんてわがままくらい、きっと簡単に叶えてくれるわ!」
「なるほど!」
わたくしの言にグレイは大きな瞳をキラキラと輝かせ、「それじゃあわたくし、王子殿下を虜にして見せますわ〜!」と空気中にぽんぽんと花を咲かせた。彼女の得意な魔法のひとつだ。楽しいことうれしいことがあると、あんなふうにたくさんの花を舞い散らすのだ。
いくつもの花の中、楽し気に舞うグレイを見ているとふっと頬が緩んでしまう。
「……何しているんだ、ノワレ。きちんと椅子に座りなさい」
「ブラン」
そんなわたくしに、ブランがうしろから声をかけてきた。昨日から研究室に泊まり込んでいたはずだが、今帰ってきたのだろう。ブランはわたくしの手を引くと、そっと近くの椅子までエスコートしてくれた。
「おかえりなさいませ。今お茶を淹れますね」
「いい、座っていろと言っただろう……というかなんだ、今の話は」
「あら、聞いていたんですの?」
少し拗ねたような顔のブランに、くすりと笑う。「男性は惚れた女性に弱い」——それが自分のことを指しているのだと気づいたのだろう。
あれからブランは、人格でも入れ替わったのではないかと思うほどわたくしたちに対し誠実な『夫』であり『父親』になった。研究は以前にもまして忙しいため、今でもたまに泊まり込むことはあるが、以前のように半月に一度しか屋敷に帰らない、なんてことはない。あの日の誓いの通り、いつだってそばでわたくしたちを守り慈しんでくれている。前世の記憶を思い出したとき、最低な夫だと思ったことが嘘みたいだ。
「……何を笑っている?」
「いえ、これから先の未来はどうなるのだろうと、想像していただけですわ」
「はあ……?」
ブランは意味がわからなそうに少し首を傾げたが、すぐに「そんなこと、気にすることはない」と宣った。
「どんな未来が待っていようと、お前たちのことは俺が守る。だからお前は、そんなこと考える必要すらない」
大真面目にそう言うブランに、わたくしは今度こそ吹き出してしまった。そしてその少し不機嫌な頬に優しくキスをする。
「ええ、貴方がいるから、これからどんな未来が待っていても大丈夫だと、そう思っていたのよ」
——未来がどうなるかなんてわからない。ゲームのシナリオとは大きく変わってしまったけれど、それでも強制力のようなものが働くかもしれない。ゲームとは違った形で、グレイやこの公爵家に不幸が訪れるかもしれない。
だけど、どんな未来だったとしても、きっとわたくしたちなら大丈夫だと思えた。いえ、「大丈夫」にしてみせるわ。この子たちのことは、何があっても絶対に幸せにしてみせる。
(だってわたくしは、この子たちの母なのですから)
そう心で誓い、自分の腹を撫でる。ブランもまた、その手を包むように厚い手を添えてくれた。
視線の先ではグレイがまだ花を散らし花びらと戯れている。穏やかな日差しに輝く白黒の髪が、優しい未来を予感させていた。
了