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楽園の守護者  作者: 神崎真
第二部2
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第十五.五話 番外 ~毒味~

「じゃ、もらってくぜ」

「え……お、お待ちを!」

「困ります、ロッド様ッ」

 口々に言いつのる料理人達に背を向け、ロッドは悠々とした足取りで厨房を後にした。

 その腕の中には、半ば奪うようにして持ち去ってきた、果実酒の入った水差しが抱えられている。

 廊下ですれ違う使用人達は、埃まみれで酒を抱えた姿に驚きの視線を向けてきたが、それでもそこに非難するような色は見受けられなかった。すれ違いざまに丁寧な会釈をよこしてくる、それらには無言で適当に手を振り、大またに歩を進めてゆく。

 やがて ―― 中庭をのぞむ回廊に出た彼は、あたりに人気がないのを見はからうと、庭へと降りた。そのまま木立の間に歩み入り、水差しを地面へ下ろす。



「……ああクソ、喉が痛えな」

 舌を打ち、ぐいと乱暴に口元を拭う。

 戻したばかりの吐瀉物に靴で土をかけつつ、数度咳き込んだ。口を押さえていた手を振って付着した汚れを払い、残りは太腿にこすりつけて拭う。

 何かを飲んで胃酸で焼けた喉を和らげたいところだったが、あいにくいま彼の手元にあるのは毒入りの酒ばかりだった。

 遅効性の毒物は、吸収が遅いこともあり、すぐに吐いてしまえば命に関わるようなことはない。普通の人間であれば、それでも目眩や麻痺などを覚えるところだったが、この手のものに耐性のあるロッドには、さほど問題とはならなかった。

 もっとも、わざわざ吐き戻す手間を考えるならば、はじめから口にしなければ良いだけの話ではあるのだが。実際、最初に一口含んだ時点で、酒に毒物が仕込まれていたことも、その種類も察しはついていたのだが。


「…………」


 おそらく、公子の斜め前に座っていた、西の方とか称されている側室の指示によるのだろう。フェシリアの杯に口をつけた際と、その中身を飲み干した時の反応からして、ほぼ間違いないと確信できていた。

 だが、それはあくまで一方的な印象にすぎない。証拠もなく、いたずらに騒ぎ立てたところで相手を警戒させ、周囲を混乱させるだけに終わるのは目に見えている。ましてそれでなくとも、現在微妙な立場にあるフェシリアだ。よけいな騒ぎは起こさない方が良いに決まっていた。

 周囲からは誤解を受けがちであったが、ロッドはこれでも、己の粗野な行動が引き起こす影響を、十全に把握していた。把握した上で、なおそれらを行っていた。

 己の立場を悪くし、周囲の反感を買う ―― そうすることで見えてくる、様々な事柄。

 自身に対して向けられる、軽蔑も失笑も、鼻で笑って切り捨てる。そんな覚悟ぐらい、彼はいくらでも持っていたけれど。

 けれど ――


「てめえの目的のためなら、手段なんぞ選ばねえってえ、その姿勢は共感できるんだがな……」


 汚れを拭った手で、短く刈り込んだ髪をかきあげる。

 野心を持ち、使えるものすべてを使って、己が望みを叶えようとする。そんな生きざまは悪くないと思う。そのためならば、義理の娘を殺すことも厭わず、現公爵さえをも利用する。けっこうなことだ。強い意志を持って輝く赤瑪瑙の瞳は、既得権力の上にあぐらをかき、怠惰に日々を過ごすぼんくら貴族などには持ち得ない、生き生きしているとさえ呼べる光を放っていた。

 正直なところを言えば、ああいう女は嫌いではなかった。

 その意志の強さも、生きざまも、さらに言うなら蠱惑的な色香をたたえるその面差しや、肉感的な肢体もおおいに興味をそそられるものだ。

 しかし ―― その視野の狭さは。

 公爵が不在の現在。

 いつ何時妖獣が現れるやもしれぬが故に、破邪騎士による兵達の再訓練さえ行われている、今この時。

 公爵代行として政務を執るフェシリアが倒れたならば、いったい誰が代わりをつとめると思っているのか。

 若干七歳のファリアドルにそれを行わせるのか。それとも、その母親たる西の方当人が立とうとでもいうのか。

 馬鹿馬鹿しい。

 いまこの時この場所において。飾り物でなく、名実共にそれが行えるのは、コーナ家次期継承者(エル・ディ=コーナ)たるフェシリア=ミレニアナの他に誰一人としていはしなかった。

 権力をその手にしたいと願うのならば、まずそれに付随する義務を果たしうるだけの能力を、その身につけなければならない。それができない者に、権力を望む権利などない。それがロッドの持論であった。血筋? 公爵に認められた正当なる世継ぎ? それが一体なんだというのか。

 いまこの屋敷にいる人間の中で、遠からず起こるであろう未知の事態に際し、充分な対策をとれる人間はフェシリアしかいなかった。この地を ―― すなわちこの地に住まう民達を ―― 守り抜けるのが彼女しかいない以上、周囲の見えぬ愚かな女の野心になぞ、かかずらっている暇など欠片とてもない。

 そう、いまフェシリアに倒れられる訳にはいかないのだ。

 やらねばならぬことはいくらでも存在しているし、彼女の行使できる権力は、公爵当人のそれには及ばないとしても、かなりの部分で助けとなるものであるのだから。

 だから。

 フェシリアがあの毒杯を、口にする可能性は残せなかった。

 厨房に残っている酒は、どうとでも理由をつけて取り上げることができる。事実あっさりと持ち出すことができた。だが、既に杯に注がれているそれは。

 もちろん、一度他人が口をつけた杯を、彼女がそのまま手にするとは思えなかったけれど。

 それでも、その可能性は全くの無ではなかったから。

 だから ――


「そういや、執務室にも水差しがあったっけか」


 仕事中、渇いた喉を潤すために、あの部屋には常に果汁で香りをつけた水が用意されていた。たいてい夕食後にも執務を続けるフェシリアだから、まだ片づけられてはいないだろう。

 あれならば、この喉のざらつきも解消できるはずだった。

 思いついたことに気を良くして、ロッドは足下に置いたままだった果実酒を再び手に取った。執務室ならば、フェシリアと話すのにも都合がよい。

 別に寝室まで忍び込んでもいっこうかまわないし、内密の話ならばその方がむしろ都合が良いとも言えた。しかし話し合いの結果いかんによって行動を起こすならば、やはり執務室が一番面倒がないだろう。



 再び人通りが途絶えたところを見計らって、回廊へと戻り執務室に足を向ける。

 廊下の向こうから現れた使用人が、そんな彼の姿を見つけ、すれ違いざまに一礼していった。



 そうして厨房を出た彼が、途中足を止めていたことを知る人間は、誰一人として存在することなく。

 土をかけられた汚物は、夜明けと共に夏の日差しに乾かされ、跡形もなく地面と同化するのだろう。



 そのことに対して、彼がこれといった感慨を抱くこともなく ――

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